2014年8月アーカイブ

2014.08.29

中東文化の発信基地目指す…「日本初の中東各国料理店」

  • 「現地の人々の優しさに感激した」と、店主の草野サトルさん

 「日本初の中東各国料理店」を掲げるレストランが、8月初め、銀座6丁目にオープンした。

 8月1日付の小欄では、夏休み企画の「東アナトリアの旅」の導入部として、銀座のトルコ料理店を紹介したが、トルコとかエジプトとかの国に特化せず、「中東」というくくりで料理を出す店は、極めて珍しいように思う。

中東への思い、馴染みが薄い“中東各国の料理”から

 店名は、「中東Kitchen & Bar MishMish(ミシュミシュ)」。「ミシュミシュ」とは、アラビア語でアンズの意味。「音の響きがかわいらしいので付けました」と言うのは、店主の草野サトルさん。

 中東地域の国際情勢に関心を持ち、20代初めの頃から、語学学校でアラビア語を学んだ。医療支援のNGOで活動しながら、レバノン料理店で働き、中東の文化に関わってきた。

 運命を決めたのは、10年ほど前、国際協力のNGOが中心になって開いている「グローバルフェスティバル」で運営委員を務めた時。「中東大好き」と言いながら、実はそれまで現地に一度も行ったことがなかった。仲間に「現地ではどうなの?」と聞かれることが多くなり、2007年、パレスチナ行きを決意した。

  • チュニジアのモザイクタイルや水パイプがアラブの雰囲気を演出

 西岸に半年間滞在し、周辺国のエジプト、シリア、ヨルダン、チュニジアなどを旅した。

 「正直、最初は、厳しい戒律のあるイスラム教世界にすんなり入っていけるか不安でした。でも、現地で暮らしてみると、心配が吹き飛びました。人々が皆親切。日本の話に興味津々で、レストランでも、『今日はおごるよ。楽しかったから』と言われる場面が多々あった。そんな100%の善意って、今の日本ではあまり体験することがないので、感激しましたね」

 人々の優しさと多彩な食材に魅惑され、「誰もが身近に感じられる食文化を通して、中東のことを日本で伝えていこう」と、レストラン開業を考えたという。

 西は北アフリカのチュニジアから、東は東西文化が融合するトルコまでが、同店の守備範囲。フランス料理のように洗練されてはいないけれど、「素朴で、家族総出でおしゃべりしながら作るあったかい家庭料理が本当においしいんです」と、草野さん。

本格的な現地の日常の食卓を再現

  • 最初に登場する前菜。オリーブオイルはパレスチナ産

 特におすすめは、野菜のおいしさ。肥沃(ひよく)な土壌で育った野菜一つひとつに生命力が感じられるそうだ。

 同店でも、野菜をたくさん使ったヘルシーなメニューがそろっていて、女性客に人気だ。

 必ずと言っていいほど誰もが注文するのが、前菜として用意される「フムス」というひよこ豆のペーストや、「タッブーレ」というパセリとブルグル(クスクスと似た形状の()き割り小麦)のサラダなど。

  • ザータル(左)は、中東の万能調味料

 もちろん、アラブのパン、ピタパンが添えられているが、香辛料もポイントらしい。野生のタイム、ゴマ、日本の“ゆかり”に似た赤紫色のスマック、レモングラス、塩などをブレンドした「ザータル」という調味料は、中東地域では万能調味料として重宝されている。小皿を二つ用意して、片方にこのザータル、もう片方にオリーブオイルを入れて、パンをちぎってこの二つをつけながら食べるのが、現地の日常の食卓という。スマックの酸味がさわやかで、日本人の口にもとても合う。 

 鶏肉料理や牛肉の串焼き、それから、トルコのサバサンドもある。

  • (左)北アフリカ風鶏の丸焼き (右)ビーフケバブ

 サバサンドは、トルコのB級グルメ。イスタンブールの水辺の専門店では、船上でサバを豪快に焼いていたのを思い出した。エメックというバゲットに似たパンにタマネギと一緒にはさみ、レモン汁をかけて食べる。レモンの酸味で魚の臭みが取れて、美味。「なぜ日本にないんだろう」と不思議に思ったものだ。

 パレスチナやレバノンなど、普段あまり見かけないワインやビールもそろっていて、興味は尽きない。新商品として、ラクダ肉のハンバーガーを開発中なのだとか。飲み放題がついたコース料理で3000円台と、価格もお手頃なのがうれしい。

 「写真展や講演会、ベリーダンスなどの催しを徐々に増やして、銀座における中東文化の発信基地を目指したい」と、草野さんは意気込んでいた。

  • トルコのB級グルメ、サバサンド
  • パレスチナやレバノン、チュニジアなどの珍しいワインとビールがそろう

 (読売新聞編集委員・永峰好美)

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2014.08.15

文明の発祥地「トルコ」~東アナトリアを巡る(下)

  • メソポタミアに向かって流れるチグリス川

 前回に続いて、東アナトリアの旅について記したい。

 今回ご紹介するのは、シリア、イラクの国境と接し、チグリス・ユーフラテスの両大河がメソポタミアの平原へと向かって流れる一帯、東アナトリアの南辺の地域である。

預言者の街…シャンウルファ

 預言者アブラハムの生誕地とされ、イスラム教だけでなく、ユダヤ教、キリスト教にも関係の深い聖地が、シャンウルファ。「預言者の街」とも呼ばれ、街全体が一つの歴史博物館のような印象だ。アブラハムが誕生したといわれる伝説の洞窟内は聖水が湧き出し、薄暗い空間は静かに腰をおろして癒やしを求める人たちであふれていた。

 紀元前2000年頃には、鉄の精錬や騎馬技術で栄えたヒッタイトがこの地に入り、帝国を築いた。紀元前6世紀頃、ペルシャの統一を経て、東方遠征のアレクサンドロス3世(通称アレクサンドロス大王)がエデッサと命名。メソポタミアと地中海を結ぶ要所であったため、続くローマやアラブ支配の時代にも、周辺の勢力による争奪の的になった場所だ。十字軍が11世紀、初の国家、エデッサ伯領(はくりょう)を設立したのがここである。

  • アブラハムの生誕地 建物の地下に洞窟がある
  • アブラハムが火刑に処された時、奇跡が起こってできたという「聖魚の池」
  • シャンウルファの市場は香辛料の香りでいっぱい

紀元前1世紀ごろ栄えたコンマゲネ王国

  • ネムルート山頂のアンティオコス1世の陵墓

 この地域で見逃せないのが、世界遺産の標高2150メートルのネムルート山だ。

 「コンマゲネ王国」。その名前を、私は初めて知った。

 ネムルート山の山頂にある陵墓は、紀元前1世紀、王国が最盛期を迎えていた時の王、アンティオコス1世のものだ。

 高さ5メートル以上ある正面の巨大な5体の神像は、地震によって頭部が転げ落ち、それらの首が無造作に大地に据えられている(現在修復が進んでいる)。この光景を見れば、誰もが一瞬のうちに古代の世界へと引き込まれてしまうと思う。

 発見されたのは、19世紀終わりで、オスマン帝国に雇われて東部アナトリアから地中海の港への輸送ルートを探していたドイツ人技師カール・セステルによって発見された。西アナトリアで、ハインリッヒ・シュリーマンがトロイアを発見した頃である。高所にあったゆえ、長い間見捨てられたままになり、盗掘を免れているともいえよう。

 「コンマゲネ」の語源ははっきりわかっていない。紀元前9世紀、メソポタミア北部にアッシリアが栄えていた頃、「クンムフ」という小王国があって、それがギリシャ風に発音されて「コンマゲネ」という説もあるようだ。ユーフラテス川の支流が形成した深い渓谷の合間のごくわずかな土地で、古代から人々は暮らしを営んできたというわけだ。

  • アポロンの像
  • こちらがアンティオコス1世

ギリシャとペルシャの神々の習合

 コンマゲネ王国のあったこの地域には、紀元前2000年頃、既にメソポタミアとの交易があった。その後に興ったヒッタイト帝国は、鉄の精錬や騎馬技術で栄えた。滅亡後は他民族と混じり合い、南辺にいくつもの小王国を築き、紀元前6世紀頃、アケメネス朝ペルシャに組み込まれる。

 アレクサンドロスはペルシャを滅ぼすが、紀元前323年にバビロンで夭折(ようせつ)。アナトリアは分割され、この地域はセレウコス朝に帰属する。そこに登場するのが、「コンマゲネ王国」である。紀元前163年のことだ。

 アンティオコス1世の墳墓には、父方はペルシャ王長、母方はアレクサンドロスの血統であることが刻まれている。

  • ヘラクレスと握手するアンティオコス1世のレリーフ

 それを象徴するように、陵墓を守る神々は、ギリシャとペルシャの神々の習合であった。端正な顔立ちと半開きの口元はヘレニズム様式、身につけている衣装はペルシャ風で、その姿も折衷である。ヘラクレスやアポロンと並んで、神となったアンティオコス1世もいる。コンマゲネ王国の存続を願い、自らも神々に列せられて永遠の眠りにつくこととしたのだろうか。

 山頂に向かう小道には、王国の夏の離宮、エスキ・カレと呼ばれる城塞がある。中腹には地中に下るトンネルがあり、入り口の上方に、ヘラクレスと握手するアンティオコス1世の美しいレリーフがあった。

 アナトリアの地は、まさに東西文化の出合う場所。古代のロマンに浸るのは、日常から解放され、リフレッシュする最高の妙薬ではないだろうか。

 (読売新聞編集委員・永峰好美)

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2014.08.01

文明の発祥地「トルコ」~東アナトリアを巡る(上)

  • 銀座5丁目でトルコの国旗を発見!

 ロッティセリという回転する焼き肉器であぶり焼きした羊肉や牛肉をナイフでそぎ落とす――最近、アナトリア地方の伝統料理、ドネルケバブの屋台を随分と見かけるようになってきた。

 アナトリアは、小アジアとも呼ばれる。アジアとヨーロッパにまたがる国トルコの大部分を占める、アジア大陸側の半島部分だ。

 銀座5丁目、高層ビルへの建て替え工事が進む旧松坂屋銀座店跡地のすぐそばで、トルコ国旗を見つけた。

  • レストラン「コンヤ」のドネルケバブの一皿

 急な階段で地下に下りると、「コンヤ」という名のトルコ料理レストランがあった。さっそくドネルケバブを注文。辛めのスパイスがしっかり効いていて、本場の味だ。バターライスと一緒にいただく。シェフは、12世紀のセルジュク時代に交易の中枢として栄えた、西アナトリアのコンヤ出身なのだそうだ。

“妖精の煙突”“点在する地下都市”…カッパドキア

 初夏に初めてトルコを旅した。コンヤに近い、観光客に人気のカッパドキアでは、妖精の煙突とも呼ばれる奇岩の群れに圧倒されつつ、深い信仰に支えられた人々の地道な生活の営みがあちこちに感じられた。

 カッパドキアには数多くの地下都市が点在する。そのうちの一つ、カイマクル地下都市を訪ねた。深さ55メートル、地下8層。各層に200人くらい収容できた。大部分は、キリスト教を信仰するビザンティン帝国が支配していたこの地に、イスラム化したトルコ族が勢力を拡張し始めた9-10世紀に掘られたもののようだ。

 内部は狭いトンネルや階段で結ばれていて、迷路そのもの。教会、集会所、台所、居室、家畜小屋、墓地などあらゆる暮らしの機能が備えられ、地表に抜ける通気孔も各所に設けられていた。粉をひく石臼やワイン醸造の場所も確保されていて、興味は尽きない。岩でできた円盤状の回転扉は、敵が迫って来た時に、これを転がして通路をふさいだという。

  • 奇岩の群れに圧倒されるカッパドキア
  • カッパドキアは地下都市が面白い。岩でできた回転扉

“ウラルトゥ語”“ワン猫”“ノアの箱船漂着地”…東アナトリア

  • 東アナトリアのワン城塞

 今回の旅では、実はあまり日本人にはなじみのない東アナトリアを巡った。

 東アナトリアは、グルジア、アルメニア、イラン、イラクなどと国境を接している。西部に比べて欧風化の影響が少なく、トルコらしいトルコが残っているともいわれている。万年雪をいただく山々に囲まれたワン湖は、琵琶湖の約6倍の広さの塩湖だ。湖畔に残る城塞は、古代王国ウラルトゥの繁栄を物語る。

 ウラルトゥ王国は、鉄の精錬や騎馬技術で栄えたヒッタイト帝国滅亡後、紀元前9世紀頃に誕生した王国。東西約2キロに及ぶ城塞が築かれたのも、その頃だ。紀元前6世紀初め、遊牧民のメディア・スキタイ連合軍に滅ぼされるまで、コーカサス地方への中継点として重要な位置を占めた。

 城跡の岩壁に、当時の王の業績をたたえる楔形(くさびがた)文字の碑文が刻まれていた。そこで、案内役のモハメッドさんに会った。ウラルトゥ語が読めて書けて話せる最後の1人ともいわれていて、古代語の国際学会があると、ひっぱりだこなのだそうだ。

  • 城跡で見つけたウラルトゥの楔形文字
  • ウラルトゥ語の生き字引、モハメッドさん

  • 地元の人に愛されているワン猫。ちょっとご機嫌斜め?

 ワンの街で皆から愛されている名物というと、ワン猫がいる。特産のキリム工場を訪ねた時、その正体がわかった。なんと、左右の目の色がイエローとブルー。違うのだ。突然変異で生まれるそうで、貴重種として大事にされている。

 東アナトリアでは、トルコ最高峰、標高5000メートル超のアララト山が有名だ。

 アララトは、旧約聖書でノアの箱船が漂着したとされる山。映画でも話題の場所だ。麓のドウバヤズットからミニバスを乗り継いで、地元の人が「Gemi(船)」と呼ぶ現場を見に行った。

 船形地形の台地の下にノアの箱船が埋まっていたというのだ。聖書に書かれている箱船と大きさが一致する、いかりとおぼしき物体の一部を発見…。1980年代にアメリカの資産家が大掛かりな調査に乗り出し、幾度か新聞報道もされ、その資料を収集している資料館もあった。夢のある話ではあるが、今までに木質は検出されていないそうで、真相は定かではない。

  • ノアの箱船が漂着されたという台地
  • 早朝のアララト山

(読売新聞編集委員・永峰好美)

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永峰好美のワインのある生活

<Profile> 永峰 好美 日本ソムリエ協会認定シニアワインエキスパート。プランタン銀座常務取締役を経て、読売新聞編集委員。『ソムリエ』誌で、「ワインビジネスを支える淑女たち」好評連載中。近著に『スペインワイン』(早川書房)