2013年3月アーカイブ

2013.03.22

茨城発信の美味しい取り組み、ご存じですか?

 メロン、みず菜、チンゲンサイ、白菜、ピーマン、ミツバ、レンコン、栗、干しイモ、鶏卵。これら農産物の生産量が全国一位を占める県って、どこだかおわかりになるだろうか?

 答えは、茨城県。首都圏に近く、東京のスーパーでも同県産野菜をよく目にしていたが、「全国一」がこんなにあるとは知らなかった。

茨城出身女性で「いばらき美菜部」

  • 「いばらき美菜部」で元気に活動する女性たち

 「茨城は食の王国。消費者目線からふるさとの食をもっと応援、PRしていこう」と立ち上がった女性たちがいる。茨城県出身で、東京在住・在勤の20~40代の働く女性を中心に2年ほど前に組織された「いばらき美菜部」である。

 現在部員は18人。コピーライター、メーカーの営業やIT企業勤務など、仕事は様々だが、「食べることが好き」という点では共通している。生産農家を訪ねるツアーやフェイスブックで参加者を募った料理教室など、活動は多彩だ。

 とりまとめ役で広報ウーマンネット代表の伊藤緑さんは、「きっかけは、茨城県農林水産部販売流通課のテストキッチン事業でしたが、集まった女性たちはボランティアにもかかわらず皆とても熱心で、次々にアイデアが広がっています」という。

店に交渉し、いちごの料理やカクテルを開発

  • 茨城県産のいちごとれんこんが、東京の飲食店をジャックする企画が進行

 その成果の一つが、今回の「いばらき美菜部Week」と題した企画で、メンバー自らがお気に入りの店舗と交渉し、茨城の食材を使ったオリジナルメニューを相談しながら開発、提供してもらうという期間限定のイベント(3月31日まで。参加店舗は東京都内の11店舗。一部店舗では25日よりスタート)。食材としては、いちご「いばらキッス」と「れんこん3兄弟のれんこん」が選ばれた。

  • 植木あき子さん(左)と、「季立」のマスター、内藤直久さん

 「いばらキッス」は、「とちおとめ」と「ひたち1号」を掛け合わせた新しいいちごの品種。私は先日ある会合で試食する機会があったのだが、表皮がしっかり硬めなのに、果肉は非常に柔らかく、食感の面白さが印象に残っている。「れんこん三兄弟のれんこん」は、真っ白な外観の美しさもさることながら、旨みたっぷりでプロの料理人の評価も高い。

 東京・有楽町のジャズ&バー「季立(きり)」で、マスターの内藤直久さんと打ち合わせをするメンバーの植木あき子さんを訪ねた。

自虐的な県民性だが、見直してみると…

 シングルモルトなど約200種類の酒をそろえる同店では、チーズなどと共にいばらキッスをそのまま味わうアミューズ(チャージ込みで600円)を提案。「いばらキッスは新しい品種なので、加工せずにフレッシュなまま味わってほしかった。酸味も甘みもバランスが取れていて、お酒との相性も抜群」と、植木さん。もう一品、フローズン・ストロベリー・ダイキリを試作中の内藤さんに、「もう少しラム酒を増やしてもいいかなあ」などリクエストしていた。

 「茨城県人って、おらが県はすごいものがあるぞとあえて自慢しないで暮らしてきたと思います。どちらかといえば自虐的で、それでいて、他人から悪口を言われるとものすごく怒る。でも、改めて見直してみると、こんなに素晴らしい自然の恵をいっぱい享受しているのですから、情報発信していかないともったいないなと考えるようになりました」と、植木さんは話す。

 れんこんに関しては、「マグロの卵とれんこんのキンピラ」(中野区の「マグロマート ハンチカ」)や「れんこん入りのパテ・ド・カンパーニュ」(目黒区の「sibafu」)など、手作り感のあるメニューにも注目したい。

  • 「季立」に登場する、いばらキッスをそのまま味わうアミューズ
  • 「マグロの卵とれんこんのキンピラ」(マグロマート ハンチカ)
  • 「れんこん入りのパテ・ド・カンパーニュ」(sibafu)

一番人気の干しいもがモンブランに

  • 銀座1丁目の「茨城マルシェ」では、黄門様のマスコットがお出迎え

 ところで、銀座1丁目エリアは、沖縄県の「銀座わしたショップ」、高知県の「まるごと高知」、山形県の「おいしい山形プラザ」などが並ぶアンテナショップの集積地。昨年11月、その一角に茨城県の「茨城マルシェ」も加わった。最近では、県産のブランド納豆をランチサービスで提供する「納豆定期券」が話題になった。

 店で現在の一番人気は、「西野さんの干しいも黒ラベル」。サツマイモをふかして天日で干して作る干しいもの、9割以上が同県ひたちなか市で生産されているという。同市における歴史は、百年ほど前の明治後期にさかのぼる。せんべい屋の湯浅藤七が、せんべいの作り方に似ているところから始めたとの説が有力だそうだ。冬場に晴れの日が多く、海からの強い風が吹く気候条件が干しいも作りに向いている。東日本大震災後に激減した売り上げも、ようやく震災前の水準に戻ってきたとも聞く。

 ねっとりした歯ごたえと独特の甘みは、やみつきになるおいしさ。美菜部のメンバーにもファンが多い。この干しいもを使ったモンブランを店内のレストランでいただいた。栗と干しいもの2つのペーストが混じり合って、やさしい甘さにふんわり包まれる感じ。干しいもの潜在的な実力や恐るべし、だ。

 次の美菜部のイベントでは、ぜひ干しいもの独創的なメニューを期待したい。

  • やさしい甘さの干しいもを使ったモンブラン
  • マルシェで一番人気の「西野さんの干しいも黒ラベル」。小ぶりのイモをそのまま加工した丸干しタイプです

※「いばらき美菜部

(読売新聞編集委員・永峰好美) 

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2013.03.08

銀座の一時代、去る…柳澤政一さんの足跡

  • 99年に完成した「銀座の柳並木」の記念碑の前で(※西銀座デパート提供、以下同)

 「銀座の生き字引」として知られる西銀座デパート会長の柳澤政一さんが亡くなられ、先日、日比谷の帝国ホテルでお別れの会が開かれた。享年94歳だった。

 会場では柳澤さんの銀座での足跡がスライドで映し出され、参列者はそれぞれに柳澤さんとの思い出を偲んだ。私は、前職のプランタン銀座で働いていた2006年、十数年ぶりに西銀座通りに柳並木が復活し、「銀座柳まつり」もよみがえるという話を聞き、その立役者であった柳澤さんを訪ねたのが、最初の出会いだった。そのことは、2010年4月2日付の小欄に書いた。

地元商店を守った「株式会社 西銀座デパート」

 柳澤さんは、元証券マンである。1954年(昭和29年)に日興證証券の初代銀座支店長として赴任、当時、高速道路の建設に伴い高架下を地元商店の入居するショッピングセンターにする計画があり、その調整役として尽力したことから、銀座人としての人生が始まった。

 58年に数寄屋橋近くに開業した西銀座デパートは、ファッション中心にテナントを集めたショッピングセンターの、日本における先駆け的な存在。年末ジャンボ宝くじの1等が最も多く出るとして、宝くじファンが行列する「西銀座チャンスセンター」もここにある。

 同デパートが誕生するにあたって、柳澤さんは、いくつもの難関を乗り越えてきた。たとえば、日本橋商店会の面々が、「今度できる高速道路下のビルの数寄屋橋の左側の権利を我々は獲得した。ついては、皆みなさんの中でテナントとして入りたい店があったら申し出ていただければ入れてあげます」と、オフィスに乗り込んできたことがあった。銀座人たちは、日本橋の老舗に荒らされてはならないと団結し、権利を確保するために「西銀座デパート」という会社をつくった。柳澤さんの勤務する日興證券日興証券が発行株式10万株(額面500円)の引受元になり、銀座に店舗を持つ会社や商店の中から出店を希望する35人に分けたのだという。自著「私の銀座物語」(中央公論事業出版中央公論事業出版)に詳しい。

 一時銀座を離れて、静岡や横浜の支店長を歴任した後、71年、53歳の時、同デパートの専務取締役に迎えられ、80年、社長に就任。97年には会長職に。

  • 2008年の「柳まつり」パレードで、オープンカーに乗る右が柳澤さん(※)
  • 1958年に開業した西銀座デパート(※)
  • 92歳で「私の銀座物語」を出版。出版記念会には、政治評論家の故・三宅久之さん(左)も顔を出した

「銀座百点」創刊にも関わり

  • 今月700号を迎えた「銀座百点」

 銀座をこよなく愛する柳澤さんは、地域への社会貢献でもいくつかの仕事を残している。それは、西銀座通りの柳の復活にとどまらない。

 銀座の文化情報を発信するタウン誌の草分け、月刊誌「銀座百点」創刊へのかかわりも、その一つ。今月700号を迎えたが、瀬戸内寂聴、吉行和子、平岩弓枝ら、豪華な執筆陣が誌面を彩るのは創刊当初からだった。

 「銀座は常に時代をリードする消費・文化の発信地でなければならない」が持論で、「銀座経営者懇話会」という親睦会を結成(87年)、私も一時お仲間に入れていただいた。毎月各界の有識者を招いての時事問題セミナーなどを開催し、柳澤さんはいつも最前列に座って熱心に聞いていたの印象的だった。

写真や小唄、プロ級でも自戒

  • 「くらま会」の発表会で小唄を披露(※)

 趣味人でもあった。秋山庄太郎氏に師事した花の写真はプロ級の腕前。特にバラやダリア、ボタンなど、華やかな花を好んで撮影し、コンクールで金賞を獲ったこともあった。

 銀座人らしい趣味としては、銀座の旦那衆が集まって結成している「銀座くらま会」に入り、小唄を続けていた。同会は、小唄や常磐津、長唄、清元、端唄などの伝統芸能の火を絶やすまいと、銀座の老舗の旦那衆が家元から直接教えを受け、毎年秋には新橋演舞場で発表会を行っている。「くらま会」とは、自分たちが天狗になっている(かもしれない)ことへの自戒の念を込めた命名なのだとか。

 柳澤さんは、証券マン時代、旦那芸として小唄が披露されるのが当たり前だった宴席で、自分の番が来そうになると手洗いに逃げていたそうだが、あるとき時、会社から「小唄を習え」との業務命令が下り、習う羽目になったらしい。近年では、小唄の会「田毎(たごと)会」の会長を務めるほど稽古熱心で、芸を磨いていた。また、小唄の源流ともいわれる哥沢(うたざわ)の名手で、全国組織の理事長を引き受けていたこともあった。

地下道の散歩と少量の寿司が日課

  • 90歳を過ぎても、仕事机に向かっていた(※)

 「銀座経営者懇話会」の講師として柳澤さんと親交があった杏林大学名誉教授の田久保忠衛さんは、タウン紙「ギンザタイムス」にこんな一文を寄せていた。「晩年足が不自由になったので、健康のため銀座の地下道をいかに有効に利用してリハビリに努めているか、散歩の途中で、数寄屋橋すきやばし次郎で少量の寿司を昼に食べて、また歩くのを日課にして楽しんでいるのだと言っておられた。柳澤さんの訃報を耳にして、私は銀座の一時代が去ったか、との感慨にしばし浸った」と。

 銀座4丁目の数寄屋橋公園には、西銀座通りで柳の木を最初に植樹した1999年秋に完成した「銀座の柳並木」の記念碑がある。そこには、柳澤さんの自筆で、「この柳が末長く人々に愛され親しまれ続けること」と願いが刻まれている。

 そよ風に揺れる柳の枝を見るたびに、柳澤さんの笑顔が浮かんでくるような気がする。

(読売新聞編集委員・永峰好美)

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永峰好美のワインのある生活

<Profile> 永峰 好美 日本ソムリエ協会認定シニアワインエキスパート。プランタン銀座常務取締役を経て、読売新聞編集委員。『ソムリエ』誌で、「ワインビジネスを支える淑女たち」好評連載中。近著に『スペインワイン』(早川書房)