2012.11.23

ミシン一心、足元に粋…銀座の職人(1)

 伝統と品格を保ちながらも、日々変化を受け入れ、進化を続ける東京・銀座。明治5年(1872年)の大火をきっかけにモダンな町並みに生まれ変わるまでは、木造平屋の古い長屋が連なる職人の町だった。銀座に生きる職人を訪ね、その技の一端を体験した。

  • 足袋職人の大橋浩二さん(右)から足袋の仕上げを学ぶ永峰編集委員(東京・銀座で)=安斎晃撮影

 銀座3丁目交差点から歌舞伎座方面に歩くと、ミシンに向かう職人の姿がガラス戸越しに見える店がある。

 「むさしや足袋店」。古びた木枠のショーウインドーに、白足袋に交じって江戸小紋の粋な色足袋が並ぶ。1874年(明治7年)創業で、店主の大橋康人(やすんど)さん(78)は4代目。上がり口脇で一心にミシンを踏むのは、弟の浩二(ひろじ)さん(75)。2人ともこの道50年以上のベテラン職人だ。

 足袋は、和服を美しく着こなすポイントの一つ。私の祖母は「ゆるい足袋ほど野暮(やぼ)なものはない」が口癖だった。靴のサイズよりやや小さめがよしとされるが、無理をすると、指の股や足首が締め付けられて激痛が走る。

 「むさしや」の足袋は、既製品といえども足にしっくりなじむと評判だ。足底のサイズは2ミリ刻み、足幅4種類、甲の高さは2種類そろっている。もちろん、型を作って注文することもできる。「銀座でおあつらえ」のブランド価値は高い。顧客には著名な歌舞伎役者や女優、作家、新橋の芸者衆らがいる。

 「私が若いころは、築地の料亭に通うついでに寄られる政治家も多かった。これ、昭和の宰相、吉田茂さんの型紙。小さくてきゃしゃな足だった」。康人さんは振り返る。

 大橋兄弟の父は新橋で足袋屋を営んでいて、店先が遊び場。おしろいのいい匂いのする芸者衆にかわいがられて育った。康人さんは大学の英語学科に進むが、「手仕事の方が面白い」と2年で辞め、銀座に店をもつ伯父に弟子入り。浩二さんも続いた。

 足袋作りの工程は複雑だ。表地、裏地、底地、こはぜ、かけ糸などをそれぞれ縫い合わせる。つま先は指の収まりを考えて、細かいギャザーを入れて立体的に縫い進める。

 注文足袋はすべて手作り。10か所ほど採寸し、足の特徴をつかんだら微妙に補正しつつ型紙を作る。生地に載せ、包丁と呼ばれる専用刃物でざくざくと裁断。印も付けず、縫い代分は目分量。流れるように曲線を切り出すさりげない手仕事に職人技が光る。

 注文足袋とつま先は康人さん、その他のミシン縫いと仕上げは浩二さんの担当。「粋な装いのわかる人が集う銀座で足袋屋を続けてこられたことは何よりも自慢です」と、2人は胸を張る。

 「仕上げ、やってみますか?」といわれた。つま先などの縫い目を木づちでたたいて柔らかくすると、履き心地が格段によくなる。簡単なようだが、均等にもれなくたたくのは難しい。「もっとリズミカルにできないかなあ」と注文がつき、額に汗がにじむ。

 むさしや足袋店

 東京都中央区銀座4―10―1

 03―3541―7446

 午前8時~午後5時

 日曜・祝日が定休日

 

 (読売新聞編集委員・永峰好美)

 2012年11月13日付 読売新聞夕刊「見聞録」より

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永峰好美のワインのある生活

<Profile> 永峰 好美 日本ソムリエ協会認定シニアワインエキスパート。プランタン銀座常務取締役を経て、読売新聞編集委員。『ソムリエ』誌で、「ワインビジネスを支える淑女たち」好評連載中。近著に『スペインワイン』(早川書房)