先日、国際サッカー連盟が女子世界優秀選手に選出した澤穂希選手の着物姿を見て、和装が醸し出す何とも優雅な美しさに、改めてほれぼれとした。
いや、今年こそは、やまとなでしこの一人として、和装をしゃなりと着こなしてお出かけしようと心に誓った私である。
東京・銀座には、和装を扱う店舗が一時期よりかなり減ったとはいえ、名の知れた名店は老舗ののれんをしっかり守っている。
仕立てた着物はいくつかあるので、小物でいま風に変化をつけようと、銀座8丁目にある「銀座かなめ屋」をのぞいてみた。
キャッチフレーズは和のセレクトショップ
場所は、2011年11月4日付の小欄でご紹介した見番通りの一角にある。創業は1934年(昭和9年)。下町・深川出身の一代目は、銀座で袋ものにかけては古いのれんを誇っていた大和屋で修業し、独立して日本橋に店を構え、戦争直後、銀座に移った。
「歴史ある大和屋さんに奉公していたというのが、祖父の自慢だったようです」と、かなめ屋3代目の柴田光治さんはいう。
芸者衆のお披露目の時は、日本髪に
屋号は、和装には欠かせない末広の扇子の心棒を意味する「
かんざしやピン、バレッタなどの髪飾りを中心に、帯留、財布、ハンドバック……。「和装小物であれば、頭のてっぺんから足の先までそろう和装版セレクトショップ」というのが、同店のキャッチフレーズで、特にべっ甲のかんざしの品ぞろえは、銀座でも随一であろう。
繊細なべっ甲細工にため息
べっ甲細工の技術が生まれたのは長崎といわれるが、江戸の大奥文化でかんざしや櫛などの和装小物が進化・発達し、江戸に職人が集まって、べっ甲細工は東京の伝統工芸品となった。
ショーケースに入っているべっ甲のかんざしや櫛を一つひとつ手に取りながら、柴田さんの説明を聞いた。1つ10~20万円代。さすがに値が張るものが多い。
べっ甲の材料となるタイマイ亀はもともと日本近海に生息している数は少なく、従来は主に東南アジアやカリブ海で食用などで捕獲された後、甲羅だけを再利用してきたそうだ。だが、ワシントン条約により国際取引が禁止されて輸入ができなくなったため、現在では過去に輸入した材料を少しずつ使って製作している。また、国内では、石垣島などで、タイマイ亀を増やす努力もなされている。
べっ甲は、にかわ質でできているので漆との相性がよい。そのため、貴重なべっ甲に、
全体的に黒いものを「黒甲」、黒色とあめ色が混じったものを「
昭和初期のものと思われる総べっ甲(白甲)の婚礼用かんざし一式を見せてもらった。繊細で雅なその作りに、思わずため息が出る。こんな精巧な細工は、現在ではもう作ることができないという。
戦後、日本古来のお稽古ごとが見直されて、踊りの会などでかんざしなどの需要が高まった時期があって、先代は、地方の骨董屋などに出かけ、埋もれている一品を随分と発掘したそうだ。「それを磨いて加工して、新しい命を吹き込む……。80年代後半のバブルの頃は随分と引き合いがあったと聞きます。せっかく集めたものの、売るのが惜しくなったものも少なくなかったようです」と、柴田さん。
美術品から日常のおしゃれに
とはいえ、3代目には、「時代のニーズに合わせて変えていかないと、やがて忘れられてしまう」との危機感も強い。「べっ甲製品を高価な美術品として祭り上げておくのではなく、昔ながらの伝統は守りつつも日常的に親しんでもらえるような工夫が必要ですよね」と話す。
たとえば、アメジストを使ったブドウのブローチはかんざしにもネックレスにも装着できて、ツーウェイ、スリーウェイの楽しみ方ができる。茨布のかんざしには、キュートな猫が描かれていて、裏を返すと、銀で描かれた尻尾が……。思わずくすりと笑ってしまうお茶目な小物もある。
新春を飾る福徳繁栄の昇龍の「干支かんざし」(象牙製)に並んで、猫かんざしがあるのも発見! ネズミにだまされて、十二支の仲間に入れてもらえなかったかわいそうな猫が、「福猫」として登場しているのだ。「べっ甲などの髪飾りは特殊なものなので取り扱う店が年々減っています。でも、需要はあるのです。ホームページやブログで私どもの商品を写真で大きく見せるようになって、『それ、探してたんです!』と、全国から問い合わせをいただいています」と、柴田さんは話す。
職人の手仕事の粋を尽くした和装小物の世界。チャーミングなかんざし一つで、気分はやまとなでしこ、になれるに違いない。
(プランタン銀座常務・永峰好美)
◇銀座かなめ屋