2012年8月アーカイブ

2012.08.03

古代の酒宴と神々の物語…南イタリアの風(3)

 イタリア半島とシチリア島の間に、点々と浮かぶエオリエ諸島。シチリア島北のミラッツォから水中翼船で1時間ほどで、島々の最南端にあるヴルカーノ島に到着する。人口1万人ほどの小さな島だが、夏は国内外からのリゾート客で一気ににぎわう。

 船着き場に降りると、硫黄の臭いが漂ってきた。そう、ここは活火山の島なのである。「ヨーロッパプレートとアフリカプレートが重なり合う場所なので、地震も頻発している。日本の震災はとても人ごととは思えなかったよ」と、地元ガイドのパウロさんは言う。

 船着き場の近くに、泥温泉があった。海底の噴気孔からガスが出ているとかで、海水浴ができる海へとつながっていた。

 島々の中には、ソーラー自家発電で電気をまかなっていたり、はたまたろうそくやランプを使っていたりと、太古の生活がそのまま残っている島さえあると聞いた。

 ヴルカーノ島に宿をとり、翌日は、再び水中翼船に乗ってお隣りのリパリ島を目指す。火山群の中心にあるのが、このリパリ島であり、30万年前の地層が残る、歴史の宝庫でもあった。

  • エオリエ諸島のヴルカーノ島は活火山の島
  • 船着き場の近くに、海に続く泥の温泉がある

  • 夏はリゾート客でにぎわうヴルカーノ島のホテルから。向かいにリバリ島が望める
  • リパリ島からの一望

 酸性火山の島で、鋭利な石器を作るための黒曜石が採取できる。そのため、石器時代から交易が盛んで繁栄した。やがて青銅器時代に入り紀元前1300年ごろになると、青銅を造るための(すず)など鉱物を求めて多くの船がエーゲ海域から往来するようになり、中継地として栄えたという。

 歴史家ディオドロスによれば、紀元前1600年ごろ、イタリア半島の原住民、アウソーニ族が移住を始め、アウソン王の息子リパロスによって征服され、その名前が付けられたとしている。そのリパロスの一人娘をめとって王位を継いだのがアイオロスであった。ホメロスが長編叙事詩「オデュッセイア」の中で「風の司」と呼んだ人物である。

風の神アイオロスが司るリパリ島

  • 城砦からシチリア島の北に広がるティレニア海を眺める

 ここで、「オデュッセイア」について、簡単に触れておきたい。

 主人公のオデュッセウスはイタケーの王で、トロイア戦争に参戦、知略を巡らせて木馬作戦を指導するなどして、ギリシャ軍を勝利に導いた英雄である。ところが、故国に凱旋(がいせん)する際、嵐に襲われて漂流し、10年にも及ぶ冒険が始まる。オデュッセウス自身が語る奇怪な漂流冒険物語と、留守中に起こった事件への復讐の話などで構成されている。ホメロスの伝承作品として成立したのは、紀元前8世紀ごろ。後に文字化されたといわれている。大学1年の夏休みの課題で読んで、西洋古典をかじってみようかなと思った、私にとっては印象深い作品である。

  • 海の透明度が素晴らしい

 さて、リパリ島の話に戻ろう。

 「オデュッセイア」の第10歌には次のような記述がある。

 「ついでわれらはアイオリエ(アイオリア)の島に着いた。これは浮島で、ヒッポタスが一子、不死なる神々の寵愛に恵まれたアイオロスが住んでいた。島の周りには、ぐるりと青銅造りの不壊(ふえ)の城壁がめぐらされており、さらに険しい岩が切り立っている……アイオロスはクロノスの御子から、風の司に任ぜられており、いずれの風も思うままに止めもし起こしもできた」(岩波文庫「オデュッセイア」松平千秋訳)

 結局、オデュッセウスは、風の神アイオロスのリパリ島の屋敷で厚遇され、トロイア戦争の話を1か月もの間、所望されるままに話す。そして、帰り際、アイオロスから海上の荒ぶる風の通い路を封じ込めた革袋を餞別に贈られ、再び旅立つ。ところが……。

  • リパリ島の落ち着いた街並み
  • 店頭に並ぶトマトの種類も豊富

  • リパリ島特産の黒曜石が売られている
  • 紀元前の石畳にも、黒曜石が光る

風を封じ込めたオデュッセウスの革袋は…

  • リパリ島の遺跡群

 風の神アイオロスのリパリ島をあとにしたオデュッセウスだったが、船の乗組員である部下が嫉妬して、海上の荒ぶる風の通い路を封じ込めた革袋を開けてしまい、後退を余儀なくされるのだ。

 風の神が司るこの島の見どころは、城塞内にある考古学博物館。

 黒曜石の石器などとともに、青銅で造られた大きな(かめ)など、島が繁栄していた時代を想像させる品々が展示されている。

  • リパリ島の考古学博物館には、クラテールという饗宴で使われた酒器が多い

 古代ギリシャでよく使われた「クラテール」と呼ばれる大型の酒器も多数あった。

 これは、饗宴で、ワインと水を混ぜ合わせるのに使われた。当時のワインは、ブドウを干して糖度を増してから醸造したタイプなので、水と特産のハチミツを加えて薄めるのが常識だった。ものの本によれば、薄めないで提供するワインは不作法とされ、饗宴の主催者は、参加者の好みによってワインをどの程度薄めるかにかなり気をつかったらしい。

 出土された副葬品の中で、演劇に使われたミニチュア仮面のなんともユーモラスな表情が印象に残っている。地元の作家による、紀元前4~3世紀ごろの作品のようだ。

  • 酒の神様ディオニュソスがモチーフの主役

 アリストファネスの戯曲「女の議会」は、女性たちが自分たちの意見を述べようと、男装して民会に乗り込み、実際に採用されるといった喜劇だが、その仮面からは、しかつめ顔で雄々しく振る舞おうとしている様子が伝わってくる。

 酒の神、ディオニュソスの仮面も何種類もあり、当時も、酒宴がコミュニケーションの中心的な役割を果たしていたことが透けて見える。

  • (左上)出土品には演劇のミニチュア仮面が多数ある、(左下)アリストファネスの「女の議会」の仮面、(右上)副葬品の数々、(右下)心理学では「エディプスコンプレクス」で知られるオイデプスと母のイオカスタ
  • (左)ソクラテスら哲学者も勢揃い(右)紀元前3世紀ころのディオニュソスの仮面

一つ目の巨人族キュクロプスの伝説

  • ヴルカーノ島のホテルから見た日没

 ところで、「オデュッセイア」の挿話から、シチリア島に関係している話をもう一つ紹介しよう。

 舞台は、イオニア海に面した東海岸のアーチ・トレッツァ。

  • 特産ワインのマルヴァジーア

 第9歌で、オデュッセウスは、アルキノオス王の宴で自分の素性を明らかにし、これまでの漂流の一部始終を物語る。その中に登場してくるのが、一つ目の巨人族キュクロプスの国での冒険。

 そもそも、ギリシャ人は、シチリアには最古の先住民として、一つ目の巨人族キュクロプスが住んでいると思っていたようで、前5世紀の歴史家トゥキディデスの記述にもある。

 「オデュッセイア」では、ある浜に漂着したオデュッセウス一行がだれもいない岩屋に入ってチーズなどを盗み食いする。そこへ戻ったキュクロプス族の羊飼いは怒り、一行の中の2人を食べてしまうのだが、オデュッセウスは機転を利かせて、手持ちのブドウ酒で彼を酩酊させてしまうのだ。そして、酔って寝入った巨人の一つ目に焼いたオリーブの木を突き刺し、翌朝、脱出に成功する。羊飼いは、父である海神ポセイドンに、オデュッセウスの航海をのろうように呼びかけ、岩の塊を海に向かって投げつけたという。

  • イオニア海に面したアーチ・トレッツァ

 それが、アーチ・トレッツァで、浅瀬に黒く点々と並ぶ岩礁が、投げられた岩とされている。

 ヴルカーノ島の宿に戻り、日没を待ちながらオデュッセウスの漂流を思う。グラスに注がれたワインは、特産のマルヴァジーア・デッレ・リパリ・パッシート・リクオローソ。アルコール度数の高い甘口白ワインは、ハチミツのように口の中でとろける。ギリシャ時代にクラテールでブレンドされたワインの名残だろうか。

 (読売新聞編集委員・永峰好美)

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永峰好美のワインのある生活

<Profile> 永峰 好美 日本ソムリエ協会認定シニアワインエキスパート。プランタン銀座常務取締役を経て、読売新聞編集委員。『ソムリエ』誌で、「ワインビジネスを支える淑女たち」好評連載中。近著に『スペインワイン』(早川書房)