小津安二郎が愛した京焼の老舗
年の瀬が近づき、新年用に何か縁起のいい器を買い足したいと思い、銀座8丁目、金春通りにある京焼の老舗「
1919年(大正8年)、京都の洛東清水音羽山麓で創窯した澤村陶哉の流れをくむ店だ。主に財閥系の注文生産で人気の作家だったが、「一般の人にも器のよさを伝えたい」と、戦前の1936年(昭和11年)、義理の息子の山田隼生氏が東京で「東の陶哉」=「東哉」を創業。現在は長男の
「東京で店をもつなら、あこがれの銀座と父は決めていたようです。個性が強く、その店でしか入手できないといった一品を自信を持って並べられるのは銀座、が持論でした」と、松村さんは語る。
私が「東哉」の名前を知ったのは、ある雑誌の特集で「小津安二郎が愛した店」とあったのに興味をひかれてからだ。
小津監督は先代の美的感覚に厚い信頼をおいており、映画で使用する器や床飾りなどについてよく相談をもちかけていたという。「鎌倉のご自宅から銀座に来られると、必ず店に立ち寄られたようです。それで、映画関係者の間では『監督を捕まえるには東哉へ行け』が合言葉になっていた」(松村さん)とか。
雅と粋の融合
小津作品の「彼岸花」(1958年)に登場した朱彩と菊の透かし模様を組み合わせた湯呑みは、いまもご指名で買い求める客が多いそうだ。そう、長女の結婚式前夜、帰りの遅い父(佐分利信)をやきもきしながら待つ家族、母(田中絹代)と2人の娘(有馬稲子と桑野みゆき)が囲むちゃぶ台にあった湯呑みである。
「先代の父は、作品に裏千家の押印を許されたにもかかわらず、そんなPRは必要ないと頑なに拒んでいました。小津監督とのお付き合いについても同じスタンスでした。でも、監督生誕100年の2003年の時でしたか、いろいろお話もあったので、解禁してもいいかなって思いましてね」と、松村さんは振り返る。
時代を読むPRセンスは、もともと広告業界で働いていたから培われたものかもしれない。彫刻を学び、CMなどのスタイリストや様々なディスプレーの仕事をしていた松村さんは、イタリアに渡って、海外のトレンド情報を日本に発信する会社を手伝っていた。そこで気づかされたのは、「外国人に日本や京都のことを質問されてもきちんと答えられない情けない私」だった。
日本のことをもっと知りたい、幼い時から身近にある陶器について一から学びたい――28歳で帰国し、東京の店で働くことを志願、いまに至る。
華やかで色彩豊か、そして、繊細でどこか透明感があって、すっきりしたデザイン……。器の美を表現するのはなかなか難しいが、松村さんは、「東哉」の器を「粋上品」という言葉で形容する。
京都の伝統、雅さ、上品さに、江戸の粋を取り入れたもの、といった意味らしい。上品だけれど野暮でない、粋だけれども下品に落ちない、そのぎりぎりのところで遊んでいる器たちなのである。
四季を彩る器で食を楽しむ
和食器をそろえるというとなぜか気張ってしまいがちだが、これほど季節感を気軽に取り入れられるものはないだろう。
華やいでほんのり色づく桜とともに里景色を彩る草花は、春の器に欠かせないテーマ。蒸し暑い夏には、背の低い広口の器や皿に流水や波紋があしらわれ、心地よい涼感が演出される。
一面を紅や金色の紅葉が飾り、菊や萩文様の器が使われるころには、温かい食べ物が恋しくなるはずだ。冬の器は夏とは対照的に、背が高く深さがあるものが多い。そして、正月の器には、松竹梅などの吉祥文様が華やかな気分にさせてくれる。
季節の移ろいは、お膳の箸置き一つで表現できる。そう言われてみると、確かに、紅葉の箸置きは晩秋の山々の美しさを思い起こさせてくれる。
「煎茶碗を小鉢に使ったり、そば猪口にしたり、吸い物を入れてもいいでしょう。箸置きを帯止めに使うのもしゃれていますし、ふすまの引き手も立派なインテリア飾りに。季節感さえおさえていれば、洋食器よりもずっと自由に楽しめますよ」と、松村さんはアドバイスする。
最近は、若い女性やフランス料理のシェフが店にふらりと立ち寄ってくれるのもうれしいという。
トルコブルーの金彩の大蓋物は、何に使おうか。プチフールなどを載せれば、お茶の時間がもっと楽しくなるのではないだろうか。器使いのアイデアは、際限なく広がっていくものだ。
さて、迷いに迷って私が買ったのは、伝統文様の桐だが、花の部分がひょうたんになっているユニークなデザインのもの。何だかめでたい。桐の花が咲くのは春だけれども、ひょうたんは縁起物なので新年を含めいつでも使えるそうだ。大切に使いたいと思う。
(プランタン銀座取締役・永峰好美)