2013年1月アーカイブ

2013.01.25

帝国ホテル 伝統のレストランが彩る30年

 名門ホテルのメモリアルイヤー

  • 「レーンヌ・エリザベス」と冠された一品(帝国ホテル提供)

 1890年(明治23)年)に開業した、東京・日比谷の帝国ホテルにとって、今年はいくつかの記念の年に当たるのだそうだ。

 ホテル業界初のショッピングアーケードができて90周年、上高地の同ホテルが開業して80周年、名物のバイキングが登場して55周年……。

 そして、日本で初めて、ホテルとオフィス、ショップ、レストランが一体化した「帝国ホテルタワー」が開業30周年を迎える。

 その地下1階にあるトラディショナルダイニング「ラ ブラッスリー」は、歴代料理長らによって生み出されてきた帝国ホテルの味を継承するレストランとして知られる。

 中でも私にとって思い出深い1一品といえば、「海老と舌平目のグラタン“エリザベス女王”風」である。

女王の名を冠するひと皿

  • 村上信夫さんはエリザベス女王訪日の際の料理を指揮した(2004年7月撮影)

 1975年5月、イギリスのエリザベス女王ご夫妻を迎えての歓迎午餐会で、当時総料理長だった村上信夫さんが考案した料理。村上さんご本人から伺った話だが、魚介類がお好きな女王陛下に日本の魚のおいしさを知っていただきたくて、津軽海峡産のヒラメを使うことにしたという。

 ヒラメで車海老を巻き、ソースをかけて焼く――というと、簡単なように聞こえるかもしれないが、実は手間のかかる凝った料理である。ポイントは、新鮮な真鯛やホタテ貝、伊勢海老などの身を裏ごしし、卵白や生クリームなどと混ぜ合わせ、ぜいたくな魚介類のすり身を作ること。これを薄く切ったヒラメに塗って車海老に巻き、白ワインで蒸すと、海老とヒラメが密着して、それぞれの旨みを引き出すことになる。黄色いオランデーズソースと生クリームをかけて、色づく程度に焼き上げて出来上がり。

 2時間以上にわたる午餐会の間に、女王陛下から厨房に、「日本はイギリスと同じように、魚のおいしい国ですね」とメッセージが寄せられたそうで、「料理人にとって苦労が報われるのは、まさにそういう瞬間ですね」と、村上さんがにこやかに語ってくれたのを覚えている。

 この料理には、「レーンヌ・エリザベス」(仏語でエリザベス女王)という名前を冠することが許され、今も愛され続けるメニューとなった。

 2月1日から3月14日まで、同ダイニングでは「開業30周年記念特別メニュー」を展開。「レーンヌ・エリザベス」のほか、伝統のダブルビーフコンソメや同ホテルで誕生したシャリアピンステーキなどが組み込まれた「伝統のフルコース」が謝恩価格の1万円で登場する。

日仏、優雅なコラボレーション

  • 「ル・ロワイヤル・モンソー ラッフルズ パリ」のレストラン

 もう一つの30周年記念企画が、1月27日まで開かれている「ル・ロワイヤル・モンソー ラッフルズ パリ」とのコラボレーション企画。

 パリの凱旋門近くの「ル・ロワイヤル・モンソー」といえば、80年代後半、30歳をちょうど過ぎた頃の私にとって、初めて泊まった老舗高級ホテル。重厚でクラシックな調度品、ふかふかのじゅうたん、広いバスルーム。伝統の重みに圧倒され、緊張のあまり、なかなか寝付けなかったことを懐かしく思い出す。

  • とても気さくなローラン・アンドレ氏

 ホテルは2年半をかけての大改装後、ラッフルズ傘下に加わり、2010年、斬新でゴージャスなブティックホテルとして生まれ変わった。そのレストラン総料理長、ローラン・アンドレ氏を招いての期間限定での企画である。

 同氏は、モナコの「ルイ・キャーンズ」を始め、アラン・デュカス系のミシュラン3つ星レストランを経験、ロンドンや香港では「スプーン・バイ・アラン・デュカス」のオープン責任者として活躍した。

 帝国ホテルの小林哲也社長は、新生の同ホテルを訪問した際、メニューにはなかったスモークサーモンを注文。「絹織物のように繊細な盛りつけを見て、一遍で気に入った」そうだ。

洗練と伝統のフレンチ

 アンドレ氏の料理は独創性を意識しながらも、伝統の調理法も踏襲しており、フランス料理の最近トレンドがわかって興味深い。

 一部を紹介してみよう。

 まず、タラバ蟹のアミューズは、トマトとナスのムースが層になり、コンソメのジュレと共に優しい味わい。筑波鶏とフォワグラを低温の真空調理でプレスして、アーティチョークと焼いたブリオッシュを添えた一品は、ブルゴーニュの白ワインと相性抜群だった。

 メイン料理は、石巻産ヒラメの蒸し物を、ジュラ地方のワイン、ヴァン・ジョーヌのソースでいただく。シェリーのような独特の香りとコクが淡泊な白身魚を引き立てていた。

  • タラバ蟹のアミューズ
  • 筑波鶏とフォワグラ
  • 石巻産ヒラメの蒸し物

  • (上)メレンゲと柑橘類のデザート(下)球体を割ると、レモンの甘酸っぱい香りが広がる

 さて、最後のデザートには、銀箔(ぎんぱく)が載った球体メレンゲが登場。2つに割ると、中からレモンシャーベットとリモンチェッロのゼリーが現れた。甘酸っぱい柑橘(かんきつ)の味わいは、近づく春を連想させてくれる。春の芽吹きも、まもなくだろうか。

(読売新聞編集委員・永峰好美)

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2013.01.11

宝塚、夢の世界見せ続け100周年

  • 第1回企画展「タカラヅカを彩った芸術家たち」
  • 展示室の入り口には、阪急東宝グループ創業者の小林一三の写真(※)

 友人に誘われてタカラヅカを初めて見たのは、社会人になってからだった。現実のすべてを忘れさせてくれるような、あのキラキラした世界。ときどき無性に恋しくなるのは、私だけではないのではないだろうか。

 昨年末、東京・銀座のお隣、日比谷にある千代田区立日比谷図書文化館で、宝塚歌劇団に関する展示が開かれた(2012年12月27日で終了)。1934年(昭和9年)に開場した東京宝塚劇場は、来年2014年、開場80周年。宝塚歌劇の100周年という節目の年でもある。

 東京宝塚劇場は、日比谷の映画・劇場街の発展の中で、核になってきた存在である。1回目の企画展「タカラヅカを彩った芸術家たち」では、黎明期から今日にいたるまでの華やかな舞台の陰で同歌劇を支えてきた脚本家や写真家、イラストレーター、デザイナーたちにスポットライトを当てており、興味深い展示だった。

新舞踊の旗手

 入り口で、宝塚歌劇の創始者、小林一三の写真に迎えられ、奥に進むと、宝塚創生期の先進的舞踊家、楳茂都(うめもと)陸平(りくへい)のコーナーがあった。

 上方舞楳茂都流家元の家の生まれで、20歳の時、宝塚音楽歌劇養成会の教師兼振り付け師に就任、翌1918年に宝塚音楽歌劇学校教授に。21年(大正10年)、オーケストラによる西洋音楽に日本舞踊、西洋舞踊、舞楽の要素を取り入れた群舞「春から秋へ」を発表して、「新舞踊の旗手」として注目された。会場には、新舞踊で使用された蝶をイメージした衣装が飾られていたが、イッセイミヤケ風の斬新なデザインに驚かされる。

 昭和の初めには、ドイツに留学し、舞踊理論などを学ぶと同時に、ヨーロッパ各地で日本舞踊のレクチャー・デモンストレーションを実践。この時の写真や記録ノート、緻密なスケッチが数多く残されているそうで、今回はその一部が公開された。

  • 楳茂都陸平のコーナーは資料も多く、特に充実していた(※)
  • 楳茂都のドイツでの指導風景 演目は「熱情ソナタ」(※)
  • 研究者によって再現上演された楳茂都の新舞踊の一場面(※)

少女たちの世界を描いた美術家たち

 瞳の大きな独特の女性画で当時の少女たちを魅惑した挿画画家、中原淳一は、雑誌「宝塚をとめ」の表紙を手がけ、それが縁で戦前の歌劇団のスターだった葦原邦子と結婚した。当時の画風は、妻の容貌に似た挿画が多く、一ファンの熱い思いが透けて見える。

 横尾忠則も、タカラヅカに触発された美術家の一人。1990年代から歌劇の公演チラシやポスターを手がけ、その独特のデザインが評判だった。

 東京宝塚劇場誕生の年に生まれた少女画の巨匠、高橋真琴は、中原淳一の絵に憧れて画家を志した。「青い珊瑚礁」など、宝塚歌劇を漫画化した作品もある。千葉県佐倉市に真琴画廊を開設し、現在も意欲的に新作を発表し続けている。

  • 高橋真琴が描く雑誌「ブルータス」の表紙(※)
  • 中原淳一の挿画(※)

手塚治虫を魅了した「見果てぬ夢」

  • 手塚治虫も宝塚に影響を受けた(※)

 タカラヅカに影響を受けたアーティストの中で、忘れてはならないのは、手塚治虫だ。5歳から23歳までを宝塚市で過ごし、宝塚ファンだった母に連れられて、子ども時代から劇場に足繁く通ったという。漫画家として駆け出しの頃には、雑誌「歌劇」や「宝塚グラフ」に挿絵の漫画を提供していた。「リボンの騎士」をはじめとする少女漫画作品には、物語の展開や西洋文化の薫り、人間愛のテーマなど、タカラヅカからの影響が随所にみられる作品も少なくないようだ。

 展示の中にあった手塚語録から一つ引いてみたい。

 「宝塚というところは全てが『まがいもの』なんだけれども、インターナショナルなものを見せてくれる。…とにかくなにかロマンがそこにあふれているのです。青春があるのです。青春とは何かと、僕はいろいろ考えるけれど、『見果てぬ夢』なんです。そういうものが宝塚にはあった。ひじょうにアマチュア的で、しかも適当にきらびやかだという、そこらへんに雲の上にいるような夢の世界みたいなものがある。それが、僕の初期の作品のすべてを支配しているわけです」

 私がタカラヅカを見て、あのキラキラした世界に魅了されたのも、やはり心地よい青春の風を感じたからのような気がする。

春からイベント続々

 さて、今回の企画展は残念ながら終了してしまったが、同館では4月以降、宝塚関係者のトークショーや講演会を適宜企画していく。また、2014年春には、第1回の企画展よりもさらに規模を広げたイベントを計画中だという。

 なお、4月6日には、1974年初演の「ベルサイユのばら」でマリー・アントワネット役を務め、第1期ベルばらブームの火付け役になった、元タカラジェンヌの初風諄さんのトークショーが予定されている。問い合わせは、同館(電話03-3502-3340)へ。

 (※印のついた写真は東京・千代田区立日比谷図書文化館提供)

 (読売新聞編集委員・永峰好美)

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永峰好美のワインのある生活

<Profile> 永峰 好美 日本ソムリエ協会認定シニアワインエキスパート。プランタン銀座常務取締役を経て、読売新聞編集委員。『ソムリエ』誌で、「ワインビジネスを支える淑女たち」好評連載中。近著に『スペインワイン』(早川書房)