2014年5月アーカイブ

2014.05.23

海外公演をテーマに「歌舞伎は旅する大使館」

  • 歌舞伎座ギャラリーで開催中の海外公演をテーマにした展示が好評
  • 会場では、現地のポスターやパンフレットなどが年表形式で紹介されている
  • 1961年のソ連公演のパンフレット。左側は表、右側は裏(松竹大谷図書館蔵
  • ニューヨークを羽織袴(はかま)姿で闊歩する俳優たち(1960年)(松竹大谷図書館蔵)
  • 1982年、ホワイトハウスにレーガン米大統領夫妻を表敬訪問(松竹大谷図書館蔵)

 海外に出かけて喜ばれるお土産の一つが、「歌舞伎」にまつわるものだと思う。どんな小さなものであってもいい。ハンカチ、キャンディー、あぶらとり紙……。

 先日、親日家の多いトルコに出かけた時、市川染五郎さんが監修したという隈取をデザインしたフェースパックを持参したところ、大ウケだった。顔全体にふわりと載せれば、あなたも「船弁慶」に? ガイドの男性は、「ちょっと怖いね」と笑いながら、「今晩妻に試してもらおう。トルコは気候が乾燥しているから、女性にとって潤いパックは必需品なんだ」と言っていた。

海外公演の足跡

 歌舞伎の海外人気を特集した展示が、いま、東銀座の歌舞伎座タワー5階にある「歌舞伎座ギャラリー」で開催中だ。

 題して、「歌舞伎は旅する大使館」。松竹大谷図書館所蔵の資料を中心に、これまで36か国96都市で展開された海外公演の足跡が明らかにされていて、とても興味深い。この企画、1年間に及ぶ大掛かりなもの。8月24日までは「前期」と位置づけられ、1928年(昭和3年)第1回のソ連公演から1989年第30回の訪欧公演までに焦点が当てられている。

昭和3年頃

 昭和3年頃の銀座といえば、関東大震災で多くの店舗が焼失した街に、再び活気を取り戻そうとする機運が高まってきた時。銀座通りには、松坂屋(1924年)、松屋(25年)、三越(30年)など、デパートが相次いで進出した。

 <ギンザ・ギンザ・ギンザ、男も銀座、女も銀座、夜も銀座、昼も銀座、銀座は日本だ。…銀座を享楽することは今や日本の渇仰の的だ>。美術史家の安藤更生が『銀座細見』で当時の様子を活写しているように、モガ(モダンガール)やモボ(モダンボーイ)が華やかに闊歩(かっぽ)していた。映画、ジャズ、カフェ、ダンスホールなど、上流階級を中心に、海外のモダンな風潮を取り入れる傾向がみられた。

第1回海外公演

 歌舞伎の第1回海外公演は、ソ連だった。公演の前年の1927年、モスクワを訪れた劇作家の小山内薫氏とソ連対外文化連絡協会会長のカーメネフ夫人の会話の中で、比較的短期間にとんとん拍子でまとまったようだ。

 一行は、28年7月12日に東京を出発、敦賀港から船でウラジオストク経由、シベリア鉄道で26日にモスクワ到着。約2週間の旅だった。8月1日からほぼ1か月間、第二モスクワ芸術専門劇場、ボリショイ劇場、レニングラード国立オペラ劇場の3か所を巡回して上演されたのは、「仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)」「京鹿子娘道成寺(きょうかのこむすめどうじょうじ)」「番町皿屋敷」「鳴神(なるかみ)」などおなじみの演目だった。初演の第二モスクワ芸術専門劇場は、当時モスクワ一の人気俳優といわれたミハイル・チェーホフが支配人だったという。

 初めての公演をニュースなどで取り上げた現地の新聞・雑誌記事は260本以上に上り、関心の高さがうかがえる。出演した一人、二世市川左團次は、「外国で日本の芝居をやる場合に、ともすると演技の上で外国人の気にいるようにと殊更に改めることが多いが、そんなことは今度のロシヤ興行ではとらない所である。あくまでも純日本式に()って、日本固有の國劇を忠実に紹介する」と熱い思いを述べている。

事欠かないエピソード

 時代は下って、1955年、国交回復前の中華人民共和国で公演が実現。1982年の米国公演では、ホワイトハウスにレーガン大統領夫妻を表敬訪問するなど、エピソードには事欠かない。

 そんな中で、海外ならではの失敗もあるようだ。歌舞伎で芝居がはねると、打ち出しの太鼓を打つことがしきたりになっている。中国公演でもこれを強行したところ、劇場にいた周恩来首相(当時)をはじめ退場しかけた観客のほとんどが席に戻ってきてしまったそうだ。「郷に入れば郷に従え」を無視した失敗談と、のちに三代目市川猿之助さんが、初世猿翁から聞いた話として本につづっている。

 さて、海外公演で多く上演された演目ベスト3はというと、舞踏劇「連獅子(れんじし)」がトップで全12回。次が「鳴神」の10回、続いて、「仮名手本忠臣蔵」「勧進帳」「俊寛」の9回。ところで、歌舞伎がまだ訪れていない大陸が一つだけあるそうな。それは、南極大陸。舞台づくりが大変そうだけれど、いつか実現したら面白いでしょうね。

  • 1985年、喝采(かっさい)にわくウィーンのオペラハウス(C)松竹
  • 海外公演でも人気の「鳴神」の衣装
  • 必要な道具は「ボテ」と呼ばれる箱で運ぶ。化粧道具や浴衣のほか、インスタントラーメンや栄養ドリンクも

 (読売新聞編集委員・永峰好美)

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永峰好美のワインのある生活

<Profile> 永峰 好美 日本ソムリエ協会認定シニアワインエキスパート。プランタン銀座常務取締役を経て、読売新聞編集委員。『ソムリエ』誌で、「ワインビジネスを支える淑女たち」好評連載中。近著に『スペインワイン』(早川書房)