切り立つ崖に築かれた街
南イタリアのナポリから車で2時間あまり。ソレントからサレルノまでの約40キロの海岸線は「コスティエラ・アマルフィターナ」と呼ばれ、世界で最も美しい海岸線の一つといわれている。
築地外国人居留地を取り上げた前回の小欄で、アマルフィについて触れた。今回は、機会あって10月に訪れた同地の旅リポートを写真中心でお届けする
ジグザグに入り組んだ断崖絶壁をなぞるようにして、バスは急カーブを突っ走る。透き通る
背後に険しい崖が迫る小さな渓谷の斜面に、家々がぎっしり高密度で、奥へ奥へと重なるようにして築き上げられているのが、アマルフィの街の特徴だ。
ピサ、ジェノヴァ、ヴェネツィアという北イタリアの海洋都市よりもいち早く、地中海を舞台にオリエント、北アフリカのイスラム世界との交易に活躍、10世紀には海洋都市国家として繁栄を極めた。
最盛期のアマルフィは、地中海世界の国々から多くの商人や船乗りらが集った。その華麗なる歴史の足跡、アラブ・イスラム世界とのつながりの深さは、今でも街のいたるところで散見できる。
砂漠の民の理想郷
ベテランのコーヒー職人がおいしいエスプレッソを入れてくれる店をあとに、港に開いた「海の門」を入ると、にぎやかな中心広場に出る。
その正面奥にそびえるドゥオモ(聖堂)は、アラブ独特のアート的要素を盛り込んだ美しいファサードで知られ、この街の景観を象徴する存在になっている。創建は10世紀だが、現在のものはオリジナルではなく、19世紀後半の再改築で実現したという。とはいえ、アラブ風の外観が実にわかりやすく理想化して造形されている。
入口中央にあるブロンズの扉は、11世紀にコンスタティノープルで
聖堂の左手奥の「天国の回廊」には、ただただ圧倒された。もともと13世紀、上流階層の人々の墓地として建設されたもので、2本の円柱が対になった尖塔型アーチが交差しながら続き、中庭の中央にはトロピカルな植物群が植えられている。砂漠の民の理想郷、ヤシの生い茂るオアシスのような静寂で不思議な空間が広がっている。
イスラム文化の色濃く
アーチの間から
目抜き通りには小さな土産物屋が軒を連ね、イスラム都市のスーク(市場)のように活気にあふれている。マヨルカ焼きの店やら、手すきの紙を売る店など、そぞろ歩きするのも楽しい。
今回の旅のコーディネーター、フォトジャーナリストの篠利幸さんの案内で、ドゥオモの下にある古いレストランに出かけた。ムール貝がたっぷりのった魚介類のパスタ、小型イワシ、アリーチ(イワシの一種)のマリネ、イカとジャガイモの煮込み、エビのレモングラスソース……。どれも地中海の味覚でいっぱい。特産のレモンチェッロで締めくくった。
リゾート向き「ポジターノ・スタイル」
翌日は海岸線を西に、ポジターノに向かう。海へと続く急斜面に色とりどりの家々が連なる、絵画のように美しいリゾート地だ。
歴史はローマのティベリウス帝の時代にさかのぼる。海賊の襲撃によって住みにくくなった近隣の土地からの避難民によって建設された街という。9~11世紀にはアマルフィ共和国の一部になって経済発展し、16世紀には中東に絹や香辛料を輸出、街は豊かになった。1960年代、レースと刺繍をほどこしたリネンのファッションが注目され、リゾート向きの「ポジターノ・スタイル」は今でも健在だった。
曲がりくねった白く細い路地が複雑に入り組み、あちこちに頭上を覆うトンネルがあって、光と闇とが交錯している。そんなところは、アマルフィとも共通しているようだ。
アマルフィ沿岸では、土地と気候の特性を活かして、ワイン造りも盛んである。「コスタ・ダマルフィ」という名の原産地呼称表示を認められている土地の一つが、フローレという地域である。ポジターノからの帰りにちょっと立ち寄った。
「フローレ(furore)とは、激情、猛烈など、気性や気候が激しい様子を指す言葉。フィヨルドの入り江に響く嵐の波音に由来するというが、その海岸は、美しく穏やかであった。
(プランタン銀座取締役・永峰好美)