リメイク、仕立て、スタイリング……
東京・銀座1丁目のビル9階の部屋の扉を開けると、カウンターの向こうには、縫製台やらアイロン台やら、そして、窓から差し込む柔らかな明かりを背に色とりどりの糸のかたまりが……。
「Artisan salon de giso(アルテザン・サロン・ド・ギソ)」のオーナー、庄司博美さんは、「フィッティング・コンシェルジュ」というあまり聞き慣れない肩書きを持つ。
大のお気に入りで長年愛用しているのだけれども肩のあたりのデザインがちょっと古くなったというような服をリメイクして蘇らせたり、じっくりカウンセリングして細部までその人の体型にぴったり合う着心地の良いオーダーメイドのスーツを仕立てたり、洋服選びや着こなしなどの手ほどきをする「パーソナルスタイリング」を手がけたり……。
洋服に関するあらゆる悩みに応える、いわば「洋服の総合職人」である。
工房の仕事机には、縫い合わせがほどかれた状態の洋服のパーツがところ狭しと並べられている。
「これは、ある有名ブランドのスカートなのですが、目立つところにしみを付けられたそうで、ひだの取り方を変えるために分解して作り直しているんです」
「フィッティング・コンシェルジュ」の道へ
大阪の大学で服飾系の勉強を終えて、文化服装学院で実技を学び、服飾デザイナーとして東京・六本木の小さなアトリエから出発した。たまたま展示会に出品したオリジナルデザインに興味を示してくれる人が何人かいて、26歳で独立した。
「会社を作ったものの、来月仕事はあるかしらって、もうハラハラどきどきの毎日でした」と振り返る。
既製品が合わないからオーダーするしかないと、切羽詰まって訪れる悩み深い顧客を一人ひとり大切にすることから始めたという。婦人服専門だった庄司さんが、プロになって再び紳士服を学んだのも、こうしたお客様からのリクエストがあったからだった。
「なじみのテーラーが閉店しちゃって困っているんだ。君のセンスを信じるから、とにかく試しに作ってみてよ」。10年ほど前のことだった。
飛び込みで、紳士服のオーダーメイドを手がける店の門をたたき、自分が作った型紙を修正してもらう作業を何度も繰り返した。もちろん、はなから相手にされなかったことも数えきれない。
そうしているうちに、知人を通じて、銀座6丁目のギンザコマツストアーのファッションバイヤーを紹介された。当時同ストアーは、斬新でちょっぴり奇抜さも秘めた日本初上陸のクリエーターの作品などを発信するセレクトショップとして、ファッション好きの間ではよく知られた存在だった。面白いデザインを上手に着こなすために、各人のバランスに合わせてラインなどを手直しする――「フィッティング・コンシェルジュ」としてのスタートだった。
銀座には職人を育てる土壌がある
洋服を見ていると、「この人にはこんな風に着てほしい」というデザイナーの声が聞こえてくるのだそうだ。「そう、私の仕事は、デザイナーの意をくんで、お客様との橋渡しをすること。きちんとフィッティングすると、洋服もいい表情をしてくれるんです」
コマツストアーの閉店と同時に、現在のサロンを設けることになり、2年が経つ。
場所はやはり銀座に。迷いはなかった。
関西出身の庄司さんにとって、銀座は、コンサバ系マダムたちが
今までに最もチャレンジングだったことの一つは、ウェディングドレスのリメイク。白の総レースをスカートとコートにしたのだが、使いやすいようにと黒に染めることになった。黒染めのプロを求めて京都に飛び、「着物の幅に解体してくれたら、色落ちしない素晴らしい黒に染める自信がある」といわれ、やってみた。出来は上々で、「なかなか楽しい仕事だったよ」と染色の職人から言われたのがうれしかった。
「ファッションの世界で今までできないと片付けられてきたことも、一つひとつカタチになってくる。私の依頼することはほとんど断りたいことばかりなのだろうけれど、チャレンジ精神に満ちた職人たちに救われています」
女性向けセミオーダーシャツ
9月からスタートした新しいプロジェクトは、女性向けのセミオーダーシャツ。立体的なボディラインや襟元の開き、カフスの表情などはあくまでもフェミニンに、しかし、パリッとしたシャツのシャープな醍醐味を味わえるように、縫製は紳士用ワイシャツのプロにお願いする。
「洋服って不思議です。お気に入りを見つければ、それを着ているだけで気持ちもポジティブになって、その日一日楽しく過ごせる。洋服は、自分をプロデュースする強力な武器なんですよね」と、庄司さんは熱く語る。 最近は「楽チン」を決め込んで、チュニックにレギンスといったゆるいファッションに逃げている私。このあたりで、ぱりっとしたシャツをオーダーして、スーツで気持ちを引き締めてみようかな。
(プランタン銀座取締役・永峰好美)