京都の老舗扇子店「宮脇賣扇庵」
祖母が観世流の能楽を趣味にしていたこともあって、幼いときから、色鮮やかな舞扇に囲まれて育った。だから、扇は大好きだ。
13歳の誕生日のことは忘れられない。それまでの小ぶりの童用と違って、大人と同じ大きさの扇子を祖母から贈られた。「そうか、大人の仲間入りかあ」と、ちょっと胸を張りたい気分になったものである。
銀座8丁目にある「
美濃国出身の初代が、当地で扇子の商いをしていた近江屋新兵衛から扇子屋の株を譲り受けて、京都で創業した。現在の屋号は、明治20年から。書画をたしなみ、文人墨客とも交流があった3代目新兵衛の時に、画家の富岡鉄斎が「賣扇桜」という京の銘木にちなんで名付けたのだそうだ。
東京に進出したのは戦後だが、現在の銀座8丁目に路面店を構えるようになったのは7年ほど前という。
元はメモ帳代わり
左手には、投扇興向けの扇子があった。扇子を投げて、台の上に立てられた的(蝶と呼ぶ)を落とし、点数を競う江戸時代の遊びだが、いや、なんて優雅な古典遊戯なのだろうか。当時の人々は、好みの色の扇子を買い求めて、ゲームに興じたことだろう。
店長の増渕義明さんに、まず、実物を見ながら扇子の歴史をうかがった。起源は平安初期にさかのぼる。
最初の扇子は、「
その後、扇面は上絵で飾られ、形状も洗練されて、宮中女子の間に広まった。女性たちにとっては、顔を隠し、恥じらいのポーズを取るとき、欠かせない小道具でもあったに違いない。
世界に広まった平安の知恵
紙扇の原型は、「かわほり」という。漢字を当てると、「蝙蝠扇」。扇を広げると、その形が
風を送る道具として、それまでウチワのようなものは中国や東南アジアに存在したが、折りたたみ、常に携帯できる扇子を生み出したのは、平安の日本人の知恵だった。
扇子の骨は、基本的には15本から45本。扇骨・扇面作りから、扇骨と扇面を組み合わせる作業まで、その工程は25ステージほどに分かれ、職人の手を87回通るといわれている。手間を惜しまぬ大変な作業だ。
最近では職人の確保がなかなか難しく、同店の白檀扇を造れる人はいま、日本にたった一人しかいないという。そう聞くと、白檀扇に12万円から30万円くらいまでの価格が付いているのも仕方のないことなのかもしれない。
45本の骨を使うタイプの誕生は昭和初期と比較的新しい。開くと180度まで広がって、大ぶりだ。一応男性用として作っているらしい。実際に仰いでみると、たっぷりの風を包み込むようにして運んでくれて、女性にとっても使い勝手がいい。仰ぐ動作も自然とゆっくりになり、それだけで気持ちがゆったりしてくる。
洒脱なアイテムがずらり
銀座限定の商品としては、柳をモチーフにしたシリーズが素敵だった。裏面に、銀座界隈の地図がさりげなく書かれていたりして、手土産によさそう。地方の友人・知人には、扇状のハガキに一筆書いて送るのもしゃれている。
変わり種として、利休百首が書かれた扇子を発見。「三得扇」と呼ばれている。茶人たる者の心得百首が書かれているのだが、親骨には尺の物差し(扇子の世界ではいまだに尺寸を使っています)の目盛り、また、親骨の先端からは掛軸を掛けるための棒状の道具、
「習ひつつ見てこそ習へ習わずに 善し悪し言ふは愚なりけり」など、茶人でなくても肝に銘じたい言葉であふれている。
さて、いろいろ見て回って迷いに迷ったあげく、私が自分用に購入したのは、子羊の皮製の扇子。7980円。
もともと紳士用シャツの胸ポケットに収まるようにと作られたものだが、ストラップも付いていて、男性に独占させておくのがもったいないほどかわいい。さすが皮製で、小ぶりながら送風パワーも十分。黒、茶、白、ピンク、オレンジの5色から、私はエネルギッシュなイメージのオレンジを選んだ。
ちなみに、有名なグランドメゾンでも、似たタイプの扇子を見つけた。日本だけでなく、世界の市場でもこのおしゃれな扇子は人気らしい。
暑い季節を元気に乗り切るため、この夏は平安朝の日本人の知恵を改めて見直してみてはいかがだろうか。
(プランタン銀座取締役・永峰好美)