GINZA通信アーカイブ

2009.12.18

一杯の酒から生まれる『酒縁』の力

関西発、酒の雑誌30周年

  • 酒が創り出す創造のエネルギーについて熱く語る、「月刊TARU」の高山恵太郎編集長

 正月用の日本酒の出荷に向けて、木樽づくりに大忙しの現場が、先日、テレビのニュースでクローズアップされていた。

 そういえば、関西発の酒の総合誌「ほろよい手帖 月刊TARU(たる)」が創刊30周年を迎えたと聞いた。

 出版文化が育ちにくいといわれた大阪で、日本酒からワインまで酒のあらゆるジャンルを網羅して、また、単なるグルメ情報にとどまらず、世界中の酒にまつわる文化やライフスタイル、人間模様をつづった多彩な記事を発信し続けている。B5版100ページほど。約8万人の読者は全国に広がっている。

  • 創刊30周年を記念して、30年前の世相を特集

 「TARU」の東京支社は、やはりというか、酒文化を語るには欠かせない場所、銀座にある。週に1度は上京するという高山恵太郎編集長(66)に話を伺うことにした。

 湘南育ちの高山さんが、人情味あふれる食い道楽の街大阪に魅せられたのは、広告代理店の営業マンとして1970年の大阪万博を担当したのがきっかけだった。

 もともと出版の仕事に携わりたいと思っていたが、「食文化も酒文化も西高東低。それにこだわった雑誌なら大阪で勝負できる」と考えた。そして、「おもろいな。やりなはれ」というサントリーの佐治敬三社長(当時)の励ましの言葉に背中を押された。万博から約10年が過ぎた、35歳の時だった。

 雑誌タイトルの「TARU」は、多くの酒醸造に用いられる「樽」に由来する。創刊当初は漢字一文字の「樽」だったが、皆に親しまれるようにと「たる」に変わり、3年前、アルファベットを使った今のスタイルになって、よりインターナショナルな雰囲気に落ち着いた。

酒にまつわる80年代の世相

 「昔から王様は樽を好み、王子が生まれると特別に樽を造らせるように命じたといいます。そう、樽は高貴なものなんです。重いのに一人でも転がすことができるし、形もどこかユーモラスで、親しみやすい」と、高山さんはいう。

  • 王貞治現役引退。花束を手に涙をこらえながらファンにあいさつ

 自身、酒を追って40か国以上を訪ね歩いた。藤本義一さん、開高健さん、森繁久弥さんら、豪華な顔ぶれの寄稿に恵まれた。表紙にもこだわり、並河萬里さんや池田満寿夫さん、片岡鶴太郎さんらが作品を提供した。

 現在も、高信太郎さんが書く「酒が綴る亡き落語家の半生史」や石原良純さんの「酒の家系図 石原家の酒 僕の酒」など、人気連載が組まれている。

 同誌11月号では、創刊30周年の特別企画「30年前のお酒 そして社会」と題し、1980年の世相を特集した。

 ジョン・レノンの射殺事件、モスクワ五輪のボイコット、王貞治が引退し、山口百恵がステージから姿を消した年。

 今年8月に訃報が伝えられた大原麗子さんが好演したサントリーウイスキーの名作CM「少し愛して、なが~く愛して」が流行したのもこの年だった。地酒ブームに吟醸酒ブーム、ディスコで流行ったトロピカルカクテルブームなど、酒の世界でも、懐かしいキーワードが並ぶ。いま全盛の発泡酒はまだ登場していない。

飲んで生まれる創造のエネルギー

  • 太宰治ら文豪に愛された老舗バー「ルパン」は銀座に健在

 編集後記で高山さんは、30年の思いを歌に託している。「よにといし おさけのよさを つづりきて ひとりしずかに みととせおもう」

 「順風満帆な30年だったのですか?」と尋ねると、「とんでもない」と、すぐさま答えが返ってきた。

 「酒の雑誌だから3合(号)でつぶれる』と言われ、借金が1億円近くまで膨らんだことも。ようやく読者がつき、レギュラースポンサーが現れるようになったのは創刊4年目から。街の酒屋やバーを回って1冊ずつ売りましたよ。今も決して楽じゃないですけどね」

 「酒を飲むと頭が柔軟になり、発想も豊かになる。酒が造り出す創造のエネルギーこそが文化を生み出す」が持論だ。

  • 銀座5丁目、三笠会館の「BAR5517」でシェーカーを振る名物バーマンの稲田春夫さん

 その例として、こんな話を教えてくれた。

 骨董品が好きだった父親の影響を受けてか、高山さんは陶器に目がない。友人にも陶工が何人かいる。その中の一人が創る酒器は、色も形もなかなかよくできているのに、それで飲むとどうもしっくりいかなかった。ところが、最近久しぶりに庵に立ち寄り、彼のぐい呑みで酒を交わすと、酒飲みにとって何ともいえない素晴らしい感触が味わえたというのだ。

 「彼は若いころ、酒をたしなむ方ではなかったけれど、ここ数年で酒の達人になっていた。『酒を知る』ことで、作品に大きな変化があったのです」

 白く長いあごひげをたくわえた独特の風貌は、どこか哲学者然としているが、高山さんの語り口はどこまでも柔らかく、「酒も人間も好きで仕方がない」という熱い思いが伝わってくる。

 「酒は魂に潤いをあたえ

 悲しみをしずめ

 優しい感情さえも呼び起こす」

 そううたったのは、古代ギリシアの哲学者、ソクラテスでしたっけ。

 「酒は8000年の時が過ぎてもなお、廃れていない。一杯の酒から初めてその人の本音が透けて見えたりもする。最近の若者はあまり酒を飲まなくなったようだが、酒宴ならぬ『酒縁』は大切だよねえ」

 正統派のバーが残る銀座は、バーマンのレベルも高いという。「バーマンは人生相談の達人。欧米では、『人間悩んだら神父に聞け。それでも解決できなかったらバーマンに聞け』といわれるのだから」とも。

 1年間に新たに交換する名刺は3000枚。まだまだ酒縁は広がっている。うれしくて飲み、また悲しくて飲んで生まれる出会いに、高山さんの足は今日も酒席に向かう。

 (プランタン銀座取締役・永峰好美)

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2009.12.04

達人の指導で、水引作りを体験

結び目に神の御心が宿る

  • 「水引芸」の達人、丁寅次さん
  • 水引作り体験では、参加者皆が真剣そのもの
  • 達人は、おしゃれな正月飾りをさらりと仕上げました

 前回の小欄でご紹介した、銀座8丁目、金春通りにある京焼の老舗「東哉(とうさい)」の店長、丁寅次さんは、「水引芸」の達人として知られる。

 年の瀬が近づくと、あちらの料亭、こちらのお座敷から声がかかり、「床の間飾り」をしつらえに銀座の街を飛び回る。

 そんな達人の手ほどきを受けて、水引作りを体験する機会があった。

 さかのぼれば、「結びの技」の歴史は古い。

 くくる、束ねるといった行為だけでなく、伝達の手段やものの所有を表す目印として、日常生活でも多用され、その機能美は発展してきた。

 結び目に「神の御心が宿る」と考えた古代人は、信仰の対象として尊んだと伝えられる。一本の紐を結んで、花や蝶、紋などを表現する花結びは、仏教伝来とともに伝えられ、人の手から手へと大切に受け継がれてきたのだ。

 美しく華やかな装飾として花開いたのは、平安時代だ。装束や調度品など、身の回りを彩るものの多くに、結びが用いられた。

 戦国時代には、権力者に仕える茶道役たちが、自分の用意したお茶に毒物が混入されることがないようにと、茶入れを袋に入れ、自分以外には再び結ぶことのできない「封印結び」を施し、カギ代わりにしたといわれる。

 結びの道具の一つ、水引は、紙製のこよりに水のりを引いて固めたもの。製法が、そのまま「水引」という名称のルーツにもなっているようだ。

 飛鳥時代、小野妹子が率いる遣唐使が帰朝する際、来朝した答礼使の献上品に麻紐が結ばれていたのが最初なのだとか。「麻紐は紅白に染められていたとの説もありますが、実は、献上品には本来、白黒の水引が使用されるといわれています」と、丁さん。

 室町から江戸時代にかけて、日本独自の文化が発展、礼儀作法が確立されていったころ、祝いの品などに水引をかける習慣や結びの技が広まった。特に、江戸時代、華やかな装飾結びが考案されるが、赤白などのように色を配して結びを楽しむようになるのは、明治以降という。

引いて締めて、祈りを込める

  • 最初はなんだかしまりのない「あわじ結び」になりました
  • 「引いて、締めて」とアドバイスされ、どうにか形に

 こま結び、つゆ結び、あわじ玉、亀結び、総角結び、吉祥結び、しゃが玉結び……。

 水引の結びはそれぞれに意味を持ち、感謝の気持ちや心づかい、祈りなどを伝える役割を果たしてきたのである。

 体験講座では、おめでたい正月に向けて、金銀5本ずつの水引を使い、「あわじ結び」という基本的な結び方を学んだ。

 まず、左手の親指と人差し指とで銀の水引をはさみ、右手の2本の指でつまんで、右手首をくるんと手前に回して親指を上に……。文字で説明すると、とてもややこしいことのように思われるかもしれないが、丁さんの手になると、一筆書きのようにすーいすい。所作が美しく、流れるように結びの技が完成されていく。

  • 私の作品。お正月、どこに飾ろうかしら?

 一方、不器用な私は大苦戦。1本1本の水引がねじれて重なり合わないようにするだけで精一杯で、最初はなんだか、しまりがなくだらしない結び方に。「もっと引いて、もっと締めて」という丁さんのアドバイスで、どうにか見られる形になった。

 ちなみに、あわじ結びは、両端を引っ張るとさらに強く結ばれることから、幾度あってもいいこと、一度しかあってはならないことの慶弔どちらにも用いられるという。

 最後に、紅白の紙をじゃばらに折って、金銀水引の亀結び(これはあらかじめ丁さんが造ってきてくれたもの)をあしらい、正月のちょっとおしゃれなお飾りも完成。

 大掃除をする前なのに、正月気分が一気に盛り上がってしまいました。

 (プランタン銀座取締役・永峰好美)

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2009.11.27

京と江戸の良いとこ取り、「粋上品」に遊ぶ器

小津安二郎が愛した京焼の老舗

  • 「最近は若い女性客も増えてきて、うれしい」という松村晴代さん

 年の瀬が近づき、新年用に何か縁起のいい器を買い足したいと思い、銀座8丁目、金春通りにある京焼の老舗「東哉(とうさい)」を訪ねた。

 1919年(大正8年)、京都の洛東清水音羽山麓で創窯した澤村陶哉の流れをくむ店だ。主に財閥系の注文生産で人気の作家だったが、「一般の人にも器のよさを伝えたい」と、戦前の1936年(昭和11年)、義理の息子の山田隼生氏が東京で「東の陶哉」=「東哉」を創業。現在は長男の悦央(よしお)氏が二代目を継ぎ、京都の清水茶わん坂で器のプロデュースを続け、次女の松村晴代さんが東京の店を切り盛りしている。長女も絵付け師の陶芸一家である。

 「東京で店をもつなら、あこがれの銀座と父は決めていたようです。個性が強く、その店でしか入手できないといった一品を自信を持って並べられるのは銀座、が持論でした」と、松村さんは語る。

 私が「東哉」の名前を知ったのは、ある雑誌の特集で「小津安二郎が愛した店」とあったのに興味をひかれてからだ。

 小津監督は先代の美的感覚に厚い信頼をおいており、映画で使用する器や床飾りなどについてよく相談をもちかけていたという。「鎌倉のご自宅から銀座に来られると、必ず店に立ち寄られたようです。それで、映画関係者の間では『監督を捕まえるには東哉へ行け』が合言葉になっていた」(松村さん)とか。

雅と粋の融合

  • 小津映画の「彼岸花」に登場した湯呑み茶碗は、指名買いの多い人気の一品

 小津作品の「彼岸花」(1958年)に登場した朱彩と菊の透かし模様を組み合わせた湯呑みは、いまもご指名で買い求める客が多いそうだ。そう、長女の結婚式前夜、帰りの遅い父(佐分利信)をやきもきしながら待つ家族、母(田中絹代)と2人の娘(有馬稲子と桑野みゆき)が囲むちゃぶ台にあった湯呑みである。

 「先代の父は、作品に裏千家の押印を許されたにもかかわらず、そんなPRは必要ないと頑なに拒んでいました。小津監督とのお付き合いについても同じスタンスでした。でも、監督生誕100年の2003年の時でしたか、いろいろお話もあったので、解禁してもいいかなって思いましてね」と、松村さんは振り返る。

  • 煎茶椀を手に説明してくれたのは、丁寅次店長

 時代を読むPRセンスは、もともと広告業界で働いていたから培われたものかもしれない。彫刻を学び、CMなどのスタイリストや様々なディスプレーの仕事をしていた松村さんは、イタリアに渡って、海外のトレンド情報を日本に発信する会社を手伝っていた。そこで気づかされたのは、「外国人に日本や京都のことを質問されてもきちんと答えられない情けない私」だった。

 日本のことをもっと知りたい、幼い時から身近にある陶器について一から学びたい――28歳で帰国し、東京の店で働くことを志願、いまに至る。

 華やかで色彩豊か、そして、繊細でどこか透明感があって、すっきりしたデザイン……。器の美を表現するのはなかなか難しいが、松村さんは、「東哉」の器を「粋上品」という言葉で形容する。

 京都の伝統、雅さ、上品さに、江戸の粋を取り入れたもの、といった意味らしい。上品だけれど野暮でない、粋だけれども下品に落ちない、そのぎりぎりのところで遊んでいる器たちなのである。

四季を彩る器で食を楽しむ

  • (上)箸置き一つで季節感が変わる(下)箸置きは帯止めにしてもおしゃれなのだとか

 和食器をそろえるというとなぜか気張ってしまいがちだが、これほど季節感を気軽に取り入れられるものはないだろう。

 華やいでほんのり色づく桜とともに里景色を彩る草花は、春の器に欠かせないテーマ。蒸し暑い夏には、背の低い広口の器や皿に流水や波紋があしらわれ、心地よい涼感が演出される。

  • (上)ふすまの引き手も立派なインテリアに(下)トルコブルーのエキゾチックな大蓋物

 一面を紅や金色の紅葉が飾り、菊や萩文様の器が使われるころには、温かい食べ物が恋しくなるはずだ。冬の器は夏とは対照的に、背が高く深さがあるものが多い。そして、正月の器には、松竹梅などの吉祥文様が華やかな気分にさせてくれる。

 季節の移ろいは、お膳の箸置き一つで表現できる。そう言われてみると、確かに、紅葉の箸置きは晩秋の山々の美しさを思い起こさせてくれる。

 「煎茶碗を小鉢に使ったり、そば猪口にしたり、吸い物を入れてもいいでしょう。箸置きを帯止めに使うのもしゃれていますし、ふすまの引き手も立派なインテリア飾りに。季節感さえおさえていれば、洋食器よりもずっと自由に楽しめますよ」と、松村さんはアドバイスする。

  • 縁起物のひょうたんがデザインされた小皿。大切に使います

 最近は、若い女性やフランス料理のシェフが店にふらりと立ち寄ってくれるのもうれしいという。

 トルコブルーの金彩の大蓋物は、何に使おうか。プチフールなどを載せれば、お茶の時間がもっと楽しくなるのではないだろうか。器使いのアイデアは、際限なく広がっていくものだ。

 さて、迷いに迷って私が買ったのは、伝統文様の桐だが、花の部分がひょうたんになっているユニークなデザインのもの。何だかめでたい。桐の花が咲くのは春だけれども、ひょうたんは縁起物なので新年を含めいつでも使えるそうだ。大切に使いたいと思う。

 (プランタン銀座取締役・永峰好美)

 ◆巧芸陶舗 東哉

 http://www.to-sai.com/

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2009.11.13

伝統を残しながら進化し続ける大人の街

編集者たちの見た“GINZA”の魅力

  • 「編集者たちの見たGINZA」では、熱い議論が

 本屋の店頭に並ぶ新刊雑誌を手に取ると、毎月のようにどこかで「銀座特集」が組まれている。老舗ののれんを守る人々、新しい顔になりそうな店、ちょっと頑張っておしゃれして出掛けたいレストラン……。

 時代のトレンドを常に一歩先んじてウォッチしている雑誌の作り手は、東京・銀座の「いま」をどうとらえているのだろうか。何に興味を感じているのだろうか。先日、「銀座街づくり会議」などの主催で開かれたパネルディスカッション「編集者たちの見たGINZA」に参加して、私なりに銀座の魅力を再認識した。

 登壇したのは、「家庭画報」(世界文化社)副編集長・小松庸子さん、「Grazia(グラツィア)」(講談社)編集長・温井明子さん、「STORY(ストーリー)」(光文社)編集長・山本由樹さん、「Hanako(ハナコ)」(マガジンハウス)編集長・北脇朝子さん、「BRUTUS(ブルータス)」(マガジンハウス)編集長・西田善太さんの5人。「東京画廊」代表の山本豊津さんが、銀座育ちかつ銀座で商いをする代表として司会進行を務めた。

伝統と革新のバランスを保つ

  • 伝統と革新のバランスを保つ、銀座並木通りのサンモトヤマ

 ディスカッションを聞いて、銀座を分析する4つのポイントが印象に残った。

 1つ目は、伝統と革新のバランスだ。

 2000年から11月号別冊で、毎年銀座を特集している「家庭画報」の小松さんは、「銀座は、際限なく思う存分におしゃれができる街。街自体が雰囲気をもっていて洋服も着映えする」と街のたたずまいを語る。

  • 2000年から11月号別冊で銀座を特集する「家庭画報」

 一方で、こんな問いかけもした。昔から銀座は、目新しい舶来ものを紹介するショーウインドウ的な役割を果たしてきた。時代を築いてきた自負に寄りかかり、その栄光の歴史にしがみついて守りの姿勢に入っていないか。今までの成功例の焼き直しにばかり逃げていないだろうか。

 「伝統を大切にする職人ほど最先端を意識して仕事をしないと、リーダーではいられない。革新的であることを恐れずに、挑戦・改革の気概を常に持ち合わせていることが大切。50年の歴史をもつ『家庭画報』の姿と重ね合わせて考えました」

 新しいものを取り入れながらも、銀座という街のフィルターを通して、伝統と革新のバランスを保つ――。その好例として、小松さんは、サンモトヤマや資生堂、老舗テーラーの壱番館などの名前を挙げた。

新世代がつくる新しい銀座

  • 「新30代」御用達のフレンチレストラン「ロオジェ」

 2つ目のポイントは、「新日本人」がクルージングする街という視点である。

 「カッコいい大人の女性(になりたい人)たち」がターゲットの「Grazia」。温井さんは、「この10年間で、特に都市部の30代の女性の変貌はすさまじい。35歳は女の定年ではなく、そこからが本物という感じ。新しい日本人が誕生したと思った方がいいくらいの激変」と強調した。

 いまや一度は就職して社会人の経験をもつ女性がほとんどだから、「子育てで一時家庭に引きこもっていると、自分だけ遅れてしまうというあせりもあるようだ。だから、情報を収集するのに骨を惜しまないし、行動も早いんです」とみる。

 バブル時代を知らない「新30代」は、年を重ねたからラグジュアリーブランドに向かうのではなく、「私らしさ」「カジュアル」「軽やかさ」に魅かれる。おめかしして高級フランス料理店に行くけれど、安い韓国ランチも知っている。そうした女性たちの行動に合わせて銀座特集も進化しているという。

 一方で、伝統の老舗の技については、外国人が日本文化に興味を抱くのと同様な見方をしており、「職人芸」「手仕事」「本物」に強く魅かれる。

パートナーを今より3割素敵に見せる街

  • 銀座の「いま」は変化も激しい

 3つ目のポイントは、男の見方、女の視点で見た街のとらえ方の違いだろう。

 「第二の成人式」がテーマで、「Grazia」よりも少し上の年齢を対象にした「STORY」。山本さんは、「銀座で夜7時に待ち合わせをする」という場面を設定し、読者カップルを使って特集したファッション企画の反響をこう語る。

 妻たちからは「外で見る夫は、スーツをぱりっと着こなして見違えてしまった」、夫たちからは「待っている妻の姿に惚れ直した」との声が多くあがった。「銀座は人を今より3割くらい素敵に見せる街。夫婦仲を見つめ直すいいきっかけを作ってくれる街かもしれませんね」

 だが、「銀座は、男性の社用という根強いイメージを崩して、女性がもっと遊び尽くせる街になればいい」(温井さん)との意見には、「これ以上女性を強くしてどうするの?って言いたい。読者カップルを見ると、親子と間違えるほど女性は若く輝き、男性は苦しみを一心に背負っているかのように老け込んでいる」と会場の笑いを誘った。

 「女性は放っておいても大丈夫。男性はお客になれば、その店を裏切らない習性がある。男をもっとつかまえて、男が輝ける街にしてほしいなあ」とも。

変わらない街のよさを残す

  • 路地の緑の植え込みに、ほっと一息つくことが少なくない

 4つ目は、原点に戻るようだが、変わらない銀座のよさを残すこと。私自身、銀座の古い露地裏を歩くだけで、どこかほっとすることが少なくない。

 「Hanako」の北脇さんは、関西で仕事をしていたこともあり、銀座初心者の目線で雑誌をリニューアルした。「先入観を捨てて、街を皮膚感覚で素直に感じることから始めた。この店いいなと思ったら扉を一枚だけ開けて情報を切り取る、直球勝負の雑誌作りです」

  • 街を皮膚感覚でとらえるという「Hanako」

 そうした中から気づいたのが、「変わらない銀座の香り」だった。歴史や伝統があるところほど入るには難易度が高い。でも、本質は崩さず、格式あるところは残しながらも、「今を生きる普通の人たちが手の届く質感」を大切にできるのが銀座の街ではないかと指摘する。

 「BRUTUS」の西田さんには、幼いころ、「アンガス牧場」(旧スエヒロビル地下)の巨大ステーキに小躍りし、「風月堂」でお茶する大人の背中にあこがれたといった、銀座の記憶がある。「両親に連れられて行った子どものころの原体験が、自分にとって行きつけの街になるきっかけにもなった」と話す。

 銀座にはいろいろな引き出しがある。私自身、大人の作法にそれとなく接して背筋がびんと伸びた淡い思い出があるのがこの街だ。10~20代のころの遊び場に尖った流行の街を選んでも、なぜか戻って来たくなるのが不思議だ。

 50代になったいま、私は心底もっと銀座を楽しみたいと思い出した。

 (プランタン銀座取締役・永峰好美)

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2009.11.06

ゆったりした時間が流れる街でワインを楽しむ

ナヴァロで味わうパワフルなピノ

  • ワインカントリーの最北端にあるメンドシーノ郡の「ナヴァロ・ヴィンヤード」
  • カジュアルなテイスティングルームは、地元の人々にも人気がある

 有楽町の映画館で、カリフォルニアのワインカントリーが舞台の「サイドウェイズ」が公開されたので観なおすことにした。映画も2度目になると、主人公たちが語る台詞の細部が気になるものだ。

 劇中、ワインをめぐってのこんなやりとりが頭に残った。

 「どうして、カベルネが好きなの?」

 「カベルネはね、どんな土地でもカベルネの味を保っている。カベルネ自身の味を主張しているの」

 「ワインはカベルネが好きだけれど、私自身はテロワール(土壌)に影響されやすいピノノワールだったのかもしれない・・・」

 カベルネ(ソーヴィニヨン)も、ピノノワールも、赤ワイン用ブドウの品種だ。一般的に、果皮の薄いピノノワールは、栽培面でも醸造面でも気難しく、複雑で緻密、細心の注意を払う必要があるといわれ、それに比べてカベルネは適応性が高く、耐久性にも優れている。

 温暖な気候のカリフォルニアでは、深い紫色でタンニン分に富むカベルネが最もポピュラーなのだが、最近はより複雑な味わいのピノの人気も上がっている。

 ワインカントリーの最北端に位置するメンドシーノ郡は、冷涼な気候を好むピノの産地として知られる。

  • 「ナヴァロ」はピノでも定評がある

 ナヴァロ川に沿って広がるアンダーソン・ヴァレーのブドウ畑は、太平洋から運ばれる涼風と霧によって、ピノの栽培に最適な条件が生み出されているのだ。

 1970年代に、ベネット夫妻によって創設された「ナヴァロ・ヴィンヤード」は、アンダーソン・ヴァレーのパイオニア的存在。「ワイナリー・オブ・ジ・イヤー」を獲得し、国際的な評価も上がっているが、消費者への直接販売にこだわり、少量生産を貫いている。

 カジュアルな雰囲気のテイスティングルームで、2006年産のピノを味わった。ルビー色の若々しい色調、果実味豊かで、スパイスやハーブの香りも。厚みを感じさせるとてもパワフルな印象だった。

街のシンボル木造のウォータータワー

 ワイナリーを後に、ハイウェイ128号を北上、レッドウッドの林の中をくぐり抜けて、メンドシーノの街に出た。

 海岸に突き出た岬にあるこの街は、人口1000人余り。1850年代、東海岸のニューイングランド地方からの移民によって建設された歴史がある。

 20世紀初めまでは、豊富なレッドウッドの原生林を切り出して、サンフランシスコなどの都市部へ出荷する材木の積み出し港として栄えたが、林業の衰退とともに街は活気を失っていく。だが、急速な近代化の波に乗り遅れたお陰か、建設当初のヴィクトリア調の家並みが保存され、時間が止まったかのような古き良き時代の空気に浸れる。

  • レッドウッドの林を抜けると、海岸線に。メンドシーノの街は近い。
  • (上)ヴィクトリア調の雰囲気が保存されている「マッカラム・ハウス・イン」、(下)あちこちに点在する給水塔はメンドシーノの街のシンボル

 その典型的な建物が、街の中心部にある宿泊施設「マッカラム・ハウス・イン」。1882年、街を建設したウィリアム・ケリー氏が娘の結婚祝いに作ったのが始まり。2階のテラスからは太平洋が見渡せ、木の温もりがやさしいアンティーク家具や石造りの暖炉などに囲まれていると、ゆったりとした時の流れにしばし身を任せたくなる。

 地元原産のレッドウッドで作られたウォータータワー(給水塔)はこの町のシンボルともいえる。今でも街の人々は、地下水を汲み上げ、タワーに貯めて使っているという。そのせいか、水がとても美味しい。

アーティストコロニーで“東洋”と出会う

  • (左)「東洋との出会い」をテーマにしたギャラリーも、(右)アーティストコロニーのユニークなオブジェ

 周辺を歩いてみると、昔ながらの外観を残したギャラリーやアートセンターが点在している。いつの間にか、ユニークな動植物のオブジェが置かれた庭に迷い込んだ。アーティストが暮らすコロニーだった。80年代後半から増えているという。

 日本的な風景をポップな色彩で描いていたり、墨絵や浮世絵などに影響された作風であったり、小さな街での「東洋との出会い」を探すのは楽しい。アートが縁で、長野県美麻村と姉妹都市関係を結び、日本との交流も盛んなようだ。

 もう一つ、街で目についたのが、バックパッカーやヒッピーファッションに身を包んだ人たち。聞けば、70年代には、ウッドストックの影響を受けた野外ライブが盛んに行われていたという。ピースマークを掲げた占いショップやエコロジーを意識したリサイクルショップ、農薬などを使わないオーガニック食品を扱う店など、ヒッピー的なライフスタイルを支える場所が少なくない。

  • (上)バックパッカーたちが憩うカフェの周辺、(下)占いショップの壁には、ピースマーク
  • ヒッピー的ライフスタイルを支える「メンドシーノ・マーケット」
  • (上)ニューマイヤー夫妻と娘さん、(下)ワインもほとんどが有機栽培の畑育ち

 ニューマイヤー夫妻が経営する「メンドシーノ・マーケット」もその一つ。たとえば、ポテトチップスに使う油はオリーブ油のみ、地元産ワインも有機栽培の畑育ち、肉も魚も野菜も、生産者の顔がわかる安全にこだわったものしか並べない。「自然や芸術を愛するヒッピー的生き方は人々を健康にする」が夫妻の持論である。

 おとな世代よ、時にヒッピー的なスタイルをまねて、自然と静かに向き合ってみるのも悪くないのではないか。

 「ワインにも人生にも、正解はないよ。それぞれの選択に、それぞれの味わいがある」――。「サイドウェイズ」の台詞が、頭の中でこだました。

 (プランタン銀座取締役・永峰好美)

 ◆マッカラム・ハウス・イン(英語)

 http://www.maccallumhouse.com/

 ◆カリフォルニア州観光局の日本語サイト

 http://www.visitcalifornia.jp/

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2009.10.30

健全な社会は健全な食品から~オーガニック生活のススメ

自然栽培野菜とこだわりの食材

  • 食の安全に敏感な都会人に人気の、木挽町通り「ナチュラルアンドハーモニックGINZA」

 東京・銀座の一角に、健康や食の安全に気を配る人たちに、圧倒的に支持されている店がある。「ナチュラル アンド ハーモニック GINZA」。

 1階の「結市場(ゆいちば)」には、肥料も農薬も使わない自然栽培の野菜を中心に、昔ながらの製法にこだわった味噌や醤油、それに天然素材の雑貨などが並ぶ。私は、無農薬畑から採取されるコットンで作られたTシャツのファン。肌触りがなんとも優しいからだ。

  • 自然農法で栽培された、「レストラン日水土」の野菜の盛り合わせ

 2階には、野菜が主役の「レストラン日水土」があり、ランチタイムは近隣のOLさんでにぎわっている。ある日の野菜盛り合わせは、長イモ、レンコン、トマトにジャガイモ……。ナスの上には雑穀のピューレが載って、ブドウジュースにコショウで風味付けしたソースがアクセントに。いかにも、体によさそうではありませんか。

オーガニック専門店が並ぶ北カリフォルニアのマーケット

 「フレッシュな地元産のものを買おう」「サステイナブル(持続可能)な環境保全型のオーガニック(有機栽培)農家を支えよう」――先日訪問した北カリフォルニアの市場でも、店頭でそんなキャッチフレーズが目に付いた。

 例えば、サンフランシスコ東側のウォーターフロント、フェリービルディングのマーケットプレイス。2003年の改装で、1階には、「近隣で収穫されたオーガニック・フードや雑貨」をテーマにした約40店舗が並ぶ。野菜にハーブ、チーズ、オリーブオイル、パン、コーヒーなど、小規模だがこだわりの一品を作る専門店ばかりである。

  • 米サンフランシスコのフェリービルディングからベイブリッジを望む
  • オーガニック・フードが並ぶ「フェリービルディング マーケットプレイス」
  • ナパの「オックスボウ パブリックマーケット」もオーガニックな地産地消がテーマ

 サンフランシスコ周辺は、ベトナム反戦の学生運動発祥の地。1970年代には、自然回帰を志向したカウンターカルチャー(対抗文化)の流れの中で、禅や有機農法などへの関心が育まれていった伝統がある。

 ファストフード偏重やカロリー過剰摂取への反省、それに加えて、今後25年間でカリフォルニア州全体で2000万人の人口増が見込まれる状況では、環境保全型農業をはじめとするエコロジーへの積極的なかかわり方は危急の課題でもあるのだ。

 この「マーケットプレイス」の仕掛け人、スティーヴ・カーリン氏がワインカントリーのナパに、2007年オープンしたのが、「オックスボウパブリックマーケット」。コンセプトはサンフランシスコと同じだが、さすがワインやチーズのコーナーがより充実している。

ワインは地球のナチュラルプロダクト

 ブドウ畑でも、環境保全型の栽培方法が多くのワイナリーで採り入れられている。

 1980年代から多様な生物や大地のもつ自然の力に注目して土壌改良を続け、ナパ・ヴァレーでオーガニックワイナリー第一号に認定されたのは、「フロッグス・リープ」。ワイナリーが創設された場所がカエルの養殖場だったことにちなんで、ジャンプするカエルがワインラベルにデザインされている。ソーラーシステムの導入、地熱を利用しての土地管理など、環境に配慮したワイナリーの先導的な役割を果たしている。

  • ナパのオーガニックワイナリー第一号、「フロッグス・リープ」
  • (左)「フロッグス・リープ」のテイスティングテーブルの向こうに畑が広がる、(右)ゲストハウスは有機栽培の花々に囲まれて
  • (上)「ルビコン・エステート」のブドウ畑。奥に、コッポラ邸がある、(下)世界のベストソムリエに選ばれた「ルビコン」のラリー・ストーン氏

 オーナーのジョン・ウィリアム氏は東部の酪農家に生まれ、コーネル大学で酪農を学んだが、ワイナリー実習ですっかりワインに魅せられ、卒業後、醸造学を修めるためにカリフォルニア大学デイヴィス校へ。ヒッピー生活を送った時期もあり、「ワインは地球のナチュラルプロダクト」が口癖だ。ブドウ畑が見渡せるゲストハウスの周りには花が咲き乱れ、すくすくと育った野菜やハーブなど、大地の恵みであふれていた。

 映画監督のフランシス・フォード・コッポラ氏が1975年に設立したナパの「ルビコン・エステート」も、早くから環境保全型の栽培を実践してきたワイナリーとして知られている。

 同ワイナリーの総支配人で世界のベストソムリエに選ばれたことのあるラリー・ストーン氏が説明してくれた。

  • 「ルビコン」の畑には、節水の工夫がある

 「フランシスの妻のエレノアが、バークレーの有名なオーガニック・レストラン『シェ・パニーズ』のアリス・ウォーターズから薫陶を受けたのがきっかけです。80年代当時はまだ、一般的に、オーガニックに関心を持つのは変わり者のヒッピーぐらいと言われていた。それでもエレノアは、『健全な社会には健全な食品が必要で、健全な食品には健全な地球、大地が不可欠』というアリスの哲学を説いて、畑すべてに有機農法を採り入れた。時代を読んでいたんですね」

 畑の畝の間には、クローバーやソラマメ、エンドウなど窒素を豊富に含む植物を植えているので、雑草も少なく、肥料をまかなくても土はふかふか。てんとう虫やクモが繁殖し、害虫を駆除してくれる。小川や湿地帯、草原が保全され、フクロウなどの野鳥も共存しているので、モグラなど畑を荒らす小動物が現れなくなった。様々な生物のサイクルが、ブドウ畑を中心に機能しているのだ。

 灌漑はホースに付いた小さなノズルから水を適量散布するシステムで、水量を大幅に削減。また、醸造現場で使用した水はろ過して灌水として再利用しているという。

オーガニックホテルのエコ・メッセージ

  • サンフランシスコのエコなホテル「パロマー」は、繁華街のビルの上層階に

 オーガニックな風は、宿泊施設にも吹いていた。

 サンフランシスコの中心部、ユニオン・スクエアにほど近い「ホテル パロマー サンフランシスコ」。お買い物スポットの喧騒の中に佇むブティックホテルだが、至るところにエコな工夫がみられる。

 ロビーで振る舞われているのは、フェアトレードのオーガニックコーヒーだった。部屋のバスタオルもシーツも、客のリクエストがない限り毎日決まり事だからといって取り替えない。おしゃれなバスローブも素材はオーガニックコットン。

  • (左)バスローブもオーガニックコットン製、(右)客のエコなアクションを促すファクトシートに注目!

 シャワーやトイレは節水タイプ、清掃には環境に配慮した洗剤を使用、パンフレットをはじめとする印刷物には再生紙と大豆由来のインクを使い、客が使用しなかったアメニティは慈善団体に寄付する。「我々のホテルグループが印刷物に100パーセント再生紙を利用することで、年間1万リットルを超える水や4000キロワットを超える電力……などの削減につながっている」といったファクトシートが、部屋の各所にさりげなく置かれている。「エコな行動はあなたの意識次第」――そんなメッセージが伝わってきた。

 銀座のオーガニック旅館「お宿吉水」を、以前小欄でご紹介したことがある(3月27日付)。日本とアメリカ、比べてみるのも面白いかもしれない。

 (プランタン銀座取締役・永峰好美)

 ◆ホテルパロマー サンフランシスコ(英語)

 http://www.hotelpalomar-sf.com/index.html

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2009.10.23

ヴィノテラピーで極上リラクゼーション

天然ポリフェノールできれいになる

  • ナパにある「ザ・メリタージュ・リゾート・アンド・スパ」

 突然1日休みが取れることになったら、あなたなら何をしますか? 私は迷わず、「スパ(温浴施設)へGO!」でしょうか。

 あわただしい日常から離れて、心身の疲れを癒してくれる極上リラクゼーションで、しばしプチぜいたくを味わいたい……。最近のお気に入りは、銀座にほど近い外資系ホテルのスパ。当日の体調や気分に合わせて、セラピストが2時間ほどの施術を組み立ててくれる、わがままなプログラムが好きだ。38階のガラス張りの角部屋から見下ろす大都会の景色もなかなか圧巻である。

  • プールの向こう側、ブドウの丘の下に「スパ・テッラ」がある

 とはいえ、やはり緑に包まれた環境でのスパ体験はリラックス度が格段に違う――そう実感したのは、先日、北カリフォルニア・ワインカントリーを旅したときだった。しかも、ワインの香り漂う中でとなると、なおさらだ。

 赤ワインに多く含まれる天然ポリフェノールの抗酸化作用や抗炎症作用、アンチエージングの効果などが注目されるようになって久しい。高濃度のポリフェノールは、特に、ブドウの種子や果皮に多く含まれているといわれる。

 欧米諸国では、このブドウの自然のパワーを利用したヴィノテラピー(ワインセラピー)の研究が進んでおり、「ワインできれいになる」といったキャッチフレーズで、スパ・トリートメントに取り入れるリゾートホテルも続々と登場、人気になっている。

ブドウの丘のリゾートスパ

  • (上)洞窟のような通路を抜けて、トリートメントルームヘ、(下)ひんやりと心地よい岩室でトリートメントを受ける

 最初に訪ねたのは、ナパにある「ザ・メリタージュ・リゾート・アンド・スパ」。「メリタージュ」とは、カリフォルニアでフランス・ボルドー品種をブレンドしたワインの呼称で、merit(利点)とheritage(遺産)を組み合わせた造語だ。ミーティングルームには、「カベルネ」「メルロ」などの名前が付けられており、もちろん室内にはワインセラーも完備。ワインカントリーらしい演出である。

 中庭にあるプールの向こう側には、なだらかなブドウの丘が一望できる。丘の下にはワインカーブが掘られていて、そこに、2年前、スパ施設「スパ・テッラ」とワインバーがオープンした。

 鈍い灯りに導かれて洞窟のような通路を抜けた先に、トリートメントルームがある。モザイクタイルや錬鉄製のインテリアで飾られた空間は、どこか幻想的だ。岩室なので、適度な湿気があり、ひんやりして心地よい。

 50分のボディトリートメントを選んだ。まずは、細かく砕いたグレープシード(ブドウの種)でスクラブ。古くなった角質を取り除き、ジェットシャワーリンスでしっかり洗い流す。ワインのエキスとローズヒップをブレンドした泥ラップにくるまり、最後はグレープシードローションでたっぷり保湿する。

 日焼け跡の手入れを怠っていた私の肌はしなびた野菜のようにシワシワで、かなり危険な状態だったが、少しばかり潤いを取り戻せた気がした。

 いや、これだけでは満足いかない。が、さらなる修復は可能なのだろうか……。

ワインの香りに包まれ、セレブ気分

 翌日は休息日にしていたので、思い切って半日をスパで過ごすことに決めた。

 ナパを北上し、目指すは、ハリウッド・セレブもお忍びで来るというソノマの「ケンウッド・イン・アンド・スパ」。トスカーナ風建物の正面入り口は、ブドウやツタのつるが絡まる白亜の壁。緑のじゅうたんで覆われていて、隠れ家的な佇まいである。一歩中に入ると、手入れの行き届いた植栽や軽やかに響く噴水の水音に癒され、中世イタリア貴族の館に招かれたようなリッチな気分にさせられる。

  • 緑のじゅうたんで覆われた館、「ケンウッド・イン・アンド・スパ」
  • (上)スパの待合室は落ち着いた空間、(下)リラックス効果を高めるハーブエキス
  • (上)クレオパトラを気取って、ワイン風呂へ、(下)アメニティも自然の産物から

 ここはちょっとぜいたくして、「ヴァレー(谷間)の真髄」というたっぷり5時間のコースに挑むことにした。

 待合室には、各種ハーブティーやシェリー酒などが用意されていた。私は、「記憶力が高められる」「ブッダのような穏やかな気持ちになる」といった文言が記されたハーブエキスに魅かれ、スパークリングウォーターで割ってみた。効果のほどはさだかではないが、「キレイになるぞ!」というやる気は高められたと思う。

 セラピストに案内され、まずはワイン風呂へ。ワインエキス配合の淡いピンク色のジャグジーで、クレオパトラを気取ってリラックス。窓越しに、葉が色付き始めたワイン畑が見渡せた。芳醇なワインの香りに包まれ、アメニティも、「ワインボディウォッシュ」とか「ホワイトティークレンジング」とか、なんだか体によさそうだ。

「自分へのご褒美」で心も体も潤う

  • 5時間のスパ体験で主に使用したスキンケア製品

 50分間のスクラブでは、サトウキビ、グレープシード、シャルドネ・オイル、リースリング・オイル、そして赤ワインのエキスが配合されたものを使った。ペットの犬のように首から下をブラッシングされると、実に“痛(イタ)きもちいい”のだ。続いて、インエキスとローズマリー、それに精油がブレンドされた泥ラップに80分間包まれて、全身ぽかぽかしてきた。代謝がよくなって、体内の老廃物を排出、デトックス効果があるという。仕上げは、普段まったくノーチェックの首周りや背中、頭皮をグレープシードローションで軽くマッサージ。

  • (上)小休憩では、部屋に戻って軽くランチ、(下)サラミやオリーブ、チーズなどワインのお供がずらり

 さらに、50分間のボディー全体のアロマ・マッサージが続き、私はとうとう途中で寝てしまった。「グレープフルーツのマッサージクリームは鎮静効果抜群なんですよ」と、担当のセラピストが教えてくれた。それだけリラックスできたということなのだろう。

 小休憩。部屋に戻り、ぱちぱち燃える暖炉の前で、サラミやチーズをつまみ、ワインを片手にゆったりくつろぐ。そして最後は、これまたワインエキス入りのマスクで顔をしっかりパック。

 「もう完璧!」と、私はつぶやいた。

 カサカサに乾燥していた肌が、それなりにプルプル、しっとりした質感に戻った感じ。まあ、危機は脱したのだろう。そして何よりも、からだが軽く、清清しい気持ちになっている自分がうれしかった。

 円高のお陰もあって、カリフォルニアでのスパ半日コースは、日本のホテル・スパ2時間の料金とほぼ同じ。おとな世代の「自分へのご褒美」に、こんなお籠もりの楽しみを加えてみてはいかがだろうか。

 (プランタン銀座取締役・永峰好美)

 ◆ザ・メリタージュ・リゾート・アンド・スパ(英語)

 http://www.themeritageresort.com/

 ◆ザ・ケンウッド・イン・アンド・スパ(英語)

 http://www.kenwoodinn.com/

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2009.10.16

北カリフォルニア、ワインカントリーを訪ねて

ワイナリー500軒が点在する「ワイン街道」

  • ワインがおいしくなる季節。プランタン銀座で開催中の「カリフォルニアワインフェア」
  • 世界で15人しかいない女性マスター・ソムリエ、アンドレア・ロビンソンさん
  • 色づき始めたカリフォルニアのワイン畑を、ハーツのレンタカーで走り抜ける

 青く澄んだ空と降り注ぐ陽光、収穫が終わってあたり一面オレンジ色に輝くブドウ畑の葉を爽やかな風が吹き抜ける――。そんな北カリフォルニアの秋の気配が、プランタン銀座のワイン売場には漂っている。

 20日まで開催中の「カリフォルニアワインフェア」では、前回の小欄でご紹介した、映画「サイドウェイズ」に登場するワインをずらりと集積している。フロッグス・リープ、ベリンジャー、ニュートン、ダリオッシュ、ロバート・モンダヴィ……。

 1か月ほど前、私は米カリフォルニアにいた。「サイドウェイズ」の舞台になった北カリフォルニア・ワインカントリーを駆け足で訪ねる旅である。

 旅のスタートは、サンフランシスコに向かうデルタ航空の機内から始まった。スパークリングワインはカリフォルニア、2種類の赤はカリフォルニアとフランス・ローヌ、白も2種類でアルゼンチンとフランス・ブルゴーニュ、デザートワインはポルトガルとオーストラリアと、種類が豊富だ。

 機内のワインを統括するアンドレア・ロビンソンさんは、ソムリエ教育の国際機関が認定する、世界で15人しかいない女性マスター・ソムリエの1人。季節に合わせて変化する料理に合わせて、約900種類ものワインから選び出すという。そういえば、彼女が2002年から編集している「すべての人のためのワイン購入ガイド」には、コストパフォーマンスのいいワインを探している時に随分と助けられたものである。

 サンフランシスコから約100キロ北に位置するのが、カリフォルニア・ワインカントリーの玄関口、ナパの街。ナパ・ヴァレーを南北に貫くハイウェイ29とそれに並行して走るシルヴァラード・トレイルは、別名「ワイン街道」とも呼ばれている。ワインカントリーにはざっと500軒近くのワイナリーがあるが、その多くが谷間を走る2本の道路沿いに点在している。

 空港でレンタカーを借りて、自由に動き回るというのが米国流のワイナリーツアーだ。といっても、1日に3、4軒は回ってワインの試飲をするのだから、私はもっぱら酒を飲まない友人にハンドルを握ってもらった。

目指すワインは“黒いドレスのオードリー・ヘップバーン”

 ナパとソノマに分岐するあたり、なだらかな丘陵にブドウ畑が広がる一帯がカーネロス地区。主にシャルドネとスパークリングワインの産地として知られる。

 フランス・シャンパーニュ地方の名門、テタンジェ社が1987年に設立した「ドメーヌ・カーネロス」の醸造責任者は、アイリーン・クレインさん。女性である。

 先に挙げたアンドレアさんのように、米国のソムリエの世界では女性の進出が著しいが、醸造責任者となるとまだ少数派のようだ。

 アラ還(アラウンド還暦)世代のアイリーンさんは、栄養学の修士号を取って東海岸で教壇に立っていた。「戦争中、ノルマンディー作戦でオマハビーチに上陸した父はフランスでワインの味を覚えて、帰国後は自宅にセラーを造りました。1950年代の米国ではまだ珍しいこと。ワインにはそれぞれ物語があると言って、歴史や風土の話で幼い私を楽しませてくれたんです」と振り返る。

  • 石組みのシャトーの中庭で、ワインテイスティングを楽しむ(ドメーヌ・カーネロスで)
  • 女性醸造責任者の先駆者、ドメーヌ・カーネロスのアイリーン・クレインさん
  • アイリーンさんが働いていたドメーヌ・シャンドンも、フランスの名門シャンパンメーカーの所有

 ワインへの思いは募るばかりで、醸造学で有名なカリフォルニア大学デイヴィス校の門をたたくが、最初は「教養課程からやり直せ、卒業しても女性は樽を運べないから無理だろう、などと言われました」。

 その後、手を差し伸べてくれる教授に出会い、数か月で学位を取得。フランスの「モエ・エ・シャンドン」がナパで展開するスパークリングワインの「ドメーヌ・シャンドン」で、ワイナリーを案内するツアーガイドやパン職人をしたり、ソノマでは、ワイナリーの建物の設計をしたり、ワインに関係のある仕事があれば「何でも挑戦した」という。まもなく40歳という時、その働きぶりを見ていたテタンジェ社の社長から、新しく立ち上げるワイナリーの醸造責任者を任せたいと言われたのだ。

 「あなたの目指すワインのスタイルは?」と尋ねると、「黒のドレスを完璧に着こなしたオードリー・ヘップバーンのイメージ」との答えが返ってきた。控えめで、上品で、着飾っている雰囲気はないのに、人一倍注目される存在でありたい、という意味らしい。料理研究家のジュリア・チャイルドやアーティストのエラ・フィッツジェラルドなど、米国の偉大な女性たちに捧げるワインも考案し、ビジネス誌で「米国で影響力のある75人の女性」に選ばれた。

老舗ワイナリーを支える女性パワー

  • ベリンジャーの醸造責任者、ローリー・フックさん

 130年以上の歴史のあるナパの老舗ワイナリー、「ベリンジャー」の醸造責任者も女性だった。ローリー・フックさんは、アイリーンさんより10歳以上若い。

 「母方の祖先をたどると、フランスで、革命以前にシャトー・オリヴィエというワイナリーを所有していたんです。化学実験や自然観察、それに歴史が好きな女の子でしたから、醸造学を目指すのは自然な選択でした」と語る。ローリーさんも、デイヴィス校の卒業生だ。

  • ステンドグラスがはめ込まれ、伝統を感じさせるベリンジャーの入口

 「小柄だからブドウの収穫は無理だろうと言われたこともありましたが、女性だからといって露骨に差別を受けたことはありませんね。前の世代の女性の先輩が頑張ってくれたからでしょう。理解ある上司にも恵まれ、ワイン造りのすべてにかかわらせてもらいました」

 ブドウ畑のすぐ近くに住んでいるので、毎朝4時か5時には出掛ける。「朝霧が立ち込め、空が紫がかったブルーに輝き出すころ、畑を歩きながらあれこれ考えるのが至福の時です」とも。

 米国では最近、醸造学を専攻する学生の半分が女性で、首席で卒業するのも女性が多いという。女性醸造家に特化した様々な競技会も開催されるようになった。また、あるアンケートで、ワインを購入する時「妻が決定権をもつ」と答えた家庭は6割を超えており、「ワインの世界での女性パワーは着実に強まっている」との分析もある。

 さて、日本でも、女性のワイン醸造責任者が活躍する時代は近いだろうか。

 (プランタン銀座取締役・永峰好美)

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2009.10.09

「サイドウェイズ」~折り返し点からの夢の実現

ちょっと立ち止まって、“人生の寄り道”

  • 映画「サイドウェイズ」は、カリフォルニア・ナパが舞台((c)2009 Twentieth Century Fox and Fuji Televesion)

 夢中で突っ走った青春の日々、懐かしい友達、実らなかった恋、キャリア、異国で体験したカルチャーショック、結婚そして別れ、再出発、ずっと持ち続けていたいヤンチャなハート、まだあきらめきれない夢のいくつか……。

 人生の半ばを過ぎた「おとな世代」ならば、どこか心に引っかかるキーワードではないだろうか。

 人生、思うようにはいかないものさ、とつぶやきつつも、まだあきらめていない自分がいる。とはいえ、残された人生の短さを知ってあせりもする。さて、次の一歩を踏み出すには、どうするか。ちょっと立ち止まって、“人生の寄り道”でもして、冷静に自分を見つめ直してみるか――。

  • 完成披露試写会でワインで乾杯するキャスト。左端はチェリン・グラック監督、右端は音楽担当のジェイク・シマブクロさん

 そんな気持ちにさせてくれる映画である。

 10月31日から全国ロードショーが始まる「サイドウェイズ」(20世紀フォックス映画配給)。2004年にアカデミー賞脚色賞を受賞した米映画「サイドウェイ」を、日本人キャストで新たにリメークした日本版だ。

 公開に先駆けて、銀座のお隣、有楽町の東京国際フォーラムで完成披露試写会が開催され、小日向文世、生瀬勝久、菊地凛子、鈴木京香の4人のキャストがオープニングで登場、ワインで乾杯した。

  • 映画にも登場する「ダリオッシュ」のダニエル・デ・ポロ代表

 というのも、この映画のもう一人の“主役”はワインなのである。

 主な舞台は、米カリフォルニア州ナパ・ヴァレー。カリフォルニアワインの聖地だ。劇中には、フロッグス・リープ、ニュートン、ベリンジャーなど、バラエティーに富む11のワイナリーが登場。色、味、香りなど千差万別なキャラクターをもつワインに、主人公たちは自らを重ね合わせつつ、人生を振り返るといった設定である。

 ワインと人生、そして人生折り返し点を過ぎてからの夢の実現……。

 映画に登場するワイナリーの一つ、「ダリオッシュ」のオーナー、ダリオッシュ・ハレディ氏は、そんな物語を体現している人物として知られる。完成披露試写会に合わせて、氏の右腕として活躍する同ワイナリーのダニエル・デ・ポロ代表が初来日したので、食卓を囲みながらじっくり話を伺った。

 では、ダリオッシュ・ストーリーのはじまり、はじまり――。

ワインへの尽きない情熱

  • 幼い時からの夢を実現、ワイナリーのオーナーになったダリオッシュ・ハレディ氏

 ダリオッシュ・ハレディ氏は、イラン西部、ロレスターン州のホッラマーバードの生まれ。家族は軍属で、イラン国内の主要都市を点々とする幼少時代を送っていた。

 父親は趣味でワイン造りを(たしな)み、特に、古くからのワイン産地シラーズに住んでいた時は、自宅地下のセラーには、ワイン樽が山ほど積まれていた。当時、氏は6歳。セラーに行って、樽から浸み出るワインをこっそり“テイスティング”するのが、どんな遊びよりも楽しかったという。

  • ペルシャ様式の宮殿を模したナパの「ダリオッシュ」ゲストセンター

 テヘランの大学で土木工学を学び、1968年に卒業。しばらく国内で仕事をしていたが、76年、自由な新天地を求めて南カリフォルニアに移住。英語をまったく話せなかった氏だが、義理の兄弟とともに、ロサンゼルスを拠点にスーパーマーケットの経営に乗り出し、ヒスパニックなど非白人向けの品揃えで人気店に。カリフォルニア全体に事業を拡大し、成功を遂げたアメリカン・ドリーマーの一人として、ビジネス誌がこぞって取材する存在になった。

 世界中のワインを飲み歩き、様々なシャトーのオーナーや醸造家たちとのネットワークを広げ、著名なワインコレクターとしても注目された。

 だが、彼の夢はここで終わらない。幼い時から最も切望していたのは、ワイナリーのオーナーになること。渡米から約20年後の1997年、あるナパのワイナリーが閉鎖されると聞き、買い取りを決断、95エーカーのブドウ畑を手に入れ、念願だったワインビジネスに進出したのである。それからプランニングに3年、畑や醸造設備などの整備に3年、そして2004年、ペルシャ様式の宮殿を模した訪問客用の拠点、ゲストセンターを完成させた。

宇宙のすべてがあなたに味方する

  • 野外劇場は、ペルシャ文化伝統を伝える場に

 まさに、人生の折り返し点を過ぎてからの夢の実現である。

 センターの入り口で一際目立つ円柱群は、古代ペルシャの遺跡、ペルセポリスで用いられたのと同じ石材を現地で調達・細工したものだそうだ。円形の野外劇場などもあり、氏は「洗練されたペルシャの文化伝統を伝える場にしたい」としている。

 ちなみに、「ダリオッシュ」で造られるワインはといえば、「ラフィット」や「オー・ブリヨン」などボルドースタイルを好む氏ゆえ、特に果実味濃厚なカベルネソーヴィニヨンがお得意のようだ。

  • 「ダリオッシュ」を代表するワイン、「シグネチャー カベルネソーヴィニヨン」

 普段あまりお目にかからないワインかもしれないが、プランタン銀座のワイン売り場では、映画公開を記念して10月20日まで開催中の「カリフォルニアワインフェア」の中で取り扱っているので、興味のある方は試してみてはいかがだろうか。

 氏は、在米イラン人向けのコミュニティー誌「ペルシアン・ミラー」のインタビューで、こんな風にも語っている。

 「夢を実現できたのは、打算でなく、情熱があったからだ。人生に迷いを感じている人に、私は、パウロ・コエーリョ作『アルケミスト(錬金術師)』にある言葉を贈りたい。 いわく、何かを強く望めば、宇宙のすべてがあなたに味方して実現に向けて助けてくれるのだ、と」

 夢を語ることは容易い。だが、その夢の実現に対して、どのくらい強く情熱を抱いているのか。それが重要なのだろう。

 (プランタン銀座取締役・永峰好美)

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2009.10.02

旨くてからだにやさしい、江戸スローフード

鬼平も思わず「うめえな」

  • 江戸スローフードのセレクトショップ、銀座・三河屋

 「ま、飯を食べながらはなそう。さ、早く……早く(とっ)つぁん、飯にしてくれ」

 舌が焼けるような根深汁に、大根の漬物。小鉢の生卵へ醤油をたらしたのを熱い飯へかけて、「む。うめえな……」(池波正太郎「鬼平犯科帳」の「墨つぼの孫八」より)

 主人公の火付盗賊改方、鬼の長谷川平蔵が思わず「うめえな」と漏らす江戸の味。食いしん坊の私は、捕物帳の筋立て以上に、酒の肴や飯の菜の登場する場面が気になって仕方がない。鬼平の料理は、今も変わらぬ庶民の味なのだ。

  • 糸屋として発展した明治時代、店舗は中央通りに面した現在の資生堂パーラーの場所にあった

 そんな江戸の季節感や食風情を伝えてくれる店が、東京・銀座8丁目、金春通りにある。ご飯をおいしく食するため、からだにやさしい伝統の味にこだわる「銀座・三河屋」。江戸スローフードのセレクトショップである。

 創業は江戸・元禄時代にさかのぼる。徳川家康公に率いられ三河の国からやって来た一代目は、江戸の上がり汐留で酒商を営んだものの、大酒飲みの当主で傾き、油屋に転業。慶応年間には銀座に移って糸商に専念、成功を収めた。繭形の屋号にその名残をとどめる。

 太平洋戦争後は和装小物を中心に婦人服地などを扱って商売を拡大したが、近年ジリ貧状態が続いていた。そうした中、2003年、事業の大転換を決断したのが、現社長の神谷修さんだ。

「江戸料理百選」を再現

  • 「シンプルな江戸食を媒介に、家族で食卓を囲む楽しさを伝えたい」と、神谷修社長の夢はふくらむ

 東京の花街、柳橋育ち。幼いころから、夏祭りの時期になると、近くの相撲部屋の関取衆や芸者のお姉さん方と一緒に盆踊りを楽しむといった粋な生活を送っていた。

 大学卒業後は資生堂に入社し、主に販売促進部門を歩んだ。商い優先で、学校の運動会にも父兄参観日にも一度も顔を出してくれなかった両親をみて、「絶対にサラリーマンになろう」と、あえて家業を継がなかった。

  • 神谷社長の運命を決めた書物「江戸料理百選」

 ところが、定年を1年後に控えた59歳のとき、「400年続いたのれんを自分の代で途絶えさせてはなるまい」との思いから家業を見直し、業態転換という大英断を下したのだ。まずは新規事業として何を始めればいいのか、半年ほど模索した。

 団塊世代の大量定年、ファストフードの広がりへの危機意識、ご飯食の見直し、江戸開府400年……。キーワードが次々と浮かんだ。そんな時、「江戸料理百選」という本に出合い、ひらめいた。250年も食べ続けている江戸料理は、日本人の舌に一番無理なく合うのではないか、と。

  • 江戸料理の様々な素材が並ぶ店内

 食ビジネスの経験はなかったが、「サラリーマン時代にセミナーで聞いた鈴木敏文イトーヨーカドー会長の、『経験はある時には邪魔になる』という言葉に背中を押されました。よし、挑戦してみるかってね」。

 もともと食いしん坊だったことも幸いした。「一日中働いていた親でしたが、毎月第3月曜日はお休み。浅草や築地に鴨鍋やら鰻やらおいしいものを食べに出かけた。そんな幼少時の経験が今どこかでプラスに働いている気がします。この点は親に感謝ですね」

 こうと決めたら行動は早い。すぐに本の出版元に電話して、著者の福田浩さんを紹介してもらい、会いに行った。

 福田さんは、東京・大塚の「なべ家」の主人。古い料理書の研究や江戸料理の再現者としても知られる。神谷さんは自分の思いの丈をぶつけ、新生三河屋の料理監修を依頼した。

粋な遊び心で食を愉しむ

  • 復活した日本独特の調味料「煎酒」

 第一弾が、文化文政期に姿を消した煎酒(いりざけ)。日本酒に梅干しと花ガツオを入れてことこと煮詰めた日本独特の調味料だ。一般的な醤油より塩分は少なめ、和歌山の南高梅の梅酢を用いてまろやかに仕上げた。

  • 昔ながらの酸っぱいタクアンにはファンが多い

 刺身や蒸し魚、冷奴、サラダ、和えものなど、どんな素材とも相性がいい「台所のオールラウンドプレーヤー」だが、「卵かけご飯に刻みのりとわさびをのせて、煎酒をさっとかける。単純だけど、これが一番うまい」という。

 江戸食は遊び心もいっぱいだ。「江戸料理百選」の一つに、「鯛の香物酢(こうのものずし)」といって、酢でしめた鯛と細かく刻んだタクアンを混ぜて食べる料理があるが、「よくこんな組み合わせを考えますよね。粋に通じた江戸の遊び心が、食の世界でも十分に発揮されている例ではないでしょうか」。ちなみに、昔ながらの酸っぱいタクアンの神谷さんおすすめの食べ方は、焼き飯に入れる、だった。

  • 江戸料理の「なべ家」で人気の甘味、「玲瓏とうふ」

 うまい昆布がとれたと聞けば北へ走り、独特の風味の味噌があると聞けば西に飛ぶ行動派。フットワーク軽く、全国の生産者を訪ねて回るが、手間暇かけた産物の大量流通には限界がある。「だから、そこそこビジネスなんですよ」とも。

 神谷さんの話を聞いて、大塚の「なべ屋」で江戸の味を試してみたくなった。秋サバや落ちアユなど初秋の味覚を堪能したあと、最後の甘味として出てきたのが、「江戸料理百選」にも載っている「玲瓏(こうり)とうふ」。寒天の中に豆腐を封じ込めて固め、黒蜜をかけて食すなかなかおしゃれな一品。初めてなのに、なんだかとても懐かしい味がして、気分はすっかり江戸時代にタイムスリップ。

 「鬼平犯科帳」の平蔵は、無類の酒好きでご飯好き、そして白玉に砂糖をかけて肴にするくらい大の甘党だったとか。平蔵もこの一品、気に入っていたのだろうか。

 (プランタン銀座取締役・永峰好美)

 ◆銀座・三河屋

 http://www.ginza-mikawaya.jp/

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永峰好美のワインのある生活

<Profile> 永峰 好美 日本ソムリエ協会認定シニアワインエキスパート。プランタン銀座常務取締役を経て、読売新聞編集委員。『ソムリエ』誌で、「ワインビジネスを支える淑女たち」好評連載中。近著に『スペインワイン』(早川書房)