2014年10月アーカイブ

2014.10.24

変わらない思い「無印良品~加賀谷優の仕事」

  • 今まで表舞台に出なかった無印良品のデザイナーの展覧会

 1980年代に社会人のスタートを切った私にとって、堤清二氏率いるセゾングループの発信は、いつも刺激的で気になる存在だった。

「じぶん、新発見」とか、「不思議、大好き」とか。糸井重里さんのコピーに代表される、単なる物質的豊かさとは異なる新しいライフスタイルの価値の提案は、当時画期的だったと思う。

 そのいささかとがった思想を最も体現している一つが、「無印良品」ではないだろうか。

誰がデザインしたかが意識されずに、究極的に普遍的なもの

 「無印良品・有楽町」(東京都千代田区丸の内3丁目)2階の「アトリエ・ムジ」で、「無印良品~加賀谷優の仕事」という興味深い展示が開かれている(11月16日まで)。加賀谷さんは、GKデザイン研究所を経て独立したプロダクト・デザイナー。無印良品の誕生当初から外部デザイナーとして商品開発にかかわっている。「誰がデザインしたかが意識されずに、究極的に普遍的なもの」を目指した商品だけに、これまでデザイナー自身が表舞台に出ることはほとんどなかった。それは、加賀谷さん独特の美意識でもあったのだろう。

  • 入り口を入ると、向かって左手から年代順に商品の変遷をたどれる
  • 家具にも使われていた紙管で、商品の誕生年表を表現

 会場には、1980年代から現在に至るまで、約30年間に加賀谷さんが手がけた生活雑貨が約150点、年代順に並べられている。壁面に掲げられているのは、紙管を使った大きな年表。紙管の長さが、ロングセラー商品がいかに多いかを教えてくれる。

 「これ、懐かしいなあ」、「今も愛用しているけれど、そんな昔に作られていたなんて、ちょっと驚き!」……。来場者からはそんなつぶやきが漏れていた。

 展覧会を取りまとめる良品計画シニア・キュレーターの鈴木潤子さんは、「大量生産・大量消費の時代に消費社会のアンチテーゼとして誕生したのが、無印良品」と説明する。

 そういえば、「無印良品」の生みの親、堤清二氏が、「無印ニッポン」(中公新書)の中で、「無印良品は、消費者主権の反体制商品」と語っていたことを思い出した。

 「反体制」とは、アメリカ的豊かさとファッション性の追求という、二つの大きな「体制」に対する異議であった。無印良品は何を訴求したいと思っていたのか。堤氏はこう述べていた。

 「それはただ一点、消費者主権なんです。ここまでは用意します、あとはあなたがご自分で好きなように使って下さい、という、そういう意味での消費者主権」

 挑戦的な言葉である。

 無印良品は現在、42円のボールペン替え芯から自由度の高い住宅まで、約7000種に及ぶ商品をそろえ、海外市場でも人気の「グローバル商品」に成長している。しかし、当初、堤氏の主張はなかなか社内では浸透せず、1983年に東京・青山に第1号の直営店を出す時は、「手前どものようなものが、環状線の内側に店を造っていいものか」と議論があったと、堤氏の著書にある。

 加賀谷さんが商品開発に参加したのは、ちょうどその頃だ。自分たちがデザインしたものが簡単に使い捨てにされることに疑問を持ち、デザイナーをやめて、子どもの頃から憧れていた動物園の飼育係になろうかと半ば本気で思い始めた時だったという。

  • 初期の作品、ベージュの磁器食器

 最も初期の作品の一つが、ベージュの磁器食器。透明(ゆう)だけで仕上げた簡素な器は、和洋中が混在する日本の食卓で、どんな料理にも対応できる優れもの。

 また、展示台として使われている「スチールユニットシェルフ」も初期のモデルで、その後何度かマイナーチェンジはあったものの、現在でも、この初期モデルとの組み合わせが可能なように設計されている。加賀谷さんは、日本家屋の寸法を基準にサイズを見直し、無駄なくすっきりした収納のあり方を考えたのだった。

解釈の仕方がいろいろ~作り手の思い

  • (上)組み立て棚の前に置かれているのが、「脚付きマットレス」 (下)左右どちらから開いても使える「自分だけのノート」

 鈴木さんの案内で、会場を回った。商品の一つひとつに、なぜその商品を作ったのかについての謎解きが、加賀谷さんのウィットに富んだ文章でつづられているのも、見逃せないポイントである。たとえば、「脚付きマットレス」。私のような凡人には、高さの低いベッドにしか見えないのだが、加賀谷さんはこう記す。「これは、敷布団が空中に浮いているように見える寝るための道具です。ベッドでも布団でもないけれど、ベッドとしても布団としても使えます。さらに寝ていない時はソファでありベンチでありテーブルです。伝統的な和室がそうであるように」。

 表紙に何も印刷されていないノートについては、「白いキャンバスに向かう時に感じる高揚感や自由がこのノートにはあります。使う人それぞれがどのように使うかを考え、楽しんでアレンジを加えて初めて完成する『自分だけのノート』」とあった。

 こういう風に使ってほしいと考えた時点で、それは押しつけ。作り手の意思が入らないように、解釈の仕方がいろいろできる商品を目指している姿勢が、よくわかる。

  • (上)私も愛用したアルミの名刺ケース (下左)造形的にも美しいアルミ製の照明器具 (下右)アクリルケースは、アクセサリーやスカーフの収納に重宝している
  • 商品について語り合う、加賀谷さん(右)と鈴木さん

 さて、私にとって、思い出深い商品はといえば、アルミの名刺ケースだろうか。軽くて丈夫で、たくさん収納できて、とってもスタイリッシュ。装飾はなく、シンプルだけれど、手のひらに載せた感覚が温かい。当時全盛だったのは、ブランドロゴ入りの名刺入れで、私も高価なグランメゾンものを持っていたが、このケースには一目ぼれだった。

 文具の隣に展示されていたのは、やはりアルミ製の照明器具。光を効率的に前方に集中させるように工夫されている。残念ながら買うまでには至らなかったが、今改めて見ると、造形的にも美しく、その軽やかさに見とれてしまう。

 もう一つ、愛用しているのが、アクリル収納ケースだ。仕切り棚があるタイプは、細々としたアクセサリー類をため込んでいる私にとって強い味方である。

 「鈴木さんの愛用品は?」と尋ねたら、「洗濯物干しとか、ビニール手袋とか。パステルカラーなど甘い感じの色が多い中で、日常生活になじむ色とデザインなんですよね。ありそうでいてないものがある。それも無印の魅力です」。

 では、加賀谷さんにとって、一番愛着のある商品は何なのだろうか。

 「もちろん、長年使っているものはたくさんあります。ただ、これまでは自分が手がけた商品をいつも身の回りに置くことは避けていたかもしれません。どうしても、こうすればよかったなど、後からついつい考えてしまうから。この2、3年、やっと雑念がなくなり、無印良品の商品と仲良く暮らしているような気がします」との答えが戻ってきた。

 加賀谷さんにとって、これからデザインしてみたい商品はたくさんあり過ぎて、1日の中でもどんどん変わってしまうそうだ。

 「今ぱっと浮かんだのは、地中海を航海するカッコいい船、かな」

 加賀谷優というデザイナーの今後の活動にも注目していきたい。

 (読売新聞編集委員・永峰好美)

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2014.10.10

つながる“銀座ソーシャル映画祭”

  • (上)美しい竹林は日本人の心のふるさと (下)放置竹林の問題解決のためには、適切な間伐が必須

 地球環境や保育、介護など、社会的な課題をテーマにしたドキュメンタリー映画の上映会が東京・銀座で定期的に開かれていることを知ったのは、ある環境系のメールマガジンの情報欄だった。どんな人が主催しているのだろう。ずっと気になっていた。

 中心になっているのは、銀座に東京本社を構える総合紙パルプメーカー、中越パルプ工業の営業企画部長、西村修さん(49)だった。

“まずは自分で行動”から多くの有志の協力を

 木材の買い付けや海外駐在など主に原材料畑を歩んできた。サーフィンなどアウトドアスポーツ好きで、「仕事はそこそこにこなして、プライベートを大切にするというタイプのサラリーマン」(西村さん)だったが、4年ほど前、CSR(企業の社会的責任)関連の活動をしている社外の人々と接点をもつ機会があり、少しずつ意識が変わっていったという。

社会に誇れる製品「竹紙」

 社内を改めて見直すと、社会に誇れる製品があった。日本の竹100%を原料とする「竹紙」である。

 間伐した竹は、かつては竹垣や竹かごなどに利用されていたが、ライフスタイルの変化で需要は激減、全国各地で放置竹林の問題が深刻化している。放置竹林は、隣接する里山の生態系を壊し、また、根の張りが浅いために土壌を支えきれず、土砂災害の原因にもなっている。

  • (上)製紙工程を経て、竹紙が完成 (下)竹紙は、様々な製品に採用されている

 竹林が多い同社の川内工場(鹿児島県)では、1998年より間伐された竹から紙を作る取り組みに挑戦、今では年間2万トンを超える竹が活用されている。竹紙は汎用性があって、はがきから産業用紙まで多様な製品に応用できるそうだ。そういえば、銀座三越で七夕の期間中、願い事を書く短冊に竹紙が使われていたのを思い出した。

 「竹紙の製品を知ると、皆が『いいですね』と共感してくれます。会社のブランディングの重要な武器になるはずなのに、今までまったくPRしてこなかったんですね。良いものを作っているのだから、いつか誰かが気づいてくれるといった姿勢でした。これではダメだと思い、自分でノートを作って、銀座の文具店、伊東屋さんに営業に行きました」と、西村さん。まずは自分で行動してみる、というわけだ。数々のコンクールで優秀賞も獲得、竹紙の認知度はぐっと上がった。

社会貢献意識向上コミュニティー

  • (上)「銀座ソーシャル映画祭」の会場は、手づくり感がいっぱい (下)上映後には、関係者によるトークショーも企画された
  • 中越パルプ工業の西村さん(右)と片岡さん

 その延長線上で始めたのが、「銀座ソーシャル映画祭」である。

 第1回は、昨年8月、ホテルモントレ銀座で、東日本大震災の復興支援がテーマのドキュメンタリー「LIGHT UP NIPPON~日本を照らした奇跡の花火」を上映した。社員の社会貢献意識を高めようと考えて企画したもので、社外の協力者を通じて参加者を募ったところ、10日間で80人以上が集まった。

 「来場者アンケートから、とても意識が高い人が多いとわかりました。上映後に、有機食材を使ったケータリング料理を囲んで、来場者同士が交流する場も好評でした。何か社会の役に立つことをやりたい、考えたい、語り合いたいといった同じ志を持つ人たちが集まれる場が、この銀座の地に求められていたのでしょうね。それは、私の目指すところでもありました」

 映画は、ドキュメンタリー映画の配給を得意とする「ユナイテッドピープル」の作品を中心に、西村さん、西村さんの最も頼れる協力者で映画好きな片岡裕雅さん(36)、社外の協力スタッフで選ぶ。ごみ処理場を舞台にしたごみアート、生きる力を育む森の幼稚園の実践例、息子による親介護の問題、食品ロス、幸福の尺度とは何かなど、多彩なテーマが並ぶ。

 10月6日、銀座三越で開かれた第10回をのぞいてみた。会社帰りと思われる30-40代を中心に、50人ほどが集まった。入場料は1000円。

  • 第10回で上映された映画のワンシーン(©台北カフェ・ストーリー)
  • (左)映画祭で人気だった森の幼稚園のドキュメンタリー(©こどもこそミライ) (右)「こどもこそミライ」に登場するのは、中越パルプが支援している山梨県の「森のようちえんピッコロ」

 上映された「台北カフェ・ストーリー」は、台北で美人姉妹がオープンしたカフェが舞台のフィクション。カフェで始まった物々交換が人気になり、来訪する人々の人生模様が交錯する。自分にとって、他の何ものとも換えられない一番大切なものって、何だろう。そんなことを考えさせてくれる作品だった。ちなみに、配給したユナイテッドピープルの関根健次社長にとって、「人生の中のベスト3に入る」作品だそうだ。

 映画祭の企画は、一部会社の予算を使って運営しているが、大々的に会社のPRはしていない。「社会的意義のある活動を支援している会社はいい会社に違いない。長い目で見て、会社のイメージアップにつながればいいのでは」と、西村さんは考えている。

 活動2年目。「私、何か手伝いますよ」。そんな社外の仲間が自然に1人、2人と増えて、つながっていくのが楽しいという。「銀座でいろんな知恵が集まれば、映画以外にも何でもできそうな気がしてきました」。西村さんと片岡さんの夢は広がっている。

◆「銀座ソーシャル映画祭」の情報は、中越パルプ工業のホームページのイベント欄に随時掲載される。
http://www.chuetsu-pulp.co.jp/event

(読売新聞編集委員・永峰好美)

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永峰好美のワインのある生活

<Profile> 永峰 好美 日本ソムリエ協会認定シニアワインエキスパート。プランタン銀座常務取締役を経て、読売新聞編集委員。『ソムリエ』誌で、「ワインビジネスを支える淑女たち」好評連載中。近著に『スペインワイン』(早川書房)