可憐で美しい色のグラスに一目ぼれ
あまり高価なものは買えないが、アンティークを見るのが好きだ。
最近手に入れたのが、このバカラのアンティークグラス。カットが美しく、重厚さのある現代のバカラのグラスもいいけれど、アンティークの繊細で可憐な造り、それに美しい赤と緑の色調に一目ぼれしてしまった。きめ細かな泡立ちのシャンパーニュを注いで、休日の昼下がりを楽しんでいる。
銀座には骨董や、西洋のアンティークジュエリーなどを手がける店が数多い。間口が狭くて中の様子がわかりづらいため、入るのを躊躇してしまう店も少なくないが、銀座6丁目、泰明小学校のすぐ近くにある「アンティークTEI(鼎)」は、明るくて開放的な雰囲気が心地よい。
バカラのグラスを買ったのは、この店がプランタン銀座で年数回開かれる「アンティークバザール」に出店していた時だった。
改めて店に伺うと、社長の中山弘子さんと、息子で副社長の中山弘一さんが、にこやかに迎えてくれた。
店内には、日本のものと西洋のものが半々ぐらい。「息子が本格的に買い付けに加わるようになってから、洋ものが増えていますかね」と、弘子社長は話す。
本物を見て目を肥やそう
私にもわかりやすいアンティークジュエリーなどを、いくつか見せてもらった。
1700年代後半に造られたというダイヤモンドのブローチはインドから。1700年代といえば、ムガール王朝。インドが経済的にも文化的にも繁栄した時代である。どんな王侯貴族がこのブローチを身に付けていたのだろうか。
18金の縁飾りに大粒パールが散りばめられたカメオのブローチは、シックな紫色のアメジスト製。1860~1880年代のフランスのもの。直線的でシャープなイメージのダイヤモンドのブローチは、アールデコ時代のフランス製。黄みがかった色合いがなんともエレガントだ。
ドームとガレのアンティーク・ランプは、この光の下で、グラスを傾けながら音楽を聴いたら、さぞ優雅な気分になるだろうと空想をかきたててくれる。
値札をみると、数百万円。私が購入したバカラのグラスよりもゼロの数が2つほど多い。
「なかなか庶民には手が届きませんねえ」とため息をついていると、弘子社長は、こう言った。
「本物を見ていないと、目が肥えませんよ。本物を知れば、
留学先のアメリカで骨董の道に目覚めた2代目
2代目社長の弘子さんは、興味深いエピソードの持ち主だ。
戦後、実家は東京・目黒で骨董の店を開いていた。高校時代は、掛け軸を巻いて小遣い稼ぎ。骨董の作法は自然に身につけていたが、家業を継ぐ気はなかった。
学生時代、交換留学生として米西海岸のサクラメントに滞在。帰国前、憧れのニューヨークに立ち寄り、骨董店でほこりをかぶったままになっている刀の
先代である父親の信用を取り付け、父娘でニューヨーク通いを続け、
もちろん、順風満帆なことばかりではなかった。
「かなりの儲けをなくしたこともありました。それで、ニューヨークに店を出す夢は破れ、こうして働き続けなくてはならなくなっちゃったのよ」と、冗談交じりに笑う。
歴史を知り、母の仕事に惹かれ
目黒から銀座に店を移して、約8年。先代からの常連客に加え、「銀座に出掛けたついでにと寄ってくれる新しいお客様が増えて、幅広い層の方々に出会える。この仕事、とても楽しいんです」。
柔らかな物腰でそう語るのは、副社長の弘一さん。音楽大学でフランス歌曲を学び、背景にある歴史を知るうちに、身近に接していた母の仕事に惹かれていったという。宝石鑑定の資格も取った。
フランス語が堪能で、年4回、フランスの国営オークションをはじめとする海外買い付けに出掛ける。
「アンティークをご縁に、お客様から、ミュージカルやオペラを披露する機会をいただくこともありまして……」
一つひとつに物語のあるアンティーク。その物語が、人の輪も広げていくようだ。
ちなみに、69回目を迎えるプランタン銀座の「アンティークバザール」は、6月21日まで、本館7階催事会場で。「アンティークTEI」も出店している。
(プランタン銀座取締役・永峰好美)