海外に出かけて喜ばれるお土産の一つが、「歌舞伎」にまつわるものだと思う。どんな小さなものであってもいい。ハンカチ、キャンディー、あぶらとり紙……。
先日、親日家の多いトルコに出かけた時、市川染五郎さんが監修したという隈取をデザインしたフェースパックを持参したところ、大ウケだった。顔全体にふわりと載せれば、あなたも「船弁慶」に? ガイドの男性は、「ちょっと怖いね」と笑いながら、「今晩妻に試してもらおう。トルコは気候が乾燥しているから、女性にとって潤いパックは必需品なんだ」と言っていた。
海外公演の足跡
歌舞伎の海外人気を特集した展示が、いま、東銀座の歌舞伎座タワー5階にある「歌舞伎座ギャラリー」で開催中だ。
題して、「歌舞伎は旅する大使館」。松竹大谷図書館所蔵の資料を中心に、これまで36か国96都市で展開された海外公演の足跡が明らかにされていて、とても興味深い。この企画、1年間に及ぶ大掛かりなもの。8月24日までは「前期」と位置づけられ、1928年(昭和3年)第1回のソ連公演から1989年第30回の訪欧公演までに焦点が当てられている。
昭和3年頃
昭和3年頃の銀座といえば、関東大震災で多くの店舗が焼失した街に、再び活気を取り戻そうとする機運が高まってきた時。銀座通りには、松坂屋(1924年)、松屋(25年)、三越(30年)など、デパートが相次いで進出した。
<ギンザ・ギンザ・ギンザ、男も銀座、女も銀座、夜も銀座、昼も銀座、銀座は日本だ。…銀座を享楽することは今や日本の渇仰の的だ>。美術史家の安藤更生が『銀座細見』で当時の様子を活写しているように、モガ(モダンガール)やモボ(モダンボーイ)が華やかに
第1回海外公演
歌舞伎の第1回海外公演は、ソ連だった。公演の前年の1927年、モスクワを訪れた劇作家の小山内薫氏とソ連対外文化連絡協会会長のカーメネフ夫人の会話の中で、比較的短期間にとんとん拍子でまとまったようだ。
一行は、28年7月12日に東京を出発、敦賀港から船でウラジオストク経由、シベリア鉄道で26日にモスクワ到着。約2週間の旅だった。8月1日からほぼ1か月間、第二モスクワ芸術専門劇場、ボリショイ劇場、レニングラード国立オペラ劇場の3か所を巡回して上演されたのは、「
初めての公演をニュースなどで取り上げた現地の新聞・雑誌記事は260本以上に上り、関心の高さがうかがえる。出演した一人、二世市川左團次は、「外国で日本の芝居をやる場合に、ともすると演技の上で外国人の気にいるようにと殊更に改めることが多いが、そんなことは今度のロシヤ興行ではとらない所である。あくまでも純日本式に
事欠かないエピソード
時代は下って、1955年、国交回復前の中華人民共和国で公演が実現。1982年の米国公演では、ホワイトハウスにレーガン大統領夫妻を表敬訪問するなど、エピソードには事欠かない。
そんな中で、海外ならではの失敗もあるようだ。歌舞伎で芝居がはねると、打ち出しの太鼓を打つことがしきたりになっている。中国公演でもこれを強行したところ、劇場にいた周恩来首相(当時)をはじめ退場しかけた観客のほとんどが席に戻ってきてしまったそうだ。「郷に入れば郷に従え」を無視した失敗談と、のちに三代目市川猿之助さんが、初世猿翁から聞いた話として本につづっている。
さて、海外公演で多く上演された演目ベスト3はというと、舞踏劇「
(読売新聞編集委員・永峰好美)