東京・銀座のお隣り、日比谷の帝国ホテルの旧本館、ライト館が開業90周年を迎えた。
同ホテルの本館1階の正面ロビーでは、現在記念企画として、「『ライト館』の面影を訪ねて」という写真を中心とした展示が始まっている(来年3月末までを予定)。
同館の開業式典は、90年前の9月1日。まさに関東大震災の日であった。周辺の多くの建物が倒壊、延焼する中、損傷が少なく、震災に生き残った建物として知られている。1967年、老朽化のために取り壊され、玄関ロビーの一部が、愛知県の博物館明治村に復元保存されている。
建物を設計したのは、すでに世界でも有名になっていた米国人建築家のフランク・ロイド・ライトだった。当時のホテル支配人、林愛作が、米国に留学し、ニューヨークで古物商を営んでいた時にライトと知り合ったのがきっかけだった。
山口由美著「帝国ホテル・ライト館の謎」(集英社新書)を読んでいたら、興味深い記述に出合った。1923年9月号の「主婦の友」に、「新築の帝国ホテルに泊る記」という記事があり、記者はライト館の外観をこう形容している。
「玄関前の広庭を囲んで両翼をなしたその低い東洋風の屋根の形と、緑青の色、太くしっかりと立てられた黄土色の煉瓦の柱、遠く望み見た目には、インドかビルマあたりの寺院を思わせ、ラインの河辺に取り残された寂しい廃墟の姿を印象させます」
新築のホテルを「廃墟の姿」と表現しているのだから、驚く。だが、確かに、当時の正面写真を見ると、寺院や神殿のような印象が強い。
近代建築の巨匠 フランク・ロイド・ライト
ライトは、1893年のシカゴ万博で、宇治の平等院鳳凰堂をモデルにして建てられた日本館を見て、日本建築に魅せられた。ホテル建築を頼まれてからも、日本の素材、たとえば大谷石などにこだわった。少年時代からマヤやインカの古代遺跡に非常な憧れを持っていたようで、ライトの弟子だった
ライトが作ったものは、荘厳で神秘的な建物だけではなかった。館内の装飾はもちろん、六角形の背もたれが特徴的な椅子や斬新でモダンな食器類までデザインした。
今回、同ホテルでは、90周年を記念して、「ダーク&“ライト”」というチョコレートムースを使ったケーキが売られているが、これは、ライトがデザインした椅子にある六角形と菱形をモチーフに創作されている。
ライトが好んでだ使ったデザインモチーフ、市松模様も、ホワイトブレッドとキャラメルブレッドの2種類のパンを組み合わせたサンドイッチとして登場している。
また、ドライジンがベースのオリジナルカクテルには、独創的な幾何学模様をかたどったオレンジとレモンの皮がさりげなく浮かべられていた。
ライト館から始まったサービス
ライト館では、日本初の様々なサービスが誕生したことも忘れられない。
開業と同時に設けられたショッピングアーケード、挙式と披露宴を一貫して行うホテルウェディング(1923年)、ディナーショー(1966年)などである。
1958年、今では食べ放題の別の名としてすっかり定着した「バイキング料理」も、帝国ホテルが始まりだ。
パリのホテルに派遣されて修業中だった元総料理長の村上信夫さんが、犬丸徹三社長(当時)からの特命を受けて、北欧のスモーガスボードを日本に初めて紹介した。
40種類以上の北欧料理が好きなだけ食べられるレストランで、店名は社内公募で「インペリアルバイキング」に決まった。この名前の由来を、以前村上さんにインタビューした時に聞いたことがある。
当時、ホテル近くの映画館でカーク・ダグラス主演の「バイキング」が上映中で、海賊がごちそうを並べて豪快に食べる場面があって、それがヒントになったというのだ。
銀座でおでん定食が150円の時代。昼は1200円、夜は1800円という値段設定だったが、口コミで評判が広がり、テーブルは連日満席だったそうだ。ただ、当初はシステムがよく理解されず、食べきれなかった料理を弁当箱に詰めて持ち帰ろうとするお客もいたらしい。
その「インペリアルバイキング」も、今年、55周年を迎えている。
(読売新聞編集委員・永峰好美)