ギターを弾きながら歌うことができるフォーク酒場が、最近人気だと聞いた。客は40~50代のサラリーマンを中心に、元気な“アラ還”世代の姿も目立つ。
その象徴的な存在ともいえるのが、東京・新宿区の「風街ろまん」。ちょい弾きオヤジの巣窟として知られている。
常連さんたち、風街オールスターズがバンドを組んで、年に一度、会場を銀座に移して開催する「風街ろまんオータムライブ」も、今年で10回目。舞台のあるパーティースペースを借り切って、40組80曲、9時間のロングライブである。
その案内には、こうあった。
「今までのライブで演奏したフォークの楽曲は数えたら655曲、しかし……よくもまぁ……飽きもせず……いつまでも青春をやってる中高年が……昭和の化石が……いるものですねぇ! 本当にびっくりですねぇ。70年代がオヤジに与えた多大なる影響かな?」
曲目を少しだけ紹介してみると――「二十歳になったら」「田園」「卒業写真」「真冬の帰り道」「けれど生きている」「学園天国」「眠れない夜」「飲んだくれジョニィ」「関白宣言」「どうしてこんなに悲しいんだろう」などなど。“おとな世代”にとっては、思わず口ずさんでしまう曲ばかり。
10月初めの週末のライブ、私は、先日十数年ぶりに再会した落語家の古今亭菊千代さんが出演するというので、出かけてみた。そう、風街オールスターズには、女性もいるのです。御歳55歳。同い年である。
披露宴の翌朝「結婚、やめましょう」
今回のライブでは、「学園天国」など2曲を熱唱、さらに、オヤジたちと組んでドラムスまで担当した。いや、高座に上がるときとまた違った、若干緊張感漂う引き締まった表情……カッコよかった!
菊千代さんは、1993年に先輩の三遊亭歌る多さんとともに、女性落語家として初めて真打ちに昇進。現在は浅草演芸ホールや上野鈴本演芸場などでの定席出演のほか、東京拘置所で話し方教室を毎月開催するなど、多彩な活動を続けている。
初めて菊千代さんを取材したのは20年ほど前で、真打ちになる数か月前のことだった。その時に聞いたエピソードは忘れられない。
当時からさかのぼること、10年前。東京の出版社のOL5年目の春、思いを寄せてくれる人がいて、とんとん拍子で結婚話が進んだ。式の1週間前、ふとしたことから彼の小さなウソがばれた。
学歴とか、ゴルフの趣味とか。少し不安になったが、いつかゴメンねと言ってくれるだろうと思って、披露宴に臨んだ。
仲良しの友人に囲まれての二次会、三次会。酒が入って気が大きくなったのか、彼のウソがエスカレートしていった。
そして……寂しくなった。
明け方、ホテルの部屋に戻って、菊千代さんは切り出した。
「結婚、やめましょう」
相手は度肝を抜かれたようだったが、話していくうちに納得し、最後は笑顔で別れたという。
取材から数日後、菊千代さんが大好きな
古今亭圓菊師匠に無理やり弟子入り
菊千代さんが落語に夢中になったのは、20歳のころ。小さい時から人前に出るのが好きだったのに、中学でも高校でも、学園祭の芝居で主役になれなかった。もっと美人で、もっと演技の上手な子がいたからだ。
大学に入り、友人に誘われて入ったのが落語研究会。一人で何役もできて、どちらを向いても主役。こりゃいい、と思った。
2年間稽古に励み、「落語家になりたい」と研究会が招いたプロの
そして、あの「幻の結婚」騒動以来、決断は早くなった。会社に辞表を出して、好きな古今亭圓菊師匠を追いかけ回す。東京・新宿の末広亭の裏でつかまえたのは、それから10日後。翌日師匠の家に呼ばれたとき、「もう年くっていて結婚にも失敗したから、女でも続けられます」と食い下がり、「断られたら、9階のベランダから飛び降ります」とまで言って、弟子入りを果たした。
見事に咲いた、大輪の菊の花
前座を4年、二ツ目を5年、そして、女性初の真打ちに。当時、「女っていうだけでの大抜擢」などと口の悪い落語家仲間から揶揄されたこともあったが、「だって、本当にそうなんですもの」とさらりと受け流していたことを、私はよく覚えている。
インタビューの最後を、彼女はこんな言葉で締めくくった。
「きっと咲かせてみます! 大輪の菊の花」
いま、大輪の菊はあでやかに花開いた。反戦・平和、女性の人権など、70年代、80年代的テーマにこだわりつつ、今年は被災地応援ツアーを何度か催し、旅を楽しみ、お酒を飲み、歌を歌い、インコと遊び、サンシンを弾き、着物のバーゲンに走る――そんな日常。
今夏、新しいクラブ活動としてスタートさせたのが、「GO GO! モンキーズの会」。1956年の申年生まれが55歳になったのを記念して旗揚げした会である。ちなみに、私も会員です。会員には様々な仕事や活動をしている人がいるので、そのうち何かムーブメントが起こるかも。ご期待ください。
(プランタン銀座常務・永峰好美)