明治5年(1872年)の太政官布告で、男性の洋服が正装として採用された。文明開化のショーウインドー的役割を担っていた銀座には、かつて500近い注文紳士服の仕立屋があったといわれる。
「減ってきたとはいえ、今でも50以上残っている。日本の中で断トツです」と、老舗テーラー「
祖父の実さんが創業したのは、昭和5年(1930年)。長野の生家は呉服店。商いが思わしくなく、東京・赤坂の親戚の洋服店に奉公した。そこで目にした、英国製生地で仕立てた鹿鳴館時代のフロックコートに一目ぼれ。独立したら銀座に店を開く決心をする。
「目新しい一流品を求めて一流の人が来る銀座で成功すれば、日本一のテーラーになれる、と。銀座の地になぜこだわるかを祖父からよく聞かされました」
仕立ての工程は昔と変わらない。生地やスタイルを選び、ベテランの職人が2人がかりで採寸、店内の工房で縫い上げる。あらゆる角度からからだ全体が映せる五面鏡を前に、仮縫い、中縫いが速やかに進む。
渡辺さんは大学卒業後、イギリスとイタリアで洋服作りを学んだ。経営者であると同時に、仕立て職人でもある。
「基本の仕事は何ですか?」と聞くと、「まず掃除です」。早朝6時から2時間、店舗を構える9階建ての自社ビルを一人で掃除する。その後出勤してきた従業員とともに、数寄屋橋までの1ブロックを掃き清める。「銀座の街にはお世話になりっ放しだから当然のこと」と言う。
テーラーにお邪魔したのだから、生地に触れる仕事を体験したい。「では、巻いてみますか?」
生地の縦糸と横糸がまっすぐ通っているかチェックしながら、巻き板に生地を巻き付ける作業。何枚も同じことを繰り返す。
「これをやらないと、通気が悪くなって生地が風邪を引くんです」。基本中の基本の仕事を大切にすることも、祖父から教わった。
「職人の概念は進化していると思う。熟練の技できちんとした手仕事を仕上げるのは当たり前。顧客の趣味や流行感覚などを把握し物作りに情報やサービスをいかに盛り込んで付加価値を高めるか。試されているのではありませんか?」
茶の湯、三味線、陶芸。趣味人としての引き出しを増やすことにも熱心だ。
壹番館洋服店
東京都中央区銀座5―3―12 壹番館ビル1F
03―3571―0021
午前10時~午後7時(日曜・祝日は午前11時~午後6時)
火曜定休
(読売新聞編集委員・永峰好美)
2012年11月19日付 読売新聞夕刊「見聞録」より