前回に続いて、古代ギリシャ時代の遺跡群が残る都市を紹介したい。シチリア島の西部にあたる3か所、アグリジェント、セリヌンテ、セジェスタ。それぞれに前回とはまた趣の異なる場所である。
まずは、アフリカに面した海を望むアグリジェント。1927年まで、ジルジェンティと呼ばれていたのだが、ローマ帝国再興を思い描いたムッソリーニが、ラテン語のアグリジェントを復活させたという。ちなみに、古代ギリシャ名はアクラガス。東側を流れる川の名前にちなんだものだ。
アグリジェントは、前6世紀、クレタ島とロドス島からの植民により建設され、先住民のシカニ族を征服しつつ、内陸部へと領土を広げていった。植民初期のころの有名人に、ファラリスという支配者がいる。極めて残酷な処刑具を造ったことで知られている。中が空洞のブロンズの牛を鋳造、そこに罪人を閉じこめて下から火であぶると、うめき声が牛の口からもれ聞こえるという装置。後に、戦いに勝利したカルタゴに持ち去られたといういわくつきの道具である。
横たわる不思議な巨人、テラモン
「神殿の谷」と呼ばれる神殿群のある考古学地区に向かった。点在するギリシャ神殿は、緑深い土地にすっかり溶け込んでいる。道すがら、エンドウ豆の房を少し大きくしたような形のイナゴ豆の木々に出合う。聖書にも登場するこの豆は甘味があって昔から菓子類に用いられたそうだ。今では薬局で、咳止めキャンデーとして売られている。
アクロポリスのあった旧市街は眼下に広がる。青い海を背景に、崖の上にそびえるのはヘラ神殿。ヘラは船乗りの守護神である。ヘラクレス神殿は、柱も太く、重々しい。
ほぼ完璧な神殿の姿をとどめているのが、コンコルディア神殿。コンコルディアとは、和解・協調の意味で、現在も平和の祭典がこの神殿を舞台に営まれているそうだ。前5世紀の建設だが、6世紀の東ローマ帝国の時代に教会堂に転用されていたため、神室の内部にアーチが造られているのが興味深い。
前480年、シチリア島には歴史的出来事が起こる。アグリジェントはシラクーサと同盟した支配者テロンの下、ヒメラの戦いでカルタゴ軍を大破する。戦いで得た大量の捕虜を使い、数々の大規模土木工事に着工する。
その一つが、オリュンピアのゼウス神殿。全ギリシャ世界においても最大級の規模を誇る神殿として名をとどろかす。石材の大半は失われてしまっていて廃虚のようだが、崩れた柱頭などからその大きさは容易に想像できる。
ゼウス神殿跡で、不思議な巨人が横たわっているのを見た。身長8メートル近いテラモン(人柱像)。神殿前面の列柱の間などに柱として組み込まれ、梁を支える役割を担っていた。実は、横たわっている像はレプリカで、オリジナルの本物はアグリジェントの考古学博物館にあった。博物館の所蔵品の中でも飛び抜けて巨大で、地下と1階の2フロアを貫いた中央展示室に無防備に展示されていた。
アグリジェントの美しき青年
博物館でもう一つ目に留まったのは、アグリジェントの青年像。前5世紀に造られた大理石像で、冷たい肌の質感が何とも美しい。
テロンの下で発展したこの都市は、民主制に移行する。中心的政治指導者は、哲学者でかつ医者でもあったエンペドクレス。同時代にクロトーネで活動していたピュタゴラスの影響を受け、薬草を使った治療法や音楽療法なども開発している。非戦中立を唱え、また、身寄りのない娘たちの後見人になったり、オリュンピアの競技会に出かけてアスリートとしても勝利したり、何かと目立つ活動も少なくなかった。その評判は人々のねたみの的になり、エトナ山の火口に身投げをしたなど、不幸な晩年が語り継がれている。
こうしたアグリジェントの黄金期は長続きせず、前5世紀末、カルタゴ軍に攻め込まれ、陥落する。そう、あの「ファラリスの牛」も戦勝品として持ち帰られたわけである。
アグリジェントよりもさらに島の西に位置し、アフリカに面した海を望むセリヌンテ。対岸のカルタゴとの交易で繁栄したが、前5世紀、島北西部の内陸にある先住民の都市セジェスタとの領土争いを繰り広げる。
セリヌンテの遺跡は広大で、3つの神殿が残るが、どの神殿にどの神が祀られたかが不明で、神殿名は便宜的にE神殿、G神殿、C神殿という具合に、アルファベットで呼ばれている。後に大地震で瓦解し、風化した石材の山は、歴史の物語を語ってはくれない。崩れた柱の太さは直径3メートルを超えるものもあり、その巨大さを感できる。
ゲーテも記したセジェスタの謎の神殿
一方、セジェスタの先住民エリミ族は、小アジアから漂着したトロイア戦争の落人ともいわれている。あたりには、きれいに作付けされたブドウ畑が大海原のように広がっていた。カタラットなど、白ワインの産地アルカモが近い。
シャトルバスでバルバロ山を登り、アゴラ(市民広場)の発掘地域に出る。その先に、小さめのギリシャ劇場があった。
劇場から1キロほど離れたところ、緑深い山のふところに抱かれた神殿がぽつんと望める。神室も床石もなく、列柱の囲いのみの、不思議な神殿である。
ゲーテは「イタリア紀行」(岩波文庫)の中で、セジェスタのこの謎めいた神殿についてかなり詳しく記している。
「側面には隅柱を除いて十二本の柱があり、前面と背面には隅柱を入れて、六本の柱がある。石を運ぶためのほぞが、まだ削りとられぬままで殿堂に横たわっているのは、この寺院が完成しなかった証拠である……」
「神殿の位置はいかにも変わっている。広く長い谷の最高の端、孤立した丘の上にあるが、しかも険崖に取り囲まれており、むこうにはひろびろとした陸地が見えるけれど、海はほんのわずか見えるだけである。この地は豊饒でありながら物わびしく、どこもよく開墾されているが、ほとんど人家というものを見ない」
神殿の周辺には、テキーラの原料になるアガペ(竜舌蘭)やコリント式の柱のデザインに使われるアカンサスの花が群生していたが、こうした景色をゲーテも見ただろうか。
さて、セリヌンテとセジェスタの領土争いの話に戻ろう。セリヌンテの勢いに脅威を感じたセジェスタはアテネに接近するが、シチリアに遠征してきたアテネ軍はなんと敗退してしまう。そして、それからまもない前409年、ヒメラの戦いで敗退したカルタゴのリベンジが始まり、アグリジェントもセリヌンテも陥落する。アテネに見放されたセジェスタは、カルタゴにひよったものの、勢いのあるシラクーサに征服される。
未完の神殿は、度重なる人々の争いをどのように見つめてきたのだろうか。
(読売新聞編集委員・永峰好美)