2010年10月アーカイブ

2010.10.29

あらゆる悩みに応える“洋服の総合職人”

リメイク、仕立て、スタイリング……

  • エレベーターを降りると、そこが店の入り口
  • ブティック? 工房? 初めて訪れると、迷います

 東京・銀座1丁目のビル9階の部屋の扉を開けると、カウンターの向こうには、縫製台やらアイロン台やら、そして、窓から差し込む柔らかな明かりを背に色とりどりの糸のかたまりが……。

 「Artisan salon de giso(アルテザン・サロン・ド・ギソ)」のオーナー、庄司博美さんは、「フィッティング・コンシェルジュ」というあまり聞き慣れない肩書きを持つ。

 大のお気に入りで長年愛用しているのだけれども肩のあたりのデザインがちょっと古くなったというような服をリメイクして蘇らせたり、じっくりカウンセリングして細部までその人の体型にぴったり合う着心地の良いオーダーメイドのスーツを仕立てたり、洋服選びや着こなしなどの手ほどきをする「パーソナルスタイリング」を手がけたり……。

 洋服に関するあらゆる悩みに応える、いわば「洋服の総合職人」である。

 工房の仕事机には、縫い合わせがほどかれた状態の洋服のパーツがところ狭しと並べられている。

 「これは、ある有名ブランドのスカートなのですが、目立つところにしみを付けられたそうで、ひだの取り方を変えるために分解して作り直しているんです」

「フィッティング・コンシェルジュ」の道へ

 大阪の大学で服飾系の勉強を終えて、文化服装学院で実技を学び、服飾デザイナーとして東京・六本木の小さなアトリエから出発した。たまたま展示会に出品したオリジナルデザインに興味を示してくれる人が何人かいて、26歳で独立した。

  • 「フィッティング・コンシェルジュ」の肩書きをもつ庄司博美さん
  • 洋服をパーツに分解したり、また作り直したり。職人技がさえる

 「会社を作ったものの、来月仕事はあるかしらって、もうハラハラどきどきの毎日でした」と振り返る。

 既製品が合わないからオーダーするしかないと、切羽詰まって訪れる悩み深い顧客を一人ひとり大切にすることから始めたという。婦人服専門だった庄司さんが、プロになって再び紳士服を学んだのも、こうしたお客様からのリクエストがあったからだった。

 「なじみのテーラーが閉店しちゃって困っているんだ。君のセンスを信じるから、とにかく試しに作ってみてよ」。10年ほど前のことだった。

 飛び込みで、紳士服のオーダーメイドを手がける店の門をたたき、自分が作った型紙を修正してもらう作業を何度も繰り返した。もちろん、はなから相手にされなかったことも数えきれない。

 そうしているうちに、知人を通じて、銀座6丁目のギンザコマツストアーのファッションバイヤーを紹介された。当時同ストアーは、斬新でちょっぴり奇抜さも秘めた日本初上陸のクリエーターの作品などを発信するセレクトショップとして、ファッション好きの間ではよく知られた存在だった。面白いデザインを上手に着こなすために、各人のバランスに合わせてラインなどを手直しする――「フィッティング・コンシェルジュ」としてのスタートだった。

銀座には職人を育てる土壌がある

  • ボタンで洋服の表情はがらりと変わる
  • 紳士ワイシャツの縫製のプロが縫い上げる女性向けシャツは、独特の粋な感じが人気
  • シャツの生地見本もいろいろ

 洋服を見ていると、「この人にはこんな風に着てほしい」というデザイナーの声が聞こえてくるのだそうだ。「そう、私の仕事は、デザイナーの意をくんで、お客様との橋渡しをすること。きちんとフィッティングすると、洋服もいい表情をしてくれるんです」

 コマツストアーの閉店と同時に、現在のサロンを設けることになり、2年が経つ。

 場所はやはり銀座に。迷いはなかった。

 関西出身の庄司さんにとって、銀座は、コンサバ系マダムたちが闊歩(かっぽ)する街というイメージが強かったそうだ。「でも、コマツで出会ったお客様は皆ファッション感度が高くて個性的。そんな素敵な方々と時間と空間を共有しつつ、店も一緒に育っていく――それが銀座なんだろうって思います。それに、『できるかどうかやってみてよ』って言葉をお客様から何度もいただきました。新しいものづくりの機会を与えながら職人を育てようとする懐の深さがあるようにも感じています」

 今までに最もチャレンジングだったことの一つは、ウェディングドレスのリメイク。白の総レースをスカートとコートにしたのだが、使いやすいようにと黒に染めることになった。黒染めのプロを求めて京都に飛び、「着物の幅に解体してくれたら、色落ちしない素晴らしい黒に染める自信がある」といわれ、やってみた。出来は上々で、「なかなか楽しい仕事だったよ」と染色の職人から言われたのがうれしかった。

 「ファッションの世界で今までできないと片付けられてきたことも、一つひとつカタチになってくる。私の依頼することはほとんど断りたいことばかりなのだろうけれど、チャレンジ精神に満ちた職人たちに救われています」

女性向けセミオーダーシャツ

  • 店の片隅に置かれたフレグランスで、気持ちもリラックス

 9月からスタートした新しいプロジェクトは、女性向けのセミオーダーシャツ。立体的なボディラインや襟元の開き、カフスの表情などはあくまでもフェミニンに、しかし、パリッとしたシャツのシャープな醍醐味を味わえるように、縫製は紳士用ワイシャツのプロにお願いする。

 「洋服って不思議です。お気に入りを見つければ、それを着ているだけで気持ちもポジティブになって、その日一日楽しく過ごせる。洋服は、自分をプロデュースする強力な武器なんですよね」と、庄司さんは熱く語る。 最近は「楽チン」を決め込んで、チュニックにレギンスといったゆるいファッションに逃げている私。このあたりで、ぱりっとしたシャツをオーダーして、スーツで気持ちを引き締めてみようかな。

 (プランタン銀座取締役・永峰好美)

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2010.10.22

銀座でドイツワインの新しい魅力を

留学先での出会いが運命を決めた

  • (左上)銀座6丁目、松坂屋の裏手にある「銀座ワイナックス」、(左下)和夫さんがドイツで出版した写真集は江戸西音のペンネームで、(右)ドイツの「ソムリエ」誌の表紙を飾った星野和夫社長

 東京・銀座で、ドイツワインのみを取り扱っているユニークな名物店がある。

 創業27年目を迎える「銀座ワイナックス」。主人の星野和夫社長のまたの名は「ドイツワイン大使」。ドイツ国家功労十字勲章を受章するなど、ドイツで最も有名な日本人の一人だ。

 学生時代の1970年代初め、ドイツ語習得のために行ったベルリンで、ベルリンフィルの演奏に心底魅せられて、結局8年間も滞在してしまったというドイツ好き。そのとき知人宅で出会った黄金色の飲み物が、和夫さんのその後の人生を決めることになる。

 「ハチミツどころではなく深く甘い味わい、ブドウからとは思えない魅惑的な香り。神々の飲み物『ネクター』とはまさにこれに違いないと思えた」と、あるエッセイで振り返っている。

 それが、トロッケンベーレンアウスレーゼ、つまり貴腐ワインだったのだ。

 生産地を回り、ドイツワインの多様性にますますとりつかれていくが、帰国した日本には、ドイツワインの本がほとんどなかった。「こんなに素晴らしいものは、何とかして皆に知らせなければならない」と、「ドイツワイン全書」(柴田書店)を翻訳して出版する。さらに、「能書きばかり吹聴してもワインは広まらない」と、使命感に燃えて、ドイツワイン専門の輸入会社を設立する。

 これが、現在の「銀座ワイナックス」の始まりである。

夫婦二人三脚で苦境を乗り越え

  • 綾瀬で開いた3坪の第1号店、販売スタッフは育子さんだけだった

 江戸西音(えど・さいおん=エドワード・ウェストーン)のペンネームを持ち、ドイツで写真集を出版するなど、芸術家肌の和夫さんを、営業面から支え、二人三脚でドイツワインの普及に努めてきたのが、専務取締役で妻の育子さんだ。

 育子さんは、10歳の誕生日に姉からプレゼントされたジュリアス・ベーカーのコンサートでフルートの音色に魅せられ、フェリス女学院でフルートを専攻。仲良しの幼なじみの兄だった和夫さんとは、音楽好きという共通項で結ばれた。

 「最初は、東京・綾瀬の自宅近くに、3坪程度の小さな店を開いたんです。ところが、開店してまもなく、オーストリアワインに有害なジエチレングリコールが混入されたというワイン・スキャンダルが起こり、また、チェルノブイリの大惨事が続きました。ドイツワインの販売の環境は最悪で、苦労しました」と、育子さん。

  • いつも笑顔の星野育子専務。「ワインはもちろん、毎日飲みます」

 あるデパートでは、一週間毎日、自らテイスティングしているところを見せて、安全で安心なワインであることを訴えたという。

 「世界の人が集う銀座に店を」と打って出たのは、それからほどなくのことである。

生産者を訪問して選定

 「ワインはすべて、夫と私で生産者を訪問し、保存料のソルビン酸を使っていない優良なものを厳選しています。低温コンテナの船底を指定して運び、自社の低温倉庫で貯蔵・熟成させて、常に飲み頃を提供できるようにしているんですよ。倉庫には10万本近くあるかしらねえ。だから、ほんと、おいしいでしょう」

 育子さんは、愛嬌のある丸い目でこちらをじっと見つめながら、情熱的に語り続けた。

 とはいえ、フランスやイタリアのワインと比べると、日本では、ドイツワインの人気はいまひとつ。「大量に生産される甘口の安ワインのイメージが強いんですね。残念なことです」

「すしとワインの新しいカタチ」

  • ヒラメの握りとバーデン産のヴァイスブルグンダー
  • ウニの軍艦巻きとバーデン産のゲヴェルツトラミネール
  • 脂ののった大トロとアール産のシュペートブルグンダー(ピノノワール)

 力を入れているのが、「楽飲会」と称するワイン会。特に、「すしにはワインの中でもドイツワインが一番合う」という和夫さんの持論のもとに10年間続いている、「すしとワインの新しいカタチ」という催しは、毎回盛況だ。

 ちょっとのぞかせていただいた。

 子持ち昆布にはすっきり辛口のゼクト(スパークリング)、ヒラメにはバーデン産のヴァイスブルグンダー(ピノ・ブラン)、ウニにはよく熟したやはりバーデン産の香り高いゲヴェルツトラミネール、脂ののった大トロには樽香が強くない赤を、といった具合である。特に、ウニとゲヴェルツは、「なるほどねえ」と感心させられた。

 「ヒラメと組み合わせるワインは、ヘンズブレヒ伯爵家のミヒェルフェルダー・ヒンメルベルクがこのところの定番。これ、メルケル首相も愛飲しているものです。甘過ぎず辛過ぎず、実にエレガントで、いいねえ」と、和夫さんは目を細めた。

 この試みは、ドイツでも、「すしセレモニー」として好評だったそうだ。

 「自分の存在を主張しすぎず、ハーモニーを保って、いつでも素晴らしいパートナーになれる。それが、ドイツワインです」。音楽を愛するドイツワインの伝道師、星野夫妻はそう口をそろえた。

 (プランタン銀座取締役・永峰好美)

 ◆銀座ワイナックス

 http://www.winax.co.jp/

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2010.10.10

久しぶりにカリフォルニア

毎月1回担当しているワイン講座で、久しぶりにカリフォルニアを取り上げてみました。

セレクトポイントは、コストパフォーマンスの良さ!です。

 

まずは白ですが・・・

 


 

2010100801.JPG2008 ポメロ ソーヴィニヨンブラン(メイゾン・セラーズ)

 

エチケットがキュートで、女性の生徒さんは皆、「かわい~い!」と声を上げました。

ポメロ(Pomelo)とは、マレー半島原産、「チャイニーズ・グレープフルーツ」とも呼ばれ、いまはカリフォルニアで作られているミカン属の果物。大きくて、厚めの緑色の皮の中に淡黄色または淡紅色の果肉がプルンと入っています。

ちなみに、スウィーティーはこのポメロとグレープフルーツを掛け合わせたもの、日本のザボンや文旦もポメロの改良系だそう。

こんなに果物の説明を詳しくしたのは、このワインの第一印象が、豊かな柑橘系の果実味のいきいきとした爽やかさにあったからです。それでいて、余韻もあって、心地よい苦味のフィニッシュで締めくくられます。エチケットのキュートさにひかれてカジュアルな雰囲気を連想して飲み始めると、意外と骨格がしっかりしていることに驚かされました。


カリフォルニアフリークのワイン仲間の一人がこのワインにほれ込み、輸入したものです。オーナーのランディ・メイソン氏は、数々のカリフォルニアのスターを育てている「ナパ・ワイン・カンパニー」でCEOを務めたこともある人で、ソーヴィニヨンブランの名手とも評されているそうです。

 

 

もう1本の白は・・・


 

2010100802.JPG2006 ロビンソン・クリーク シャルドネ(マクナブ・リッジ・ワイナリー)
 

こちらは、カリフォルニア州北部のメンドシーノ産。

メンドシーノは、比較的気候が涼しく、繊細な味わいのブドウができます。イタリア人入植者が多いこの地で、マクナブ・リッジを開いたのはスコットランド人。

味わいは、最初は西洋ナシのような果実のフレッシュな香りが先行しますが、時間の経過とともに、ハチミツやトロピカルフルーツの芳醇な香りに包まれ、ミネラルもしっかり。いや、余韻も長い・・・。

 

 

 

 

 

赤ワインは・・・


 

2010100803.JPG2006 カベルネソーヴィニヨン(ジラソーレ・ヴィンヤーズ)


これも、ポップなエチケットと、ボトルの首のあたりに止まっているハチさんのアップリケに注目! 

やはりメンドシーノの生産者、チャールズ・パッラ氏。「ブドウの自然なおいしさそのままに消費者に届ける」が彼の哲学で、この地の有機栽培の畑をリードする存在。

 

繊細なタンニンが溶け込み、酸味とのバランスもよく、満足のいく味わいです。

 

 

 

 

 

 

ほかに、飲んでおいしかったのは・・・


 

2010100804.JPG2008 アルザス・リースリング(ドメーヌ・ジョルジェ・エ・クロード・フレイブルジェール)


 

1963年から続く小さな家族経営の元詰め生産者。

2001年からビオデナミを実践。

 

 

白い花や青リンゴの爽やかさに、ワイン初心者も抵抗なく飲める一品でした。

 

 


 

 

  

2010100805.JPG2007 ゴーツ・ド・ローム(ゴーツ・ド・ローム・ワインカンパニー)

 

南アフリカの生産者で、シラーズ40%、ピノタージュ18%、サンソー17%、カリニャン13%、ムールヴェドル10%、ガメイノワール2%。

 

「Goats do Roam」は、さまよえるヤギ・・・ブドウの収穫期に、いたずらっこの息子がヤギたちを小屋から出したら、一番おいしく熟したブドウを全部食べてしまったそうで、そんなエピソードからワイナリー名が決まったそうです。「コート・デュ・ローヌ」を意識した遊び心いっぱいのワインは、赤い果実の豊かな香りとクローブやシナモンのスパイスが溶け合って、飲みやすいです。 


ユニークなエチケットも見逃せませんね。

 

 

いずれのワインも3千円以内で買えて、コストパフォーマンス抜群です。

プランタン銀座のワイン売場でセレクトしましたので、ぜひのぞいてみてください。

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2010.10.08

龍馬が歩いた銀座

剣術修行のため江戸へ

  • 土佐藩上屋敷があったとされる東京国際フォーラム周辺
  • 龍馬が通った「小千葉道場」は東京駅近くの鍛冶橋あたり

 前回の小欄で、坂本龍馬ブームで人気沸騰の高知県のアンテナショップ「まるごと高知」(銀座1丁目)をご紹介したが、アンテナショップの周辺、銀座・有楽町界隈には、龍馬とゆかりのある場所がいくつかあることを最近知った。

 今回は、当時の龍馬の生活範囲をたどってみることにした。

 龍馬と江戸の関係は深い。2回にわたる剣術修行や、土佐藩脱藩後に勝海舟に弟子入りした時を含めると、人生のターニングポイントともいえる時期に、少なからずこの地で暮らしている。

 下級武士の家に生まれた龍馬は、14歳の時から、地元の道場で小栗流剣術を学んだ。1853年(嘉永6年)、さらに剣の腕を磨くため江戸に向かい、北辰一刀流・千葉定吉道場(小千葉道場)に入門する。19歳の時だった。

土佐藩上屋敷の跡地は東京国際フォーラムに

 最初に滞在したのが、土佐藩上屋敷で、アンテナショップの目と鼻の先にある「東京国際フォーラム」のあたりといわれる。東京の代表的国際コンベンションセンターの一つで、日本初の国際公開コンペが行われたことで注目された。船を題材にした吹き抜けホールのガラス棟がユニークな巨大な建物である。かつては上屋敷跡の碑があったらしいが、今は見つからない。

 千葉定吉は、北辰一刀流の開祖・千葉周作の弟。高齢だった周作に代わって、龍馬に稽古をつけた。定吉の道場「小千葉道場」は、アンテナショップから外堀通りを東京駅方面に歩いてまもなく、鍛冶橋交差点付近といわれている。鍛冶橋は、江戸城の外堀、鍛冶橋御門にかかっていた橋であり、交差点の名称としてその名をとどめている。なるほど、土佐藩上屋敷からは非常に近い。このあたり、龍馬は毎日闊歩していたのだろうか。

 ちなみに、周作の道場「玄武館」は、千代田区神田東松下町にあった。上屋敷からは歩いて20分程度。龍馬も、出稽古などで訪れたことだろう。

 この年の6月、ペリー来航事件が起こり、龍馬は、江戸湾の品川海岸警備に借り出されている。

  • 区役所近くの案内板にあった「江戸復元図」に土佐藩下屋敷が記されている
  • 土佐藩築地邸跡は、現在の東京都中央区役所周辺

盟友・武市半平太と

  • 盟友・武市半平太が修行した「士学館」跡は公園に

 2度目の剣術修行は、1856年(安政3年)、22歳の時だった。盟友・武市半平太とともに滞在したのが、土佐藩中屋敷ないしは下屋敷で、土佐藩築地邸とも呼ばれている。上屋敷から銀座を通って徒歩10分ほど。現在は中央区役所のあるあたりだ。

 区役所の警備ブースのそばに、案内板があって、「坂本龍馬は、安政3年から同5年ころ、この地の土佐藩築地邸に寄宿しながら、桶町(現八重洲2丁目、京橋2丁目の一部)にあったとされる千葉定吉道場に通っていたようです」と記されていた。

 盟友・武市半平太は、幕末に土佐勤王党を結成して幕府打倒を掲げる。一時は、龍馬も同党に血盟するが、意見が合わず、半平太とは別れ、土佐藩からも脱藩する。

 その半平太が剣術を学んだのが、築地邸からほど近い、桃井春蔵の「士学館」。現在は、京橋プラザ前の小さな公園になっている。徳川家康が開削した三十間堀が屈折して、白魚橋で京橋川に注ぐ位置に当たる。京橋プラザを新築するにあたって、地中から護岸の石が掘り出され、いまは公園の植え込みの囲いに使われている。

多くの契機を得た銀座界隈での生活

  • 佐久間象山邸があった銀座東5丁目付近

 もう一か所、龍馬は小千葉道場での剣術修行のかたわら、佐久間象山に入門し、西洋砲術を学んでいる。銀座東5丁目付近、いまは電源開発のビルが建つあたりに、象山邸があったという。

 土佐脱藩後、九州などを放浪した龍馬は、再び江戸に向かい、小千葉道場に身を寄せていたようだ。そして、赤坂にあった勝海舟邸を訪問し、弟子入りするのである。

 龍馬の人生に大きな影響を与えた出会いや事件が起こった、銀座界隈のゆかりの地散歩――ゆっくり歩いても、1時間余で十分巡れる。高層のビルの間を吹き抜ける風に乗って革命の足音が響いてくるような不思議な気配、あなたも感じてみませんか?

(プランタン銀座取締役・永峰好美)

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2010.10.04

「ラ・ボンバンス」で初秋のワイン会

皆様、ようやく秋風が吹き、赤ワインも飲みたくなる、そう、ワインがますます美味しくなる季節になりました。


岡元料理長の料理にほれこんで、私が勝手に「口コミ広報」を行っている西麻布の「ラ・ボンバンス」で、ワイン好きな仲間とワイン会を開きました。


幹事役の私がこの日アペリティフ用に用意したのは、プランタン銀座のワイン売場スタッフにすすめられた、シャンパーニュ。


10100112.JPG1996 フレネ・ジュイエ スペシャル・クラブ

 

写真ではよくわからないかもしれませんが、これ、マグナムです。通常のシャンパーニュよりも倍の大きさ! ワイン会で仲間と一緒の時でないと、なかなか開けられません。

シャンパーニュは、マグナム瓶が一番美味しく熟成するともいわれています。それに、1996年は、素晴らしいグレイトヴィンテージ!

 


フレネ・ジュイエは、1952年、ジェラール・フレネ氏によりヴェルジー村で創業されたドメーヌ。


「スペシャル・クラブ」とは、大手メゾンのシャンパーニュが主流を占めていた1970年代、小規模の有力ドメーヌが集まって、自らの畑とセラーで造り上げた個性あるヴィンテージ・シャンパーニュを広めようと、共通のボトルとラベルを作成し、使い始めたもの。最低3年以上の瓶熟成を義務付けられています。現在26の生産者が「クラブ・トレゾール・ド・シャンパーニュ」という組織をつくり、瓶詰め前とリリース前に厳しい検査をして、合格したものだけが「スペシャル・ックラブ」として認証されるそうです。


シャルドネ60%、ピノノワール40%。果実のフレッシュな味わいを残しながら、こんがりトーストしたパンのような香り、コクのある熟成感があり、余韻も長くて、とっても美味しかったです。どんな料理との相性も楽しめそうですし。

 

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自信をもって、おすすめです。

ご興味ある方は、プランタン銀座・ワイン売場のスタッフにお尋ねくださいね。

 

 

さてさて、初秋の「ラ・ボンバンス」の料理ですが・・・

相変わらず、岡元料理長のおやじギャグ的(失礼!)メニューのネーミングがさえています!!

 

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サワラのまえ(サゴチの焼き物にゆずコショウが添えてありました)

 

 

10100102.JPGぷーすれひかふ たいやき(ふかひれのスープにマツタケがいっぱい。たいやきは、アマダイでした)

 

 

10100103.JPG萩の花に見えますか?(秋の演出にも趣向をこらしています。ゴマ豆腐にエビ、アズキ、ギンナンをあしらって。ウニのわさび醤油が効いています)

 

 

10100104.JPG焼松と秋田産きゃびあ 波紋伊部理子桃子 29ぎり 焼茄子オクトパスフォールド(イベリコ豚と桃の組み合わせが面白い。お肉の握りは新潟の村上牛、タコは静岡産で、土佐酢ゼリーがアクセント)

 

 

10100105.JPGフォアグラソテーと百合根の茶碗蒸し 木の子あ~ん さらに秋トリュフ乱れ打ち(トリュフがこれでもかって、うれしいです)

 

 

10100106.JPG3マ(サンマです、いい加減の焼き具合)

 


10100107.JPG秋の宝石箱や~(いまが一番美味しい北海道産のイクラ)

 


10100108.JPG牛鍋 牛蒡 水菜 焼豆腐

 

 

10100109.JPG831(野菜の盛り合わせ ダイコンの皮のきんぴらが私のお気に入りです)

 


10100110.JPGブーそば(みゆき豚が入った付け汁)

 

 

10100111.JPGデザート3種(白いコーヒーブラマンジェ、黒ゴマシャーベット、月見武道=長野ファーストというブドウを使用)

 

さて、今回のワインリストは各人が1本ずつ持ち寄り、以下のようでした。

 

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2007 シャサーニュ・モンラッシェ プルミエ・クリュ レ・シャン・ガン(ドメーヌ・ベルナール・モロー)
1996 ムルソー アラン・コルシア・コレクション(ドメーヌ・ボートアジー)
2006 シャトー・シャス・スプリーン
1996 ムーラン・ナ・ヴァン グランド・ガルド・レニャー
1999 エシェゾー グラン・クリュ(ドメーヌ・クードレ・ビゾー)
2002 シャンベルタン(ドメーヌ・カミュ)
2003 ホスピス・オブ・ソノマ ピノノワール ロシアンリバーヴァレー(ロキオリ)

 

 

 

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ブルーゴーニュを中心に、皆、メニューを知っていたかのような、素晴らしいセレクションを楽しみました。。
最後のロキオリは、カリフォルニア好きの仲間のセレクト。チャリティ限定のオークションボトルで、世界にわずか60本。シリアルナンバー入りでした。

 

秋の夜長、大いにワインを楽しみましょう!!

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2010.10.01

話題の高知、銀座で“まるごと”堪能

銀ブラ「ふるさと」探訪

  • 8月、銀座1丁目にオープンした高知県のアンテナショップ「まるごと高知」。隣には、沖縄のアンテナショップが軒を連ねる

 銀座・有楽町界隈は、北海道から沖縄まで、全国20近くの「ふるさと」が集まる都道府県のアンテナショップ激戦区。今夏、銀座1丁目に、高知県のアンテナショップ「まるごと高知」が新たに加わった。龍馬ブームの追い風もあって、連日店内はにぎわっている。

 1階は、清流・四万十川の青さのりをはじめ、特産のユズやショウガを使った調味料などが並ぶ食品市場風。地下1階は観光情報発信のフロアで、酒のコーナーも充実している。2階は、和洋にとらわれない新土佐料理を提供するレストランである。

  • (上)週に3日も食べた、はちきん地鶏のフォー、(下)「土佐はちきん地鶏のチキンカレー」は土佐限定の商品とか

 お隣は、沖縄県の「銀座わしたショップ」、さらに足をのばせば、地産地消レストランとして知られる鶴岡の「アル・ケッチァーノ」の奥田政行シェフがプロデュースするレストランが評判の、「おいしい山形プラザ」がある。天気のいい日には、銀ブラを楽しみながら、これらのアンテナショップをはしごする人たちも少なくないようだ。

 プランタン銀座でも、9月後半、「まるごと高知」とコラボレーションした高知フェア「龍馬のふるさと高知を食す」を開催した。特産品を使ったメニューの中で、こんがり焼いたはちきん地鶏のゆず風味を載せたベトナム麺のフォーが絶品で、私は、1週間の会期中に3回もランチに通ってしまった(フェアは残念ながら9月27日で終了)。

 はちきん地鶏のほどよい甘みと歯ごたえが忘れられず、おいしいもの探しに、「まるごと高知」を訪ねた。

 すると、ありました!

 「龍馬が好きやった軍鶏(シャモ)の血を引いちゅう」とのうたい文句にひかれて手に取ったのは、「土佐はちきん地鶏のチキンカレー」。ニンニクとショウガを効かせた高知限定の商品という。

 「はちきん」とは、高知の方言で、元気で明るく男気のある高知の女性のこと。そこから名前をとった「はちきん地鶏」は、昔からいた軍鶏を改良して育てたヘルシーな地鶏なのだとか。農場では、きっと活発に飛び回っているのでしょうね。

龍馬ファン垂涎の品々

  • 龍馬人気にあやかって、家紋入りティシュまで登場

 同じ棚に並べられていた「きびなごサーディン」は、上品な白の紙パッケージ入り。宿毛(すくも)湾産のきびなごをオリーブオイルに漬けたもので、こちらは早速夕食の食卓へ。やさしい天日塩とセロリの風味が穏やかで、トマトとモツァレラチーズのサラダにのせると、アクセントになった。私は、市販のイワシのサーディンよりお気に入りである。

  • 宿毛湾産のきびなごサーディンはサラダのアクセントに

 次に、地下の龍馬コーナーをひやかしに。龍馬ファンの聖地といわれる県立坂本龍馬記念館が編集した「龍馬書簡集」をはじめ、便せんやらキーホルダーやら、ファンにはたまらないであろうミュージアムグッズがいろいろある。

 ミュージアムグッズではないけれど、裏に龍馬年表が印刷されているのが目に留まり、「RYOMAふところティシュ」を買った。なんと、坂本家の家紋入りである。パッケージにある龍馬本人の写真に見入りながら、彼が懐に携えているのは、ピストルではなく、実は家紋入りティシュだったりして、などと想像したら、思わずくすりと笑ってしまった。

 「龍馬の水ぜよ」というネーミングの、室戸の海洋深層水を100%使ったミネラルウォーターも見逃せない。

室戸の水を愛した植村氏

  • (上)室戸の海洋深層水を用いた「ウトコディープシーテラピーセンター&ホテル」の海洋療法施設、(下)「ウトコ」の宿泊施設からは、太平洋が見渡せた

 室戸といえば、3年ほど前に亡くなられた、化粧品ブランド「シュウウエムラ」の創業者で、メーキャップアーティストの植村秀さんのことを思い出す。

 1950年代に渡米、ハリウッドでメーキャップアーティストとして活躍。パレットから飛び出したような豊富な色遣いは、シャーリー・マクレーンなど多くのスターを魅惑した。60年代、米国で愛用されていたクレンジングオイル洗顔を日本に紹介、現在のシュウウエムラ化粧品の前身会社を設立し、海外へも積極的に進出して世界的なブランドに育てた。

 2005年の夏、たまたまパリのフォーブルサントノーレ近くのホテルでお会いしたのが最後になった。当時記者からビジネス界に入ったばかりの私を、「新しい挑戦はいくつになっても楽しいよ」と激励してくださったのがうれしかった。

 シャンソンが流れる青山葬儀所での「お別れ会」に出席した翌日、私は、水へのこだわりを持つ氏が室戸につくった海洋療法施設「ウトコディープシーテラピーセンター&ホテル」に出かけた。

 室戸岬で取水されるミネラル豊富な深層水を満たしたプールでリラックスし、冬の太平洋をのんびり眺めながら、ライブラリーで著書に目を通した。「水なしに肌の美しさは語れない」「伝統は革新の連続である」……氏の哲学が透けるような言葉の数々を、私は手帳に書き留めたものである。

心に残る「15か条」

  • 県立牧野植物園のオリジナルノートがお気に入り

 龍馬コーナーの隣で、素敵なノートを見つけた。県立牧野植物園のオリジナルノート「赭鞭一撻(しゃべんいったつ)」だ。

 「私は植物の愛人としてこの世に生まれてきたように感じています」と語ったという高知出身の牧野富太郎博士は、日本植物分類学の基礎をつくった学者として知られている。植物園は、その博士を記念して造られた。

 「赭鞭一撻」は、博士が学生時代、勉強の心得をつづったもので、「忍耐を要す=我慢することが必要である」「精密を要す=正確であることが必要である」から始まって、15か条がノートの裏表紙に記されている。

 「跋渉(ばっしょう)の労を(いと)うなかれ=方々の山野を歩きまわる努力を嫌がるな」「書を家とせずして、友とすべし=本に書かれていると安心せずに、本を対等の立場の友と思いなさい」など、現場を歩くことの大切さを説く言葉には説得力があった。

 はちきん地鶏も海洋深層水も、龍馬、そして牧野博士も……。高知の魅力は尽きることがなさそうだ。

 (プランタン銀座取締役・永峰好美)

 ◆高知県アンテナショップ「まるごと高知」

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永峰好美のワインのある生活

<Profile> 永峰 好美 日本ソムリエ協会認定シニアワインエキスパート。プランタン銀座常務取締役を経て、読売新聞編集委員。『ソムリエ』誌で、「ワインビジネスを支える淑女たち」好評連載中。近著に『スペインワイン』(早川書房)