2012年1月アーカイブ

2012.01.31

ザ・タイガース生演奏が聴けたジャズ喫茶

  • 41年ぶりに“復活”したザ・タイガースの武道館コンサートには、早くからファンの列が……

 1971年1月24日。グループサウンズ、ザ・タイガースが東京・日本武道館で解散コンサート「ビューティフル・コンサート」を開いた。ファンの私にとっては忘れられない日である。

 当時中学生だった私は現場には行けなかったけれど、学校から帰って自宅のプレーヤーで彼らのレコードをかけまくり、友人と一緒に「もう聴けなくなっちゃうんだね」と、しんみり涙したことを覚えている。

 そのラストコンサートから41年経った2012年1月24日。武道館に、60代になったジュリー(沢田研二)、タロー(森本太郎)、サリー(岸部一徳)、ピー(瞳みのる)が勢ぞろいした。昨年9月に始まったジュリーの全国ツアーに、ザ・タイガースの当時のメンバー3人がゲスト参加、38公演の最後を飾るのが、武道館コンサートだった。

 開演40分ほど前に武道館に到着すると、正面入口の階段付近はもう人、人、人……。おそろいで作ったと思われるザ・タイガースの文字入りイエローTシャツ姿の女性グループ、ネクタイに背広姿で沈黙したまま背中を丸めている男性グループ、母親に連れられて来たミニスカートの娘さん。ステージの後ろ側も開放して約1万3000人のファンが詰めかけ、様々な思いでコンサートの始まりを待っていた。

  • ステージの後ろ側も開放して、約1万3000人のファンが集まった。
  • 資料提供:ユニバーサル ミュージック

復活を予感させたピーの言葉

  • (左から)岸部一徳、沢田研二、瞳みのる、森本太郎

 ジュリーがソロで歌っていた「G.S.I LOVE YOU」が流れ、メンバーが登場。

 「ミスター・ムーンライト」「ドゥ・ユー・ラブ・ミー」「タイム・イズ・オン・マイ・サイド」など、おはこの洋楽に始まり、「僕のマリー」「モナリザの微笑」「銀河のロマンス」「坊や祈っておくれ」「淋しい雨」「風は知らない」「散りゆく青春」「花の首飾り」「割れた地球」「怒りの鐘を鳴らせ」「美しき愛の掟」「青い鳥」「シーサイド・バウンド」「君だけに愛を」「誓いの明日」「シー・シー・シー」「落葉の物語」「ラヴ・ラヴ・ラヴ」……。

 ザ・タイガースの思い出の名曲が続く。最近とみに記憶力がなくなったと実感している私だが、オリジナル曲はほぼ全曲歌詞をすらすら口ずさめるのだから不思議なものだ。

 41年ぶりにステージに戻ってきたドラムのピーの華麗なスティックさばきにも感動した。

 ピーは、自著「ロング・グッバイのあとで」(集英社)の中で、1971年1月24日の解散コンサートを終えた後のことをこう記している。

  • 解散コンサートを終えて、東京・有楽町のガード下での送別の宴を最後に、ピーは芸能界を引退した

 「内田裕也さんが送別の宴を東京・有楽町のちゃんこ料理店で開いてくれた。その宴の最後、いよいよメンバーと別れるとき、僕は少々いきがって『十 年後に会おう。君らはきっと乞食になっているだろう』と言い残した。強がって言ったものの、その後の生活の保障は何もなかった。ただ、勉強だけを信じ て……」

 そして、コンサートを見に来てくれた中学時代の親友2人と、レンタルした2トントラックに乗り込み、家財道具を積み込んで一路故郷の京都へ。大学に進学し、教職に就いた彼は、以来メンバーとは音信不通だった。

 そのピーが戻ってきたのだ!

 2011年3月9日付けの読売本紙夕刊のピーのその後を伝える記事を読んで、私は、何となくこの日が来ることを予感していた。

 記事の中で、ピーは、慶応高校の教員(中国語)を辞めて北京に拠点を構え、人生を振り返る自伝の出版を準備、「人生に定年はない。今後は様々なことに挑戦したい」と話した。さらに、毎日1時間以上のドラムの練習を続けていると明かしていたのである。

「全員そろってこそ」

  • (左から)岸部一徳、岸部シロー、沢田研二、森本太郎、瞳みのる

 武道館でのサプライズは、後期メンバー、岸部シローの登場だった。脳梗塞を患ったシローは後遺症で歩行が困難。兄のサリーに両脇を抱えられるようにしてステージに立つと、「こんなステージに立てるなんて夢のよう。すべてジュリーのおかげや」と静かに語り、映画「小さな恋のメロディ」のサウンドトラックで知られるビージーズの「若葉のころ」をつぶやくように歌った。透明感のある高音の美声は健在で、私の周囲ではすすり泣きが漏れた。

 「タイム・イズ・オン・マイ・サイド」のジュリーのジャンプに狭い座席でも同調して飛び上がり、スローな曲ではお行儀よく肩でリズムをとり、「君だけに愛を」のジュリーの指差しには久しぶりに腹筋を使って絶叫し、「ラヴ・ラヴ・ラヴ」ではL文字をつくって共に歌った。

 ローリングストーンズの「サティスファクション」をアンコールに、最後は会場にいる全員で一本締め。

 天井から金と銀のテープが舞い降りて、タイムスリップ。

 初期メンバーのトッポ(加橋かつみ)だけが不参加だったが、ジュリーは、「全員そろってこそ、ザ・タイガース。近い将来、きっと実現させます」と約束した。

 あの日の続きをありがとう!!

 自然に涙があふれた。

間近でGS生演奏

  • 「ヤングメイツ」があった有楽町の東宝ツインタワービルは今も健在

 さて、銀座とザ・タイガースのことを少々――。

 1960~70年代当時、銀座や新宿、池袋には、グループサウンズの生演奏が間近で聴けるジャズ喫茶がいくつかあった。中学生だった私にとって、新宿や池袋はなんだか怖かったし、銀座は大人の場所で敷居が高かった。東京宝塚劇場に近い有楽町の東宝ツインタワービルの地下にある「ヤングメイツ」に潜り込むのが精いっぱい。

 入場整理券をゲットするため、日曜早朝、友人と一番電車に揺られたことがよみがえる。お小遣いをためて、銀座の三愛でちょっとお姉さんっぽいブラウスを買って出かけた。高校生が多く、私たちは「あなたたち、若いね」なんて冷やかされたことも少なくなかった。

 今は大人向けのディスコに変わってしまったこの空間、今思えば、ステージとの距離がものすごく近くて、間近に見ることができたし、多分カメラ撮影もそれほど厳しくなかったし、プレゼントも手渡しできたっけ。

  • 「ザ・タイガース ハーイ!ロンドン」DVD発売中 4,725円(税込)発売・販売元:東宝

 当時の「ヤングメイツ」でのライブの様子は、ザ・タイガースの3作目の映画DVD「ハーイ!ロンドン」(1969年度作品)で見られる。

 多忙なスケジュールに追われるメンバー5人の前に、魂と引き換えに自由な時間をくれるという悪魔の化身(藤田まこと)が現れ、どたばた劇が始まるといった筋書き。「ヤングメイツ」でのシーンでは、ファンクラブ会員の中から抽選で選ばれた女性たちが参加しているが、流行のミニスカートをはきこなしつつ、皆ぽっちゃり型で、時代を感じさせる。

 この映画、日本映画初のロンドンロケとかで、当時のロンドンのストリートファッションや音楽の熱気、それに憧れる日本人の心持ちなどが伝わってきて、実に興味深い。

 英国航空がBOACと呼ばれ、「(飛行機で)南周りだと30時間以上だけれど、北周りだと17時間!」なんて台詞もあり、北極上空を飛んだ証明書が大映しになる。

 久しぶりの“同窓会”を懐かしみ楽しんで、仲間に会えて「本当によかった」と幸福な時間をかみしめ、そして、「また皆で絶対集まろうね」と誓い合う。

 あの心地よい空間と時間は、私にとって何よりも元気の素。大切にしていきたい。

 (プランタン銀座常務・永峰好美)

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2012.01.20

時を経て変化、別府の「青い湯」と銀座の銭湯

  • 大分県・別府の鉄輪にある山荘・神和苑

 仕事で大分県・別府を訪ねた週末、以前から気になっていた山荘・神和苑(かんなわえん)に泊まることにした。知人の温泉ビューティ研究家、石井宏子さんもおすすめの、青い温泉である。

 温泉天国・別府の中でも非常に珍しいブルーの温泉で、1万4千坪の敷地内に湧く自家源泉という。

 全国に硫黄系の青白い温泉は数多いけれど、ここの「青の湯」は、メタケイ酸成分の変化によって、時々刻々と色が変化していくところが興味深い。湧出時には無色透明なのに、日を追うごとにコバルトブルーに変化していき、約1週間ほどで白濁色になるのだそうだ。

 確かに、部屋に付いた露天風呂は、毎日入れ替えるとのことで、まだ透明度が高かった。大浴場の露天風呂の湯は、湯を張りかえて3日目なので、透明感はあるものの、かなり青みが増していた。そして翌朝もう一度大浴場に出かけてみると、心なしか鮮やかなコバルトブルーの濃さが進化しているような気がした。

 これから段々と乳白色を帯びていき、1週間後はミルクのような白色に変化を遂げるというのだから、大地の神秘は素晴らしい。

 湯はややしょっぱめで、泉質は肌にやさしい弱酸性。やわらかく、肌を滑って行くような感覚が心地よかった。

  • 部屋に付いた露天風呂はまだ透明度が高い
  • 「青の湯」が自慢の大浴場へ
  • 大浴場の露天風呂はかなり青みを増していた

地獄めぐりでパワーチャージ

  • (上左)臼杵産のふぐの薄造り(上右)ひれ酒は心から温まる(下左)青い湯にちなんだオリジナルカクテル(下右)温泉を用いた湯豆腐が朝食の人気メニュー

 夕食には、この時期ならでは、臼杵産のふぐをいただく。ふぐ皮の和え物にふぐ寿司、薄造り、唐揚げ、ふぐちりに雑炊、そしてもちろん、ふぐ酒も……。担当の仲居さんは、「臼杵産のふぐは、下関のものよりも味が繊細」と自慢していたが、まあ、比べるまでもないだろう。

 青い湯にちなんで、ブルーが基調のオリジナルカクテルもあった。グレープフルーツの酸味がきいて、すっきりした味わいである。

 神和苑のすぐお隣りは、別府地獄めぐりで名高い、国指定名勝の海地獄。1200年前、鶴見岳の爆発によりできた広大な池は、海のように真っ青。ただ、神和苑のブルーのような透明感はない。こちらは、温泉中の成分である硫酸鉄が溶解して青色をつくり出していると聞いた。

 それにしても、大地のパワーを全身で感じることができる温泉は、元気をチャージしてくれる。

 さて、温泉ではないけれど、東京・銀座にも、銭湯があることをご存じだろうか?

  • 翌朝のぞいたら、さらに青の深みが進んでいるような
  • 神和苑の隣にある「海地獄」
  • こちらは硫酸鉄が溶け込んで青色になっている

ビルの中に銭湯

 1丁目の高速道路の高架下に近い区営の「銀座湯」と、8丁目の飲食街が並ぶ通りの「金春湯」。どちらもビルの中にこぢんまりと収まっている。寒空の下、夕方5時ごろ、写真を撮るためにしばらく建物の外で観察していると、近所のお年寄りやら飲食店関係と思われる職人さんやらが、次々と入口に吸い込まれていく。銀座の街の人々に愛されている場所であることがわかった。

 金春湯の歴史は古く、1863年(文久3年)にさかのぼる。1957年(昭和32年)に改築するまでは、木造だったという。吹き抜けの天井には、レトロな扇風機があって、今も夏場は活躍している。

 1960年代には、ほかにも、4丁目の和光の裏に「大黒湯」、2丁目の中央通りと昭和通りに挟まれたあたりに「松の湯」などがあった。

  • 銀座1丁目にある「銀座湯」
  • 「金春湯」は文久期から続く古い銭湯

映画「東京の暴れん坊」は「松の湯」が舞台

  • 映画「東京の暴れん坊」の舞台になった「松の湯」のあたりは、今はおしゃれなホテルに

 先日借りたDVDで、小林旭と浅岡ルリ子が主演している青春映画「東京の暴れん坊」では、この「松の湯」が舞台になっていて、実際にロケを行っている。

 2人は幼ななじみで、浅岡ルリ子は「松の湯」の看板娘、小林旭もやはり家業が洋食屋の銀座育ちで、パリ留学から帰ってきたコックで、とにかくバーのマダムたちにもてるといった設定である。「松の湯」を買収して再開発、実は一大ソープランドを作って一もうけしようとたくらむ政治家一家との間にひと悶着あって、マイトガイ小林旭が江戸っ子のきっぷの良さを発揮して大活躍する。

 時は1960年。松の湯の大きな煙突から煙がもくもく出るシーンと、4丁目の交差点にあった森永の地球儀型広告塔と不二家のネオンサインが重なり合って、成長期の銀座の変化を映し出す。

 今度はゆっくり大きな湯舟につかって、下町のよさを残していたころの銀座に思いをはせてみることにしたい。

 (プランタン銀座常務・永峰好美)

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2012.01.16

銀座の老舗で出合う美しき和小物の世界

  • 銀座かなめ屋の3代目、柴田光治さん
  • 見番通りにあるかなめ屋の店頭

 先日、国際サッカー連盟が女子世界優秀選手に選出した澤穂希選手の着物姿を見て、和装が醸し出す何とも優雅な美しさに、改めてほれぼれとした。

 いや、今年こそは、やまとなでしこの一人として、和装をしゃなりと着こなしてお出かけしようと心に誓った私である。

 東京・銀座には、和装を扱う店舗が一時期よりかなり減ったとはいえ、名の知れた名店は老舗ののれんをしっかり守っている。

 仕立てた着物はいくつかあるので、小物でいま風に変化をつけようと、銀座8丁目にある「銀座かなめ屋」をのぞいてみた。

キャッチフレーズは和のセレクトショップ

 場所は、2011年11月4日付の小欄でご紹介した見番通りの一角にある。創業は1934年(昭和9年)。下町・深川出身の一代目は、銀座で袋ものにかけては古いのれんを誇っていた大和屋で修業し、独立して日本橋に店を構え、戦争直後、銀座に移った。

 「歴史ある大和屋さんに奉公していたというのが、祖父の自慢だったようです」と、かなめ屋3代目の柴田光治さんはいう。

  • (上)プラスチックなど手頃な値段の髪飾りもある(左下)カラフルな髪飾りで和装にも変化がつけられそう(右下)帯締めも長さがいろいろそろう

 芸者衆のお披露目の時は、日本髪に(こうがい)という出で立ちが基本。見番通りにある同店は、華やかなる花柳界とともに歩んできたのである。

 屋号は、和装には欠かせない末広の扇子の心棒を意味する「(かなめ)」から取った。心棒は、「辛抱」にも重なり、商いの道の根本と考えてのことだった。

 かんざしやピン、バレッタなどの髪飾りを中心に、帯留、財布、ハンドバック……。「和装小物であれば、頭のてっぺんから足の先までそろう和装版セレクトショップ」というのが、同店のキャッチフレーズで、特にべっ甲のかんざしの品ぞろえは、銀座でも随一であろう。

繊細なべっ甲細工にため息

  • (上)にかわ質でできているべっ甲は漆との相性もよい(下)琥珀を使い、蒔絵装飾が麗しい逸品

 べっ甲細工の技術が生まれたのは長崎といわれるが、江戸の大奥文化でかんざしや櫛などの和装小物が進化・発達し、江戸に職人が集まって、べっ甲細工は東京の伝統工芸品となった。

 ショーケースに入っているべっ甲のかんざしや櫛を一つひとつ手に取りながら、柴田さんの説明を聞いた。1つ10~20万円代。さすがに値が張るものが多い。

 べっ甲の材料となるタイマイ亀はもともと日本近海に生息している数は少なく、従来は主に東南アジアやカリブ海で食用などで捕獲された後、甲羅だけを再利用してきたそうだ。だが、ワシントン条約により国際取引が禁止されて輸入ができなくなったため、現在では過去に輸入した材料を少しずつ使って製作している。また、国内では、石垣島などで、タイマイ亀を増やす努力もなされている。

  • 昭和初期の総べっ甲の婚礼用かんざし一式

 べっ甲は、にかわ質でできているので漆との相性がよい。そのため、貴重なべっ甲に、象嵌(ぞうがん)螺鈿(らでん)、金や銀の蒔絵(まきえ)など、さらに豪華な装飾を施してあるのだから、宝石と肩を並べる価格になるのも当然だろう。

 全体的に黒いものを「黒甲」、黒色とあめ色が混じったものを「茨布(ばらふ)」、全体が透き通った感じのあめ色のものを「白甲」といって、白甲が最も稀少だとされる。

 昭和初期のものと思われる総べっ甲(白甲)の婚礼用かんざし一式を見せてもらった。繊細で雅なその作りに、思わずため息が出る。こんな精巧な細工は、現在ではもう作ることができないという。

  • (上)ブドウのブローチは着脱可能(左下)茨布のかんざしには、愛らしい猫が(右下)裏側には尻尾が描かれていて、とってもキュート

 戦後、日本古来のお稽古ごとが見直されて、踊りの会などでかんざしなどの需要が高まった時期があって、先代は、地方の骨董屋などに出かけ、埋もれている一品を随分と発掘したそうだ。「それを磨いて加工して、新しい命を吹き込む……。80年代後半のバブルの頃は随分と引き合いがあったと聞きます。せっかく集めたものの、売るのが惜しくなったものも少なくなかったようです」と、柴田さん。

美術品から日常のおしゃれに

  • (上)ネット通販でも人気の昇龍の干支かんざし(左下)猫かんざしも根強い人気なのだとか(右下)こちらも猫の帯留め 和装好きには猫好きが多い?

 とはいえ、3代目には、「時代のニーズに合わせて変えていかないと、やがて忘れられてしまう」との危機感も強い。「べっ甲製品を高価な美術品として祭り上げておくのではなく、昔ながらの伝統は守りつつも日常的に親しんでもらえるような工夫が必要ですよね」と話す。

 たとえば、アメジストを使ったブドウのブローチはかんざしにもネックレスにも装着できて、ツーウェイ、スリーウェイの楽しみ方ができる。茨布のかんざしには、キュートな猫が描かれていて、裏を返すと、銀で描かれた尻尾が……。思わずくすりと笑ってしまうお茶目な小物もある。

 新春を飾る福徳繁栄の昇龍の「干支かんざし」(象牙製)に並んで、猫かんざしがあるのも発見! ネズミにだまされて、十二支の仲間に入れてもらえなかったかわいそうな猫が、「福猫」として登場しているのだ。「べっ甲などの髪飾りは特殊なものなので取り扱う店が年々減っています。でも、需要はあるのです。ホームページやブログで私どもの商品を写真で大きく見せるようになって、『それ、探してたんです!』と、全国から問い合わせをいただいています」と、柴田さんは話す。

 職人の手仕事の粋を尽くした和装小物の世界。チャーミングなかんざし一つで、気分はやまとなでしこ、になれるに違いない。

 (プランタン銀座常務・永峰好美)

 ◇銀座かなめ屋

 http://www.ginza.jp/kanameya/

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2012.01.06

イタリア・リヴィエラの宝石たち

  • 帝国ホテル第13代総料理長の田中健一郎さん

 皆さま、正月はいかがお過ごしになられましたでしょうか。今年もどうぞよろしくお付き合いください。

  さて、百貨店で働く私は、正月休みは1月1日だけ。元旦の夜は、東京・日比谷の帝国ホテルで、第13代総料理長・田中健一郎さんが企画した「新春フランス料理懐石」に参加して来た。

 田中さんの総料理長就任以来、年に数回開いている「フランス料理とセレナード」の中から、特に心に残るメニューをデギュスタション(テイスティング)スタイルでいただくという力の入った催し。デザートも入れると、品数は全部で10品にも上る。

 早速、1品ずつご紹介してみたい。

 1品目、三色のアミューズ:ヴィシソワーズ オマール海老のクレムーズ クリュスタッセのジュレ。甲殻類の透明なコンソメゼリーが一番下に敷かれ、オマール海老の淡いオレンジ、そして、ジャガイモのポタージュの乳白色が三層に重なる、美しい一品。さわやかな味わいで、ロゼ・シャンパーニュとの相性が抜群。

 2品目、ラングスティーヌのキャヴィア飾りをミカンのジュレにあしらって 柔らかくボイルしたラングスティーヌには、オマール海老の卵が彩りよく散らしてある。やさしい味の日本のミカン、そしてユズの香りもほんのりと。

  • 三色のアミューズ
  • ラングスティーヌのキャヴィア飾り

 3品目、比内鶏のバロティーヌ フォアグラとトリュフの入ったバスマチ米のピラフを添えて。フォワグラを中に包み込むようにして巻いた鶏肉に、フランス産の米のピラフを組み合わせ。鶏のクリームソースがコクがあって美味しい。

 4品目、塩鱈のブランダードとノルウェー産スモークサーモンの取り合わせ 北海道産の塩鱈をガーリックとオリーブオイルで柔らかくアレンジ。スモークサーモンは通常よりもかなり減塩されていて、さりげないけれどもヘルシーな味わいに感動。

 5品目、甘鯛の天火焼きと先取り野菜 江戸前アサリのコンソメスープ 魚介の旨みと香りがぎゅぎゅっと凝縮されたコンソメソースを、皿に盛られた魚と野菜の上から注いでいただく。菜の花やキントキニンジンが春を連れてきてくれたようだ。

  • 比内鶏のバロティーヌ
  • 塩鱈のブランダード
  • 甘鯛の天火焼きとコンソメスープ

 6品目、帆立貝とたらば蟹のスフレ仕立て スフレの下部は、サフランでちょっと変化を付けているのだそう。ソースは、ソーテルヌの貴腐ワインを使って。甘く濃厚なソースは、魚介のやさしい風味をより引き立ててくれる。

 7品目、帝国ホテル伝統のビーフシチュー 和牛バラ肉をとろとろに煮込み、ベーコンと彩り野菜とともに、小さな銀鍋で熱々のところをサービスするのが、帝国ホテル流。

 8品目、根室産蝦夷鹿背肉のポワレ 姫りんごのコンポートと金柑のチャツネ 田中さんのお気に入りの食材、蝦夷鹿は、チルドルームで約2週間寝かせて、ほどよくエイジングした自信作。トリュフのソースをかけて、ジューシーな肉の食感が楽しめた。

  • 帆立貝とたらば蟹のスフレ仕立て
  • 伝統のビーフシチュー
  • 蝦夷鹿のポワレ

 デザート1品目は、イチゴのコンフィチュールとわさびの一口アイスクリーム

 2品目は、キャラメル風味ミルクチョコレートの滑らかなクリームに載った、小さな和栗モンブラン メレンゲの「寿」と松葉の飴細工、フランボワーズとイチゴを合わせた寒天の赤をアクセントに。

 そして、カフェと一緒に3種類のマカロンで、締めに。

  • わさびの一口アイスクリーム
  • 和栗のモンブラン
  • 3種類のマカロン

  • 最後は、田中総料理長を真ん中に、料理人とサービスの面々が舞台に勢ぞろい

 田中さんのフランス料理は、繊細でやさしくて、また、「日本的なるもの」の懐かしさと温かさを思い起こさせてくれる、と私は思っている。

 昨年の震災で、「料理ボランティアの会」の幹事を務める田中さんは、5月、同ホテルで「カレーで元気になろう!」というチャリティ食事会を真っ先に催し、また、被災地にも4回訪問した。

 「料理ボランティアの会」は、2004年10月の新潟・中越地震の際、料理評論家の山本益博さんの呼びかけで、料理人やパティシエが集まり、ボラ ンティアで料理をサービスしたことから組織された団体。人気ラーメン店の店主から、有名ホテルの料理長まで、ジャンルを超えて20人余が発起人に名を連ね、現地も含め総勢1万人を超える"職人"が何らかの形で参加しているそうだ。

 「『美味しいものを食べて元気を出してください』が会の合言葉。震災発生直後に命をつないだ炊き出しではなく、少々気持ちが落ち着かれた秋ごろを見計らって被災地を訪れました。被災者の方々に、温かくて美味しいものを、前菜・主菜・デザートの形式でしっかり食べていただこうとの企画です。皆さんに、とても喜んでいただけました」と、田中さん。

 今回の正月イベントでも、「美味しいもので日本中が元気に!」との願いを込めて、一品一品作ったという。その温かい心持ちが伝わってくるような、素敵な晩餐だった。

 なお、当日のワインに関しては、私のワインブログで、近日中にご紹介したいと思います。

 永峰好美のワインのある生活

http://www.printemps-ginza.co.jp/wine/

 (プランタン銀座常務・永峰好美)

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永峰好美のワインのある生活

<Profile> 永峰 好美 日本ソムリエ協会認定シニアワインエキスパート。プランタン銀座常務取締役を経て、読売新聞編集委員。『ソムリエ』誌で、「ワインビジネスを支える淑女たち」好評連載中。近著に『スペインワイン』(早川書房)