東京・銀座の街をぶらぶら歩きながら、銀座で商いをしている人たちがよく使う「銀座らしさ」って何だろう?と考えることがある。7年ぶりに新聞社に戻り、仮社屋のある東銀座の周りを探索しつつ、改めて考える機会があった。
4月6日付の小欄で、銀座街づくり会議・銀座デザイン協議会が「銀座デザインルール」の第2版を出版した話題を紹介した。
銀座における街づくりのルールは二本立てで、一つは、法的な強制力に裏打ちされた地区計画など行政のルール。もう一つは、銀座の人々が昔から継続してきた、何事も話し合うという日本型の物決めのルールである。「二つのルールは表裏一体で、銀座という街を支えている」と、このほど開かれた同会議の報告会で、アドバイザーで慶応大学教授の小林博人さんは強調した。
その延長線上でデザインルールが作られ、銀座地区では、新築される建物や屋外広告などの工作物について、そのデザインや色が銀座の街にふさわしい景観を作っているか、「銀座らしさ」を損ねていないか、事前に地元の人々と協議されることになっている。
数値や言葉の定義では規定できないデザインルールが導入されるまでの経緯を、ちょっと振り返ってみよう。
大規模開発で銀座に超高層ビル!?
銀座街づくり会議企画運営担当の竹沢えり子さんによれば、銀座地区で、建物の高さを56メートルまでに制限するとした地区計画「銀座ルール」が導入されたのは、1998年。中央区と銀座通連合会が協議の末、通りごとに容積率、高さ、壁面後退を定めた条例である。ところが、総合設計や特定街区の例外事項が認められていたため、2003年、銀座の人々にとって想定外のことが起こった。その前年に制定された都市再生特別措置法に依拠して、200メートル近い超高層を含む大規模開発が銀座通りの6丁目で提案されることになったのだ。
「ほかにも、大規模開発の案件がいくつか登場してきて、当時の『銀座ルール』のままではいつの間にか街が大きく変化してしまうのではないかという危機感をもつようになったのです」(竹沢さん)
前後して、銀座通連合会の80周年記念事業で「銀座まちづくりヴィジョン」が発表された。銀座全体で銀座をどういう街にしていくか、専門家と地元の人々とが話し合える場づくりが求められるようになってきた。こうして、2004年、「銀座街づくり会議」が発足する。
そのうちに、「高さや容積率は問題ないけれど、このデザインは少々銀座にふさわしくないのではないかといった案件が出てきました。結局、事業者や建築家を呼び出して、何度か議論することになりまして。そこで2年後に誕生するのが銀座デザイン協議会の仕組みでした」(竹沢さん)。
では、実際に、デザインルールはどのように活用されているのだろうか。
ユニクロ、資生堂、大黒屋らデザインを変更
2006年の銀座デザイン協議会発足以降、現在までに協議された案件は約700件。広告デザインの変更が、その多数を占める。
報告会で小林教授が挙げた事例をいくつかご紹介すると――
▽際立ちすぎる色の使用や組み合わせを避けて、周囲の街並みに調和する配色になるように工夫する。銀座通りに進出したカジュアル衣料のユニクロ1号店は、企業のテーマカラーである赤を使ったファサード案を、最終的には白に変更した。
▽銀座通りの高級ジュエリーのモーブッサンは、ブランドイメージの表現として、大柄の花柄模様をファサードに直接貼り付ける方法をとる予定だったが、周りとの調和を考え、透明ガラスの内部に模様を描くことで柔らかい間接的な表現に変えた。
▽銀座4丁目交差点の「大黒屋」の広告は、ズバリ商品が登場するデザインを見直し、文字サイズも縮小して、落ち着きのあるものにした。
▽工事中の仮囲いも、華やかな通りのにぎわい感を演出する重要な要素。資生堂のデザインは、当初、唇部分がもう少し大きく強調されていたが、近隣からの要望で小さく修正した。
▽住生活関連産業のリクシルは、屋上広告の企業ロゴの色調を抑えめに。同社の所在地は京橋地区なので、本来は銀座ルールに従う必要はないのだが、自主的に配慮がなされた。
話し合いで「銀座らしさ」共有
銀座デザイン協議においては、チェックリストが用意されている。「使われている素材や色は銀座のにぎわいと風格ある街並みにそぐわないものではないですか?」「周囲から突出した内容の看板デザインになっていませんか?」などだが、項目を一つ一つ厳密にチェックするというわけではなく、互いに、「これは銀座らしくないんじゃないですか?」「ああ、そうかもしれませんねえ」といった風に、あうんの呼吸で決着していくのだという。
どういう形であれ、銀座という街に関わっている人たちを包み込む、この独特の空気感……。今後も、いくつもの話し合い事例を積み重ねつつ、「銀座らしさ」を象徴する銀座デザインルールは、柔軟に進化していくに違いない。
(読売新聞 編集委員・永峰好美)