美食の国、フランス大統領府のエリゼ宮に招かれた賓客に供される食事って、どんなものなのだろう。以前から並々ならぬ関心があった。
映画「大統領の料理人」…ダニエル・デルプシュさん
9月7日から東京・銀座の「シネスイッチ銀座」などで公開の映画「大統領の料理人」は、1988年から2年間、ミッテラン大統領のお抱えシェフとして活躍した女性料理人、ダニエル・デルプシュさんの実話をベースにした物語である。
フランス・ペリゴール地方出身の彼女は、伝統の郷土料理を教える料理学校を設立、自宅でも小さなレストランを運営していた。そんな彼女がエリゼ宮入りしたのは、有名シェフのジョエル・ロブション氏の推薦によるものだった。当時大統領は、私生活では、過剰な装飾を排し、素材そのものを生かした<癒しの料理>を求めていたようなのだ。
デルプシュさんは、大統領のシェフを務めた後も、南極調査隊の料理人として同行したり、地元特産のトリュフ生産に適した場所を見つけるために世界中を飛び回ったり。とにかく精力的な女性である。
映画に登場する料理は、当時彼女が作ったメニューを忠実に再現したものなのだとか。「チリメンキャベツを使ったサーモンファルシ」など、観ているだけで、お腹がぐうぐう鳴ってしまいそう・・・。
ただ、彼女はあくまでもミッテラン大統領のプライベート・シェフだったのであって、エリゼ宮の美食外交を支える料理人集団は別にいる。
エリゼ宮料理長のベルナール・ヴォション氏来日
今年2月、東北被災地支援のイベントで来日した、エリゼ宮料理長のベルナール・ヴォション氏に話を聞く機会があった。
氏は、菓子を作るパティシエとしてスタートし、在オランダや在英国の大使館勤務を経て、1974年にエリゼ宮入り。2005年から料理長を務める。現在のオランド大統領で6人目の大統領に仕えている。
「エリゼ宮には20人の料理人がいる。フランスの食材を使うのが基本だが、伝統のフランス料理を頑なに守るというよりは、時代とともに新しい調理法を取り入れている。クラシックもあれば、ヌーベル・キュイジーヌ、フュージョンまで、幅広い。国賓を迎える時には、執事長からまず好みや宗教上の制約などの情報を得て、きめ細かな配慮をする。数種類のメニューを考え、最後は大統領に決めていただく。オランド大統領は日本料理も好みで、家族と囲むプライベートな食卓では、寿司や刺身など、日本的なテーストを取り入れることもある」などと話した。また、東北地方の食材の現場を視察して、特に福島のイチゴの甘みと香りが素晴らしかった、とも。
ヴォション氏とともに、モナコ宮殿料理長のクリスチャン・ガルシア氏も来日し、宮城県気仙沼で船に乗り込み、ワカメを収穫した体験を興奮気味に話していたのが印象的であった。
「ワカメは今後、モナコ大公の食卓に確実にのることになるでしょう。珍しい魚が多く、ドンコを使った汁物は絶品だった。酒粕も興味深い調味料だが、オリーブオイルで私なりの地中海風味付けをしてもおいしいのではないかと思っている」と語った。
エリゼ宮所有のワインオークション
さて、エリゼ宮の話題をもう一つ。今夏注目されたのが、ワインセラーのオークションのニュースであった。
1947年に設けられたセラーのワインは、1980年代半ばまで、大統領個人の所有で、時の大統領の好みと趣味に沿ってそろえられたため、特定の銘柄に偏りがあった。西川恵著「エリゼ宮の食卓」によれば、大統領が辞任する時、ワインも一緒に持ち去るため、また一からそろえ直す必要があったという。料理にふさわしいワインリストの構築が長年の課題だったのである。
セラーを大統領個人の所有からエリゼ宮に移し、そのための予算措置が講じられるようになったのは、ミッテラン大統領時代の1980年代半ばからのようだ。
かくして改めて収集されてきたわけだが、セラーの備蓄ワインのほぼ1割にあたる1200本を放出し、オークションにかけるというニュースが突然発表されたのは今年5月のこと。厳しい財政難に直面する仏政府が、緊縮政策のお手本を自ら示そうとの試みだった。
こうした政府の方針に対して、フランスの著名なワイン収集家らからは「我国の遺産の一部である貴重なワインが他国の富豪に売り払われることは遺憾だ」などと反発の声も少なからず上がっていた。
オークションは、エリゼ宮にとって初めての経験である。落札価格は総額で25万ユーロと見積もられていた。5月30日と31日の2日間、パリのホテルを会場に競売にかけられ、実際には、見積もりの3倍近い71万8800ユーロ(約9400万円)を売り上げた。最高価格は、1990年の「ペトリュス」で、7625ユーロ(約100万円)の値がついたという。値段をつり上げたのは、中国人やロシア人だったともいわれている。
仏政府はこの売却代金で新たにお手頃ワインを買ってセラー内を入れ替え、余った資金は政府予算に繰り入れると伝えられている。
注目の落札…銀座でお披露目
果たして、どんな銘柄のワインが落札されたのだろうか。
オークションの最高入札者の一つ、出品されたうちの18パーセントを落札した「ピーロート・ジャパン」(東京都港区)は、計166本を入手した。そのワインが日本に届き、7月には銀座の「ベージュ アラン・デュカス東京」でお披露目会も開かれた。
1952年「シャトー・マルゴー」、1961年「シャトー・ラフィット・ロートシルト」、1964年「シャトー・オー・ブリオン」、1982年「シャトー・ラトゥール」…。
さすが、すごい銘柄の偉大なヴィンテージが並ぶ。来歴を証明するため、「エリゼ宮」と競売の日付が記載されたラベルが全ボトルに貼られていた。
同社代表取締役営業部門担当で、オークションを指揮したローラン・フェーヴル氏は、「1961年のラフィットを例にとっても、エチケット、状態共に完璧。経年によるワインの目減りも見られない。この保存状態の良さで、いかに素晴らしいセラーであるかが推測できる」と、胸を張った。ちなみに、同社で落札した最高価格は、1985年「ペトリュス」で、約65万円で販売された。
エリゼ宮の饗宴を再現
この日、プレス向けにサービスされたのは、4本のエリゼ宮ワイン。1998年「ピュリニー・モンラッシェ シャンガン」(メゾン・ルイ・ジャド)、1990年「ドメーヌ・シュヴァリエ・ブラン」、1978年「ボーヌ クロ・デ・ムーシュ」(メゾン・ジョセフ・ドルーアン)、1990年「ラトリシエール・シャンベルタン」(ドメーヌ・フェヴレイ)であった。
「ピュリニー・モンラッシェ」は、黄金色に色調が変化し、豊潤な香りに広がりがあって素晴らしかった。78年の「クロ・デ・ムーシュ」は、硬さがなくなり、やさしく包み込むような味わいが楽しめた。
料理は、エリゼ宮で働いた経験のあるシェフが、来賓向けに使われたメニューを日本の食材でアレンジして再現してくれた。コンソメのジュレのアミューズ・ブッシュに始まり、タカベと季節野菜のエスカベッシュ、日本海スズキのオーブン焼き・オリーブオイルとレモンの香りを付けたジロール茸とインゲン、佐賀県産酵素豚ロースのア・ラ・ブロッシュで締めである。メニュー冊子の装丁は、エリゼ宮の饗宴と同じ仕様。ルーブル美術館の所蔵絵画で、今回はギュスターヴ・モローだった。
ピーロートが落札したワインは7月12日から販売がスタートし、ほぼ完売したらしい。あのペトリュスはどんな人が購入したのだろうか。自分で手が届く金額ではないにせよ、ちょっと気になるこの夏の話題であった。
(読売新聞編集委員 永峰好美)