2014年1月アーカイブ

2014.01.31

未来につなげ「富岡畦草+富岡三智子親子展」

  • 富岡畦草さん(右)と三智子さん親子

 新年早々、東京・銀座のギャラリーで開かれた一つの素敵な企画展のことを、会期は既に過ぎてしまったけれどもご紹介したい。

 銀座2丁目のギャラリー・アートグラフの「富岡畦草(けいそう)+富岡三智子親子展」(1月6日~16日)のことである。

 富岡畦草さんは、同じ場所で時系列的に写真を撮り続けて時代の変化を記録するという「定点観測式撮影法」の先駆者。新聞社のカメラマンの傍ら、戦後占領期の人事院から依頼されて復興期の日本、特に高度成長期の東京の変貌をカメラに収めてきた。

 「作家の新田次郎さんを訪ねる機会があって、定点観測のアイデアを話したら、『そりゃ面白い。やってみなさい』と言われて意を強くした」のだそうで、1952年(昭和27年)から始めて、撮影した数は40万コマを超える。87歳の現在も現役で取材を続ける。「敗戦国日本が二度と道を踏み外さないように見守るのも、生き残った人間の責任」と、変わる東京の景色を日々見つめている。

記録写真

  • 家族の大切なメモリーにもなっている「日本橋と家族」

 富岡さんの作品で特徴的なのは、我が子の成長を時間軸にしていること。風景の変化とともに家族の表情がしっかり写し込まれている。たとえば、「日本橋と家族」と題された1963年3月3日撮影の写真は、高架の首都高速道路建設前の貴重な記録写真。富岡さん姉妹と母親の3人が、日本橋を渡って三越に向かうところのようだ。記録写真は、家族の大切なメモリーとも重なる。

 「私自身も、幼い時から子ども用のカメラを持たされて、何でも記録するようにと教えられました。どこを向いても家の中は写真ばかり。まさに写真に囲まれて育ったと思います」と、三智子さん(55)は話す。

  • 東京駅丸ノ内駅舎の今昔を描いた2人の作品

 三智子さんは、その後東京芸大の日本画科に進み、プラチナ箔と墨を使って陰影を付けるオリジナルの「プラチナ画」を生み出した。今回の親子展では、畦草さんが1959年に撮影した東京駅丸ノ内駅舎の現在の姿を、三智子さんが絵画で表現豊かに描いており、その新旧対比もユニークで面白い。

 「まずは父の写真ありきですが、その撮影場所に立って時間の経過について思いを巡らせていると、どういう手法であれ、記録することの大切さに改めて感じ入りますね」と、三智子さん。

 記録することにこだわるのは、硫黄島出身の母親の体験とも関係している。中学生だった母親は、硫黄島の戦いで守備隊指揮官だった栗林忠道中将に水などを提供した。その時残された言葉は、「いつか日本人にこの状況を含めて伝えてほしい」だったという。

銀座風景今昔展

  • 松屋屋上から国会議事堂を望む(1953年)

 企画展の副題に「銀座風景今昔展」とあるように、1950~60年代の銀座の写真がまとめて見られるというのも貴重な機会だった。

 1953年12月29日、百貨店の松屋屋上から撮影したのは、皇居の森から国会議事堂まで見渡した風景。バラックが軒を連ねる銀座の上空を、アドバルーンがいくつも泳いでいる。

 60年2月26日、銀座4丁目の三越の屋上から三愛ビルを俯瞰(ふかん)した写真では、皇太子の誕生を祝う街の雰囲気が伝わってくる。さらに、1961年8月19日、歌舞伎座前で撮影したのは、地下鉄・日比谷線の建設工事が始まった三原橋近くのにぎわいだ。

  • 三越屋上から三愛ビルを俯瞰して(1960年)

 「銀座の街は大好きでしたね。デパートのきらきらしたショーウィンドーに魅せられて、10歳でデザイナーを夢見る少女でした。街を闊歩(かっぽ)するおしゃれな大人の女性も華やいだネオンも、脳裏に焼き付いています。日本のめざましい発展の様子を誇りに思い、海外への憧れと同時に日本の伝統文化への関心にもつながって、それが日本画を学ぶきっかけになったように思います」と、三智子さんは語る。

  • 日比谷線建設工事中の歌舞伎座周辺(1961年)

 三智子さんは、7年前、I型糖尿病から合併症を併発し、透析を続けながら約20年間闘病生活を送った姉の初恵さんを亡くした。姉の看病を通じて知った京都大学の山中伸弥教授のプロジェクトに共感し、今回の企画展で販売した作品の収益は、同教授が設立した「iPS細胞研究基金」に寄付する。

 「おかげさまで、建築学科に進んだ娘も写真を勉強して、『おじいちゃまの記録写真はバイブル』と言っています。こうした自然なカタチで次世代に引き継ぎ、未来につなげていくことが何よりも必要だとも思うのです」。三智子さんの言葉に力がこもった。

 (読売新聞編集委員・永峰好美)

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2014.01.17

「銀座 立田野」…斬新!「ほっとあんみつ」

 国技館の升枡席に座ると、なぜおみやげにあんみつが入っているのか、ずっと不思議に思っていた。

 スイーツ通で有名な、芝田山親方のように、お相撲さんにあんみつ好きがいたのかなあ。そんな疑問がようやく解けた。

あんこはどこ!? 鉄瓶の中は…

 明治28年(1895年)創業の銀座7丁目にある老舗店「銀座 立田野」。そこは、元力士だった立田野竹枩(たけまつ)関がつくった甘味処(かんみどころ)。店名に、四股名がそのまま残っている。

  • 銀座の中央通りに面した銀座立田野の本店
  • 土俵でも活躍した立田野関。同社が作成した小冊子「あの頃に、いらっしゃい」から

 相撲人名鑑によると、立田野関は、富山県の出身。初土俵は明治7年で、19年まで続けた。最高位は前頭8枚目。廃業後は、魚河岸の荷揚げ人として働いて資産を築き、店を持つまでに至ったようだ。

  • 「ほっとあんみつ」は小さなお盆に載って登場
  • 鉄瓶から注がれるのは、あつあつの特製あんこソースでした

 当初は日本橋にあったが、大正13年、関東大震災後、復興の象徴の場として注目されていた銀座に移転した。

 あんみつは、みつ豆みつまめと共に夏の風物詩とされ、俳句では夏の季語。高浜虚子は「蜜豆をたべるでもなく よく話す」と詠んだ。

 確かに、透明な寒天がたっぷり盛られているところなど、涼しげな印象が強い。立田野でも、売上げの約7割は暑い夏の季節が占めるそうだ。

 そのあんみつを、冬でもおいしく、いや、冬だからこそのアレンジでおいしさをパワーアップして提案しようと、同店では新スタイルのあんみつを売り出した。

 その名も、「ほっとあんみつ」!

 早速いただいてみた。

 お盆に載せられていたのは、たっぷりの黒みつが添えられた、いつもと変わらぬスタイルのクリームみつ豆。一緒に、鉄瓶がサービスされた。特別なお茶でも入っているのだろうか。それにしても、あんこが見えない!!肝心のあんこはどこへと思っていたら、鉄瓶の口から注がれたのは、小豆色の…・・・。そう、あつあつのお汁粉だった。

 「店で通常お出ししているお汁粉を基本に、今回の特製あんこソースは、薄過ぎず、かと言って、濃過ぎず。こしあんを湯で延していくだけなのですが、何度も何度も繰り返し、ようやく最高の濃度を見つけました」と、開発に携わった調理担当の山之内隆マネージャーは胸を張る。

 濃度は、通常のお汁粉の半分くらいらしい。上に載った冷たいバニラアイスクリームに、あつあつのあんこソースがかかって、徐々にとろりと溶け出し、寒天や赤エンドウ豆とからみながらやさしく包み込んでゆく。

 添えられたフルーツの中では、やはり肉厚でほどよい歯ごたえのあるアンズが一番好きだ。でも、缶詰みかんもあんこと一緒になると、柑橘系の甘酸っぱさが引き出されて、本来のフルーツらしさを取り戻しているような感じがする。みかん缶の味わい再発見、だ。

 最後の決め手は、濃厚な秘伝の黒みつ。味にコクが加わり、リッチさが増す。

こだわりの素材と職人技

 同社の「あんみつ」は、素材の一つひとつにこだわりがあるという。

 あんこに使うのは北海道産の小豆で、約5時間煮る。季節によって堅さや水分が異なり、練り方も違ってくる。それは、長年経験を積んだ職人だけがわかる感触だそうだ。煮立てたあんこの中にしゃもじを入れてすくい上げると、ツノが立つ。そのツノの出来でき具合を見て、出来上がりを判断する。手作りの職人技であるからこそ、可能なことなのだ。

 寒天にも特別なこだわりがある。あらめ、ほそめ、あおくさ。伊豆の3つの天草を使って、弾力を加減し、嫌みのない磯の香りを演出する。こちらも、愚直な手作りでないとできないことだ。

  • バレンタインデー用に期間限定で販売される「恋するあんみつ」

 そんな話を山之内さんから聞いていたら、職人さんの手の温かさが加わって、「ほっとあんみつ」がますますあったかく感じられた。

 「ほっとあんみつ」は、銀座本店のほか、東京・新宿の京王百貨店、渋谷の東急百貨店本店などでいただける。1200円。冬季限定。恐らく3月の初めくらいまで。

 また、同社では、季節によって練りきりなどで飾り付けをした期間限定のあんみつも、若者たちを中心に人気なのだとか。バレンタインデーには、ピンクのハートの練りきりが愛らしい「恋するあんみつ」が販売される。

 寒さが増す中、「ほっとあんみつ」を食べて、銀座でほっこりしてみてはいかがだろうか。

 (読売新聞編集委員・永峰好美)

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永峰好美のワインのある生活

<Profile> 永峰 好美 日本ソムリエ協会認定シニアワインエキスパート。プランタン銀座常務取締役を経て、読売新聞編集委員。『ソムリエ』誌で、「ワインビジネスを支える淑女たち」好評連載中。近著に『スペインワイン』(早川書房)