流行の最先端を求めて銀座へ
1920年代末、関東大震災から復興する新しい東京の都市景観をテーマに、おびただしい数の東京論が発表された。中でも、浅草に代わって盛り場の象徴となった銀座についての著作が多い。安藤更生の「銀座細見」と松崎天民の「銀座」が代表作だろう。
高層ビルの並ぶ銀座通りを自動車が走る。明るく照らし出されたデパートのショーウィンドーが通りを飾り、ネオンサインが頭上にきらめく。モダンガールやモダンボーイが華やかに闊歩する――。
人々は流行の先端を求めて、銀座に繰り出した。それができない人は、銀座の話をむさぼるように読んだのである。
19298年(昭和43年)に大ヒットした「東京行進曲」は、西條
銀座の景観で中心になったのは、銀座通りの3つのデパートである。1924年(大正13年)に銀座に進出した松坂屋、翌25年に続いてた松屋、そして、30年にの三越。それまでの入り口での下足預かりの制度が廃止され、商品の陳列ケースを導入。また、食堂もカフェテリア形式が採用されるなど、一気にデパートの近代化が進んだ。
松坂屋銀座店88年を振り返る外壁
銀座で最も古い百貨店の松坂屋銀座店が6月30日、閉店する。今後建物は取り壊され、2016年に銀座エリアでは最大級となる大規模複合施設が建設される計画だ。
さよならセールで連日にぎわう館の外壁を飾るのは、88年の歴史を振り返る写真である。いちはやく店内への土足を解禁したり、東京駅や有楽町駅からの顧客送迎バスを仕立てたり、エレベーターガールを採用したり。同店が導入し、他の百貨店が追随したという事柄は少なくない。
外壁の写真で、元祖3人娘を見つけた。1956年(昭和31年)、美空ひばり、江利チエミ、雪村いづみの3人が登場する映画「ロマンス娘」の舞台になったのも、同店だった。
懐かしのメニュー復刻
現在店内で開かれている催しで、食いしん坊の私が注目したのは、7階のレストランフロアの懐かしのメニュー復刻企画だ。ファミリー食堂のお子様ランチをはじめ、ヒレカツサンドやしらす・サーモン丼、マーブルケーキなど。広報担当者によれば、どれも人気があるそうだが、特に、一寸かつ定食(1470円)と昔ながらのナポリタン(980円)の注文が多いのだとか。
ここはやはり、ナポリタンを食べるしかありません!
からめたトマトケチャップは甘すぎず、代表的な具材のタマネギ、ピーマン、赤いウインナー、缶詰のマッシュルーム、それに生のトマトが細かく刻んで加えられ、意外におとなの味だった。スパゲッティのゆで方もやや柔らかめといった仕上がり。「25年前にファミリー食堂がなくなるまで提供していました。いつからメニューに載ったかは不明です。レシピは昔と変わりませんが、ただ、味はちょっと今風なアレンジが入っているようです」(広報)とのこと。恐らく昔は、もっとうどんのように柔らかかったはずである。
日本オリジナル“スパゲッティ・ナポリタン”
ところで、最近、このスパゲッティ・ナポリタン、軽食を出す喫茶店でサラリーマンに人気が出ているそうだ。トマトケチャップは、おとなの郷愁を誘うのだろうか。
ナポリタンは、日本オリジナルのパスタ料理。横浜のホテルニューグランドの入江茂忠総料理長が、戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の接収解除後に、倉庫にあった乾燥パスタと瓶詰めケチャップを見つけて考案したとの説が有力だ。
よく知られていることかもしれないが、イタリアのナポリには、スパゲッティ・ナポリタンは存在しない。先日テレビを見ていたら、お笑い芸人が、ナポリのピッツェリアを借りて、日本のナポリタンをイタリア人に勧めて反応をみるというバラエティ番組があった。「ゆで方が柔らかすぎる」「タマネギなんか入れるのは信じられない」「ピリリと辛味があればおいしくなるのに」と、ケチャップ味のパスタは大不評。
そりゃそうだ。ナポリのトマト風味のパスタといえば、スパゲッティ・アラ・プッタネスカ。日本語では娼婦風と呼ばれるもので、トマトソースに、黒オリーブ、アンチョビ、ケッパー、赤トウガラシなどで辛味をきかせたパスタである。
とはいえ、私も、サラリーマン諸氏ではないが、時々ナポリタンが無性に食べたくなることがある。日本人の味覚DNAに埋め込まれているのだろうか。ちなみに、松坂屋銀座店の復刻メニュー企画は6月30日まで。もう一度食べに行こうかなあ。