東京・日比谷にある帝国ホテルは、今年11月3日に、開業125周年を迎える。正面ロビーをはじめ館内7か所では、125年の歴史を写真パネルなどで振り返る記念展示が行われていて興味深い(展示は3月末までを予定)。
1890年(明治23年)、同ホテルは、各国から王侯貴族や政府関係者らが投宿する「日本の迎賓館」としてスタートした。その翌年には、天皇誕生日を祝す「天長節夜会」が開催され、1903年まで続いた。
初代料理長の料理書…「芳醇なダブルコンソメスープ」など、貴重なレシピが明らかに
初代料理長は、フランス料理の吉川兼吉。横浜グランドホテル、鹿鳴館を経て、37歳の時、開業と同時に帝国ホテルの料理長に就任した。小島政二郎の小説『風清ク月白シ』では、「帝国ホテルが鹿鳴館の隣に建った。帝国ホテルには吉川兼吉というシェフがいて別格」と書かれるほど高い評価を得た人であった。
2009年、家族が所有していた吉川の料理書が同ホテルに寄贈され、オードブルからデザートまで、当時の貴重なレシピ286種類が明らかになった。
その一つ、「
「ブイヨンでブイヨンを煮出す」ともいわれるダブルコンソメは、深い味わいとコクが特徴だ。
「料理の基本は、温故知新だと思います。古い知識を知ることで新しい料理も生まれる。伝統的な料理は、時代ごとに新しいアレンジが加わって、さらなる輝きを増していくことを、私は46年間の料理人人生で先輩たちから教わりました」と、田中総料理長は話す。
米国人建築家のフランク・ロイド・ライトによって帝国ホテル旧本館の「ライト館」が建てられたのは、1923年(大正12年)である。相前後して、日本初のショッピングアーケードが造られたり、挙式と披露宴を一貫してホテルで行う「ホテルウェディング」が始まったり、日本初のホテルサービスが、この頃相次いで同ホテルから誕生している。
1964年の東京五輪に関する資料
時代は下って、1964年の東京五輪に関する資料も展示されていた。選手村の食堂前で、外国人ジャーナリストに囲まれて楽しそうな、元総理長の村上信夫さんの笑顔が特に印象的である。
当時選手村には、三つの食堂があって、村上さんは、アジア系の料理を出す「富士食堂」の料理長を任されたのだった。「アジア系」といっても、ひとくくりにはできない。以前村上さんにインタビューした時、モロッコやアルジェリアは「基本はフランス料理でいいが、クスクス(野菜や肉を煮た
作り方がわからないものもあって、その都度大使館に問い合わせ、日本にない材料については、各国大使館の外交官のご夫人たちが自ら集めて、熱心に調理指導までしてくれたという。選手村食堂の「故国の味」に励まされた選手は、少なくなかったことだろう。
当時の写真とともに、村上さんの話をあれこれ思い出していたところ、同ホテルの小林哲也会長にお会いする機会があった。
「私もね、実は、東京五輪のメダルを持っているんですよ」。
小林会長がちょっと自慢げに見せてくれたのは、「TOKYO 1964 XVIII OLYMPIAD」と刻まれた赤銅色のメダルだった。裏には、「オリンピック選手村劇場出演記念 1964オリンピック東京大会組織委員会」と記されていた。
大学受験で浪人生活を送っていた時のこと。高校時代の仲間と続けていたバンド「チャレンジャーズ」の一員として、選手村でのイベントに出演した、その記念メダルなのだそうだ。ベンチャーズの曲が得意で、サイドギターを担当していたのだとか。
2020年の東京オリンピックイヤーに向けて、政府は、訪日外国人旅行者数2000万人を目指している。東京のホテル事情もいま、変化の時だ。五輪をめぐってどんな物語が紡ぎ出されていくのか、楽しみでもある。
(展示関連の古い史料写真は、帝国ホテル提供。)
(読売新聞編集委員 永峰好美)