西洋スタイルの建物の中に、日本旅館のきめ細やかなおもてなしの心を融合させた隠れ家的な“スモールラグジュアリーホテル”――「ホテル西洋 銀座」が、銀座通りに面した銀座1丁目に誕生したのは、1987年3月2日だった。平均客室面積60平方メートルというゆったりとした空間が77室。ハリウッドスターやスポーツ選手、政財界人にもファンが多かった同ホテルが、5月31日で26年の幕を閉じる。
セゾングループのフラッグシップホテルだったが、2000年から米国系ホテルグループの運営に変わり、2009年、東京テアトル傘下で再び日本のホテルとして営業していた。だが、親会社が財務体質改善のために、ホテルのある銀座テアトルビルを売却することを決定、映画の「銀座テアトルシネマ」と劇場「ル テアトル銀座 by PARCO」を含め、閉館することになったのだ。
閉館の日まで館内に展示された懐かしい写真を見ると、このホテルが様々な伝説を作ってきたことが思い起こされる。
行き届いたサービスとそうそうたる先駆者たち
日本で初めて「コンシェルジュサービス」を始めたり、滞在中のお客様のあらゆる要求や質問に応える「バトラー(執事)サービス」を全室に導入したり。「バトラーサービス」では、裏方であるバトラーたちがいかに想像力と観察力を発揮しながら、臨機応変に対応しているか驚かされる話が多く、2009年4月10日付の小欄で様々なエピソードを紹介したことがある。
バトラーの統括責任者だった安達実さんは、同ホテル地下にあるイタリア料理店のサービスから仕事をスタートしている。ホテル内のイタリア料理店としては先駆けで、私はここで「アルデンテ」というパスタの理想的なゆで上がりを学んだ。
初代総支配人は、ニューヨークの名門「ウォルドルフ・アストリア ザ・タワー」支配人に日本人で初めて
「世界一のワインリストを作ってくれ」と頼まれた田崎さんは、1995年、アジアから初のソムリエ世界一に輝いた。稲村さんのレシピは代々後輩に受け継がれ、「銀座マカロン」など数々の名作を生み出している。伝統のスイーツについては、2012年11月2日付の小欄に書いた。
閉館を前に、今月、私は同ホテルにゆかりのある人の2つの会に参加する機会があった。
日本最優秀ソムリエ阿部誠さん誕生会
一つは、5月18日、同ホテルで田崎さんの後にシェフソムリエを務め、2002年度全日本最優秀ソムリエになった阿部誠さんの半世紀を祝う誕生会。阿部さんは現在、銀座のシャンパーニュバー「サロン・ド・シャンパーニュ ヴィオニス」のオーナーソムリエだ。参加者はブラックタイとロングドレスや着物に身を包んだ。ボランジェやフィリポナ、サロンなど、20種類以上のシャンパンボトルが開き、阿部さんは、サーベルでシャンパンの飲み口を勢いよくカットする、シャンパンサーベラージュを格好良く披露した。マロンがごろごろ載った特製バースデーケーキは、同ホテルならではの演出だった。
ソムリエールの草分け、野田宏子さんお別れの会
もう一つの会は、5月27日、日本のソムリエールの草分け、野田宏子さんのお別れの会という悲しい会だった。
享年56歳。あまりに若過ぎる、そして突然の訃報だった。野田さんもまた、同ホテルのソムリエ卒業生であった。
この日挨拶に立った田崎さんは、野田さんの思い出をこう語った。「開業準備の時から一緒に働いた。全国から多くのソムリエ候補の応募があったが、私は真っ先に野田さんを選んだ。当時高級レストランで女性のサービスはいかがなものかと反対する声もあったが、新しいスタイルのレストランを模索している時、私の意見に同調せずにしっかり自分の意見を言ってくれる人を求めていたので、彼女しかいないと確信した。彼女はそれに十分応えてくれた。日本で女性ソムリエールの道を開いたパイオニアとして、皆の記憶に残る存在だ」
私は、野田さんが同ホテルに入る以前、ホテル小田急センチュリーハイヤット勤務から浅草ビューホテルのシェフソムリエに引き抜かれた1986年、取材したことがある。「女性に味はわからないと言われることに反発する気持ちもあって、ソムリエになった。私の経験だと、味覚は男女五分五分、香りの感覚は女性の方が優れていると思う」と話していたのが印象的だった。
今年3月、東京で開かれた「世界ソムリエコンクール」で、初めて女性がファイナリストに進出したので、久しぶりに野田さんに感想を聞いた。
「決勝戦を会場で見て、女性はワインを大事に慈しむようにしながらサービスしている点に、とても好感がもてた。女性らしい温かいサービスがようやく受け入れられるようになってきた気がする。日本の若手ソムリエールも頑張っていて、これからは世界の舞台で活躍する日も近いのではないかしら」と力強いメッセージを語ってくれたのが忘れられない。
この小さなホテルには、訪れた人それぞれの、様々なドラマや思い出が刻まれたに違いない。
「ホテルでの思い出の一つひとつが
(読売新聞編集委員・永峰好美)