2009.09.18

本場のタンゴを堪能、ブエノスアイレスの長い夜

タンゴ発祥の地ボカを訪ねて

  • カラフルに塗り分けられたカミニートの家々

 前回のペルー編に続いて、南米の旅で訪ねたアルゼンチンのお話をしよう。

 アルゼンチンで私が一番楽しみにしていたのが、本場のタンゴの鑑賞である。

 あの哀愁漂う、それでいて情熱的で力強い旋律に魅せられたきっかけは、30歳のころに観たフランス・アルゼンチン合作映画「タンゴ・ガルデルの亡命」だったと思う。パリの街頭でダンスを踊るアルゼンチン出身の若者たちの姿もさることながら、全編に流れるアストル・ピアソラの音楽が素晴らしかった。

 アルゼンチンの首都ブエノスアイレス中心部から南に位置するボカ地区は、タンゴ発祥の地といわれている。南米屈指のサッカークラブ、ボカ・ジュニオルスのホーム・スタジアムがある地域だ。

 その一角に、タンゴ不朽の名作にちなんで、地元出身の画家、キンケラ・マルティンが造ったカミニート(小径)がある。百メートルほどの散歩道に軒を連ねる家々の壁やテラスはピンクやブルーなど大胆に塗り分けられ、また、絵画やオブジェがさりげなく置かれていて、街全体が“アート”している。

  • カミニートの道標
  • 壁面にタンゴのイラストも(ボカ地区で)

一糸乱れぬ足さばきにため息

 19世紀後半、ボカはブエノスアイレス唯一の港町で、イタリアやスペインなどヨーロッパから夢を求めてやって来る移民たちがあふれていた。

 そういえば、「母をたずねて三千里」のマルコ少年は、イタリア・ジェノバからブエノスアイレスに出稼ぎに行ったきり音信不通になった母を追って旅に出た。約1か月の船旅で、到着したのがボカの港だったっけ。

 「二十世紀最大の海運王」と呼ばれるアリストテレス・オナシス氏も、17歳のころ、ギリシャを離れてしばらくこの地に住みついた。最初は小舟の船頭をしていたが、第一次大戦中に葉巻や食肉の貿易で成功を収めた。彼の下宿屋は、スラム街にいまも残る。

 そんな雑然とした港町で、船乗りや労働者が、日常のフラストレーションのはけ口として酒場で男同士、荒々しく踊ったのが、タンゴの始まりという。男たちを相手にする娼館などにも広まり、男女で踊るタンゴの原型ができ上がった。

  • ダンサーの足さばきに思わずため息が……(アルマセンで)

 第一次大戦後、パリに渡ったタンゴは、上流階級の間でも絶大なる支持を得る。ピアソラのような名演奏家も誕生し、バンドネオンの切れのいいリズムとともに、官能的で洗練された踊りへと発展していく。

 日本では、1980年代後半に上演された、ブロードウェイの「タンゴ・アルゼンチーノ」が人気の火付け役になり、90年代以降、ダンス愛好家が着実に増えている。

 ブエノスアイレスの中心部に戻って、タンゴのライブが観られるタンゲリーアに出掛けた。

 「エル・ビエホ・アルマセン」という小ぢんまりとした店だ。開演は夜の10時過ぎ。ステーキでエネルギーをたっぷり補給して、ブエノスアイレスの長い夜に備えた。

 間近で観るダンサーの、緊張感を秘めた息づかいと一糸乱れぬ足さばきにため息が出る。

 帰国後も興奮冷めやらず、華麗なる一夜の体験を友人に話したら、銀座にも、アルゼンチンタンゴを楽しめる「クラブ・タンギッシモ」という場所があると教えられた。様々なタンゴのイベントを行っている「アルゼンチンタンゴ・ダンス協会」も銀座の地に居を構えているようだ。今度訪ねてみようと思う。

銀座線のモデル「地下鉄A線」

  • 地下鉄銀座線のモデルになったブエノスアイレスの地下鉄A線。木製の車両です

 さて、ブエノスアイレスで学んだ、「銀座ネタ」をもう一つ……。

 鉄道に詳しい方々にはよく知られたことだろうが、ブエノスアイレスで市民の足として親しまれて入る地下鉄は、日本最古の地下鉄銀座線建設のモデルになったそうだ。

 時は第一次世界大戦が始まる前年の1913年。ラテンアメリカ初の地下鉄A線が、ブエノスアイレス市内中心部、大統領官邸に面した5月広場と郊外の住宅地を結ぶ区間で開通した。

 大戦をはさみ、当時のアルゼンチンの経済発展には目を見張るものがあった。1人当たりのGDP(国内総生産)はフランスと肩を並べ、パリのオペラ座、ミラノのスカラ座とともに世界3大劇場の一つに数えられるコロン劇場がオープンするなど、文化面でも世界をリード、「南米のパリ」と呼ぶ人もいた。

  • (上)「カーサ・ロサーダ(ピンク・ハウス)」といわれる大統領官邸、(下)コロン劇場はいまだ改装工事中

 一方の日本。世界最初の地下鉄が誕生したロンドンでこの都市型交通機関を見て、日本での建設を考えた早川徳次氏(シャープ創業者と同姓同名だが別人)が、1919年、渋沢栄一氏の支援を受けて工事に乗り出す。その時にモデルにしたのがブエノスアイレスの地下鉄A線だったのだ。

 とはいえ、23年の関東大震災で着工が遅れ、現在の銀座線の一部、浅草―上野間に「東洋唯一の地下鉄道」が開通したのは、1927年(昭和2年)を待たねばならない。早川氏は、路線を決めるにあたって、自ら繁華街、銀座の交差点に立って交通量調査を試みたりしている。こうして、銀座線は新橋へ、さらに渋谷へと延伸されていく。

  • 迫力たっぷりのイグアスの滝

 さらに興味深いのは、ブエノスアイレスの地下鉄B線には、赤い車体に白いラインの旧丸ノ内線(これも銀座を通る路線)の中古車両が現役で活躍しているという。開業当時お世話になった恩返し?だろうか。

 ちなみに、アルゼンチンの最後は、世界遺産に登録されているイグアスの滝で締めくくり。悪魔ののどぶえというアルゼンチン側の滝壺近くまで行くボートツアーに参加して、合羽を着たにもかかわらず全身ずぶ濡れに。

 こんなおとなの水遊びも、思い返せば意外に楽しい夏の思い出になりそうだ。 

 (プランタン銀座取締役・永峰好美)

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永峰好美のワインのある生活

<Profile> 永峰 好美 日本ソムリエ協会認定シニアワインエキスパート。プランタン銀座常務取締役を経て、読売新聞編集委員。『ソムリエ』誌で、「ワインビジネスを支える淑女たち」好評連載中。近著に『スペインワイン』(早川書房)