2011年5月アーカイブ

2011.05.27

新橋芸者の晴れ舞台「東をどり」

 「下を向いていてはいけない」

  • 今年の東をどりについて語る、「金田中」3代目、岡副真吾さん
  • 新橋芸者衆も、東をどりのPRに

 今年も東をどりの季節がやって来た。

 大正時代に始まる舞台は今年で通算87回目。5月27日から30日までの4日間、銀座6丁目の新橋演舞場で催される。

 東日本大震災のため、開催するかどうか議論を重ねたそうだが、「下を向いていてはいけない。衣食住の生活面で着々と復興の兆しが伝えられていく中、人々の心に潤いを与える日本文化の灯を絶やしてはならない。そして、やるならば明るく楽しくやろうということになりました」と、東京新橋組合頭取で、料亭「金田中」3代目主人の岡副真吾さんはいう。

 今回は、東北の同業者を支援するためのチャリティの趣向が会場の各所に散りばめられているそうだ。

矜持を傷つけられ…

 新橋芸者のはじまりは、安政4年(1857年)、銀座金春(こんぱる)新道に住む常磐津の女性師匠が時の老中に「酌取御免(しゃくとりごめん)」の申請をした逸話にさかのぼる。

 幕末には、桂小五郎ら薩長土肥の血気盛んな志士たちの息抜きの場に。当時隆盛を極めた柳橋では、田舎者と相手にされなかった彼らを温かくもてなしたのが、進取の気風に富み、ハイカラモダンの発信地でもあった新橋だった。明治維新で志士たちは権力側になり、彼らがご贔屓(ひいき)筋となった新橋は柳橋を逆転したともいわれている。

  • 老舗の金春湯が目印の金春通り
  • 金春通りに残るレンガ遺構の碑

 明治期は、目の肥えた財界茶人にも愛され、新橋の花街はどんどん洗練されていく。ところが、新橋芸者のプライドを傷つけるような事件が起こる。

 明治22年(1889年)に全線開通した東海道線。開通を祝し、明治の元老で、外務卿、農商務大臣、内務大臣などを歴任した長州藩出身の井上馨は汽車の1両を借り切り、新橋芸者を乗せて、新橋駅から名古屋駅までの間、踊りを披露させたのだ。

 当時の名古屋は、八代将軍吉宗の超緊縮財政の反動で芸能が大いに奨励され、商売も芸事もともに盛んだった。

 「残念ながら、この時の新橋芸者衆の踊りの評判は名古屋では散々でした。名古屋の芸妓に、『まるで岐阜提灯(遠目から見るときれいだが、近くで見ると穴が開いたり汚れたりしていて大したことがないという意味)』とののしられ、大変悔しい思いをして帰京したそうです」と、岡副さん。

新橋演舞場の創設

  • 銀座の街路樹の提灯が、東をどりの季節を告げる

 そこで、新橋の重鎮が一念発起、全国から宗家家元と呼ばれる一流の師匠を迎えて、徹底的に稽古に励むよう環境を整えた。京都や大阪にあるような立派な歌舞練場を東京にも作ろうと、大正14年(1925年)、新橋演舞場が創設される。

 当時の最先端のレンガ造りを採用、新橋芸者の鍛えられた技芸を広くお披露目するための晴れ舞台はこうして出来上がった。そのこけら落としが第1回東をどりだった。

  • 大正14年に創設された新橋演舞場

 営業停止になった戦時中の暗黒時代を経て、昭和30年代、まり千代、小くになど、スーパー芸妓を輩出、女子学生にもファン層は広がっていく。

 いっとき300人を超えた芸者衆も、いまは60人余。ただ最近、20代初めの若い志願者が増えているとも聞く。

「政財界の奥座敷」

  • 料亭「金田中」から演舞場を臨む

 新橋演舞場近くの東銀座から汐留寄りの銀座8丁目あたり一帯は、新橋花柳界発祥の地。政財界の奥座敷との別名もあり、現在も「金田中」「吉兆」「松山」など、高級料亭が軒を連ねる。山崎豊子の長編小説「華麗なる一族」で、阪神銀行頭取・万俵大介が密談を交わしていたのは、料亭「金田中」だった。

  • こちらは料亭「東京吉兆」の本店。背後に汐留の超高層ビル群が迫る

 伝統と格式ある料亭の門構えは、中をちらりとのぞくのもはばかられるほどどこか威圧的だ。そんな普段は「一見さんお断り」の料亭の世界を少しだけ垣間見ることができる貴重な機会が、年に一度の東をどりである。

 粋で艶やかな芸者さんたちの踊り、私も時間を見つけて見に行くつもりだ。

 (プランタン銀座取締役・永峰好美)

 ◆第87回東をどり

 http://www2.odn.ne.jp/shinbashikumiai/

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2011.05.20

被災地訪問で見えた希望の光

 被災地の母子にハンカチをプレゼント

  • 助産師会は被災した母子の精神的支柱にもなっている(仙台市宮城野区で)

 東日本大震災の発生から2か月が過ぎた。大型連休が終わって最初の5月の週末、仙台市宮城野区にある宮城県助産師会を訪ねた。

 実は、プランタン銀座では、母の日フラワーギフトの売り上げの一部でハンカチ約1000枚を用意、被災された母子にプレゼントするというプロジェクトを行った。

 きっかけは、20代の若手社員たちから上がった声だった。4月28日付けの小欄でご紹介した、母と娘の着まわしファッションショーを企画した女性たちで、「今年の母の日は、自分たちの母親への感謝の気持ちを表すだけでなく、被災地のお母様たちにエールを届けるような特別な日にしたい」というのである。

 そこで、地域のお母さんたちの日常生活をきめ細かく把握し、精神的な支えにもなっている被災地の助産師会に相談、私たちの思いを伝えたところ、「それならば、厳しい環境で頑張っているお母さんたちの気持ちがぱあっと明るくなるような、たとえば、きれいなハンカチでいただくことはできないかしら」と提案された。

  • ボランティアのピエロのケンちゃんを交えて、支援物資の配布はなごやかな雰囲気で(写真左)、従業員食堂で被災地のお母さん宛てメッセージをつづる(プランタン銀座で)

 今回の仙台訪問は、そのハンカチに従業員から母親たちに宛てたメッセージカードを同封してお届けするためだった。

 仙台駅から車で15分。同会事務局前の空き地にテントを立てて、NPOなどから届いた支援物資と一緒に、ハンカチを配らせていただいた。

 集まったお母さんたちは皆笑顔で、「わあっ、きれい!」「いつ使おうかしら」「本当にありがとうございます」などと、こちらが恐縮してしまうくらい喜んでくれた。

 主催側の助産師さんの中には、家を流され、避難所暮らしを続けている人も少なくない。にもかかわらず、「東京から本当に御苦労さま。遠くまで来てくれて、うれしいわあ」とたくさんのねぎらいの言葉をかけられ、私の方が元気をもらった気がする。

取り壊しの市場ですし店が復活

  • 仙台市荒浜地区では、壊れた家屋の撤去も急ピッチで進んでいる(写真左)、海岸近くにある荒浜小学校
  • 教室の中、車が積み重なったままに(写真左)、観光客にも人気だった塩釜海岸中央鮮魚市場はひっそり

 事務局のある場所から海岸方面へ車で10分ほど走れば、多くの犠牲者を出した荒浜地区がある。

 がれきなど災害廃棄物の処理が着々と動き始めている一方で、海岸そばの荒浜小学校の校舎に入ると、1階の1年生の教室の中に、防風林の松の大木とともに流された車が積み重なり、手つかずのままだった。

 国道を北上して、塩釜市へ。大間、境港、気仙沼など、全国有数の漁港から集まってくるホンマグロの水揚げ日本一で、すし屋の密度も極めて高い街だ。

 新鮮な三陸の食材が安価で買えて観光客にも人気だった塩釜海岸中央鮮魚市場は取り壊しが決まって、ひっそりとしていたが、その一角にあるすしの名店「すし哲」が復活していたのは、うれしいニュースだった。

  • 4月29日に営業再開した「すし哲」
  • カウンターの向こうで、職人の威勢のいい声が飛び交う
  • 旬の味覚、カツオの酢の物(写真左)、「すし哲」一番人気の特上にぎり

「いらっしゃい!」 威勢のいい声が飛ぶ

  • 笑顔が戻った大将の白幡泰三さん

 カウンターに座って、特上にぎりを握ってもらった。大将自慢のマグロをはじめ、ウニ、イクラ、アワビ、子持ち昆布、甘エビ、ほっき貝、アナゴ……。いずれも、今まで何度か食べた味、そしてバランスのよい形に変わりない。私の大のお気に入り、こりこりした食感のアワビは三陸・青森から。

 「すしネタを仕入れていた水産業者も少しずつ営業を再開している」と、大将の白幡泰三さんはいう。

 旬の味覚、カツオの酢の物は、ミョウガやオオバ、ネギなどを加えたダイコンおろしでさっぱりと。カニ汁は、弾力のあるカニの身がたっぷりで、食べごたえがあった。「食べやすいように包丁入れましょう」と、何気ない気づかいもうれしい。

 まるで何事もなかったかのような、いつも通りの行き届いたサービス……。「でもね、ウチも、あの柱の上の時計のところまで水が来てね。みんな2階に逃げて無事だったけれど、魚をたくわえた大きな冷蔵庫はプカプカ浮くし、調理場のものは全部入れ替え。カウンターも削り直して、ようやく4月29日に再開できた」。大将はぽつりぽつりと話してくれた。

 地下街づくりで実績のある東京の設計事務所のすすめで、幅10センチ近くもある分厚い鉄の防潮板を入口4か所に設置していたこと、前の駐車場に鉄柵があったことで、押し寄せる車や自動販売機などが店内に流れ込むのを防げたという。

 大将と同級生の赤間善久さんがシェフを務めるすぐ近くのフレンチレストラン「シェ・ヌー」も、5月1日から営業を再開した。4月半ば、2人は共同でスペシャル牛丼を炊き出しし、早期の営業再開を誓って、地域の人々を勇気づけたと聞いた。

  • 分厚い防潮板が役に立った
  • 駐車場の鉄柵には、津波当日、車が何台も突き刺さったそうだ(写真上)、フレンチレストラン「シェ・ヌー」も営業再開
  • 石巻の駅舎に、「がんばろう!石巻」の横断幕(写真上)、ブルーシートで覆われた中で再開した洋品店

営業再開に復興のきざし

  • 日和山公園から石巻市内を見下ろす

 さらに北の石巻市。高台にある日和山公園に上ると、市内が一望できる。集落も漁港も、市場も倉庫群も、すべて水没した風景に、言葉を失うとはこういうことだろうか。

  • 石巻市役所前には仮面ライダーV3(写真左)、「マンガロード」にはサイボーグ009

 しかし、市内の商店街を歩いてみると、まだブルーシートで覆われた建物の一角で「90%OFFセール」を始めた洋品店、「ボランティアの皆様、ありがとうございます」「お陰様で、営業再開できました」と書かれた短冊を店先の桜の枝に結んでいる美容室など、復興のきざしをあちらこちらで見ることもできた。

 石巻は、漫画家、石ノ森章太郎氏のゆかりの地。市役所前の仮面ライダーV3をはじめ、駅前大通りから続く「マンガロード」には、サイボーグ009の像が設置され、街の復興をしっかり見守っているように見える。

心に残った「石巻市民憲章」

 日和山公園で見つけた手書きの「石巻市民憲章」が心に残る。

 いわく、

 

 まもりたいものがある

 それは生命(いのち)のいとなみ 豊かな自然

 つたえたいものがある

 それは先人の知恵 郷土の誇り

 たいせつにしたいものがある

 それは人の(きずな) 感謝のこころ

 わたしたちは 石巻で生きてゆく

 共につくろう 輝く未来

 震災を機に、人と人とのつながりの大切さを、誰もがかみしめているこのごろである。

  • 美容室の軒先には、ボランティアへの感謝の言葉が…
  • 公園で見つけた手書きの「市民憲章」

 (プランタン銀座取締役・永峰好美)

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2011.05.04

シニアワインエキスパート合格! 銀座「レカン」でお祝い!!

日本ソムリエ協会認定の「シニアワインエキスパート」に合格しました!!


ワインエキスパートの資格を取ったのは、1997年。当時に比べると、イタリアのDOCGがうんと増えたり、EUのワイン法が変わったり、日本ワインが進化したり・・・。ワインの世界も様々な変化がありました。


試験は、1時間でマークシート60問を答える筆記と5種類のテイスティング。
「次の南西地方のAOCの中から、主要品種がNegretteで造られているものは?」
「チリのぶどう栽培の父と呼ばれるシルベストーレ・オチャガビアが、フランスの高級ぶどうの導入やフランスの技術指導者を招いて本格的なワイン造りを始めた年は?」
こんな問題が並びます。
 

シニアワインエキスパートとして、さらに楽しいワインライフをワイン好きな皆様と共有していけるように、このブログをつづっていきたいと思っていますので、今後ともよろしくお願いいたします。

 

さて、合格お祝いに、銀座の「レカン」に出掛けました。真紅のアールヌーボー調のインテリアに囲まれて、ちょっとリッチな気分を満喫できるお店です。
シェフソムリエの大越基裕さんは、私のテイスティングの師でもあります。感性ではなく、テロワールや造り手の醸造法から科学的に分析するテイスティング理論には、定評があります。


料理はシェフの高良康之さんにお任せです。
最初のアミューズは、

 

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素敵な器を開けると・・・


  2011043002.JPG赤ピーマンのムースにウニが載せられ、エビのニュアンスを生かしたビーツのジュレで固めてあります。

ポール・ロジェ(2000年)のシャンパーニュと一緒にいただきました。

 


次のプレートは、クルマエビのカリフラワーソース。少しばかりスパイスが効いています。カリカリにした頭は、そのままガブリ。


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大越さんにグラスで飲む白ワインを選んでもらいました。

「シュナンブランかリースリングか」と問われて、シュナンブランを選択。


2011043004.JPG2006 Montlouis-Sur-Loire Maison Marchandelle (Stephane Cossais)

 


フランス・ロワール地方、ロワール川のヴヴレィ対岸に位置するモンルイ(南側)。「ブドウ本来のチカラ(酸味と糖度)を自然のままに調和させる」が信念の、いわゆる自然派らしいスタイル。ミネラル感の凝縮が半端ではありません。
しばらく置いて温度が上昇してくると、カリンのような花の香りが広がってきました。酸がしっかりしているので、ユズを使った和食などにも合いそうです。

 


造り手のステファン・コサは、2009年に、42歳の若さで他界。「フランスで評価が上がってきた時だったので、彼の死を残念がる声しきりでした。フランスで修行していた私にとっても思いで深い1本です」と、大越さん。

 

 

 

続く冷たい前菜は、ホワイトアスパラガスとズワイガニのシャルロット。

 

2011043005.JPG キャビアもたっぷり、パセリとカニのソースを添えて。さっとあぶったアスパラガスもジューシーで美味でした。

熱い前菜は、フォワグラのポワレ、定番のペリグリーソースで。タケノコと野ゼリのえぐみがアクセントになって、日本のレストランならではの春の味わい。


2011043006.JPG  

 

お祝いのボトルは、やはりブルゴーニュの赤のグランクリュでいくことにしました。
迷ったあげく、大越さんのアドバイスで、

 

2011043007.JPG 1997 Chambertin Clos de Beze (Armand Rousseau)に。

1997年というヴィンテージは、自分ではなかなか選べない年ですが、今飲み頃なのだそうです。


「1994年、1997年、1999年、それに2004年は弱い年といわれていますが、素晴らしいといわれる1995年(1998年も)はまだまだタンニンが強く、1996年は酸が強い。今飲むには、状態がこなれてきた1997年をお勧めしますよ」と、大越さん。

ブラックチェリーの香りがグラスいっぱいに広がって、ボリューム感も十分。クリアな果実味は、造り手アルマン・ルソーの特徴です。凝縮した味わいが迫力の存在感!!

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魚のプレートです。

私は、ブルターニュ産のオマール海老、ヴァンジョーヌソースで。


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パートナーは、グリュイエールチーズをはさんだヤガラをシャンピニオンソースで。


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2011043012.JPG白のグラスワインに戻り、今度はシャルドネを。
2004 Pouilly-Fuisse (J.A.Ferret)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

メインのお肉は、ハンガリー産のアニョー・ド・レ(乳飲み仔羊)。

そういえば、イベリコと並んで、味わいで人気上昇中のマンガリッツァ豚もハンガリー産。最近注目の産地です。背肉ともも肉、それに肩ロースをミンチにしたソーセージ。


2011043013.JPG 赤ワインが十二分に楽しめました。
 

 

 

お口直しは、面白かった!
温泉卵・・・みたいな一品。

 

2011043014.JPG 白身部分は、パイナップルトココナッツ、黄身部分はマンゴー味。ピーチのフレーバーです。

 

続くデザートは、静岡のアメーラトマトとイチゴ、フランボワーズのソルベを組み合わせ。 なんだか懐かしい甘さ。ミントリキュールのジュレがさわやかです。

 


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2011043018.JPGそれに合わせて、ロゼ・スパークリングをいただきました。

Bugey Cerdon Methode Ancestrale Rose (Raphael Bartucci)

ブルゴーニュの東、スイス国境に近いサヴォワ地方のスパークリング。ガメイ主体で、プールサール、シャルドネのブレンド。イチゴの甘みと酸味のバランスが、デザートの甘みをさらに引き立てます。

 

ベリー系デザートに組み合わせるベストマッチなワインですね。

さらに、さらに、デザートのプレゼンテーションが続きます。

 


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引き出しを開けたら、ショコラやらジェリーやら。宝石箱のように飛び出してきました!

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最後にエスプレッソで締めて・・・。

 

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ごちそうさまでした。
 

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永峰好美のワインのある生活

<Profile> 永峰 好美 日本ソムリエ協会認定シニアワインエキスパート。プランタン銀座常務取締役を経て、読売新聞編集委員。『ソムリエ』誌で、「ワインビジネスを支える淑女たち」好評連載中。近著に『スペインワイン』(早川書房)