GINZA通信アーカイブ

2014.03.26

GINZA FASHION WEEK

  • 銀座の3つの百貨店がタッグを組んだ「GINZA FASHION WEEK」
  • 各店のパンフレットには銀座を楽しむヒントが満載

 そぞろ歩きが楽しくなる桜の季節――東京・銀座は、「GINZA FASHION WEEK(GFW)」(3月31日まで)で華やいでいる。

 普段はライバル関係にある3つの百貨店、松屋銀座、銀座三越、プランタン銀座がタッグを組んで開催するイベントで、今回で6回目(プランタン銀座の参加は5回目から)。ズバリ「GINZAを楽しもう」を、共通テーマに掲げた。

 日本のものづくりの知恵を集積・融合し、発信しているのも、銀座の魅力だ。そうした「世界のGINZAから、ファッションで日本を元気にしよう」との思いが、各店が展開する独自テーマの中に込められていて、興味深い。

松屋銀座“JAPAN BLUE”

 松屋銀座は、「JAPAN BLUE」をテーマにした。古くは着物や浴衣、近年ではデニムなど、いつの時代も愛されてきた日本の藍色に着目している。

 同じ「ブルー」といっても、素材やデザイン、ポップなモチーフのあしらい方で、洋服の表情がこんなにも変化するものかと、改めて驚かされた。

 注目は、展示品の中にあった、「G.DRESS」のロングニット。たて編みの匠の技術をもつ北陸・吉田産業と、ワコール、松屋銀座の3社で共同開発した商品だそうだ。吉田産業は、伸縮性抜群の編みタイツを製造することで知られる会社。一見して変哲もないニットなので何がすごいのかわからない。だが、着てみると自在に伸びて、からだにほどよくフィットする感じがたまらないらしい。「昨秋売り出した当初はまったく売れませんでした。販売員がインナーとして着て、その着心地を率直に伝えることで、試してみようかなと思うお客様が増えて人気が出ました」と、担当者。

  • 松屋銀座は日本の藍色に着目
  • 中央にあるロングニットには、編みタイツに使われている匠の技が生かされている

 

プランタン銀座“華やかに春の銀座を楽しもう!”

 客層の中心を20-30代の女性が占めるプランタン銀座のテーマは、「華やかに春の銀座を楽しもう!」。日本人が愛する桜に目を付け、ピンクや花柄のトレンドアイテムをピックアップ。通勤、デート、アフターファイブのシーンごとに、若々しい装いの提案をした。

 ファッションもさることながら、ここでは、愛らしいスイーツに目がいってしまう。さくらクリームがたっぷり入ったピンクのエクレアは、プランタン銀座直営の「サロン・ド・テ アンジェリーナ」から。ちょっぴり塩味が感じられる桜餅の風味、これこそ日本の春の味わいだ。パリで百年以上続く老舗菓子店の伝統と世界に誇る繊細な和テイストが融合した何ともおしゃれなスイーツだった。

  • 桜色や花柄で若々しい装いを提案したプランタン銀座
  • さくらクリームがたっぷりのピンクのエクレアが愛らしい

 

銀座三越“ギンザ レトロ モダン”

  • 銀座三越には、伝説の「VAN」の紙袋が革製クラッチバックで登場

 銀座三越は、「ギンザ レトロ モダン」がテーマ。ストリートファッションの草分け「みゆき族」やアイビールックが流行した1960年代のファッションを今風に再現してみせた。

 銀座の大通り、晴海通りから1本南側に入ったのがみゆき通りで、1960年代、アイビールックのファッションに身を包んだ若者たちであふれ返っていた。ボタンダウンシャツにニットタイ、肩の線を落とした三つボタンのジャケット、細身のコットンパンツ…。通りの名前から、「みゆき族」と呼ばれた。

 女性の場合、「みゆき族」ならではのファッションアイテムといえば、リボンやワンピースの共布で作ったヘアアクセサリー、大きめのクラッチバックなど。スタジャンの小脇に抱えているのは、「VAN」の3文字ロゴがプリントされた伝説の紙袋…ではなくて、驚くなかれ、当時の形を活かしてヌメ皮クラッチバックとして再現されていた。

  • ニューヨーカーの鮮やかな赤のブレザーはパターンオーダー品
  • 「みゆき通り」にたむろする「みゆき族」(1965年7月撮影)

 「VAN」を創業したのは、日本の男性ファッションをリードした粋人、石津謙介さんだ。アメリカの雑誌で知ったアイビールックを日本流にアレンジし、若者たちの間に大ブームを起こした。

 10年ほど前になるが、生前の石津さんに当時の話を聞く機会があった。

 「問屋に商品を持っていくと、『おっ、カネが来たぞ』と言われたほど、売れに売れた。大卒初任給が2万3千円程度の頃、VANのスーツは1万6千円。決して安くないはずなのに、店にはお客が待ち構えていて、VANの文字が記された段ボールが届くと、ふたも開けずに『そのまま欲しい』と取り合ったらしいんです」

 ロゴ入り紙袋を抱えた「みゆき族」の登場は、まさに社会現象だったのだ。

 銀座三越には、31日までの期間限定でVANショップが設けられているほか、日本にブレザー文化を根付かせた「ニューヨーカー」のパターンオーダー品なども登場。東京五輪に沸いた1960年代の世界にタイムスリップしてしまいそうだ。

 3店3様で、新しい銀座の楽しみ方がまた一つ、発見できそうな気がする。

 (読売新聞編集委員・永峰好美)

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2014.03.14

終わり良ければ、すべて良し!

  • 銀座ベルビア館のエレベータで、気になるお知らせを発見!

 「終わり良ければ、すべて良し!」。ふと立ち寄った東京・銀座のテナントビルのエレベーターで、そんなキャッチフレーズが気になった。

 どうやら、「有終のシメごはんフェス2014」というのが開かれているらしい。お酒を飲んだ後の「シメごはん」というと、すぐ思いつくのは、鍋料理の最後の雑炊。席を移して、ラーメンと餃子なんていうのもありだろう。でも、ここで提案されているのは、もっとおしゃれな個性のあるメニューのようだ。ちょうど軽い会食が終わって、もう少しお腹に入れたいなと思っている時だったので、早速チャレンジすることにした。

シメごはんの誘惑

  • ドイツビール専門店で、とりあえずの白ビールとムール貝の蒸しものを注文

 向かったのは、銀座2丁目の銀座ベルビア館8階のドイツビール専門店「シュタインハウス銀座」。

 とりあえずのビールは、お店のおすすめの白ビール。ヴァイスビア・ゴールドといって、大麦麦芽だけでなく、小麦麦芽も使って造られるまろやかな味わいのビールという。小麦を使っているせいか、バナナやパイナップルのようなフルーツの甘みと、後味に残る爽やかな酸味が感じられるビールだった。

 「通常は白ソーセージなどを合わせるのですが、今回のシメごはんフェスでは、こちらをまず召し上がってください」と促され、ムール貝の白ビール蒸しを注文した。ヴァイスビア・ゴールドで蒸しあげているという。トウガラシのピリ辛とムール貝の海の塩味がほどよい加減だ。内臓が心地よく刺激されて、ぺろりと食べてしまった。

 ここで、皿に残ったムール貝の出汁が効いたスープには、パンを浸しながら食べたいところだが、ここからがシメごはんの真骨頂。スープは、再び調理場へと帰って行った。

 しばらく待っていると、スープのお皿は、パスタに大変身! シュペッツレという南ドイツなどで食べられる卵麺が出てきた。これが、もちもちした食感で、とてもおいしい。ムール貝の出汁(だし)に生クリームなどが加わったコクのあるクリームソースがからまる。意外にしつこさもなく、満腹のはずなのに、ついついスプーンが進んでしまう。

 ああ、これが「シメごはんの誘惑」とでもいうものなのだろうか。

 そんな感想をお店のスタッフに言ったところ、「シェフの自信作なんです。でも、お店では、ビールと一緒にアイスバインやソーセージをたっぷり召し上がる方が多いのです。ムール貝は注文しても、お腹がいっぱいになってシメまでたどりつけないと言われるのですが…」と、ちょっぴり残念そうだった。

  • 白ビールで蒸しあげたムール貝はピリ辛味
  • ピリ辛で内臓が刺激されて、食が進む

 

  • 残ったムール貝のスープは、この後調理場のシェフの元へ
  • スープのお皿は、バスタに変身。「シメごはん」の醍醐味です

 

逸品ぞろいのラインナップ

 この企画は、三井不動産商業マネジメントが東京の日本橋、赤坂・霞が関、銀座エリアで運営する商業施設内の店舗で展開されている。銀座では、飲食店18店舗が参加し、3月25日まで開催される。フランス風食堂では、フォアグラにコンソメスープをかけていただく「フォアグラ茶漬け」や、串揚げ店では、おでんの出汁を使ったさっぱり鯛茶漬け、沖縄料理店では、さっぱりエビ塩スープ仕立てのソーキそばなどが提案されている。

 もちろん、「別腹スイーツ」も用意されている。イタリアンバールでいただく、ひんやりジェラートにエスプレッソをかけたアフォガートや、表面がぱりぱりのカラメルが香ばしい冷たいカスタード、カタラーナなど。「お酒の後は甘いもの」派にもうれしい。

 ところで、夜遅い帰宅後、私がよく食べる「シメごはん」は、ピリ辛の豆乳スープに豆腐と冷蔵庫の残り野菜を入れて作るスンドゥブ風。夜9時以降の炭水化物の摂取はなるべく控えているつもりなのだけれど、麺類好きな私は、つい手が伸びてしまうこともあって…、ダイエットに失敗を重ねております。食いしん坊の私は、「シメごはん」の誘惑にはなかなか勝てそうもない。


「有終のシメごはんフェス2014」
http://mi-mo.jp/pc/special/shimegohanfes2014/


 (読売新聞編集委員・永峰好美)

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2014.02.28

フィリップ・ミル氏来日 帝国ホテル特別メニュー

フランスの名門レストラン「レ クレイエール」の救世主

  • 豊かな緑がまぶしいシャンパーニュ地方ランスの「レ クレイエール」

 フランス・シャンパーニュ地方の都市ランスの街中にあって、敷地7ヘクタールの豊かな緑に囲まれたオーベルジュ。

 「ボワイエ」と呼ばれて親しまれてきたレストラン「レ クレイエール」には、10年以上前になるが、1度だけ行ったことがある。

 フランス料理界の巨匠、ジェラール・ボワイエ氏の片腕で、同レストランで1995年から9年間も三つ星を維持したティエリー・ヴォアザン氏が、東京・日比谷の帝国ホテル「レ・セゾン」に移ったのは2005年のこと。同ホテルの小林哲也社長(当時)と田中健一郎総料理長に見初められ、以来、「レ・セゾン」の顔として腕をふるっている。

 「レ クレイエール」は、ボワイエ一族が経営から離れ、ヴォアザン氏もいなくなったことで、一時輝きを失っていた。ところが、2010年、フィリップ・ミル氏という新しいシェフを迎えることで、12年、メインダイニング「ル パルク」が2つ星を獲得。再び注目のレストランに返り咲いた。パリの「ル・プレ・カトラン」や「ムーリス」など名門レストランで研鑽(けんさん)を積んできた人だ。

 そのミル氏が来日し、先日帝国ホテルで5日間だけ特別メニューを提供するという機会に遭遇した。

  • 荘厳なシャトーには20室の宿泊施設もある
  • 「レ クレイエール」のメインダイニング「ル パルク」

最高の食材をふんだんに。美しすぎて…

  • シャンパーニュがこれだけそろうと壮観だ! ソムリエの伊藤靖彦さんのサービスで

 どんな料理が並んだか、紹介しよう。

 まず、シャンパーニュの「ドゥーツ」をマグナムからいただきながら、マグロのタルタルや生姜のババロアなどのアミューズ。

 続いて、鴨のフォワグラとシャンパーニュ地方で造られる赤ワイン「コトー・シャンプノア」で風味付けしたジュレの組み合わせ。渦巻き状のものは、コンソメのゼリーを甘酸っぱく仕上げたリンゴで巻いていた。

 魚料理は、ブルターニュ産のタラ。ナイフを入れると身が美しくほぐれ、鮮度の良さを物語っていた。貝とさくさくした食感のコールラビ、モリーユ茸が合わさり、オゼイユの独特の酸味がアクセントに。

 肉料理は、ブレス産の鶏肉とフォワグラのミルフィユ仕立て。たっぷりのトリュフと、コーヒーで香りづけしたソースが味わいに深みを与えていた。ワインは、フレデリック・マニャンの「シャンボール・ミュジニー」(2007年)に。

 とろりとしたスープ仕立てのイチゴとライムのソルベで口直しをしたら、鏡のように表面に艶のあるチョコレートのデザート。あまりに美しくて、食べるのがもったいなかった。

  • (左上)アミューズ3種 (右上)鴨のフォワグラ (左下)ブルターニュ産のタラ (右下)ブレス産の鶏肉
  • (左上)フレデリック・マニョンの「シャンボール・ミュジニー」 (右上)スープ仕立てのイチゴ (左下)チョコレートのデザート (右下)コーヒーのお供に

  • 「レ クレイエール」の星を甦らせたフィリップ・ミル氏

 来日したシェフのフィリップ・ミル氏(39)に日本の印象などを聞いた。

 ――来日は何度目ですか?
 「仕事では初めて。でもバカンスでは10回以上来ているかな。とても美しい国で、誰もが礼儀正しい。東京、京都、大阪、それぞれに雰囲気が違うし、自然に恵まれた地方都市もいい」

 ――今回の料理の特徴は?
 「素材を生かすことを心がけた。基本はいつも作っている伝統的なフランス料理だけれど、量は少なめ、味つけは塩分を控えるなど若干軽めにした」

 ――料理人を志したのはなぜ?
 「24時間耐久レースで知られるルマンの近くの出身。田舎なので、自宅の周りは食材の宝庫。幼い時から料理するのが好きだった」

 ――尊敬している料理人はいますか?
 「フランス南西部バスク地方のビアリッツにある『オテル・デュ・パレ』のジャン・マリー・ゴーティエ氏。2009年にボギューズ国際料理コンクールで優勝した時の技術指導者でもあった。料理するにあたって、人に感謝し素材に感謝するといった姿勢に深く共感している」
 「一つひとつの素材を尊重し、あらゆる人、ものに感謝の気持ちを捧げるというのが、私の料理哲学。それは日本人の心とつながるのではないでしょうか」

 ――そういえば、奥様は日本人だとか。
 「私がパリのレストランにいた時、パティシエとして働いていた同僚です」

 ――和食についてどんな感想を?
 「トンカツ、天ぷら、寿司。何でも試した。路地裏の小さな店に行っても、高級ホテルのダイニングに行っても、おいしい。それに、段取りがきちんとしていて、心地よい。素材の生かし方を見ていると、日本人がいかにあらゆるものに敬意を払っているかがよくわかる。だから、心に浸みる料理が生まれてくるのだろう」

 ――日本の食材で使ってみたいものは?
 「日本の食材はエキゾチックで魅力的だ。でも、あえて今は使いたいものを挙げたくない。というのも、最近パリでは、日本の食材、たとえばユズなどを使うのがあまりに流行し過ぎていて、ちょっと残念に思っているからだ。鴨にもフォワグラにもユズを添えている。素材への敬意が薄らいでいるように、私には感じられる」

 ――フランスのレストランに日本人の料理人が増えています。どう感じていますか?
 「仕事に対してまじめで正確。私の片腕の馬場君も日本人。もう7年間一緒に仕事している。様々な国、年齢、性別の人が集まってチームができるから面白いし、そうした多様性が大切だと思う」

 ――どんな料理人を目指しますか?
 「このままの姿勢を保って、ずっと続けていきたい。それが、お客様をもてなし、尊重し、喜ばせることになる」

 (読売新聞編集委員・永峰好美)

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2014.01.31

未来につなげ「富岡畦草+富岡三智子親子展」

  • 富岡畦草さん(右)と三智子さん親子

 新年早々、東京・銀座のギャラリーで開かれた一つの素敵な企画展のことを、会期は既に過ぎてしまったけれどもご紹介したい。

 銀座2丁目のギャラリー・アートグラフの「富岡畦草(けいそう)+富岡三智子親子展」(1月6日~16日)のことである。

 富岡畦草さんは、同じ場所で時系列的に写真を撮り続けて時代の変化を記録するという「定点観測式撮影法」の先駆者。新聞社のカメラマンの傍ら、戦後占領期の人事院から依頼されて復興期の日本、特に高度成長期の東京の変貌をカメラに収めてきた。

 「作家の新田次郎さんを訪ねる機会があって、定点観測のアイデアを話したら、『そりゃ面白い。やってみなさい』と言われて意を強くした」のだそうで、1952年(昭和27年)から始めて、撮影した数は40万コマを超える。87歳の現在も現役で取材を続ける。「敗戦国日本が二度と道を踏み外さないように見守るのも、生き残った人間の責任」と、変わる東京の景色を日々見つめている。

記録写真

  • 家族の大切なメモリーにもなっている「日本橋と家族」

 富岡さんの作品で特徴的なのは、我が子の成長を時間軸にしていること。風景の変化とともに家族の表情がしっかり写し込まれている。たとえば、「日本橋と家族」と題された1963年3月3日撮影の写真は、高架の首都高速道路建設前の貴重な記録写真。富岡さん姉妹と母親の3人が、日本橋を渡って三越に向かうところのようだ。記録写真は、家族の大切なメモリーとも重なる。

 「私自身も、幼い時から子ども用のカメラを持たされて、何でも記録するようにと教えられました。どこを向いても家の中は写真ばかり。まさに写真に囲まれて育ったと思います」と、三智子さん(55)は話す。

  • 東京駅丸ノ内駅舎の今昔を描いた2人の作品

 三智子さんは、その後東京芸大の日本画科に進み、プラチナ箔と墨を使って陰影を付けるオリジナルの「プラチナ画」を生み出した。今回の親子展では、畦草さんが1959年に撮影した東京駅丸ノ内駅舎の現在の姿を、三智子さんが絵画で表現豊かに描いており、その新旧対比もユニークで面白い。

 「まずは父の写真ありきですが、その撮影場所に立って時間の経過について思いを巡らせていると、どういう手法であれ、記録することの大切さに改めて感じ入りますね」と、三智子さん。

 記録することにこだわるのは、硫黄島出身の母親の体験とも関係している。中学生だった母親は、硫黄島の戦いで守備隊指揮官だった栗林忠道中将に水などを提供した。その時残された言葉は、「いつか日本人にこの状況を含めて伝えてほしい」だったという。

銀座風景今昔展

  • 松屋屋上から国会議事堂を望む(1953年)

 企画展の副題に「銀座風景今昔展」とあるように、1950~60年代の銀座の写真がまとめて見られるというのも貴重な機会だった。

 1953年12月29日、百貨店の松屋屋上から撮影したのは、皇居の森から国会議事堂まで見渡した風景。バラックが軒を連ねる銀座の上空を、アドバルーンがいくつも泳いでいる。

 60年2月26日、銀座4丁目の三越の屋上から三愛ビルを俯瞰(ふかん)した写真では、皇太子の誕生を祝う街の雰囲気が伝わってくる。さらに、1961年8月19日、歌舞伎座前で撮影したのは、地下鉄・日比谷線の建設工事が始まった三原橋近くのにぎわいだ。

  • 三越屋上から三愛ビルを俯瞰して(1960年)

 「銀座の街は大好きでしたね。デパートのきらきらしたショーウィンドーに魅せられて、10歳でデザイナーを夢見る少女でした。街を闊歩(かっぽ)するおしゃれな大人の女性も華やいだネオンも、脳裏に焼き付いています。日本のめざましい発展の様子を誇りに思い、海外への憧れと同時に日本の伝統文化への関心にもつながって、それが日本画を学ぶきっかけになったように思います」と、三智子さんは語る。

  • 日比谷線建設工事中の歌舞伎座周辺(1961年)

 三智子さんは、7年前、I型糖尿病から合併症を併発し、透析を続けながら約20年間闘病生活を送った姉の初恵さんを亡くした。姉の看病を通じて知った京都大学の山中伸弥教授のプロジェクトに共感し、今回の企画展で販売した作品の収益は、同教授が設立した「iPS細胞研究基金」に寄付する。

 「おかげさまで、建築学科に進んだ娘も写真を勉強して、『おじいちゃまの記録写真はバイブル』と言っています。こうした自然なカタチで次世代に引き継ぎ、未来につなげていくことが何よりも必要だとも思うのです」。三智子さんの言葉に力がこもった。

 (読売新聞編集委員・永峰好美)

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2014.01.17

「銀座 立田野」…斬新!「ほっとあんみつ」

 国技館の升枡席に座ると、なぜおみやげにあんみつが入っているのか、ずっと不思議に思っていた。

 スイーツ通で有名な、芝田山親方のように、お相撲さんにあんみつ好きがいたのかなあ。そんな疑問がようやく解けた。

あんこはどこ!? 鉄瓶の中は…

 明治28年(1895年)創業の銀座7丁目にある老舗店「銀座 立田野」。そこは、元力士だった立田野竹枩(たけまつ)関がつくった甘味処(かんみどころ)。店名に、四股名がそのまま残っている。

  • 銀座の中央通りに面した銀座立田野の本店
  • 土俵でも活躍した立田野関。同社が作成した小冊子「あの頃に、いらっしゃい」から

 相撲人名鑑によると、立田野関は、富山県の出身。初土俵は明治7年で、19年まで続けた。最高位は前頭8枚目。廃業後は、魚河岸の荷揚げ人として働いて資産を築き、店を持つまでに至ったようだ。

  • 「ほっとあんみつ」は小さなお盆に載って登場
  • 鉄瓶から注がれるのは、あつあつの特製あんこソースでした

 当初は日本橋にあったが、大正13年、関東大震災後、復興の象徴の場として注目されていた銀座に移転した。

 あんみつは、みつ豆みつまめと共に夏の風物詩とされ、俳句では夏の季語。高浜虚子は「蜜豆をたべるでもなく よく話す」と詠んだ。

 確かに、透明な寒天がたっぷり盛られているところなど、涼しげな印象が強い。立田野でも、売上げの約7割は暑い夏の季節が占めるそうだ。

 そのあんみつを、冬でもおいしく、いや、冬だからこそのアレンジでおいしさをパワーアップして提案しようと、同店では新スタイルのあんみつを売り出した。

 その名も、「ほっとあんみつ」!

 早速いただいてみた。

 お盆に載せられていたのは、たっぷりの黒みつが添えられた、いつもと変わらぬスタイルのクリームみつ豆。一緒に、鉄瓶がサービスされた。特別なお茶でも入っているのだろうか。それにしても、あんこが見えない!!肝心のあんこはどこへと思っていたら、鉄瓶の口から注がれたのは、小豆色の…・・・。そう、あつあつのお汁粉だった。

 「店で通常お出ししているお汁粉を基本に、今回の特製あんこソースは、薄過ぎず、かと言って、濃過ぎず。こしあんを湯で延していくだけなのですが、何度も何度も繰り返し、ようやく最高の濃度を見つけました」と、開発に携わった調理担当の山之内隆マネージャーは胸を張る。

 濃度は、通常のお汁粉の半分くらいらしい。上に載った冷たいバニラアイスクリームに、あつあつのあんこソースがかかって、徐々にとろりと溶け出し、寒天や赤エンドウ豆とからみながらやさしく包み込んでゆく。

 添えられたフルーツの中では、やはり肉厚でほどよい歯ごたえのあるアンズが一番好きだ。でも、缶詰みかんもあんこと一緒になると、柑橘系の甘酸っぱさが引き出されて、本来のフルーツらしさを取り戻しているような感じがする。みかん缶の味わい再発見、だ。

 最後の決め手は、濃厚な秘伝の黒みつ。味にコクが加わり、リッチさが増す。

こだわりの素材と職人技

 同社の「あんみつ」は、素材の一つひとつにこだわりがあるという。

 あんこに使うのは北海道産の小豆で、約5時間煮る。季節によって堅さや水分が異なり、練り方も違ってくる。それは、長年経験を積んだ職人だけがわかる感触だそうだ。煮立てたあんこの中にしゃもじを入れてすくい上げると、ツノが立つ。そのツノの出来でき具合を見て、出来上がりを判断する。手作りの職人技であるからこそ、可能なことなのだ。

 寒天にも特別なこだわりがある。あらめ、ほそめ、あおくさ。伊豆の3つの天草を使って、弾力を加減し、嫌みのない磯の香りを演出する。こちらも、愚直な手作りでないとできないことだ。

  • バレンタインデー用に期間限定で販売される「恋するあんみつ」

 そんな話を山之内さんから聞いていたら、職人さんの手の温かさが加わって、「ほっとあんみつ」がますますあったかく感じられた。

 「ほっとあんみつ」は、銀座本店のほか、東京・新宿の京王百貨店、渋谷の東急百貨店本店などでいただける。1200円。冬季限定。恐らく3月の初めくらいまで。

 また、同社では、季節によって練りきりなどで飾り付けをした期間限定のあんみつも、若者たちを中心に人気なのだとか。バレンタインデーには、ピンクのハートの練りきりが愛らしい「恋するあんみつ」が販売される。

 寒さが増す中、「ほっとあんみつ」を食べて、銀座でほっこりしてみてはいかがだろうか。

 (読売新聞編集委員・永峰好美)

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2013.12.13

歌舞伎座「忠臣蔵祭り」

 「仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)」を上演中(12月25日まで)の東京・銀座の歌舞伎座では、地下の木挽町広場で「忠臣蔵祭り」といったイベントが開かれ、連日多くのファンでにぎわっている。

 「忠臣蔵コーナー」には、和装雑貨からお酒、和菓子まで、様々なグッズがそろっていた。

  • 歌舞伎座では、年末恒例の「仮名手本忠臣蔵」が上演中
  • 歌舞伎座地下の木挽町広場では、忠臣蔵祭りを開催

切腹最中

  • 「切腹最中」。なんて刺激的なネーミング!
  • こんなカタチをしています

 「歌舞伎ファンだけでなく、銀座・新橋のサラリーマンにも人気ですよ」と、店のスタッフが教えてくれたのが、「切腹最中」である。「切腹の覚悟で参りました」と、おわびのしるしに買っていくのだそうだ。

 覚悟を決めたように白いはちまきを締めて、ぱっくり割れた皮の間からあんがはみ出した不思議な形だ。1個190円。

 もち米で作った厚めの皮は、せんべいのようにぱりぱりと歯ごたえがある。あんは意外にあっさりしていて、中には柔らかな求肥が潜んでいた。

 それにしても、インパクトのあるネーミングの最中である。考案したのは、銀座のお隣り、新橋で、大正元年に創業した和菓子店「新正(しんしょう)堂」の3代目、渡辺仁久さん。

 「老舗の和菓子屋がそんな縁起の悪い名前をつけるなんて、やめて」と、家族皆が反対したのを押し切って、1990年に売り出した。

 というのも、現在は道路整備の余波で移転したが、もともとの店舗は「忠臣蔵」で知られる浅野内匠頭が切腹した田村右京太夫(たむらうきょうだゆう)屋敷跡にあった。

 「幼い頃から聞かされていた史実なので、忠臣蔵にちなんだ名物菓子を作れないかなとずっと考えていました。ネーミングについては、119人にアンケートで聞いたら、118人がノーと言った。でも、なんかスイッチが入っちゃったんですよ。反対意見があればあるほど、あきらめられなくなってしまってね」と、渡辺さん。

 ある時、なじみの証券会社の支店長が、部下のミスをおわびに取引先に行くというので、冗談半分で、この最中を手みやげに薦めてみた。果たして「切腹」の覚悟が通じたらしく、先方は苦笑して許してくれたそうだ。

 そんな逸話がきっかけになり、ビジネスマンの間に口コミで広まって、「新橋発のおわびのお菓子」というイメージが定着したのだという。今年はそれに半沢直樹ブームも重なった。

 今では、店は、忠臣蔵ゆかりの地を巡るツアーの観光バスが立ち寄る名所にもなった。討ち入りのあった12月は、1日4000個売れる。今年初出店した歌舞伎座の売店効果もあって、社長自ら、配達に飛び回っている。

また、生菓子が売れないといわれてきた8月でも、お盆の頃には、帰省用の東京土産として買い求める人も多いそうだ。

 「結婚式の引き出物に使いたいと訪ねてきた若い2人がいたので、さすがに非常識だからやめた方がいいとアドバイスした。でも、新婦がどうしてもあきらめられなかったらしく、招待客に添える手紙まで持ってきた。『私たち、結婚します。切腹覚悟の2人をどうぞ未来永劫見守ってくださいませ』だって。なんだか泣かせるねえ」と、渡辺さんは目を細める。

ファン心をくすぐるパッケージデザイン

  • 四十七士の武者絵が描かれた「義士ようかん」

 「忠臣蔵」にまつわる新商品も、次々に開発している。

 パッケージに四十七士を描いた武者絵が描かれているようかんや吉良邸への討ち入りの際に使われた山鹿流陣太鼓をデザインしたどら焼きなど。忠臣蔵ファンならば、どれもこれも買い占めたくなってしまうのではないだろうか。

 デザイン学校卒の当主のセンスもさることながら、忠臣蔵フリークのイラストレーター、もりい・くすおさんが、時に精密に、時にユーモアたっぷり愛らしく、歴史上の人物を描いている。

 もりいさんいわく、「命がけで亡君の恨みを晴らすという忠義にも感動するし、実は武士道と見せかけた確信的な策略、政道への反逆と考えても面白い。何もかもを真っ白に包んだ雪の世界で真っ黒な装束の集団が決起する。こうしたビジュアルのコントラストも堪えられない。忠臣蔵はおもしろのデパート」と評している。

 切腹最中をいただきながら、爽快な臥薪嘗胆(がしんしょうたん)の物語に遊んでみることにしよう。

  • 3代目主人、渡辺仁久さん 「忠臣蔵」を話し出したら止まりません
  • デザイン学校卒のご主人は、グッズを何でも作っちゃってます

 

  • 新橋にある、大正元年創業の「新正堂」
  • 店の近くにある「浅野内匠頭終焉之地」の碑

 (読売新聞編集委員・永峰好美)

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2013.11.29

イルミネーションを楽しみながら空想世界で遊ぶ

  • マロニエ通りのイルミネーションはエレガント

 東京・銀座は、クリスマスのイルミネーションが日に日に点灯し、華やかな雰囲気になってきた。マロニエ通りのマロニエの木々を飾る上品なイルミネーションに、プチ・シャンゼリゼといったフランス的な趣を感じるのは私だけだろうか。

ヴェルサイユ宮殿にようこそ!

 マロニエ通りと銀座通りの交差点にあるのが、シャネルの店舗。26日、その4階で、新たなヴェルサイユ宮殿の魅力をお披露目する会が、宮殿総裁のカトリーヌ・ペガールさん主催で開かれた。

 ヴェルサイユ宮殿といえば、「宮殿の中の宮殿」ともいわれるフランスで最も人気のある世界遺産の一つ。訪ねたことのある方も少なくないのでは。

 宮殿の中央に広がる黄金の装飾で彩られた「鏡の間」や、アンドレ・ル・ノートルによる、水なき土地に水を引き、運河や噴水などあらゆる水の芸術によって王のパワーを誇示した平面幾何学式庭園。この2つは、宮殿訪問の際のハイライトであるに違いない。

  • シャネル銀座本店の4階で開かれたイベント「ヴェルサイユ宮殿にようこそ!」
  • ヴェルサイユ宮殿総裁のカトリーヌ・ペガールさん

  • 圧巻の「鏡の間」(c)Christian Milet
  • 平面幾何学式庭園(c)Christian Milet

  • 王のパワーを誇示した噴水の数々(c)Christian Milet

 私などはこの2か所の印象が強すぎて、他の見どころは、なんか絢爛(けんらん)豪華だったなあという程度しか覚えていない。

 「歴史あるヴェルサイユですが、時の流れが止まっているわけではなく、時代とともに新しい進化が見られるところが面白いはずです」と、ペガール総裁は話す。

 たとえば、「王女のアパルトマン」は、ルイ15世の娘、アデライドとヴィクトワールという未婚の2人がフランス革命まで住み続けた居室群。かつて宮殿の中でも王のグラン・アパルトマンに次いで最も美しいとされたところだ。今年4月から再公開された。家具調度品や装飾具として使われていたオブジェなど貴重な品々が収蔵庫から展示品として取り出され、日の目を見ることになったそうだ。

 ヴィクトワール王女はハープシコードを見事に弾きこなし、モーツァアルトはハープシコードのための最初のソナタ6作品を彼女に献じたといわれる。読書や音楽の好みがよく伝わってくるというから、興味深い。

注目スポット

  • グラン・トリアノン(c) jm-Manai

 私が注目したいスポットを3か所ご紹介しよう。

 まず、「水花壇」である。水の芸術はどれも素晴らしいが、この泉水は、フランスの河川を象徴する4体のニンフなど横臥像で装飾されていて、ひときわ静寂で美しいのだ。

  • 水花壇(c)Christian Milet
  • マリー・アントワネットの命で造られた「王妃の村里」(c)Christian Milet

 宮殿の北西にある「グラン・トリアノン」は、休息の場だった。私的な空間として、演奏会や祝宴などで使われた。ルイ14世は女官だけを招待していたらしい。フランス北部ランス産の真っ白な大理石と南部ラングドック産のバラ色の大理石が組み合わされ、「大理石のトリアノン」と呼ばれている。

 庭園には様々な種類の花が植えられており、「オランダ水仙の強い芳香のせいで、安眠できない」といった日記も残っている。花の香りで眠れないなんて、一度経験してみたいものだが。

 トリアノンの背後に広がる一帯は、「王妃の村里」と呼ばれ、マリー・アントワネットの命で造られた。当時流行していた自然回帰思想に刺激されて、ノルマンディーの小さな村のわらぶき屋根の家をモデルにしている。外観は田舎風だが、内部は極めて洗練されたスタイル。宮廷の窮屈さからひととき解放されて、リラックスしているマリー・アントワネットの姿が想像できそうだ。

新宿御苑とヴェルサイユ宮殿のつながり

  • 銀座ミキモト本店には、宝石の輝きを思わせる巨大クリスマスツリーが登場

 ところで、明治期の近代西洋庭園、東京の新宿御苑は、ヴェルサイユ宮殿とちょっとした縁がある。19世紀末のパリ万博に菊の花を出展したのをきっかけに、ヴェルサイユ園芸学校のアンリ・マルティネ教授が庭園の設計を手がけた。新宿御苑を設計当時の姿に復元するプロジェクトも、来年から始まるそうだ。

 まだまだ知らないヴェルサイユ。クリスマスのイルミネーションを楽しみながら、時空を超えて空想の世界に遊ぶのも一興だ。

(読売新聞編集委員 永峰好美)

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2013.11.15

新たな日本の未来を拓く、日本酒新時代

国内外で根強い人気、おいしさで感動を目指した「獺祭」

  • 旭酒造の桜井博志社長 (2013年6月、日本記者クラブで)

 売上高が40年前の3分の1になったといわれる厳しい経営環境の日本酒業界にあって、確実に売上げを伸ばしている銘柄がある。「(かわうそ)」に「祭」と書いて、「獺祭(だっさい)」と読む。過疎化が進む山口県岩国市の山間部にある旭酒造が造る純米大吟醸だ。

 従業員40人規模のこの酒蔵の特徴は、原料の酒米に高品質の山田錦だけを用いて、高級な純米大吟醸酒の製造に特化していること。すっきりとした口当たりが人気を集めて、純米大吟醸の出荷量では日本一を誇る。「大量飲酒の時代は終わった。酔うため、売るための酒ではなく、おいしさで感動できる酒を造りたかった」と、同酒造の桜井博志社長は語っている。

 桜井社長によれば、社長就任時の1980年代半ばには、年間売上高は1億円にも届かず、「いつつぶれてもおかしくない会社だった」。それが今では36億円を超すまでに成長した。

 早くから海外市場の開拓にも取り組み、海外販売比率は既に1割を超えた。世界市場で認められたことで東京の高級料亭からも注文が来るようになった、「逆輸入の日本酒」の成功例である。モナコのアルベール大公も、濁り酒がお気に入りなのだとか。来春には、パリのシャンゼリゼ通りにレストランを併設した店舗がオープンする。

ここでしか味わえない、極上の日本酒と創作和食

 ところで、獺祭のフルラインアップが楽しめるメーカー直営の「獺祭バー」が、東京・銀座の隣、京橋にある。

 今年5月、地下鉄の京橋駅に直結した再開発ビル「東京スクエアガーデン」にオープンした。カウンター8席、テーブルが3つのこぢんまりとした店で、すべてシャンパーニュグラスでサービスされる。

  • 京橋駅直結の東京スクエアガーデン
  • 夏の夕暮れ時はテラス席もよさげな獺祭バー
  • シャンパーニュグラスで飲むのが獺祭流

 徳島・「青柳」の小山裕久さんがプロデュースする創作和食とともにいただけるところが面白い。旬野菜の酒粕(さけかす)ディップ添えやムール貝の酒蒸しをはじめ、鯛茶漬けの隠し味など、「獺祭」が料理の中にそれとなく使われている演出が心憎い。

 発泡させてスパークリングワインのように飲めるタイプは、1杯(90cc)800円から。女性にも人気だそうだ。年間2500本の限定生産の最高級酒「磨きその先に」は、1杯6000円を超す。なかなか手が出ない価格だが、5種類を少量ずつ試飲できるお試しセット(3000円)もあった。

  • 人気の鯛茶漬けの隠し味は獺祭なのだとか
  • 磨きをさらに極めた最高級の「磨きその先に」。一度は飲みたい!

酒を造る時の米を磨く文化

  • 山田錦を23%精米した「磨き二割三分」が人気商品

 ここで気になるのが、「磨き」という言葉である。今年6月、日本記者クラブでの会見で、桜井社長は「世界の中で日本の文化的なポジションをしっかりつくることが重要」と強調し、一例として「酒を造る時の米を磨く文化」を挙げた。日本酒造りの工程は、確かに複雑だ。面倒くさいことをわざわざやって、何でそこまで手間をかけるのか、西欧人には理解しづらい点もあるだろうと、桜井社長は話した。

 米を磨けば磨くほど、酒はふくよかな味わいになる。でも、ただ磨くだけではおいしい酒にならない。精米時に摩擦熱で失われる水分を上手にコントロールしながら繊細に扱うことが重要だという。

 「獺祭」の知名度を広げるきっかけになった商品が「磨き二割三分」だ。ネーミングは23%まで精米した米で造ることに由来する。50%以上磨けば大吟醸酒と呼べるのだから、77%も削るのは何とも突出した数字である。

 なぜ23%なのか? 桜井社長の打ち明け話が興味深かった。

 何でも「日本一」が流行っていた1990年代後半、精米歩合で日本一になれば話題になって売れるのではないかと考えて企画したのだという。最初は25%の予定だった。しかし、灘のある大手メーカーが24%精米の大吟醸を市販していることを知り、ならば23%にしようと思い立った。25%を23%に。最後のたった2%を磨くために24時間かかったらしい。

 バーで出合った「磨きその先に」は精米歩合は明らかにされていないが、恐らく23%以下に違いない。

合理化された製造工程、子規の志にならい変革を求めていく

  • フランスからも研修生を受け入れている

 手作りの匠の技を追求しているのかなと思いきや、合理化できるところは徹底的に合理化している点も面白い。精米は温度や湿度を厳密にコンピュータ制御する機械で行う。

 杜氏(とうじ)制度を廃止した。高齢化する杜氏に頼らず、製造工程をマニュアル化し、中心になっているのは平均年齢31歳の若い社員たちだ。社内の風通しをよくして、生産者側の思い込みや卸問屋の都合を見直した。麹室の壁はステンレス製。天井には、空調のダクトが張り巡らされている。フランスやアメリカからも研修生を積極的に受け入れている。

 一方、課題もあり、る。生産を増強しようとしても、原料の山田錦の調達に制約がある。「農家にもうかるコメを作らせず、減反路線を進めてきた農政に大きな問題がある。安倍政権は日本文化の世界への発信に力を入れているが、その前に、不自由な規制をなくしてほしい」と、桜井社長は言う。

 一つ一つが改革だともいう。

 「獺祭」の名前は、旭酒造の本社所在地、獺越(おそごえ)に由来する。獺は捕えた魚を岸に並べる習性があり、その様子はまるで祭りを楽しんでいるかのようにみえるので、「獺祭」となった。転じて、詩や文をつくる時に多くの参考資料を広げ散らすことを指すそうで、正岡子規も号にしている。

 「子規の志にならって、私たちも伝統に安住することなく、変革を求めていく。日本酒で新たな日本の未来を拓こうという思いが込められているのです」と、桜井社長。

 まさに、日本酒新時代である。

 (読売新聞編集委員・永峰好美)

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2013.11.01

銀座でバロック音楽とワイン

  • バーカウンターに脚をはずしたチェンバロを載せて、さあ、コンサートの始まり

 2012年6月29日付の小欄で、銀座7丁目の高級クラブで、中村さんご夫妻が昼間だけ開いている喫茶店「カフェ&ダイニング玲」の話題をご紹介した。

 実は同店では、クラブの営業がない週末の土曜日、ジャズや落語、論語教室、漢方レクチャーなど、様々なイベントが行われているという。

 10月末に行われたのは、「チェンバロとバロック音楽 レクチャーコンサート」だった。

第1回 チェンバロとバロック音楽 レクチャーコンサート

 「銀座でチェンバロとバロック音楽を楽しむ会」の主催で、3回シリーズの1回目。古楽研究会「Origo et practica」代表で、日本チェンバロ協会運営委員でもある加久間朋子さんが曲の背景や歴史などを解説してくれながら、演奏を楽しむというぜいたくな企画である。

 加久間さんは、中学生の時、ヴィヴァルディの「四季」の「秋」第二楽章に感動し、バロック音楽を志した。バロック奏者として著名な鍋島元子さんに師事し、恩師の創設した研究会を継承している。

  • チェンバロ奏者の加久間朋子さん(左)とリコーダーの辺保陽一さん
  • 曲の時代背景がわかると、一段と興味がわきます

  • チェンバロの内部を見せていただきました。鍵を押し下げると、薄い板状の部品が持ち上がる構造です
  • ショートケーキとコーヒーをいただきながら、宮廷貴族気分で楽しみます

 20人ほどでいっぱいになる空間は、チェンバロで奏でられる室内音楽を聴くのに最適の場所といっていい。16-18世紀の宮廷貴族の気分になって、おいしいコーヒーとケーキをいただきながら、撥弦(はつげん)鍵盤楽器の繊細な音色に酔うことができた。

 第1回目は、「イギリス、ネーデルランドの鍵盤黄金時代」と題して、イングリッシュ・スピネットを使ったコンサート。バロック音楽といえば、J・S・バッハが浮かぶが、バッハが活躍した時代からさかのぼること100年。エリザベス1世が統治するイングランドは、シェイクスピアやベーコンらが社会に影響力をもち、「鍵盤黄金時代」と称されるほど実り多き音楽の時代だったそうだ。

  • リコーダーにもいろいろな種類があるのですね

 ウィリアム・ローズの「ソナタ第7番ニ短調より ファンタジア」、J・P・スヴェーリンクの「我が若き命終わりぬ」、J・P・ブルの「スヴェーリンクの主題によるファンタジア」などが演奏された。スヴェーリンクは、バッハのオルガン音楽の基盤になった北ドイツオルガン学派の多くが師事した音楽家で、バッハを聴くには忘れられない存在だ。

 もちろん、バッハの曲も取り上げられた。たとえば、「平均律クラヴィーア曲集第1巻第1番ハ長調」。同曲集の第2巻第1番は、1977年に打ち上げられた米航空宇宙局(NASA)の探索機ボイジャー1号に積載された「ゴールデンレコード」に収められていることで知られている。「ブランデンブルク協奏曲第2番ヘ長調」やベートーベンの「交響曲第5番」などとともに収録され、地球外生命体からの反応が期待されている。

 NASAは、ボイジャー1号から送信された最新データとして、星間空間で録音された不思議な音を発表しているが、もしかしたら、バッハを聴いた宇宙人の返答なのかなと考えると、ロマンが広がる。

 また、ゲスト出演したリコーダー奏者の辺保陽一さんは、バッハの「フルートソナタホ短調」をリコーダーで熱演してくれた。

シェイクスピア時代のワインセレクト

  • イタリアの「モスカート・ダスティ」
  • クラレットとも呼ばれるボルドーの赤

 さて、この素敵なコンサートのために、私に依頼されたのが、シェイクスピアの時代に英国で愛飲されていたワインの紹介である。

 アンドレ・サイモン著「シェイクスピアのワイン」(丸善プラネット)によれば、17世紀初め頃、ロンドンの酒亭(タヴァーン)「マウス」で提供されていたワインがいくつか挙げられている。

  • ギリシャの中央マケドニア・ナウサ地方の赤。クシノマヴロ種です
  • ルビーポルト 甘口です

 グラーヴワイン、クラレット、シェリー、マームジイ、アリカンテ、ポルト……。

 現在のフランス・ボルドーは、1154年から300年間英国領だったこともあり、16世紀になってフランスに返還された後も、英国ではボルドーワインが好まれて飲まれていた。クラレットは同産地の赤ワインを指す。

 大航海時代の幕開けで、スペイン南東部の沿岸都市はワイン貿易で繁盛した。英国商人は特権商人としてスペイン南部の地方都市に居住するようになったのもこの頃。アリカンテのようなスペイン産ワインもよく飲まれ、アルコール度数が高いものを好む英国人は、シェリーやポルト酒もお気に入りだったようだ。

 当時の史料によると、ハチミツ入りや麝香(じゃこう)の香りのする糖菓入りなど、甘いワインが人気だったこともわかる。マームジイはマスカデルなどとも呼ばれたギリシャ原産のマスカット(モスカート)種のこと。この爽やかな甘口ワインを求めて、ワイン商人はクレタ島などのギリシャの島々やイタリアにまで赴き、取り引きをしていたようだ。

 シェイクスピアの戯曲「トロイラスとクリシダ」の中では、ギリシャワインについてのこんな記述もある。

 「今夜はとびきりのギリシャワインで奴の血をうーんと温めてやることにしよう。そして明日は俺の偃月刀(えんげつとう)で奴の体を冷やしてやるのだ」(五幕一話羽)

 このような史料を参考にして私がそろえたワインは、甘口シェリー、ボルドー・グラーヴの白、イタリアの「モスカート・ダスティ」、ボルドーの赤、スペイン・フミーリャ地方の赤、ギリシャ・ナウサ地方の赤、それに甘口のルビーポルト。

 バロック音楽とワイン、意外に面白い組み合わせになったと思う。

                

 「チェンバロとバロック音楽レクチャーコンサート」の第2回は、12月7日(土)の午後2時からと午後6時からの2回。初期イタリアン・チェンバロで、フレスコバルディやバッハの曲が演奏される予定。

 問い合わせは、カフェ&ダイニング玲(電話03-3573-4079)。

 (読売新聞編集委員・編集委員 永峰好美)

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2013.10.18

実りの秋、サンテミリオンを訪ねる

中世の城壁都市

  • 石灰岩を掘って造られたモノリス教会がサンテミリオンの街のシンボル
  • フランス人の憩いの場カフェも、中世の街並みに溶け込んでいる

 9月半ば、ブドウの収穫シーズンを迎えたフランス・ボルドー右岸のサンテミリオンを訪ねた。城壁に囲まれた中世の街並みが残るこの街は、1999年、周囲のブドウ畑も含め世界遺産に登録されている。

 サンテミリオンは、さかのぼること8世紀、数々の奇跡を起こして聖人となった聖エミリオンが隠遁(いんとん)の地に選んだことで信者が集まり、街として発展した。キリスト教徒教の巡礼の聖地、スペイン・ガリシア州のサンティアゴ・デ・コンポステーラに行し、巡礼の途中に立ち寄る人も多かったらしい。

 聖エミリオンが暮らしたという地下洞窟の上には、聖人の死後、9世紀から12世紀にかけて石灰岩層の一枚岩を削って作られた「モノリス(一枚岩)教会」がある。聖人を慕う弟子たちにより、300年の制作期間を経て完成したそうだ。

ワインの伝統儀式と風物詩「Bourru」

 9月第3日曜日に、赤い装束に身を包んだジュラード騎士団がブドウの収穫開始を宣言するのが13世紀以来の習わし。前夜からサンテミリオンの街ではコンサートやパーティーが開かれ、お祭りムードが一気に盛り上がる。

  • 「シュヴァル・ブラン」のブドウ畑。美しく整えられている
  • (左)教会でもミサが終わると、騎士団の就任式に向けて出発(右)街を練り歩くサンテミリオンのジュラード騎士団の面々

 宣言日当日、騎士団は音楽隊を先頭に街を練り歩き、モノリス教会で、新しい騎士の就任式を執り行う。今年注目されたのは、フランスの水泳界で活躍中の五輪メダリストでもあるファビアン・ジロ選手。「厳しい練習の後の1杯のワインは、次の練習への一番の活力になる」と、明るく答えてくれた。

 今年は天候不順でブドウの花付きも収穫のタイミングも遅れ、ワイン造りには質量ともに難しい年といわれている。それでも、収穫のこの時期だけしかお目にかかれないBourru(ブーリュ)が店頭に並ぶのを見ると、いよいよワインのおいしい季節の到来かと、心弾む私である。

 白ワインは、ブドウを摘み取った後、まず圧搾機にかけて果汁を絞り出す。その後、果汁を発酵タンクや樽の中に移し、自然発酵を促す。この発酵の初期状態の微発泡のものを「ブーリュ」と呼んでいる。いまだ発酵の途上なので、日に日に風味が変わっていくのが面白い。ほとんどアルコール化していないので、アルコール度数も5%以内。ジュース感覚で楽しめるのだ。

 嫌みのない自然な果実の甘みと柔らかい炭酸とが口の中いっぱいに広がり、文句なしにおいしい。ボルドーでは、旬の焼き栗と一緒にいただく習慣があるそうだ。瓶詰めされた後もブーリュは発酵を続けて炭酸ガスが発生しているので、海外みやげにというわけにはいかないところが残念ではあるけれど……。

  • 水泳の五輪メダリスト、ファビアン・ジロ選手は、今回騎士の称号を得た
  • ブーリュは、ブドウ収穫の今の時期だけ店頭に並ぶ

マカロンの街

  • 石畳の坂道が多いサンテミリオン。マカロンの看板が目に付く

 サンテミリオンは、マカロンの街でもある。石畳の坂道を歩いていると、マカロンの看板によく出合う。

 シスター・ラクロワを長とする修道会が1620年頃から伝えている伝統のレシピというのがある。そのレシピを守って作り続けているナディア・フェルミジエさんの店を訪ねた。

 フランス革命で行方がわからなくなっていたレシピが発見され、ある夫人に託されて以来、その製法は長年独占的に相続されてきたという。1867年のパリ万国博覧会にボルドーのワインと共に出品され、サンテミリオンのマカロンは全国にその名を知られるようになったと聞いた。6年ほど前、ナディアさんが先代のブランシェ夫人からレシピの権利を買い、現在の工房と店舗を開いた。

 製造を統括しているディディエさんによれば、小麦粉に泡立てたメレンゲ、砂糖、アーモンドパウダーを加えて練り合わせた生地のシンプルなお菓子。昔ながらの台紙に生地を絞って焼くやり方も踏襲されている。

 直径約5センチの丸く平たいクッキーのような形状で、表面に亀裂が入っている。食感はややもっちりしていて、日本の衛生ボーロに似た素朴であきない味わいだった。私がイメージする表面がすべすべで丸っこいマカロンとは異なるが、このサンテミリオンのマカロンこそ、フランス各地に残るマカロンの原型なのだそうだ。

  • (上・左)ナディア・フェルミジエさんの店(上・右)左がナディア・フェルミジエさん(下・左)製造を統括するディディエさん(下・右)工房では、手際よく2人の女性がマカロン造りに励んでいた
  • (左)フランス各地に残るマカロンの原型がこれ(右)マカロンのレシピは、代々独占的に相続されてきたという

マカロン・パリジャン

 さてさて、東京・銀座にも、おいしいマカロンのお店がたくさんある。銀座三越の「ラデュレ」をはじめ、芦屋のケーキ屋さん「アンリ・シャルパンティエ」、現在ホテルは閉館したけれども大丸東京店のショップで買える「ホテル西洋銀座」の銀座マカロンもはずせない。

 銀座通りに面している「ダロワイヨ」のマカロンも、食感がやさしくって、私はファン。ハロウィーン前の今は、カボチャのイラストをプリントした愛らしいマカロンが特別に用意されている。それにしても、「ダロワイヨ」のショーウィンドーを見ている限り、ここはフランスかと間違えてしまいそうだ。

 これら銀座で買えるマカロンは、バタークリームやジャムなどをサンドした、丸っこい形状。「マカロン・パリジャン」と呼ばれている。

  • フランスにある店?と勘違いしそうな東京・銀座の「ダロワイヨ」の店先
  • 愛らしいハロウィーン仕様のマカロンも

 (読売新聞編集委員・編集委員 永峰好美)

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永峰好美のワインのある生活

<Profile> 永峰 好美 日本ソムリエ協会認定シニアワインエキスパート。プランタン銀座常務取締役を経て、読売新聞編集委員。『ソムリエ』誌で、「ワインビジネスを支える淑女たち」好評連載中。近著に『スペインワイン』(早川書房)