微文化で構成された街
春うらら。足どりも軽く、銀ブラが楽しい季節になった。
「銀座街づくり会議」のアドバイザーで、慶応義塾大学准教授の小林博人さんは、「銀座らしさ」「銀座独特の文化のあり方」を、「銀座の微文化」と呼んでいる。
気象学に「マイクロクライメイト(微細気候)」という概念がある。モンスーン地帯、高山地帯、地中海性、それに、ヒートアイランド現象など特有の現象を示す大都市気候もその一つだろう。分別された小さな自然がモザイクのようにつながり、相互に関連し合って、地球全体の気象を構成しているという考え方である。
銀座は通りごと地区ごとに少しずつ異なる文化性・歴史的背景をもっており、その一つ一つがつながりあって銀座という街全体の雰囲気を作り出している――これを、小林さんは「微文化」という言葉に託しているのだ。
路地裏散歩でリラックス
十字に交差する銀座通りと晴海通りの2つの大通りを中心に、碁盤の目のように整然とした街並みが銀座の特徴だが、その間には、路地がいくつもまぎれ込んでいる。表通りのにぎわいから一転、路地裏には、ゆっくり流れる時間を慈しむような静けさが漂っていて心地よい。
私は、この路地裏の銀ブラが好みである。
お気に入りはいくつかあるのだが、例えば、歌舞伎座に近い銀座東3丁目交差点あたりの木挽町の路地。2009年6月19日付の小欄でもご紹介したことがあるが、どら焼きが有名な小さな和菓子屋さんや手ごろな食事処が固まっていて、とてもリラックスできる空間である。
建築家で銀座の街歩きに詳しい岡本哲志さんのおすすめは、銀座5丁目の東側付近だそうだ。「裏通りと路地とが呼応しあっていて、独特の空間ができているのが面白い」。先日、ある会合でそんなお話を伺ったので、さっそく歩いてみることにした。
サラリーマンでにぎわう袋小路
銀座4丁目の交差点と歌舞伎座の中間あたりにある三原橋のそばに、銀座通りと並行して通る三原通りがある。
まず目に付くのが、昭和の歓楽街でよく見かけた、とてもレトロなゲート看板。ゲートをくぐると、かなり老朽化した2階建ての長屋形式の店舗が並んでいて、中華料理店、焼肉店、バー、居酒屋、雀荘などが入っている。夜になると、どの店もサラリーマン族で結構にぎわっているようだ。
ここは行き止まりの路地空間。もとは質商「江島屋」の田村藤兵衛の土地だったそうだ。戦後土地を細分化された時、この不思議な袋小路が誕生したらしい。
引き返して、再び三原通りに出る。もう一つ路地があって、三原小路という。この路地もまた戦前にはなかったそうで、戦後、小規模な土地を得た人たちが寄り集まって作り出した空間とか。
一角にあるあづま稲荷は、いつも清潔に掃除されていて、小路をつくった人たちの愛情が伝わってくる。近年改修されて、大分モダンな雰囲気に変わり、おしゃれなレストランなどが増えている。店の前にアレンジされた桜の花に、春の空気を感じた。
人情が生きる呉服通り
三原小路を抜けると、あづま通りに出る。この通りには、呉服を扱う店がとても多い。歌舞伎座が近いという地の利を生かして「呉服の殿堂」にしようと、先代の店主たちの思いが込められており、今に引き継がれている。
あづま通りには、「GINZA ALLEY(ギンザ・アレイ)」というビルの中の路地があり、間口の狭い店舗が集まっている。和装・洋装雑貨を扱う店のほか、あんみつで有名な「銀座若松」もある。新しくビルを建てる計画が持ち上がった時も、路地の両脇で商いをしていた人たちが協力して生き残らせたのだと聞いた。
明治27年創業の「銀座若松」は、タカラジェンヌの卵たちの要望で、2代目主人が元祖あんみつを考案したことで知られる。小ぶりでちょっとしょっぱめの豆が私は好きだ。
ビルの中の路地を抜けると、視界が開けて、そこはにぎやかな銀座通り。銀座のシンボル、和光の時計台が見える。
ちょっと通な路地裏の銀ブラ、あなたも楽しんでみませんか?
(プランタン銀座取締役・永峰好美)