留学先での出会いが運命を決めた
東京・銀座で、ドイツワインのみを取り扱っているユニークな名物店がある。
創業27年目を迎える「銀座ワイナックス」。主人の星野和夫社長のまたの名は「ドイツワイン大使」。ドイツ国家功労十字勲章を受章するなど、ドイツで最も有名な日本人の一人だ。
学生時代の1970年代初め、ドイツ語習得のために行ったベルリンで、ベルリンフィルの演奏に心底魅せられて、結局8年間も滞在してしまったというドイツ好き。そのとき知人宅で出会った黄金色の飲み物が、和夫さんのその後の人生を決めることになる。
「ハチミツどころではなく深く甘い味わい、ブドウからとは思えない魅惑的な香り。神々の飲み物『ネクター』とはまさにこれに違いないと思えた」と、あるエッセイで振り返っている。
それが、トロッケンベーレンアウスレーゼ、つまり貴腐ワインだったのだ。
生産地を回り、ドイツワインの多様性にますますとりつかれていくが、帰国した日本には、ドイツワインの本がほとんどなかった。「こんなに素晴らしいものは、何とかして皆に知らせなければならない」と、「ドイツワイン全書」(柴田書店)を翻訳して出版する。さらに、「能書きばかり吹聴してもワインは広まらない」と、使命感に燃えて、ドイツワイン専門の輸入会社を設立する。
これが、現在の「銀座ワイナックス」の始まりである。
夫婦二人三脚で苦境を乗り越え
江戸西音(えど・さいおん=エドワード・ウェストーン)のペンネームを持ち、ドイツで写真集を出版するなど、芸術家肌の和夫さんを、営業面から支え、二人三脚でドイツワインの普及に努めてきたのが、専務取締役で妻の育子さんだ。
育子さんは、10歳の誕生日に姉からプレゼントされたジュリアス・ベーカーのコンサートでフルートの音色に魅せられ、フェリス女学院でフルートを専攻。仲良しの幼なじみの兄だった和夫さんとは、音楽好きという共通項で結ばれた。
「最初は、東京・綾瀬の自宅近くに、3坪程度の小さな店を開いたんです。ところが、開店してまもなく、オーストリアワインに有害なジエチレングリコールが混入されたというワイン・スキャンダルが起こり、また、チェルノブイリの大惨事が続きました。ドイツワインの販売の環境は最悪で、苦労しました」と、育子さん。
あるデパートでは、一週間毎日、自らテイスティングしているところを見せて、安全で安心なワインであることを訴えたという。
「世界の人が集う銀座に店を」と打って出たのは、それからほどなくのことである。
生産者を訪問して選定
「ワインはすべて、夫と私で生産者を訪問し、保存料のソルビン酸を使っていない優良なものを厳選しています。低温コンテナの船底を指定して運び、自社の低温倉庫で貯蔵・熟成させて、常に飲み頃を提供できるようにしているんですよ。倉庫には10万本近くあるかしらねえ。だから、ほんと、おいしいでしょう」
育子さんは、愛嬌のある丸い目でこちらをじっと見つめながら、情熱的に語り続けた。
とはいえ、フランスやイタリアのワインと比べると、日本では、ドイツワインの人気はいまひとつ。「大量に生産される甘口の安ワインのイメージが強いんですね。残念なことです」
「すしとワインの新しいカタチ」
力を入れているのが、「楽飲会」と称するワイン会。特に、「すしにはワインの中でもドイツワインが一番合う」という和夫さんの持論のもとに10年間続いている、「すしとワインの新しいカタチ」という催しは、毎回盛況だ。
ちょっとのぞかせていただいた。
子持ち昆布にはすっきり辛口のゼクト(スパークリング)、ヒラメにはバーデン産のヴァイスブルグンダー(ピノ・ブラン)、ウニにはよく熟したやはりバーデン産の香り高いゲヴェルツトラミネール、脂ののった大トロには樽香が強くない赤を、といった具合である。特に、ウニとゲヴェルツは、「なるほどねえ」と感心させられた。
「ヒラメと組み合わせるワインは、ヘンズブレヒ伯爵家のミヒェルフェルダー・ヒンメルベルクがこのところの定番。これ、メルケル首相も愛飲しているものです。甘過ぎず辛過ぎず、実にエレガントで、いいねえ」と、和夫さんは目を細めた。
この試みは、ドイツでも、「すしセレモニー」として好評だったそうだ。
「自分の存在を主張しすぎず、ハーモニーを保って、いつでも素晴らしいパートナーになれる。それが、ドイツワインです」。音楽を愛するドイツワインの伝道師、星野夫妻はそう口をそろえた。
(プランタン銀座取締役・永峰好美)