GINZA通信アーカイブ

2009.05.29

都心であることを忘れさせる野の花の一群れ

すべて異なる葉の形、色の濃淡が魅力

  • 野の花の寄せ植え。何種類もの花が互いに引き立て合う

 「花は野にあるように」とは、茶匠・千利休が説いた言葉である。

 前回(5月22日掲載)に続いて、東京・銀座にある野の花専門店「野の花 司」の話題をお届けする。

 世の中にある多くの花屋さんは、オランダを中心とした切花の大市場で取り引きされる洋花・栽培の花を扱っている。「ちょうど野菜と同じ。温室栽培で季節感を消滅させ、店頭で扱いやすいようにと、いまは形状に手を加えることもできる。でも、まっすぐに造られた花を生けても、まるで棒を挿したようでしっくりしない。野の花の自然の造形美にこだわる花屋が都会に一軒くらいあってもいいのでは」――。女性オーナーのそんな思いから始まったのが、この店だった。

  • コナラや光岳キリンソウなどを組み合わせたコケ玉

 夏が近づくと、自然界には緑があふれる。よく見ると、丸かったりギザギザだったり、葉の形も様々だし、緑の色の濃淡もそれぞれに違っていて、興味は尽きない。

 読者のいくみさんからコメント欄に質問をいただいた。前回の写真で、同店スタッフの関原万里子さんが手にしていたものについての問い合わせである。

  • 草もの盆栽の緑は目にやさしい

 「銀座に咲いた野の花、かわいらしいですね。忙しい忙しいと、ついつい早足で歩いてしまいがちだけど、ゆっくりと野の花を探して近所を歩いてみようと思いました。ところで、写真でスタッフの関原さんが手にしている野の花がとっても気になるのですが。こんもり丸い形から察するにコケ玉ですか?」

 いくみさんのご指摘の通り、コケ玉です。コケ玉は、最近でこそ、観葉植物から木までいろいろなタイプが店頭に並んでいるが、同店では10年以上も前から扱っているそうだ。水分を好むコケのためにも、原則、湿地を好む植物を組み合わせてコケ玉に仕立てているという。

器によっても違う表情

  • 石仏に添えられた白竜

 写真は、コナラ、セキショウ、光岳キリンソウの組み合わせ。光岳キリンソウは、黄色の星型のかわいらしい花が咲く。ちょっと欠けてしまったけれど捨てがたいといったお気に入りの食器皿に載せたら、素敵ではありませんか?

 店の裏手に回ると、草もの盆栽の緑が目にやさしい。緑の葉をたぐり寄せると、根元に小さな愛らしい花が隠れるように咲いていた。木の盆栽の添え物的存在だった草もの盆栽が、こんなにいきいきとして、自然の風情を感じさせてくれるとは、新鮮だった。

  • (右)シャクヤクには銅製の花留め、(左)ミヤコワスレの剣山は炭

 おだやかなお顔の石仏に添えられた白竜の緑もさわやか。味気ないマンションのベランダを趣のある空間に変えてくれそうだ。

 野の花は、器によっても、まったく異なる表情を見せてくれる。同店の2階の展示スペースで、そのことを実感した。

 石の皿やどんぶり鉢、流木や廃材、編みかごなど花を盛る器をはじめ、剣山や花留めなどがずらり。既成のものにこだわらないユニークな発想であふれていた。

  • 器によっても表情が変わる野の花たち

 華麗な白いシャクヤク一輪が生けられていたのは、銅製の網型の花留め。可憐な紫色のミヤコワスレは、炭を剣山代わりに使っている。炭には水を浄化する作用もあり、水が腐りやすい夏の時期にはぴったりなのだそうだ。使い込まれた風の銅の赤も、炭の漆黒も、緑を引き立たせ、涼感を演出する。

  • 銀座の屋上にグリーンガーデンが広がる

 展示スペースの傍らには、野の花を眺めながらゆったりお茶を飲む場所がある。銀座空也の最中とお抹茶、黒豆抹茶みつ豆といった甘みから、辛党向きには、アシタバやフキミソの佃煮と日本酒のセットなども。

 3階の教室スペースをスキップして、狭い階段を上って屋上に出ると、ここは野原? 雑木林? 小さな水辺?

 ヤマボウシの木を中心にグリーンガーデンが広がっていた。向かいはデパートの銀座松屋という都会のど真ん中の立地をしばし忘れてしまいそう……。

 マンション住まいのベランダに、小さな野草の空間をつくってみたくなった。

 (プランタン銀座取締役・永峰好美)

 ◆野の花 司

 http://www.nonohana-tsukasa.com/home.html

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2009.05.22

コンクリート砂漠に咲く野の花

  • 店先はいつも季節の野の花でいっぱい

 東京・銀座のようなコンクリート砂漠の中で過ごしていると、季節のうつろいに鈍感になる一方だ。が、ビルの谷間に、ほんの小さな季節の移り目を発見したときの喜びは、かえって大きい気がする。

 銀座3丁目、銀座松屋のちょうど裏手にある「野の花 司」は、そんな喜びを感じさせてくれる店である。全国各地から「野にあるまま」の状態で届けられる花々が、それぞれに初夏の訪れを語っている。

  • 「野の花のことなら何でもおまかせ」の関原万里子さん

 野の花の専門店としてオープンしたのは、15年ほど前。店の女性オーナーは、新聞社系の出版部門に勤めた後、編集者として独立。「花屋さんの仕事」シリーズ(神無書房)をまとめているうちにその魅力にとりつかれ、「これは自分でやってみるっきゃないな」と思い立ち、店を出すことにしたという。

5月の連休が落ち着いたある日、カメラマンと2人、改めて取材に伺った。

 せつないまでに可憐な美しさ、そして、どこかで出会ったことがあるような懐かしさ……。

 スタッフの関原万里子さんが、一つひとつ丁寧に花の名前を教えてくれた。

 「あれもカワイイ、これも気品がある」と、カメラマンに撮影の注文を出しているうちに、かなりの枚数になってしまい、しかも、どれも皆様にお見せしたい!

 そこで、今回は、「GINZA版・初夏の小さな野の花図鑑」をまとめてみた。

 優しく、気高く、そして、たくましく。

 あなたは、どの花がお好きでしたか?

 次回も、「野の花 司」の話題を続けます。

  • ワスレナグサ
  • ミヤコワスレ
  • ヒメツルソバ

  • ギンロバイ(銀露梅)
  • ヒメツキミソウ
  • ナニワイバラ

  • オオヤマレンゲ
  • マイヅルソウ
  • チョウジソウ

  • ツユクサ
  • ヒメライラック
  • ヒトリシズカ

 ◆野の花 司

 http://www.nonohana-tsukasa.com/home.html

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2009.05.15

「仏像ガール」が指南 ~仏像は「学ぶ」前に「感じる」

三越屋上のお地蔵さまにホッ!

  • 銀座三越屋上のお地蔵さまは癒される

 誰にでもホッと一息つける日常の安らぎスポットというのがあると思うが、私にとっては、東京・銀座4丁目の銀座三越屋上がその一つ。ここで出会えるお地蔵さまの顔を見ていると、なんとも癒され、自然に頬がゆるんでくるのです。

 正式には、銀座出世地蔵尊。三井家の守護神、三囲神社の分霊とともに祀られている。明治の初め、築地・三十間堀川の開削中、地中から地蔵菩薩の石像が発掘され、安置された4丁目7番地界隈は縁日などでたいそうにぎわったという。

 震災や戦火など数々の受難を乗り越え、デパート屋上に安住の地を見つけたのは1968年。近年外国人観光客も増え、英語の説明板には、「Ginza Guardian Deity(銀座の守り神)」とある。緑の植え込みの傍らに、ひっそりたたずむお連れの仏さまの表情もとっても柔らかく、小さなことにイライラしてしまった自分をしばし反省……です。

  • (左)緑の植え込みの中に立つ/(右上)お地蔵さまの隣には三囲神社の分霊/(右下)お連れの仏たち

 今年は全国的に秘仏の開扉が相次いでいる。長野の善光寺の前立本尊には、連休期間中多くの参拝者が訪れた。また、興福寺創建1300年を記念して、東京国立博物館平成館で開催中の「国宝阿修羅展」も、1日1万人以上の人が詰め掛けて大人気。売店で販売された本物の阿修羅像を模したフィギュアは、発売当日に1万5千体が完売したというから驚きだ。

 そんな折、「仏像ガール」というユニークな肩書きをもつ女性にお会いした。「最近なんとなく仏像が気になっている」という声を受けて、プランタン銀座のカルチャーセンター「エコールプランタン」で、仏像の楽しみ方1日レクチャーをお願いしたのである。

 大学で仏教美術を専攻、「仏像が大好きで、その魅力をもっと皆に知ってほしい」との一心で仏像に人生を捧げる「仏像ガール」さんは、本名・廣瀬郁実さん、29歳。

 中学3年の春、父親をがんで亡くしたことが転機になった。「お父さんはどこに行ってしまったの?」との思いから、死後の世界を求めてお寺巡りを始めた。横浜育ちなので、まずはご近所の鎌倉から。小遣いを貯めて、高校2年のとき京都へ出掛けた。

三十三間堂で涙した日

  • 笑顔がステキな仏像ガールさん

 三十三間堂を初めて訪れた日のことは忘れられない。「朝早く誰もいないお堂で、ぽろぽろ涙がこぼれてきた。日本人はなんてすごいことをしてくれたんだろう、こんな素晴らしい光景を見せてくれてありがとうって、ただただ感動でした」

 そんな仏像ガールさんのレクチャーに集まったのは、比較的若い女性が多かった。

 おとな世代には仏閣巡りのベテランもいらっしゃるだろう。かく言う私も、祖母の影響で、小学生のときから京都・奈良の仏像巡りに同行させられ、岡部伊都子さんの仏像本を愛読。自由研究に「仏像との出会い」などという渋いテーマを選ぶ不思議な子どもだった。今回は、若い女性たちに広まる昨今の仏像ブームを通して、改めて仏像と素直に向き合ってみたくなった。

 「仏像のイメージって何?」

  • 仏像ガールさんの仏像を感じる本

 仏像ガールさんがそう問いかけると、参加者から様々な答えが返ってき。「ミーハー的かもしれないけれど、SMAPの香取慎吾君みたいな如来顔が好み。軽い気持ちでカッコいい仏像に出会いたい」

 「よく博物館に出掛ける。崇高で、見ていてホッとする」

 「5年前、いろいろ考えることがあって京都奈良へ一人旅。広隆寺の弥勒菩薩を見たら、涙が止まらなくなった。以来、一年に一度は弥勒さまの前に座る。対人間では得られない優しさに包まれて、迷いをふっきることができる」

 「伝統の街並みを旅するのが好き。薬師寺の日光月光菩薩には、崇高さだけでなく、後ろ姿になまめかしさを発見した」

 それぞれに、とても熱いのだ。

大切なのは出会うこと

  • 有楽町駅構内に鎮座する有楽大黒

 仏像ガールさんは言う。「知識がないからわからない、軽々しく好きといってはいけない……。そんなお便りをたくさんいただきますが、『全然詳しくないけれどホッとします」でいいんです。大切なのは、会うこと、感じること。お勉強は後回しにしましょう」

 レクチャーでは、12枚の仏像のスライドを見た。まずは、深く考えず、最初に感じたことをメモする。どっしり落ち着いた大仏から、スリムな薬師如来、喝を入れられている気分になった四天王、愛らしい子どもの弥勒菩薩まで。私のメモには、「不細工」「近づきたくない」などのマイナスイメージの言葉もいくつか。

 「それでいいんです。ありがたいものだから、気持ち悪いとか怖いとか、失礼な表現をしてはいけないって思う必要はないんです」と、仏像ガールさん。そう言われると、頭でっかちな知識から解放されて気持ちが楽になりました。

  • (左)有楽町駅前の宝くじ売場には夢を求める人が今日も来る/(右)ゆるキャラな有楽町大黒天は親しみやすい

 12枚の中で、「美しい」「気高い」「思慮深い」「あこがれ」と、ほめ言葉を羅列してしまったのは、滋賀湖北・向源寺の十一面観音菩薩。数奇な運命に翻弄された仏らしい。この夏は、ぜひ会いに行こう。

 さて、仏像ガールさんから、銀座の仏像スポットをもう一つ教えてもらった。JR有楽町駅銀座口の改札を入った駅構内に鎮座する「有楽大黒」である。昭和の初め、駅前の亀八寿司主人が秘蔵していたが、戦争末期に空襲を避けるため駅長に寄贈された。「ご通行の皆様の安全、幸福を守る」とあり、乗降客が拝む姿が見受けられる。

 有楽町駅中央口前の宝くじ売場には、別の「有楽町大黒天」もいらっしゃる。こちらの大黒さまは、二頭身で流行のゆるキャラ。プラスチックの覆いに手が入るくらいの丸い穴が開いており、頭をなでられる。高額当選者で有名な場所だけに、ご利益に預かれればと、私も撮影しながら3回ほどなでた。

 (プランタン銀座取締役・永峰好美)

 ◆「仏像ガール」のホームページ

 http://www.buddha-girl.com/

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2009.05.08

銀座に点在、魯山人ゆかりの地を歩く

京橋骨董通りの大雅芸術店が話題に

  • 京橋骨董通りの加島美術

 北大路魯山人といえば、陶芸をはじめ、絵画、書、篆刻(てんこく)、料理など、幅広い分野で自由闊達に活動した希代の粋人として知られる。最近では、評伝が新たに出版されたり、大手メーカーの緑茶飲料のイメージキャラクターになったりと、再び注目されている。

 1883年(明治16年)、京都に生まれた魯山人だが、東京・銀座とは縁が深い。青葉がまぶしい季節。銀ブラのヒントに、ゆかりの地をいくつかご紹介したいと思う。

 魯山人は、尋常小学校入学と同時に木版師の養家に入った。卒業後は当時流行の西洋看板書きで生計を助けた。20歳のころ上京し、書家の岡本可亭(かてい)(画家・岡本太郎の祖父)の内弟子になって版下書きなどを手掛けたのち、独立。大陸に渡って古美術への審美眼を養い、帰国して篆刻の技術を用いた看板づくりを始め、各地にファンを増やしていった。

  • 銀座中央通りに面した黒田陶苑。魯山人作の鑑定も行っている

 そうしたファンには、加賀の山代の旅館主たちがいて、30代になったばかりの魯山人を快く食客として受け入れた。九谷焼の器に盛られた日本海の幸にいたく感激した彼は、ある日、九谷焼の窯元、須田菁華(せいか)を訪れて陶芸を試みた。ここで初代から、染付や赤絵の技法を初めて学ぶ。日本料理と焼きものの関係を見直し、「食器は料理の着物である」との名言を残すのだ。

 研鑽を積んだ魯山人は1919年(大正8年)、友人の中村竹四郎と共同で、東京市京橋区に「大雅芸術店(のちに大雅美術店」に改称)」を開店した。現在小さなギャラリーが集まる京橋骨董通りにある「加島美術」の場所。赤茶色の壁が美しい店である。

 店には古美術や骨董を並べ、来客には手料理を提供して話題になった。2階には会員制割烹の「美食倶楽部」を設け、店頭商品の古陶器に自ら料理を盛り付けるなどしてかなりの人気を博したらしい。だが、関東大震災で焼失。2年後場所を赤坂の日枝神社近くに移して、「星岡茶寮」を開業する。卓抜な演出で、政財界の粋人が集う文化サロンになった。料理と器、絵画、書。さらに、北鎌倉に築窯し、陶器を焼くようになった。しかし、36年(昭和11年)、共同経営者とのもめごとから追放され、鎌倉に引っ込むことに。

  • あづま通りの清月堂ギャラリー。地下にはティールームも

 ちょうどそのころ銀座で創業した黒田陶苑(とうえん)は、魯山人の陶磁器作品の専売店舗「黒田風雅陶苑」として発展した。現在も銀座7丁目、中央通りに面した同店で、魯山人のいくつかの作品を拝見した。辛口の日本酒を入れたらさぞおいしいだろうと想像できる志野焼きの「さけのみ」の紅が目に刻まれた。不遇だった幼少時、養母の背中で見た満開のツツジから、紅色には格別こだわりがあるとのエピソードにもうなずける。

 時は下り、戦後まもない46年、銀座5丁目のあづま通り沿いに、自作を置く工芸処「火土火土美房」を開く。現在は、和菓子の銀座清月堂をルーツとするレストランが、ギャラリーを開いている。

 その当時の魯山人について、女優の山口淑子さんからうかがったことがある。戦後、日本の映画女優としてアメリカを訪問、日系二世の彫刻家、イサム・ノグチさんと恋に落ちた山口さんは、帰国後、魯山人の鎌倉の離れを借りて新婚生活をスタートさせた。「二人の芸術家を身近に見て、美意識に合わないものは存在すら許さないという厳しいたたずまいに圧倒される思いでした。私は、彼らの世界を理解しようと必死でしたね」との言葉が印象的だった。

先代「久兵衛」の話には耳を傾けた

  • 金春通りの銀座久兵衛。外国人客も目立つ

 銀座8丁目・金春通りのすしの名店「銀座久兵衛」の先代、今田壽治氏との付き合いが始まったのは、魯山人70歳のころからという。傍若無人、孤高の人、ときに傲慢、不遜などと形容され、堅物のイメージが強い魯山人も、先代の話には耳を傾けたらしい。

 有名な話がある。「マグロは、もっとぶ厚く豪勢に切ってくれ」と頼んだ魯山人に、先代は「握りずしってのは、タネとメシのバランスだ」と、たんかを切って返した。その職人の心意気が気に入ったらしく、それからたびたび久兵衛に立ち寄り、京都や松山などへ一緒に旅する仲になったという。

  • 久兵衛二代目の今田洋輔さん

 二代目の今田洋輔さんは、当時小学5年生くらい。「僕にとっては好々爺という感じでした。魯山人さんは、毎日ワイシャツのカラーを取り替えるので、それを見ていた僕が新しいカラーを付けて渡したら、よく気がきく子だねと、ほめてくださった」

 窯出しのたびに作品を持参してくれて、一時店の器が全部魯山人作になったという。その縁にちなんで、店内には作品を集めたギャラリーが併設されている。

  • 魯山人のしょうゆ皿。久兵衛では実際に使っている

 先日、その魯山人作の器で、すしをいただく機会があった。しょうゆ皿やまな板皿、そして湯呑まで、我を主張しすぎず、料理を引き立てるように実用的かつ使いやすく作られている。

 「用あるものはことごとくその用を使い果たすところに天然の妙味がある」という言葉を、評伝の一つ、山田和さんの「知られざる魯山人」(文藝春秋)で知った。

 日常生活で使われてこそ、美は輝く。ゆかりの場所を訪ねながら、粋人の美学に思いをはせた。

 (プランタン銀座取締役・永峰好美)

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2009.04.17

銀座のナルニア国で童心に返る

子どもも大人も楽しめる1万2000冊

  • 書店「教文館」にある「子どもの本のみせ ナルニア国」の入り口

 古い屋敷にやって来た4人兄弟が、ある日大きな衣装ダンスにもぐり込むと、タンスの向こう側には雪の降り積もる別世界が続いていて、そこから大冒険物語が始まる……。幼いとき、英国の作家で神学者でもあったC・Sルイス作の「ナルニア国ものがたり」を夢中になって読んだ方は少なくないだろう。

 木の精や水の精、野山の神々や人間とコミュニケーションできるけものたちが、ともに仲良く暮らしている自由と平和のナルニア国は、子どもにとって格好の“空想遊び場”であった。

 そんな「ナルニア国」が、銀座にあることをご存知だろうか?

 銀座4丁目にある書店「教文館」は、明治の半ば、米国から日本宣教のために派遣されたメソジスト監督教会の宣教師たちによって、教会関係の出版物を流通させる場としてスタートした。

  • ロングセラーから新刊まで児童書でいっぱいの売場

 その教文館の中に、「子どもの本のみせ ナルニア国」というユニークな売場が誕生したのは10年前。名物社長の中村義治氏(当時)が「児童書売場をつくりたい」と長年温めてきた構想だった。

 フロアを何度か移転して、5年前、現在の6階に落ち着いた。アンティーク調のランプが灯る扉をくぐれば、そこは世代を超えてだれもがメルヘンと出会えるくつろぎの空間。ロングセラーから新刊まで、常時約1万2000冊が並ぶ。

 「対象となる本は赤ちゃんから高校生までとうたっていますが、もちろん、おとなの方が、贈り物に、また自分用にと買っていらっしゃる姿が目立ちます」と、店長の土屋智子さんはいう。

 一角に、「長くつ下のピッピ」や「名探偵カッレくん」「ドリトル先生アフリカゆき」といった懐かしい本を見つけて、私は躍り上がった。幼いころと同じ装丁の愛蔵版である。「長くつ下のピッピ」のページを繰りながら、小学4年生のころ、クラスの誕生会のため、この本をベースに初めて書いた脚本をぼんやり思い出した。

「ぞうさん」の詩人は100歳現役

  • 9階のホールで開かれている「まどさん100歳展」

 「ナルニア国」10周年を記念して、注目の展示がある。9階ウェンライトホールで開かれている、「ぞうさんの詩人 まどさん100歳展」(5月6日まで、入場料800円)。

 童謡「ぞうさん」「やぎさんゆうびん」などで知られる詩人のまど・みちおさんは、今年11月に100歳を迎えられる。今も現役の詩人として創作を続けておられ、「100歳詩集」の出版も計画されているそうだ。

 まどさんの100歳年表をはじめ、絵画や直筆の未発表詩39編など、盛りだくさんの企画である。

 1934年(昭和9年)、25歳のときに児童詩の北原白秋選の詩壇に投稿し、特選になったことから詩の世界に入った。ただし、創作に専念したのは50歳近くになってからで、初詩集の出版は59歳のときである。

 94年、84歳で、日本人として初めて児童文学のノーベル賞といわれる国際アンデルセン賞作家賞を受賞している。また、92年、1200編の詩業を集大成した「まど・みちお全詩集」(理論社)は現在までに4万部を超えるなど、熱烈なファンが多い。

 ぞうさん

 ぞうさん

 おはなが ながいのね

 そうよ

 かあさんも ながいのよ

  • まどさんの絵や直筆の未発表詩も展示されている

 だれもが口ずさめる童謡「ぞうさん」の詩ができたのは、戦後まもなく1948年の春のころらしい。詩人の阪田寛夫さんは著書「まどさん」に、まどさんご本人から聞いたこの詩の解釈を記している。

 「一番好きなかあさんも長いのよと誇りを持って言えるのは、ゾウがゾウとして生かされていることがすばらしいと思っているから」

 自分が自分として生まれてきたことの素晴らしさ、そして、今ここに生かされていることへの感謝の気持ち。まどさんの詩は、そうした生命へのやさしいまなざしにあふれているといっていい。

 子どもに向ける視線の温かさも忘れられない。92歳のとき、読売新聞紙上で、ヨミウリ・ジュニアプレスの中高生記者に語っている言葉が印象的だ。

 「子どもたちを見ると、自分の身代わりのように感じ、いとおしさとともにしっかりやってほしいという気持ちがわいてくる。皆さんは日本の子どもである前に、地球の、さらに宇宙の子どもです。私はあらゆるものは、自然の力や神の意思で生かされていることを感じながら、これからも詩を書いていきます」

 今回の展示では、まどさんの詩の朗読の記録映像も上映されている。国際アンデルセン賞を受賞したときのインタビューでは、今後の詩作に関してこう語っている。

 「まもなく85歳。私は激減した自分の脳細胞に絶望もしない。逆にそれによってどれほどの仕事が可能か興味津々なのである。自分を実験台にして面白がりながら、しかし懸命に小さな地平を切り開くことを楽しみにしている」

 尽きぬ好奇心は、創作を続けるまどさんの一番の原動力なのだろう。

 今秋、まどさんは、どんな新作を発表するのだろうか。とても待ち遠しい。

 (プランタン銀座取締役・永峰好美)

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2009.04.10

ホテル滞在客に旅館女将のもてなし

ノーとは言わないバトラー・執事

  • ホテル西洋銀座の伝説のヘッドバトラー、安達実さん(右)

 東京・銀座には、「伝説の達人」と呼ばれる人が何人かいる。小型で閑静な「スモール・ラグジュアリーホテル」として知られる「ホテル西洋銀座」のヘッドバトラー、安達実さん(47)もその一人だ。

 バトラーとは日本語に訳せば執事のこと。英国貴族に仕えた執事のように、滞在中のお客様のあらゆる要求や質問に「ノー」と言わずに応える。そのサービスは、チェックイン後の荷ほどき、客室での給仕、靴磨きや洗濯の手配などの身の回りの世話から、仕事上の秘書役までと幅広い。

 バトラーサービスは世界でも最高級とされるホテルで提供されているが、同ホテルのように77室すべての客室を対象にしているのは珍しく、日本ではここだけという。米国ローズウッドホテル&リゾーツグループの運営になった翌年の2001年から導入している。

  • 「スモール・ラグジュアリーホテル」をうたうホテルの入り口付近

 銀座の宵をぶらりと散歩するイベントに参加して、安達さんの伝説の仕事ぶりについてうかがう機会があった。

 同ホテルには現在20人ほどのバトラーがいる。安達さんはそのトップに立ち、様々なサービスを統括している。

 「庭に咲いた花を摘んで生けたり、その土地の産物を生かしたサービスを工夫したり。日本という国柄に合わせ、日本旅館の女将さんや仲居さんが提供するような、細やかかつ奥ゆかしくさりげないサービスを心がけています」と安達さん。

 燕尾服のユニフォームにあこがれて就職する若者もいるらしいが、「バトラーの仕事は8割が裏方の地味な仕事。お客様がいらっしゃらないところでのサービスも大切」なのだそうだ。

寝癖を察し、ベッドメーク

  • 部屋でのお茶のサービスはバトラーの基本の仕事

 使用された枕の数や位置で寝癖を察知し、その夜のベッドメークを変える。「ゆっくり眠っていらっしゃるお客様の幸福そうな寝顔を想像しながら考えます」

 部屋の雰囲気から読書家であることが推測できればスタンドの追加はもちろん、電球のワット数を変えることも。愛煙家とわかれば大きめの灰皿を用意する。洋服や持ち物から好みの色を察して部屋に飾る花を変える。ゴミ箱が机の下からベッドの脇に移動していたら、お客様の使い勝手に合わせて、清掃後もその場所に置く。メモに残し、次回の滞在時も同じ位置に置く。ご高齢のお客様のためには、ナイトメークの時にフロアマットをバスルームの床に敷き詰めて、滑らないようにと気を配る。

  • 枕の位置でお客様の寝癖を察知する

 「たとえ出掛けられた後でも、お客様があたかもその室内でくつろいでいらっしゃる状態や雰囲気を想像し、空間を素早く読み取って、必要なものを提供するのが上質なサービスといえるのではないでしょうか」

 お気に入りのグッズは、どこに泊まる時でもそばに置いて使いたいものだ。特に、海外に旅した時には実感する。常連客の場合、バスタイムの軽石、ハーブティーを飲むマイカップ、好みの色の靴墨、朝の健康スペシャルドリンクのレシピなど、ホテルでキープしておくことも。

 さらに、常連客や長期滞在客の「いつものマイ・ブレックファストを7時にお願い」というリクエストがあれば、卵のゆで時間からトーストに塗るジャムの好みまであらかじめ把握しておいて対応する。

 耳の不自由なご夫妻が宿泊の際には、バトラーが部屋の前に到着したことを知らせる札をロープでドアノブとつないで室内にセットして、札の動きでご夫妻が気づかれるように工夫したそうだ。基本的なサービスの会話集を特別に作り、ご夫妻からは指差しで指示を受けたという。

お客様の「ただいま」がうれしい

  • 好みの靴墨をキープしている常連客もいる

 同ホテルの地下にあるイタリア料理店のサービスからスタートした安達さんのホテルマン人生も、今年で22年。

 「江戸っ子の私は、番頭さんのようなバトラーですから、親しいお客様との距離感はどんどん短くさせていただいております。『アダっちゃん、ただいま!』という呼び掛けが、最高にうれしいですね」

 近著「いつまでも心に残るサービスの実践」(同文舘出版)に、好きな言葉を寄せていただいた。

 「一意専心」――。「好きで志した接客という仕事を徹底的にやり通す。そして、最後までこのホテルで働き続ける。四文字には、そんな二つの意味を込めました」

 「お客様の中にも頼み上手な方っていらっしゃるんですよね。ついついこちらが何かして差し上げたくなってしまうような……。そういう方はまた、さりげなく感謝の気持ちを伝えるのもお上手です」

 お客様の笑顔からたくさんのことを学びながら、日本人ならでの細やかなおもてなしをさらに極めていきたいという。

 (プランタン銀座取締役・永峰好美)

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2009.04.03

銀座はただ今、桜尽くし

お店で、路地裏で、再び愛でる桜花

  • 「いのち再生の桜」で装飾された銀座4丁目の宝童稲荷神社の周辺

 花曇り、花冷えが続き、今年は開花からちょっとゆとりをもって「桜の季節」を楽しむことができて、なんだかうれしい。

 東京・銀座では、今年初めて、「銀座で桜を咲かせましょう~GINZAKURA(銀桜)まつり」が開催されている(4月6日まで)。

 桜の花を美しく咲かせるためには、良好な生育環境を整え、剪定(せんてい)作業が特に大切だといわれる。剪定された桜の枝は本来捨てられてしまう運命にあるのだが、「GINZAKURAプロジェクト」では、この枝がもう一度輝ける場を提供しようと銀座の店舗が集まった。

 まさに「いのち再生の桜」である。

 今回使われた桜は、アカデミー賞受賞作として話題の映画「おくりびと」のロケ地、山形県鶴岡市のソメイヨシノ。桜の枝は、ビルの谷間の路地裏に鎮座する4丁目・宝童稲荷神社の鳥居周りをはじめ、店舗などのウィンドウディスプレイに使われ、元気に花を咲かせている。

  • 店頭では春気分を演出するワインが勢ぞろい(プランタン銀座で)

 プランタン銀座では3月中、桜マスや桜モンブランなど桜づくしのメニュープレートを注文された毎日先着10人のお客様に桜の枝をプレゼントした。今ごろはそれぞれのお客様の手元で、桜のいのちがよみがえっていることだろう。

 前回のこのコーナー「GINZA通信」で紹介したオーガニックなお宿「銀座吉水」では、女将の中川誼美さんが、桜の花を楽しんだ後の枝のリサイクルを考えている。「ご飯を炊くかまどの燃料としてはもちろん、サクラチップでサケやコンニャクなどの燻製(くんせい)を作ります」

 着物専門店の「銀座もとじ」では、燃料として使われた後、その灰を用いて桜染めをとの計画もあるようだ。

 桜は散っても、銀座のどこかで、また、銀座を訪れた人々の周りで、そのいのちはつながり、さらに輝きを増していく。

酒喰う樹を眺めワインを

  • 花見に用意したい私のおすすめ春ワイン4本

 さて、春の俳句に、「桜ほど酒(くら)ふ樹はなかりけり」とある。桜花を愛でるお供に、今年はすっきりしたタイプのワインはいかがだろうか。

 先日銀座で開いた「桜の季節を楽しむワイン会」で、参加者に好評だったワインをご紹介しよう。価格はいずれも1000円台~2000円台。

 1)アンリ・メールの「グラン・フローロン・ブリュット・ロゼ」

 スイス国境にあるジュラ山脈の(ふもと)に広がるワイン産地、フランス・ジュラのスパークリングワイン。淡いピンク色、繊細でやさしい泡立ちが春を感じさせてくれる。さわやかな辛口で、春野菜をたっぷり使ったオードブルなどに合わせたい。

 2)ヴィッラ・スパリーナの「モンテイ モンフェラート・キアレット・ビアンコ2007」

 丸っこいクリアなボトルが愛らしい。フレッシュで若々しい北イタリア・ピエモンテの白ワイン。ほんのり白い花の香りがする。品種はシャルドネ、ソーヴィニヨン・ブランに加えてドイツ系のミュラー・トゥルガウがアクセントになり、ボリューム感が出ている。魚のスモークなどがベストマッチ。

 3)シレーニの「セラーセレクション リースリング2006」

 ニュージーランド北東部の海岸地域、ホークスベイの白ワイン。国際コンクールでベストバリューワインにも選ばれた。シレーニは、ローマ神話に登場する酒の神バッカスの従者。なので、食事をよりおいしく演出してくれる。さっぱりと軽いが、レモンなど柑橘系の皮の酸味がほどよい。

 4)ドメーヌ・マズールの「コート・デュ・ローヌ カルト・マロン1996」

 花見弁当の肉類に合わせるには、柔らかなタンニンのフランス南部の赤ワインはいかが。生産者は、自らのワイン蔵でしっかり熟成させてから出荷していると評判が高い。甘い果実味とエレガントな酸味が絶妙なバランスをつくる。軽く冷やしてもおいしい。マロン(栗)色のラベルがポイントに。

花見の締めは甘味

  • リ・チーズの「チーズカラーさくら」(左)/ガトー・ド・ボワ イヤージュの「とろけるシブースト」(右)

 花見の締めには、やはり甘味だろうか。

 銀座木村屋総本店の名物「桜あんぱん」は、明治天皇が向島にある水戸藩下屋敷に花見で出掛けられた際に献上されたのが始まりとか。米と麹(こうじ)でパン生地を発酵させ、奈良・吉野山から取り寄せた八重桜の塩漬けを埋め込んだ。この季節ならではの味わいだ。

 私のおすすめは、リ・チーズの「チーズカラーさくら」。カラーという南アフリカ原産の花の形に見立てた生地を桜の葉でくるりとひと巻き。しっとりしたチーズクリームにさくらんぼのシロップ漬けと桜の花の塩漬けがトッピングされ、すこぶる美味。酸味としょっぱさで、新感覚の桜餅として味わえる。

 もう一品、ガトー・ド・ボワイヤージュの「とろけるシブースト・櫻」は見た目がとても華やか。クレーム・ブリュレと桜のクレーム・シブースト(カスタードクリームにメレンゲを合わせたもの)が重なり、間にフランボワーズペーストがサンドイッチされている。おすすめ2品の販売は、プランタン銀座地下2階で4月6日まで(ただし、シブーストは桜の季節が終わるころまで)。

 今年の花見も、私の場合、やはり「花より団子」で終わりそうだ。

 (プランタン銀座取締役・永峰好美)

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2009.03.27

「ちょっと前の暮らし」目指す

ファン多い薪で炊くご飯

  • 竹の植え込みに囲まれた「お宿銀座吉水」の入り口

 東京・銀座には、人通りが絶えない大通りから一筋入っただけで、驚くほど静寂な空間が残っている。

 昭和通りから築地方面に一筋入った銀座3丁目、竹の植え込みに囲まれた「お宿吉水」もその一つ。私のお気に入りの場所である。

 名物女将の中川誼美さん(65)が目指すのは、「ちょっと前の日本の暮らし」だ。

 竹張りの床、湿気を吸収する網走産珪藻土の壁、無農薬栽培のイグサを使った畳、100%オーガニックコットンの布団……。日本の自然素材に徹底的にこだわった。最上階にある貸切風呂は木の香りにやさしく包まれ、大都会のビルの中にいることをほとんど忘れさせてくれる。

 全11室。一泊朝食付きで1万600円から。英国の高級紙で、外資系の超高級ホテルと肩を並べて、東京のベストホテル2位に選ばれた。お仕着せでない日本の宿が味わえるとあって口コミで広まり、海外からの滞在客でほぼ部屋が埋まることも少なくない。

  • ウッドストック仕込みのエコロジー実践派、女将の中川誼美さん

 部屋にはテレビも冷蔵庫も電話もない。

 献立は、毎日届く新鮮な無農薬野菜を見てから考える。化学調味料や添加物、防腐剤の入った調味料は一切使わない。宿のスタッフは全員が調理を経験し、からだで自然の恵みの尊さを覚える。

 ベランダで薪をくべて、かまどでふっくらご飯を炊く。豆や野菜の本来の味を生かした中川さん特製のアイデア常備菜メニューは、「簡単ですごくおいしい」と、ファンが多い。

 地下一階のピアノを備えた多目的サロンでは、演奏会や映画の上映会などが開かれ、集う人たちの輪が広がる。

 現在力を入れているのは、日本文化の発信だ。その一つが、毎月第二金曜日に開いている民族文化映像研究所製作の日本の基層文化の記録映画上映会。代表の姫田忠義氏を招いて、昨年4月から始めた。氏が50年近い歳月をかけて記録した全作品119本の上映を目指している。

「ものを大切にする日本の心、自然と共にあった日本人のライフスタイルを見つめなおし、ここではゆったりしたくつろぎの時間を楽しんでほしいのです」と中川さんは語る。

ウッドストックの生活に衝撃

  • テレビも冷蔵庫もないシンプルな部屋

 中川さんが自然なライフスタイルへの強いこだわりをもつようになったのは、大学卒業後の1970年代初め、ヒッピー文化が息づく米国ニューヨーク州のウッドストックに夫婦で暮らした体験がきっかけだった。ベトナム反戦運動が盛り上がり、カウンターカルチャーの集大成とも呼ばれる、あの「ウッドストック・フェスティバル」が開催された地である。

 ブラウンライス、全粒粉で焼いたホットケーキ、無殺菌牛乳……。テレビも冷蔵庫もない、シンプルな暮らし。自ら畑を耕してつくる自然食の生活は衝撃的だった。

 「皆がキリストやマリアみたいでね。髪の毛は伸ばし放題。化粧をする女性なんて、全然いないの。あの時以来、私も化粧しなくなった。綿の布で顔をごしごしこするだけ。おかげ様で、この年になっても肌荒れ一つなく、ツルツルなんですよ」

  • 食材はすべて無農薬のものを厳選

 ユーロパスで欧州を見聞、シベリア鉄道を経由して日本に帰ったときには、1年4か月が過ぎていた。帰国後は、印刷業を営む夫のアシスタントとして経理を担当しながら、ほぼ子育てに専念。「食べることが基本だから、どんなに忙しくてもそれだけは手抜きしませんでした」

 転機が訪れたのは十数年前。子どもたちも成人し、学生時代から寺社を訪ね歩いた大好きな京都に別荘でも、と物件を探していたところ、運命的な出会いがあった。円山公園の満開の桜に囲まれた古宿が、跡継ぎ不在で売りに出ていたのだ。「衝動買いでした」。

 別荘にと思って買った物件だが、公園敷地内にあるため宿泊業にしか使えないことが判明。「ならば、旅館をやってみるかってことに。どうせなら、無駄と思えるサービスは徹底的に省いて、低料金で京都の街を楽しんでもらう場所にしようと思ったんです」。こうして、テレビも冷蔵庫もない、朝食付き一泊6000円(当時)の「オーガニックな宿」が誕生し、一躍人気に。

日本のど真ん中でオーガニックを実践

  • ベランダのかまどでご飯を炊くのも中川さんの役目

 銀座に進出したのは2003年のこと。背中を押してくれたのは、当時80歳の母だった。「オーガニックは都会でも実践しないと説得力がない。日本(のそうしたトレンド)を決めていくのはやはり銀座。いまが底値だから買いなさい」と。

 ちょうどバブルから健全になろうとする時代だった。2か月かけてめぐり合ったのが、現在の場所である。

 「夢をもったらね、我慢、ロマン、そして最後にそろばん、なのよ」

  • 地下のサロンで、集う人々の輪が広がる

 「環境」の世界で名前の知れた中川さんのもとには、「社会のために何かやりたい」「世の中を変革したい」と、相談に来る若者たちが後を絶たない。

 「でもね、私は『運動』は嫌いなの。仕事をしながら何気なく生活を変えていきたい。だから、彼、彼女にも、『あなたの部屋はきれいなの?』『食べることを疎かにしていない?』と問いかけて、『まずは足元からやりなさい』ってアドバイスしています」

 こうした数々の経験を生かし、最近では建築家らと「当たり前の家ネットワーク」を設立、シンプルだけれど豊かな私サイズの「小さなくらし」を唱えている。

 中川さんの静かなる“生活革命”は続いている。

 (プランタン銀座取締役・永峰好美)

 ◇お宿吉水のホームページ

 http://yoshimizu.com/index.html

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永峰好美のワインのある生活

<Profile> 永峰 好美 日本ソムリエ協会認定シニアワインエキスパート。プランタン銀座常務取締役を経て、読売新聞編集委員。『ソムリエ』誌で、「ワインビジネスを支える淑女たち」好評連載中。近著に『スペインワイン』(早川書房)