2014.12.05

世界に真珠を発信~銀座と共に歩むミキモト

  • 林陽一撮影

 東京・銀座の冬の風物詩としてすっかり定着している銀座4丁目のミキモト本店前のジャンボクリスマスツリー(写真左)が、今年で見納めになると聞いて、とても寂しい。

 今年は、高さ約10メートルのモミの木に、約6500個のマルチカラーLED電球が輝く。根元にはパールネックレスをかたどった光るオブジェが置かれ、1976年以降の歴代クリスマスツリーの映像などが映し出されている(イルミネーションは12月25日まで)。

 今年で見納めになるのは、100年以上もの間、銀座の街を見つめてきた同本店が、来年1月から建て替え工事に入るからだ。本店6階のミキモトホールでは、12月30日まで、「銀座から世界へ、世界からGINZAへ <銀座と共に歩むミキモト>展」という回顧展が開かれている。明治の開業当時から現在に至るまでの貴重な歴史資料を見ることができて興味深い。

世界で初めて真珠の養殖に成功

 世界で初めて真珠の養殖に成功した御木本幸吉が、銀座(弥佐衛門町=現並木通り)に「御木本真珠店」を構えたのは、1899年(明治32年)のこと。1906年には、現在の本店がある表通りの銀座通りに移転、白い石造りの2階建て洋館のモダンな店舗は「真珠色の店」と呼ばれ、たいそう評判だったらしい。

 幸吉は、エピソードの多い人でもある。

 養殖真珠の発明者として世界でも知られるようになった幸吉は、27年(昭和2年)、欧米視察の際にニューヨーク郊外のエジソン邸を訪問する。エジソンは贈り物として渡されたミキモトパールを見て感嘆する。「わが研究所でできなかったもの、それは、一つはダイヤモンド、もう一つが真珠。あなたが、生物学的に不可能だとされてきた真珠を発明し完成されたことは、世界の驚異です!」と。当時の「ニューヨーク・タイムズ」にこの話題が掲載され、米国でもミキモトパールの人気が高まった。

  • 1906年に完成した「真珠色の店」は、白亜の洋館で大評判に

  • 明治時代の店舗の内観を再現したコーナー
  • 大正から昭和初期の展示コーナー

積極的に海外出店…毎日地球を3周

 海外出店に関しても積極的だった。大正から昭和の初めにかけて、ロンドン、上海、ニューヨーク、パリ、ボンベイなどに支店を展開。ナポリで購入した地球儀が大のお気に入りで、高齢になっても、地球儀を回しては、「私は毎日地球を3周している」と言っていたという。

 幸吉が、真珠養殖に成功した6年後、洋風文化の新風が吹く銀座の地に出店したのは、時代の変化を敏感に察知するためだった。事業をグローバルに発展させる経営戦略を念頭においてのことだったに違いない。

 「真珠色の店」で接客にあたったのは、全員男性。硬い仕上げのぱりっとしたワイシャツに背広を格好良く着こなしていた。店内には、夏は扇風機を、冬はストーブを完備。お客さまができるだけ長時間くつろげるようにと工夫されていた。2階にはゆったりとした貴賓室を設け、養殖真珠ができる過程がわかる標本などが飾られていた。当時、真珠製品を求めて来店する外国人が多く、同店の主任が海外の有名宝飾店を視察してサービスのあり方を研究、その経験を生かしたものという。

 店舗開店の翌1907年(明治40年)には、図案室を新設。ジュエリーデザインのほか、店頭装飾のディスプレーや広告の専属デザイナーを迎え入れている。こうした取り組みは、当時の東京でも極めて珍しいことだった。

  • 背広を着こなした男性従業員が接客にあたった
  • 1970年代、歩行者天国でにぎわう本店周辺

40年間で240作品…ショーウィンドー、道行く人にメッセージ

  • 現在のミキモト本店。1974年にショーウィンドーが設けられた
  • (上)2006年秋の「BIG NECKLACE」は好評だった(下)ユーモラスな「アリ」のディスプレー
  • (上)昭和初期の店頭風景。着物の帯留めを買う女性が多かった (下)1938年発行のカタログには、洋装向けのジュエリーが掲載されている

 銀座通りに面した本店の壁面に埋め込まれた現在のショーウィンドーは、幅2メートル50センチ、高さ50センチという小さな空間ながら、斬新な試みが発信されるので注目してきた。その精神は、明治の頃から受け継がれてきたものなのだと納得した。

 「ショーウィンドーは、単に商品をディスプレーするだけでなく、道行く人にメッセージを届ける、銀座の街との交歓の場と位置付けている」(ミキモト広報)そうだ。

 1974年に設けられて以来、40年間で240もの作品が発表された。特に話題になったのは、2006年秋の「BIG NECKLACE」と1992年夏の「アリ」。「アリ」は、リアルなアリのオブジェが列をなして真珠を運んでいる。どこかユーモラスで、忘れられない作品だった。「BIG NECKLACE」の現物展示のほか、過去の作品16点をデジタルデータで見ることができる。

 大正から昭和初期、銀座にモダンガールやモダンボーイが闊歩(かっぽ)した時代の展示は、躍動感が感じられて楽しい。

 資生堂のおしろい、和光の国産腕時計、銀座タニザワの絨毯かばん、安藤七宝店の七宝焼、カフェ・パウリスタのコーヒーカップ&ソーサー、伊東屋の鉛筆、山野楽器の歌集、田屋やギンザサヱグサのカタログなど、明治創業の銀座の老舗から、当時女性の間で流行した品々が出展されている。

 御木本真珠店のコーナーでは、洋装に合わせて使えるクリップブローチがカタログとともに展示。その繊細な細工には思わずため息が出てしまう。1937年から45年まで、同真珠店の北隣に開かれたネックレス専門店は、店長以下店員が全員女性。「職業婦人」の草分け的な店舗で、当時の写真からはいきいきと働く女性たちの姿が(しの)ばれる。

 新しい本店が完成するのは、2017年春の予定。銀座の新ランドマークとして、どんな試みが登場するのか、楽しみだ。ぜひ、年末のジャンボクリスマスツリーの復活も……と願いたい。

 (画像はミキモト提供)

 (読売新聞編集委員・永峰好美) 

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永峰好美のワインのある生活

<Profile> 永峰 好美 日本ソムリエ協会認定シニアワインエキスパート。プランタン銀座常務取締役を経て、読売新聞編集委員。『ソムリエ』誌で、「ワインビジネスを支える淑女たち」好評連載中。近著に『スペインワイン』(早川書房)