2012年8月アーカイブ

2012.08.31

ヴェスヴィオ山がもたらす恵みと悲劇…南イタリアの風(最終回)

 南イタリアの旅の終わりは、イタリア半島に渡ってナポリへ向かった。

 前8世紀初め、ギリシャ人がナポリ湾西方のイスキア島ピテクーサに入植後、本土側のクーマに建国したことは、シリーズの第4回で書いた。さらに、前680年頃からクーマに移住したギリシャ人がナポリに南下、住み着いたといわれている。

 最初の集落は、サンタ・ルチア港の突端、今日では12世紀ノルマン王が建設した卵城を見下ろす丘のあたり。岩礁に打ち上げられた乙女の名前から、集落はパルテノペと呼ばれていた。彼女は、オデュッセウスを誘惑するのに失敗して命を絶った美声の鳥人セイレンの一人ともいわれている。

 ホメロスの「オデュッセイア」(岩波文庫)第十二歌には、セイレンが透き通るような声で歌い、船で行き過ぎるオデュッセウスを魅惑しようと試みる場面が描かれている。

  • ナポリには、古代ギリシャ都市の規則正しい都市構造が今も残る

 「アカイア勢の大いなる誇り、広く世に称えられるオデュッセウスよ、さあ、ここへ来て船を停め、わたしらの声をお聞き。これまで黒塗りの船でこの地を訪れた者で、わたしらの口許から流れる、蜜の如く甘い声を聞かずして、行き過ぎた者はないのだよ。聞いた者は心楽しく知識も増して帰ってゆく(中略)。ものみなを養う大地の上で起ることごとも、みな知っている……」

 美声を聞きたいオデュッセウスは、部下に命じて船の帆柱に自らのからだを縄でくくりつけさせる。そして、船をこぐ部下の耳には蜜蝋をこねて貼り付け、無事通過する。

都市計画でつくられたネアポリス

  • (左上)サングレゴリオ・アルメーノ通りには、古いプレセーピオ工房が軒を連ねる、(左下)プレセーピオの題材には今風なものも、(右)スパッカ・ナポリにはアートな建物もあってにぎやか

 前5世紀、ギリシャ人はナポリ湾全体を支配するため、都市計画に基づき、旧都市パルテノペの北東にネアポリスを建設する。ネアポリスとは、ギリシャ語で新しい都市の意味。ナポリの語源になった。現在の大聖堂を中心に「スパッカ・ナポリ」と呼ばれる旧市街のあたりで、内陸である。

 ローマ、ビザンツの支配を経て、周辺都市を含むナポリ公国として独立するのは763年。イスラム海軍を破りアラブとの交易に成功するなどして、黄金期を迎えた。

 旧市街「スパッカ・ナポリ」の「スパッカ」とは、真っ二つに割るという意味で、東西に貫通する直線道路を指す。古代ギリシャの植民都市の骨格は、規則的に格子状に割られた構造が基本。それは、現代にも受け継がれている。旧市街はこの古代の街並みを下敷きにして、由緒ある教会建築群と庶民の路地文化とが混在、独特の風景がつくり出されている。サン・グレゴリオ・アルメーノ教会がある通りには、キリスト生誕の様子などをジオラマで表すミニチュア手工芸、プレセーピオの老舗工房が軒を連ね、観光客でにぎわっていた。

古代地下都市の散策から地上へ

  • (左上)サン・ロレンツォ教会が建つガエターノ広場、(左下)ナポリの地下都市は今は一般にも公開されている、(右)何本もの通路がつながって、迷宮のよう

 興味深いことに、近年になって、これまで眠っていた古代地下都市の発掘が進んでいる。中心になるアゴラ(市民広場)は、14世紀に建てられたサン・ロレンツォ・マッジョーレ教会が建つ旧市街のガエターノ広場にあった。

 正確には、教会に隣接する修道院地下にあって、ギリシャ時代のアゴラを発展させた広場フォーロや店舗、街路などの遺構が一般に公開されている。深さ40メートルほどまで掘り下げられており、切り出された石材は城壁や神殿などの建築に用いられた。

 ローマ時代になると地下貯水槽として活用するため、たくさんの穴が掘られ、迷路のように通路がつなげられた。ガイドについて回ったが、複雑で、一人では迷子になるなと思った。

 ひんやり古代の空気に満ちた地下道から地上に出ると、陽気にナポリ民謡を歌うおじ様グループに遭遇。これもまた、ナポリの楽しさである。

 そこから足を伸ばして、プレビシート広場近くの「グランカフェ ガンブリヌス」へ。1860年創業のナポリ最古のカフェである。ラム酒シロップに漬け込んだババ、ひだが何層もある貝殻型のパイ生地にリコッタチーズとカスタードクリームがはさまれたスフォリオテッラなど、ナポリ菓子が人気だ。サロン風の店内に飾られた絵画の中に、ヴェスヴィオ火山の絵画があった。

  • 地上に出ると、ナポリ民謡が聞こえてきた
  • ナポリ一大きなプレシート広場
  • (左上)ナポリ最古のカフェ、グランカフェ・ガンブリヌス、(左下)名物のババ、(右上)カフェに掲げられていたヴェスヴィオ山の絵、(右下)アマルフィの修道院が発祥といわれるスフォリオテッラ

街ごと埋もれたポンペイの日常

  • ナポリ湾からヴェスヴィオを望む

 ヴェスヴィオといえば、79年8月24日の大噴火で、火山灰の下に埋もれたポンペイの街がある。共同浴場やスポーツジム、食料市場やパン屋、洗濯屋など、日常生活の基本は今のそれとあまり変わらない。共同浴場を出た先に、ワインの貯蔵甕やパン焼き釜が残る“居酒屋”跡があるのも面白い。

 このポンペイの大惨事を後世に伝えたのは、当時17歳だった青年の手紙。地中海艦隊司令官でナポリ湾岸のミセヌムに駐在していた大プリニウスの甥、小プリニウスが、歴史家タキトゥスの求めに応じて書いたといわれ、貴重な目撃談となった。古代ローマの詩人、ヴェルギリウスは「アエネーイス」に、小プリニウスの生々しい記述を載せている。

  • ポンペイ遺跡の広場跡
  • ポンペイの秘儀荘あたりからヴェスヴィオを望む
  • ポンペイ遺跡の商店街跡 運送屋さんの標識か?

  • (上左)市場から商店街へと続く、(上右)公衆浴場の出口にあった、居酒屋跡、(下左)ヴェルギリウスの墓はメルジェッリーナ駅の裏手にあった、(下右)不思議な長いトンネルは、現在立ち入り禁止に

 ちなみにヴェルギリウスの墓は、ナポリのメルジェッリーナ駅裏手の公園内にあった。彼はハチミツを「天からの露の恵み」と呼ぶなど、イラン起源のミトラ神崇拝の秘儀にも通じるところがあり、墓地内に掘られた長いトンネルなどベールに包まれた部分が少なくない。

 ポンペイで興味深いのは、市民の日常がわかる商店街や市場であったと書いた。ナポリの北、古代地中海世界でも有数の港町として栄えたポッツォーリもまた、ローマ人の食生活を支えた食料品市場跡で知られる。

 ローマに物資を中継する拠点として栄え、中東や北アフリカから多くの貿易商人たちを集めた。2階建ての市場は、神殿かと見まがう美しい建築だ。噴水のある大きな中庭を囲むようにして店舗跡が残る。火山性の土地で、19世紀には店舗部分が温泉の浴場としても活用されたらしい。

ヴェスヴィオ火山とキリストの涙

 さて、我が“グランド・ツアー”の締めくくりは、ナポリの東12キロにあるヴェスヴィオ登山。標高はわずか1281メートル。今は裾野にブドウ畑が広がっている。

  • 港町ポッツォーリの食料品市場跡
  • (上)ヴェスヴィオ山の登山道を歩く(下)登山ガイドさんと一緒に
  • (左上)外輪山を成すソンマ山と中央丘であるヴェスヴィオ山によって構成、(左下)標高1167メートル地点の休憩所で、(右上)ガイドさんの資料から、1933年の噴火の画像、(右下)こちらは1944年の噴火の空撮

 79年、山麓の街ポンペイを壊滅させ、以後14世紀まではほぼ100年に1度火を噴いて付近住民を脅かしてきた。一時活動を休止したものの、再び1631年に火山活動が始まり、最近の噴火は1944年3月。現在は駐車場のある登山口までバスに乗り、そこから直径600メートルほどの火口まではゆっくり歩いても1時間くらいだ。

 外輪山をなすソンマ山と、中央丘でもあるヴェスヴィオ山によって構成されているため、2つの頂をもつ。登山ガイドによれば、初期のソンマ山は3000メートル級だったが、何度かの大噴火によって火口が広がっていき、現在のような双子山になったそうだ。

 ところで、1880年に作曲された「フニクリフニクラ」は、今に歌い継がれるナポリ民謡。トーマス・クックが世界で初めて火山観光用のケーブルカー(フニコラーレ)を設けたことで誕生したCMソングだった。

 登山口に戻り、白ワインを1杯飲んだ。その名も「ラクリマ・クリスティ・デル・ヴェスヴィオ」。ほんのりハチミツのような甘味があった。

  • 休憩所で売っていたワインは、ラクリマ・クリスティ・デル・ヴェスヴィオ

 このワインには物語がある。その昔、天国から追放された大天使サターンが、天国の土地を一部盗んで逃走したものの、途中で落としてしまい、その場所にナポリの街ができた。だが、地上の人々は悪の限りを尽くし、ナポリは疲弊していく。その様子を天上から眺めていたキリストが涙を流し、そこからブドウの樹が生えてワインが生まれたという。

 ちなみに、このシリーズで取り上げた街で飲んだワインについては、私のブログ(※)で取り上げているので、興味のある方はチェックしてみてください。

 「南イタリアの風」と題し、7回に渡って旅行記を書いてきた。南イタリアでは、古代ギリシャやアラブをはじめとする多様な文化の集積が現代の街にも受け継がれ、さらに、陽気な人々の日常と重なり合うことで、土地の魅力を増している。秋の旅シーズンに向けて、何かヒントになるようなことがあったならばうれしい。

 来週からは従来通り銀座の話題を拾っていきますので、今後ともお付き合いください。

 (読売新聞編集委員・永峰好美)

 ※永峰好美のワインのある生活

 http://www.printemps-ginza.co.jp/wine/

この記事のURL | Trackback(0) | Comment(0)

2012.08.26

南イタリアの旅から(6)~シチリア・エオリエ諸島

 7日目の行程は、

タオルミーナ→ナクソス→ミラッツォから船でエオリエ諸島のヴルカーノ島へ。

 

ヴルカーノ島は、船着き場からも硫黄が臭います。

活火山の島です。

12062901.JPG

 

この島々も、物語がいっぱい。

ヨミウリオンラインのコラムをチェックしてみてください。

http://www.yomiuri.co.jp/otona/pleasure/ginza/20120803-OYT8T00995.htm

 

連日見所が盛りだくさんの強行軍の旅だったので、この日と翌日は、ちょっとリゾート気分で。

 

ホテルは、Therasia Resort

12062902.JPG

 

ホテルのプールの目の前に、明日訪問するリパリ島が迫ってきます。

12062903.JPG

いやあ、気持ちいいです!!

12062904.JPG

 

フランボワーズを使ったカクテルをいただきました。

12062905.JPG

 

泳ぎ疲れて・・・この日はホテルのテラスレストランでディナー。

12062906.JPG

 

料理は、ちょっとアラン・デュカス風(?)

12062907.JPG

12062908.JPG 12062909.JPG 12062910.JPG

  12062911.JPG

2011 Salina Bianco

エオリエ諸島で2番目に大きなサリーナ島のワイン。緑豊かな島としても知られています。映画「イル・ポスティーノ」の舞台にもなりました。

「地球上でもっとも美しい島の一つ」といったのは、あのロバート・パーカーでした。

生産者は、ヴィルゴーナ社。北部マルファ地区にあります。この地区は、12世紀、イタリア本土カンパーニャ州アマルフィから移住してきた人々によって築かれた街なのだとか。街の名も、アマルフィに由来しています。

インゾリアとカタラットのブレンド。

サリーナの名前は、もともと塩採取の場所だったことから付けられたそうで、軽やかな柑橘系の味わいの中にも豊かなミネラル感が感じられました。

 

 

2011 Planeta La Segreta Bianco

日本でもよく知られている、シチリア北西部メンフィに近いプラネタ社の白ワイン。

グレカニコ50%、シャルドネ25%、ヴィオニエ15%、フィアーノ10%。

シチリアらしいフレッシュでクリーンな味わいに、ヴィオニエのアロマティック名厚みが加わって、ふくよかに仕上がっていました。

 

 

 

 

 

12062913.JPG

エキストラヴァージン・オリーブオイルも、プラネタ社のもの。

ヴァル・ディ・マザラDOP。

豊かな香りとハーブの繊細な味わいは、身が大きいノチェッラーラ・デル・ヴェリーチェの特徴からくるものなのだとか。

 

 

 

 

 

 

 

 

12062914.JPGこの島に来たら、マルヴァジア・デル・リパリははずせません。

    パオラ・ランティエリが造るマルヴァジア。パッシートです。

とろりと濃厚で、芳醇なハチミツの味わい。不老不死の神々の飲み物、ネクターにもなぞらえられています。

 

12062915.JPG  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日、リパリ島に渡りました。

上空から見ると、こんな感じらしいです(絵はがきから)。

12062916.jpg

リパリ島は商店街もにぎやか。オリーブやスパイスなどいろいろ。

12062917.JPG

大きなパプリカが印象的! 12062918.JPGトマトもいろんな種類がありました。

12062919.JPG

リパリ島の博物館には、紀元前4世紀以降に活躍した「リパリ島の絵付け師」たちの手になるすばらしいクラテール(混酒器)が並んでいました。

12062920.jpg

12062921.jpg

当時のワインの飲み方については、コラムに書きました。

クラテールはそのための道具です。

http://www.yomiuri.co.jp/otona/pleasure/ginza/20120803-OYT8T00995.htm

 

 リパリ島には、ノルマン時代に造られた大聖堂があります。ファサードは15世紀のバロック様式。

12062922.JPG

ヴルカーノ島に戻り、

12062923.JPG

 

この日のディナーも、宿泊先のホテルで。

12062924.JPG

12062925.JPG 12062926.JPG 12062927.JPG2011 Vittoria Insolia

生産者は、Valle Dell'Acate

島の南東、ノートに近いラグーザに位置します。

ヴィットリアは街の名前です。

インソリア100%。白い花の香りがふんわり心地よく漂います。

 

 

 

 

 

 

 

12062928.JPG  

 

2011 Vittoria Frappato

上記白と同じ生産者です。

フラッパート100%。

タンニンが軽やかなフレッシュ感のある赤でした。

フランボワーズなど赤い果実の凝縮感が味わいの中心に。

 

 

 

 

 

 

デザートをいただきました。

大きなワイングラスに入った、白いチーズのデザートと、

12062929.JPG

こちらは、シチリア名物カッサータ

12062930.JPG

 

翌朝、島を出発! 船でミラッツォへ。メッシーナから一路、フェリーに乗って、イタリア半島のブーツ型のつま先、レッジョ・ディ・カラブリアを目指します。

12062931.JPG

12062932.JPG

この記事のURL | Trackback(0) | Comment(0)

2012.08.26

南イタリアの旅から(5)~シチリア・タオルミーナ

6日目の行程は、

シラクーサ→アーチ・トレッツァ→タオルミーナ

 

いろいろストーリーのある場所です。

アーチ・トレッツァについては、以下「ヨミウリオンライン」のコラムを参考にしてください。

古代ギリシャに関心のある人には、必見の場所です。

http://www.yomiuri.co.jp/otona/pleasure/ginza/20120803-OYT8T00995.htm

 

さて、シチリアで、ツアーにも組み込まれている景勝地、タオルミーナへ。

宿泊先のMiramare Hotelから見下ろすと、

12062801.JPG

12062802.JPG 12062803.JPG  

 

乾燥していて、のどがすっごく乾くんです。コーラは、ワールドカップ・バージョン!

 

さーて、ディナーまでの時間、メインストリートのウンベルト1世大通りをぶらぶら歩きしました。

オリーブをデザインした陶器がかわいらしいんです。

12062805.JPG

テラスが広がる4月9日広場です。 12062806.JPG

 

結婚式を挙げたばかりのカップルに遭遇。これから披露パーティーなのだとか。

12062807.JPG

 

さて、ディナーの場所へ。広場の上の高台にありました。

12062808.JPG

12062809.JPGレストランの名前は、Ristorante Cinque Archi

 

本日のワインは、シチリアで人気のある Regalealiを白・ロゼ・赤3種類いただきました。

赤はネッロ・ダーヴォラ、ロゼはネッロ・ダーヴォラとネッロ・マスカレーゼのブレンド。可憐なロゼ色です。

 

12062812.JPG 12062811.JPG

 

 

もう1本、赤を。

12062813.JPG

2009 Etna Rosso

生産者は、フィリアート社です。

シチリアの西部、トラバーニに近いバチェコで1980年代半ばから醸造所を構えるワイナリー。

ネッロ・マスカレーゼとネッロ・カプッチョのブレンド。輝くルビー色で、カシスやサワーチェリーの香り、スパイス感もあって、果実の凝縮した赤。

タンニンはやわらかく、魚介類の料理でもすいすい飲めました。

 

 

 

 

 

料理は、完熟トマトがたっぷりのったクロスティーニから。

12062814.JPG

 

たこのマリネに、ムール貝の白ワイン蒸し。

12062815.JPG

12062816.JPG

パスタも、トマトとオリーブでシンプルに。

12062817.JPG

12062818.JPG

仔牛肉の料理を追加! チーズの上に特産のピスタッチオが。甘みが増して、美味しいのです。

12062819.JPG

 

外に出てみると、海岸縁の歩道、ムードあります。

12062820.JPG

この夜は、サッカーワールドカップ、Euro2012の準決勝。ドイツとイタリア戦で、どこのワインバーも

人がいっぱい!!

12062821.JPG

ドイツを破り、翌日の新聞1面で大騒ぎでした。

サッカー応援グッズには、キティちゃんも人気なようで・・・

12062822.JPG

 

朝のタオルミーナのホテルから、朝焼けを眺めていました。

12062823.JPG

 

朝、散歩しながら、活動しているエトナ山を眺望に行ってきました。

12062824.JPG

 

タオルミーナも、歴史の重なりが、楽しい街です。

コラムは、ヨミウリオンラインで。

http://www.yomiuri.co.jp/otona/pleasure/ginza/20120824-OYT8T00630.htm

 

この記事のURL | Trackback(0) | Comment(0)

2012.08.25

南イタリアの旅から(4)~シチリア・シラクーサ

南イタリアの旅5日目は、

アグリジェント→ノート→シラクーサ

いよいよシチリアの旅も、ギリシャ植民都市の栄華のハイライトを訪ねる場所に近づきます。

アグリジェントでランチを終えて、ノートに向かいます。

ここは、1600年代の大地震で街全体がほぼ瓦解、16キロほど離れた場所に引っ越したニュータウンで、バロック都市として再生されました。

12062701-.jpg

貴族の館のバルコニーを支えるのは、水兵たちを迷わせるセイレーン。

バロックしてます。

12062702.JPG

ここは図書館として保存されていますが、ふつうの家のバルコニーもおしゃれです。

12062703.JPG

この街が気になったら、ヨミウリオンラインのコラムを読んでみてください。

http://www.yomiuri.co.jp/otona/pleasure/ginza/20120824-OYT8T00630.htm

 

 店先では、ワインやら操り人形やら、

12062704.JPG 12062705.JPG

 ピメント入りの魚の稚魚の塩辛みたいなのがおすすめ。

それから、ドライトマトが1.5ユーロで安いし、特産のピスタッチオ入りのジェノベーゼソースはパンに塗ってワインのおつまみに。

 

夜はシラクーサ泊まり。

旧市街、オルティージャ島のレストランへ。港に面した地元の素朴なレストランです。

 

12062707.JPGワインも地元価格。10-15ユーロで楽しめます。

のどを潤すのに、まずはロゼワインをいただきました。

2011 Eolo Rosato

30%ネロ・ダヴォラ、30%シラー、40%サンジョヴェーゼ。

ぎんぎんに冷やして、水代わりみたいに、飲んでしまいました。

あれ、気がついたら、こんなになくなっちゃって・・・。

前菜の野菜のカポナータなどと一緒に。

 

 

 

 

 

  12062708.JPG  

この日は、白尽くしで。

2011 Surya Bianco

インソリア70% シャルドネ30%。

白い花系の香りとエキゾチックなフルーツの香り。

インソリアのアーモンドの風味はこの島では捨てがたいものになってきました。

造り手のジャンニ・ゾニン・ファミリーは、アグリジェントの北のカルタにセッタも位置します。

oasis of the traditions which we wan to defend. がキャッチフレーズ。

先住民シクリの王にちなんでつけられたらしい醸造所の名称は、Principi di Butera。

 

 

12062709.JPGグリッロ100%。

プーリア発祥の品種ですが、フィロキセラの蔓延で、シチリアに移り、1930年代には、シチリア島の60%で栽培されていたのだとか。

マルサーラの主要品種ですが、辛口の白にも仕上がります。

生産者はPollaraファミリー。

ここは、パレルモから車で内陸に1時間ほど。

「ゴッド・ファーザー」で知られるコルレオーネ村唯一のワイナリーです。

岩山に張り付くように位置する村には、さんさんとシチリアの太陽が降り注ぎます。

「ゴッド・ファーザー」のラストシーンでは、主人公が、このコルレオーネの赤ワインを飲みながら、ブドウ畑の下に崩れるようにして天国に旅立つ姿がありました。

 

 料理は、リゾットを中心に、

12062710.JPG

12062711.JPG

12062712.JPG 12062713.JPGデザートワインに、

Moscato di Sirakusa.

モスカートは、ここシラクーサやノートの特産。

輝くゴールドイエローの外観、

フローラルで、嫌みのない甘みが魅力的。

 

 

 

 

 

 

 

 

デザートは、シチリア名物、リコッタで作ったクリームのカッサータを砂糖でコーティング。特産のピスタッチオ風味です。

12062714.JPG

 

外に出てみると、月がきれいでした・・・

12062715.JPG

 翌日は、シラクーサの旧市街を探索。

12062716.JPG

12062717.JPG 12062718.JPGチーズやソーセージ、どれも美味しそう!

12062719.JPG

12062720.JPGこんなユニークな人形たちにも魅惑されます。

12062721.JPG

12062722.JPG

シラクーサの考古学地区を歩きました。

ヨミウリオンラインのコラムに詳細があります。

http://www.yomiuri.co.jp/otona/pleasure/ginza/20120810-OYT8T00673.htm

 

考古学博物館の目玉は、ランドリー名のヴィーナス。

12062723.JPG

こちらは、ファサードにバラ窓が施されているサン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ教会。

カタローニア式アーチがバランスよく。ギリシャ時代のカタコンベに通じているとか。

12062724.JPG

 

近くのカフェで、きょうはナスとトマト、サラミが載ったピッツアとビールでランチ。

12062725.JPG

今回のシラクーサのガイドさんは、バイクに乗ったナイスミドルでした!

12062726.JPG

この記事のURL | Trackback(0) | Comment(0)

2012.08.25

南イタリアの旅から(3)~シチリア・アグリジェント

4日目は、マルサーラ→古代カルタゴ遺跡の残るモツィア→マルサーラ→セリヌンテ→アグリジェント

 

海洋民族、フェニキア人が活躍した古代国家カルタゴに関心のある方は、ヨミウリオンラインの記事をチェックしてみてください。2ページ目最後には、フェニキア文字も載せました。

http://www.yomiuri.co.jp/otona/pleasure/ginza/20120726-OYT8T00896.htm

 

今日のランチは、マルサーラに戻ってから。

ここにも、ワイン街道がありました。

12062601.JPG

12062602.JPG

 

カジュアルカフェで、クイックランチ!

パラソルの下で男性も女性もジェラートをかじっていました。

12062603.JPG

 

マカロニケーキを注文すると、

12062604.JPG

中から、ゆで卵が顔を出しました。

12062605.JPG

 

みずみずしいトマト、オリーブ、そしてモツァレラの盛り合わせ。

12062606.JPG

 

もちろん、ジェラートもいただきました。今日は、レモンとカフェの組み合わせ。

12062607.JPG

 

ギリシャ植民都市のセリヌンテを経て、アグリジェントへ。

セリヌンテのことは、ヨミウリオンラインのコラムでどうぞ。

http://www.yomiuri.co.jp/otona/pleasure/ginza/20120816-OYT8T00969.htm

 

夜は、アグリジェント泊。

広いガーデンのあるレストランで食事しました。ヨーロッパの観光客でいっぱい!

 

12062608.JPG最初は、乾いたのどを潤したい! 

 

Mionetto Prosecco di Valdobbaiadene DOC

プロセッコ最大規模の生産者、ミオネット社。カフェには、必ず置いてある定番中の定番。

香りは弱めだけれど、フレッシュできりりと辛口。

う~ん、胃が刺激されてきました。

 

 

 

 

 

12062609.JPG

 

白は、

2010 Regaleali Bianco

造り手は、シチリアを代表するコンテ・タスカ・ダルメリータ。19世紀、当時の支配者ブルボン家から爵位を受けた貴族だそうな。

小麦栽培の歴史が長く、1950年代半ばから本格的にワイン醸造に取り組み始めたようです。

 1960年代にリリースした、このRegaleali Biancoが、当時のシチリアワインのレベルを遙かに超えるものだったので、名前が知られるようになりました。

インツォリア、グレカニコ、カタラット。柑橘系の爽やかな甘みとともに、ミネラル感もたっぷり。

イスラム支配下のころ、このあたりはレハル・アリ(アラーの家)と呼ばれていたところから、ブランド名がついたとか。

  12062610.JPG

赤はやはり、DOCGを試したくなりました。

2008 Cerasuolo Di Vittoria DOCG

ネロ・ダヴォラ30%、フラッパート70%。

2005年にシチリア初のDOCGに認定されました。

レパントの海戦の立役者、そしてシチリア総督だったマルカントニオ・コロンナの娘、もでぃか伯に嫁いだヴィットリアに捧げた高貴な赤。

生産者は、創業をさかのぼれば100年以上になるアヴィデ社。ラグーザの近くにワイナリーがあり、古代ギリシャ人には、メソポタミウムの名で知られた場所でした。

濃い紫がかったルビー色、赤い果実、華やかなチェリーの甘い香りが広がります。タンニンは穏やかで、バランスのとれた味わいです。

 

 

 

料理は、魚介を中心に・・・

12062612.JPG  

12062613.JPG

 

白をもう1本追加しました。

12062611.JPG

2010 Chiaramonte Ansonica

 

アンソニカ100%。

ペールグリーンの涼しげな色合いと、ハーブの爽やかな香り、ナッツ系のやわらかな味わいが、特徴的。

いや、この地元品種、本当に美味しいです!!

生産者は、シチリア西部、トラバーニ近くに位置するフィリアート社。

1990年代にオーストラリアの醸造テクニックを導入し、品質が格段に向上したそうです。

ちなみに、キアラモンテ家は、14世紀後半、スペインの属領支配が始まる直前に権勢をふるった名家の名前だけれど、関係があるのかしら?

 

 

5日目は、アグリジェントの探訪から始まりました。

アグリジェントは、見所がいっぱいです。ヨミウリオンラインの記事はこちら。

http://www.yomiuri.co.jp/otona/pleasure/ginza/20120816-OYT8T00969.htm

 

ランチは、アグリジェントのカフェで。ライスサラダとたっぷりトマトのサラダ、そしてプロセッコも忘れずに・・・。

12062615.JPG

 

 

この記事のURL | Trackback(0) | Comment(0)

2012.08.24

都市デザインの変遷とそれぞれの想い…南イタリアの風(6)

 GINZA通信の夏休み特別企画「南イタリアの風」を始めるにあたり、第1回でシチリア島の「歴史の重層性」について触れた。

 フェニキア文化に始まり、4回目と5回目では、この島におけるギリシャ植民都市の繁栄を物語る遺跡の数々について、かなり詳しくつづってきた。

 繁栄を誇ったギリシャ都市の中でも中心的な役割を果たしたのは、第4回に記した島南東部のシラクーサ。紀元前8世紀に建設され、前5世紀には、アテネと覇権を競い合うほど影響力を拡大した。数学者アルキメデスや詩人テオクリトスはこの街で生まれた。だが、前3世紀、ローマ軍と戦って敗れ、占領下に置かれる。アルキメデスはこのとき、ローマ軍の一兵卒によって殺害されたともいわれている。

 シチリアには、ローマの建築遺構も多い。そして、中世には、州都パレルモを中心に、ビザンツ、イスラム、そしてノルマンの3つの文化がそれぞれに発展・融合、共存し、独特のエキゾチックな雰囲気が醸し出されていく。ルネサンスの時代にはあまり特筆すべきものがなさそうだが、バロックの時代になって再び存在感が増す。

 そうした歴史の重なりを、具体的に見てみよう。

ギリシャ劇場の「借景」

  • シラクーサの大聖堂の正面はバロック様式
  • ギリシャ神殿の列柱間を壁でふさいで、キリスト教聖堂に改造

 丘の上の聖域にあるシラクーサの大聖堂には、この島の歴史が刻まれていて興味深い。大聖堂のもとをたどれば、紀元前5世紀初めに建設されたドーリス式のアテナイ神殿であった。アテネのパルテノン神殿が造られたのは、その数十年後という。このギリシャ神殿が、7世紀、ビザンツ(東ローマ)帝国の支配下に入ると、聖堂に改造されたのだ。

  • タオルミーナからイオニア海を見下ろす
  • 街のどこからでもエトナ山の雄姿が望める
  • ギリシャ劇場。夏の映画祭でスクリーンが視界を遮っていた

 それは、外壁を見ると、一目瞭然。太く堂々とした何本かの列柱の間が壁面でふさがれている。神殿の柱は、壁に埋め込まれるようにして残っている。聖堂になって、建物の向きも東西が逆転。ギリシャ神殿は、神室に安置された神像に朝日が差し込むように東向きに建てられたが、キリスト教会堂は東にアプス(後陣)を配置するので西向きなのである。

 堂内に入ってみよう。大理石の床はスペインの属領時代が始まった15世紀、バロック様式のファサード(正面)は18世紀のものとされている。また、屋根にはイスラム時代の名残もみられる。

 険しいタウロ山の中腹にあるタオルミーナは、今では世界中の観光客でにぎわう景勝地。先住民シクリ族の集落であったところを、前4世紀初め、勢いのあったシラクーサによってギリシャ化された。

 前3世紀に創建されたというギリシャ劇場は、海に突き出た崖の上にある。イオニア海の紺碧の海、さらにその奥にあるエトナ山の雄姿を背景に芝居を見るように計算して造られたものであろう。ギリシャ人にとって演劇や音楽とは、神々に奉納するとの目的があった。

 和辻哲郎は「イタリア古寺巡礼」(岩波文庫)の中で、「その演劇が、蒼い空、青い海、白い山などを見晴らしながら鑑賞せられていたということを(中略)、ギリシア人はこのことを勘定に入れているのである。その証拠は、この劇場の位置の選定で、この場所こそタオルミーナの町のうちで最も眺望のよいところなのである」と記している。

 しかし、現在残る劇場のれんが積み工法を見ると、ローマ人によって改造されたことは明らかだ。ローマ人は剣闘や猛獣ショーや模擬海戦などの見せ物を催す空間に変えた。それゆえ、下界の眺望をさえぎるような高い舞台の壁(今は中央の壁はV字型に崩壊)を造ったりしたのである。

迷宮の街を抜け、シチリアで最も美しい大聖堂へ

 タオルミーナで注目される古代遺跡のもう一つが、ナウマキエ(海戦の意味)の遺構。帝政ローマ時代らしく、煉瓦造りの巨大な構造物が100メートル以上も続く。用途については水道施設など、諸説あるようだ。

  • ナウマキエ(海戦)と呼ばれる遺構
  • ナウマキエの下に広がる階段状の坂道
  • アートな空間もあちらこちらに
  • 街の中を歩く新郎・新婦に皆が祝福の言葉をかける

  • モンレアーレの大聖堂はアラベスク模様の外壁が特徴
  • (左上)堂内の金地モザイクから キリストとグリエルモ2世、(左下)床にはイスラムとビザンツの影響が、(右上)堂内の柱の美しいデザイン、(右下)最期の晩餐

 このナウマキエの下に広がる地区は、階段状の狭い坂道が複雑に巡っていて、迷宮のようで面白い。レストランやカフェ、ギャラリーや雑貨の店など、おしゃれな店が並ぶ。いろいろ立ち寄りながら、やがて旧市街の中心、「4月9日広場」に出るあたりで、結婚式を挙げたばかりのカップルを発見。これから、レストランで披露バーティーをするところだった。

 ビザンツ、イスラム、そしてノルマンの3つの文化が共存した中世、その時代の建物や内部を飾るモザイク画や彫刻に、その痕跡がみてとれる。第1回で紹介したパレルモのノルマン王宮がその典型だが、パレルモの西方郊外にある、モンレアーレの大聖堂にも金地で覆われた素晴らしいモザイク画がある。12世紀にグリエルモ2世によって建造された大聖堂は、「シチリアで最も美しいノルマン建築」とも呼ばれている。外壁には、石灰岩と黒い溶岩石を組み合わせたアラベスク模様が施されている。ちなみに、グリエルモ2世は、初代シチリア国王のルッジェーロ2世の孫にあたる。

  • (上)大聖堂からつながる中庭(下)噴水のデザインもイスラム風

 大聖堂の南側には、修道院に付属する美しい回廊があった。アラブ・ノルマン様式の尖塔アーチを支える細い円柱の柱頭には、ロマネスク彫刻が施されている。一角にある噴水は、椰子の(みき)をかたどり、噴き出す水を葉に見立てたデザイン。サイフォンの原理を応用したものだそうで、アラブ的な要素が見て取れる。

 ビザンツ時代の教会で印象的だったのは、シチリア島からイタリア半島のつま先、レッジョ・ディ・カラブリアに渡り、クロトーネに向かう途中、スティーロという小さな村に立ち寄った時だった。素朴な教会の壁面には、聖書のひとこまを描いたビザンツ時代の絵が残されている。この地帯は、岩窟居住集落として世界遺産に指定されたマテーラに似た田園風景が広がっていた。

  • スティーロの集落
  • (左)素朴なビザンツ教会が残っている、(右)ビザンツの壁画が教会内に残る

バロックの都市空間、ノート

 時代は下る。シチリアには、バロック様式の教会や建物も少なくない。第1回で、パレルモの旧市街中心にあるクワットロ・カンティのことを書いたが、シチリアのバロックを語る上ではずせないのは、ヴァル・ディ・ノートの辺り。

 その中で立ち寄ったノートという街は、シラクーサによってギリシャ化され、中世にも繁栄していたが、1693年の大震災でほぼ街全体が瓦解。古い街を放棄し、16キロほど離れた海寄りの台地にまったく新しく建設されたニュータウンである。丘の上にありながら、地形が緩やかで地震にも強いという長所があったらしい。オランダ人の指導の下、計画的にバロックの都市空間を実現する。

 ニュータウンでの教会の建設には、旧ノートで使われていた装飾された石材などが再利用され、人々の思い出を刻んでいった。日本の震災復興にも参考になるような事例だ。

 街の中心にある大聖堂は、緩やかな大階段の上に堂々とそびえている。両端に鐘楼が配されているのは、フランスからの影響だろうか。その東側に、サン・フランチェスコ教会とサン・サルヴァトーレ修道院があり、やはり階段状の広場がドラマティックな景観をつくっている。

  • (左)ノートの街は美しい建築物でいっぱい(右上)ノートのサン・フランチェスコ教会(手前)とサン・サルヴァトーレ修道院(右下)街の中心にある大聖堂
  • 貴族の館が並ぶニコラーチ通り
  • (上)バルコニーを支える彫刻群は見ているだけで楽しい(下)華麗な彫刻はシチリアのバロックを代表する

 興味深いのは、貴族の邸宅などのバルコニーを支える独創的な造形。大聖堂の西側にあるニコラーチ通りでは、スフィンクスやセイレーンなど、幻想的な彫刻に出会えた。

 自由で開放的な都市デザインのニュータウンもまた、シチリア島の魅力の一つである。

 (読売新聞編集委員・永峰好美)

この記事のURL | Trackback(0) | Comment(0)

2012.08.19

南イタリアの旅から(2)~シチリア・マルサーラ

3日目は、パレルモ→モンレアーレ→セジェスタ→マルサーラ。

今回、16日間の旅をコーディネートしてくれたのは、国際基督教大学名誉教授の川島重成先生(右)。

12062501.JPG

大学の大先輩でもあります。西洋古典、ギリシャの専門家です。

シチリアの古代遺跡を巡るには、こういう専門家と行くのが一番!

しかも、旅の参加者にはラテン語の専門家や哲学の専門家、植物学の専門家がいて、久しぶりに、楽しいお勉強の日々でもありました。

 

モンレアーレの屋台で、絞りたてのオレンジジュースをごくり。

オレンジの旬は5月までだそうですが・・・。

元あった屋台では、オレンジシャーベットを入れてしゃりしゃり感を出していたらしいのですが、今回はごくごく普通のフレッシュオレンジジュース。2ユーロ。

 

12062502.JPG 12062503.JPG

このあたり、かわいらしいビーズ工房がありました。

12062504.JPG

 

近くで、ランチをとりました。

ブッフェスタイルで、軽く。ラタトゥイユ風のものや、ナスとトマトのチーズ焼きなど、グリル野菜をたっぷり盛り合わせ。白のテーブルワインをお供に。

12062505.JPG

12062506.JPG

ジェラートのデコレーションがとっても美味しそう! 

前回触れた果物の形をしたマルトラーナは、プチギフトとして重宝されているようです。

12062507.JPG  

12062508.JPG

 

 

私は、スイカのジェラートをデザートにいただきました。

12062509.JPG

 

ここから、セジェスタに向かう道は、ブドウ畑が続きます。

カタラットをはじめとする白ワインの有名産地アルカモも途中にあります。

12062510.JPG  

12062511.JPG  

セジェスタの話は、読売オンラインの旅日記をご覧ください。

http://www.yomiuri.co.jp/otona/pleasure/ginza/20120816-OYT8T00969.htm

きょうの宿は、塩で名高いトラーパニとマルサーラのちょうど中間くらいにある、ワイナリーのリゾートホテル。

Resort Baglio Oneto

12062512.JPG  

  12062513.JPG

12062514.JPG

12062515.JPG

レセプション横のスペースには、古いブドウの搾り器などがインテリアとして置かれています。

 

アウトドアで食事することにしました。

12062516.JPG

 

夕暮れ時の地中海です。

12062517.JPG

 

Baglio Oneto リゾートホテル自家製のワインをいただきました。

12062518.JPG

 

12062519.JPGまず、軽めの白です。

Dara Bianca 2011

アンソリア(アンソニカ)100%。

ややグリーンがかったイエローレモン色。白い花のような香りが気持ちを和らげてくれます。

 

リパリ島を訪問したとき、紀元前16世紀ごろ、イタリア半島から渡って住みついたのがアンソニア人と聞きました。この人たちが持ち込んだ品種なのでしょうかね。

 

 

 

 

 

12062520.JPG 

ちょっと凝縮感のある白をもう1本。

Imaginari 2009

グリッリョ100%。

ホテルの前の畑で栽培されていました。

色調はゴールドで、より粘性がある感じ。

白桃のような濃厚な味わいと、ややウッディーな香りも楽しめました。

 

 

 

 

 

 

12062521.JPG赤は、昨日に続いてシチリアの定番を。

Nero D'avola 2009

ネロ・ダヴォラ100%。

スパイスを感じる、かなり濃厚な印象でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

12062522.JPGマルサーラといえば、英国人ジョン・ウッドハウスが1773年、酸化しやすい白ワインを酒精強化して仕上げた「マルサーラ」が有名です。

 

もちろん、このワイナリーにもありました。

Marsala 2002

グリッリョ、カタラット、アンソリカのブレンド。

焦がしたアーモンド、ハチミツの香りが心地よく。

アルコール度19%。チーズやデザートだけでなく、食中酒としても重宝しそうです。

 

 

 

 

ここのレストランの売りは、クスクスでした。

  12062526.JPG

12062527.JPG

 

最後に、ホテルの地下にあるセラーにお邪魔しました。

12062523.JPG 12062524.JPG

案内してくれたマネージャーさん、遅くまでありがとうございました!

12062525.JPG

 

マルサーラに関しても、読売オンラインの旅日記をご参照ください。

http://www.yomiuri.co.jp/otona/pleasure/ginza/20120726-OYT8T00896.htm

 

この記事のURL | Trackback(0) | Comment(0)

2012.08.18

南イタリアの旅から(1)~シチリア・パレルモ

この夏、シチリア島を中心に南イタリアを旅しました。
旅の日記は、ヨミウリオンラインに連載しています。
 ↓
http://www.yomiuri.co.jp/otona/pleasure/ginza/20120720-OYT8T00697.htm

 

ここでは、その旅のワインや料理を中心にまとめておきます。
 

まずは、2日目のシチリア島・パレルモから。
旧市街のバッラロ市場は、まさに下町の活気あふれる市場でした。
 フレッシュな野菜、
 特産のカジキマグロ、

12062401.JPG

12062402-.jpg

 

 

 

12062403.JPG

   

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

ペコリーノにカッチョカヴァッロ、塩蔵のリコッタなどのチーズ・・・。

12062404.JPG

12062405.JPG

 

 

ノルマン王宮からほど近いところ、ランチに寄ったバールでは、

12062406.JPG

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シチリア名物のアランチーナという揚げたおにぎり、ライスコロッケをいただきました。

12062408.JPG

 

定番のチーズとハムの組み合わせ。ボリュームがあって、1個でお腹がいっぱいになります。ほかに、バジルソースやミートソースなど、中身はいろいろ。米を使った料理はシチリアにはいろいろありますが、アラブ人が持ち込んで食材です。

バールには、クスクスや、アーモンド生地(パスタ・レアーレ)で果物を模したマルトラーナも並んでいました。

12062409.JPG

12062410.JPG
 この日のディナーは、やはり旧市街の'a cuccagna。

12062411.JPG


 

 入り口を入ると、オリーブなどの前菜や新鮮な魚が迎えてくれます。

12062412.JPG 12062413.JPG
 ミニチュアの人形もどこか趣がありますね。

12062414.JPG

 

ワインは、シチリアの定番! ドンナ・フガータ(Donna Fugata)を。


 

白は、Darmarino 2011


シチリア土着品種のアンソニカ、カタラットを中心に、グレカニコとシャルドネをブレンド。レモンやオレンジの柑橘系の味わいに、カモミールのようなフローラルな香りも加わって、海風を感じさせる爽やかさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


12062416.JPG赤は、Sherazade 2010


ネロ・ダヴォラ。ブラックカラントやサワーチェリー、ミネラル感もあり、バルサミコなど凝縮された香りのニュアンスも。

 

 


生産者のジャコモ・ラロー氏は、150年以上の歴史あるマルサラ造りの家に生まれ、それを基盤に近代的なワイン醸造を発展させています。シチリアでは注目の生産者の一つ。
 「ドンナ・フガータ」は、「逃げた女性」という意味。18世紀末、ナポレオン戦争が始まり、ナポリを支配していたスペイン・ブルボン王朝のフェルナンデス4世の王妃マリア・カロリーナが、同社のブドウ畑に逃げてきたことから名付けられたのだとか。
 シチリア原産の品種、アンソニカやネロ・ダヴォラ、ジビッポなどにこだわりをもって造っているようです。印象的なエチケットは、米国人デザイナーが担当。世界中にコレクターがいるというのもうなづけます。

 


料理は、前菜に、パネッレというひよこ豆(エジプト豆)の粉でつくった平たい油揚げにカッチョカヴァッロのグリル。

12062417.JPG
ほかに、魚介サラダ、牛肉ハムのブレザオラ、ムール貝の蒸し煮など。
パスタは、ナスとバジリコ入りトマトソースにリコッタチーズをたっぷりかけたペンネ・アッラ・ノルマ。それに、やはり一度は試したいイカスミのパスタ。

12062418.JPG 12062419.JPG

魚のグリルは本当に種類が豊富。

メカジキのグリルもレモンを添えて、シチリアの定番中の定番。

12062420.JPG 12062421.JPG
デザートに、セミフレッドという冷菓を。新鮮なリコッタで造ったクリームにアーモンド粉がミックスされ、ソフトな食感が楽しめました。

12062422.JPG
 
 
 

この記事のURL | Trackback(0) | Comment(0)

2012.08.17

神殿の谷に残る争いのあと…南イタリアの風(5)

  • (左上)アグリジェントのコンコルディア神殿(左下)神殿は前5世紀の建立(右)内部の神室にはアーチがみられる

 前回に続いて、古代ギリシャ時代の遺跡群が残る都市を紹介したい。シチリア島の西部にあたる3か所、アグリジェント、セリヌンテ、セジェスタ。それぞれに前回とはまた趣の異なる場所である。

 まずは、アフリカに面した海を望むアグリジェント。1927年まで、ジルジェンティと呼ばれていたのだが、ローマ帝国再興を思い描いたムッソリーニが、ラテン語のアグリジェントを復活させたという。ちなみに、古代ギリシャ名はアクラガス。東側を流れる川の名前にちなんだものだ。

 アグリジェントは、前6世紀、クレタ島とロドス島からの植民により建設され、先住民のシカニ族を征服しつつ、内陸部へと領土を広げていった。植民初期のころの有名人に、ファラリスという支配者がいる。極めて残酷な処刑具を造ったことで知られている。中が空洞のブロンズの牛を鋳造、そこに罪人を閉じこめて下から火であぶると、うめき声が牛の口からもれ聞こえるという装置。後に、戦いに勝利したカルタゴに持ち去られたといういわくつきの道具である。

横たわる不思議な巨人、テラモン

  • 小アジアからもたらされたイナゴ豆

 「神殿の谷」と呼ばれる神殿群のある考古学地区に向かった。点在するギリシャ神殿は、緑深い土地にすっかり溶け込んでいる。道すがら、エンドウ豆の房を少し大きくしたような形のイナゴ豆の木々に出合う。聖書にも登場するこの豆は甘味があって昔から菓子類に用いられたそうだ。今では薬局で、咳止めキャンデーとして売られている。

 アクロポリスのあった旧市街は眼下に広がる。青い海を背景に、崖の上にそびえるのはヘラ神殿。ヘラは船乗りの守護神である。ヘラクレス神殿は、柱も太く、重々しい。

 ほぼ完璧な神殿の姿をとどめているのが、コンコルディア神殿。コンコルディアとは、和解・協調の意味で、現在も平和の祭典がこの神殿を舞台に営まれているそうだ。前5世紀の建設だが、6世紀の東ローマ帝国の時代に教会堂に転用されていたため、神室の内部にアーチが造られているのが興味深い。

  • (上)崖の上にそびえるヘラ神殿(下)ヘラは船乗りの守り神だった
  • (左上)神域に残る丸い祭壇、(左下)重厚感のあるヘラクレス神殿、(右上)オリュンピアのゼウス神殿跡、(右下)考古学博物館前の集会場跡
  • アスリートが座るベンチとして使われていたらしい
  • (左)ゼウス神殿にあったテラモンの本物は博物館に、(右)当時の富裕階級が所持していたギリシャの陶器

  • アジア風の日傘を売っているお兄さんがいた

 前480年、シチリア島には歴史的出来事が起こる。アグリジェントはシラクーサと同盟した支配者テロンの下、ヒメラの戦いでカルタゴ軍を大破する。戦いで得た大量の捕虜を使い、数々の大規模土木工事に着工する。

 その一つが、オリュンピアのゼウス神殿。全ギリシャ世界においても最大級の規模を誇る神殿として名をとどろかす。石材の大半は失われてしまっていて廃虚のようだが、崩れた柱頭などからその大きさは容易に想像できる。

 ゼウス神殿跡で、不思議な巨人が横たわっているのを見た。身長8メートル近いテラモン(人柱像)。神殿前面の列柱の間などに柱として組み込まれ、梁を支える役割を担っていた。実は、横たわっている像はレプリカで、オリジナルの本物はアグリジェントの考古学博物館にあった。博物館の所蔵品の中でも飛び抜けて巨大で、地下と1階の2フロアを貫いた中央展示室に無防備に展示されていた。

アグリジェントの美しき青年

  • アグリジェントの青年像

 博物館でもう一つ目に留まったのは、アグリジェントの青年像。前5世紀に造られた大理石像で、冷たい肌の質感が何とも美しい。

  • セリヌンテのアクロポリスの城壁
  • E神殿は1950年代に再建された
  • (左上)規模の大きなG神殿(右)未完のまま崩れた柱がそのままに(左下)C神殿の列柱も一部再建された

 テロンの下で発展したこの都市は、民主制に移行する。中心的政治指導者は、哲学者でかつ医者でもあったエンペドクレス。同時代にクロトーネで活動していたピュタゴラスの影響を受け、薬草を使った治療法や音楽療法なども開発している。非戦中立を唱え、また、身寄りのない娘たちの後見人になったり、オリュンピアの競技会に出かけてアスリートとしても勝利したり、何かと目立つ活動も少なくなかった。その評判は人々のねたみの的になり、エトナ山の火口に身投げをしたなど、不幸な晩年が語り継がれている。

 こうしたアグリジェントの黄金期は長続きせず、前5世紀末、カルタゴ軍に攻め込まれ、陥落する。そう、あの「ファラリスの牛」も戦勝品として持ち帰られたわけである。

 アグリジェントよりもさらに島の西に位置し、アフリカに面した海を望むセリヌンテ。対岸のカルタゴとの交易で繁栄したが、前5世紀、島北西部の内陸にある先住民の都市セジェスタとの領土争いを繰り広げる。

 セリヌンテの遺跡は広大で、3つの神殿が残るが、どの神殿にどの神が祀られたかが不明で、神殿名は便宜的にE神殿、G神殿、C神殿という具合に、アルファベットで呼ばれている。後に大地震で瓦解し、風化した石材の山は、歴史の物語を語ってはくれない。崩れた柱の太さは直径3メートルを超えるものもあり、その巨大さを感できる。

ゲーテも記したセジェスタの謎の神殿

  • セリヌンテの神域から見下ろせば、海水浴場が広がる
  • 山の中にぽつんと見えるセジェスタの神殿
  • (上)神殿について史料は少ない(下)神殿の柱は、塩の産地トラバーニ県から切り出した石灰岩を使っている

 一方、セジェスタの先住民エリミ族は、小アジアから漂着したトロイア戦争の落人ともいわれている。あたりには、きれいに作付けされたブドウ畑が大海原のように広がっていた。カタラットなど、白ワインの産地アルカモが近い。

 シャトルバスでバルバロ山を登り、アゴラ(市民広場)の発掘地域に出る。その先に、小さめのギリシャ劇場があった。

 劇場から1キロほど離れたところ、緑深い山のふところに抱かれた神殿がぽつんと望める。神室も床石もなく、列柱の囲いのみの、不思議な神殿である。

 ゲーテは「イタリア紀行」(岩波文庫)の中で、セジェスタのこの謎めいた神殿についてかなり詳しく記している。

 「側面には隅柱を除いて十二本の柱があり、前面と背面には隅柱を入れて、六本の柱がある。石を運ぶためのほぞが、まだ削りとられぬままで殿堂に横たわっているのは、この寺院が完成しなかった証拠である……」

  • (上)山頂にあるアゴラ(市民広場)跡、(下)紀元前3世紀ごろにつくられた劇場
  • (左)テキーラの原料になるアガペ(竜舌蘭)(右)コリント式の柱のデザインに使われるアカンサスの花

 「神殿の位置はいかにも変わっている。広く長い谷の最高の端、孤立した丘の上にあるが、しかも険崖に取り囲まれており、むこうにはひろびろとした陸地が見えるけれど、海はほんのわずか見えるだけである。この地は豊饒でありながら物わびしく、どこもよく開墾されているが、ほとんど人家というものを見ない」

 神殿の周辺には、テキーラの原料になるアガペ(竜舌蘭)やコリント式の柱のデザインに使われるアカンサスの花が群生していたが、こうした景色をゲーテも見ただろうか。

 さて、セリヌンテとセジェスタの領土争いの話に戻ろう。セリヌンテの勢いに脅威を感じたセジェスタはアテネに接近するが、シチリアに遠征してきたアテネ軍はなんと敗退してしまう。そして、それからまもない前409年、ヒメラの戦いで敗退したカルタゴのリベンジが始まり、アグリジェントもセリヌンテも陥落する。アテネに見放されたセジェスタは、カルタゴにひよったものの、勢いのあるシラクーサに征服される。

 未完の神殿は、度重なる人々の争いをどのように見つめてきたのだろうか。

 (読売新聞編集委員・永峰好美)

この記事のURL | Trackback(0) | Comment(0)

2012.08.10

古代ギリシャ人の誇りを巡る旅…南イタリアの風(4)

 シチリアの旅の見どころと言えば、やはり、美しい自然に抱かれた古代ギリシャ時代の遺跡群ははずせないだろう。

 ギリシャ本土の人口が増加し、慢性的な食糧不足に悩まされたギリシャ人たちは、計画的に移民団を組織し、西地中海に入植活動を始めた。紀元前8世紀半ばのことである。行く先は、デルフォイの神託(予言)次第。多くの人々が、新天地に野望を抱き、故国を後にする。

 ティレニア海に遠征した人たちが最初に入植したのは、ナポリ湾内に浮かぶ緑豊かなイスキア島のピテクーサ。

 続いて、前734年ごろ、シチリア島東岸のナクソス(現ジャルディーニ・ナクソス)に、エウボイア島(エヴィア島)のカルキスの人たちが定住を始めた。天地創造などギリシャ神話に描かれた物語の“編纂者”として能力を発揮したとして知られる人々である。商才にも長けており、島の産物である金属細工や陶器、紫貝で染めた織物などを地中海各地に広めていった。

  • ジャルディーニ・ナクソスは今は庶民的なリゾート地として人気がある
  • 高台からイタリア半島を望む
  • ナポリ湾の北、ソルファターラは、高温蒸気が噴き出す自然の温泉として知られていた

 ナクソスは、イタリアを代表するリゾート地の一つ、タオルミーナから南へ5キロほど。高台に上れば、間近にイタリア半島が望める。今は、家族連れで楽しめる海水浴場として人気がある場所だ。ちなみに、タオルミーナには比較的大きなギリシャ劇場が残るが、こちらはもともとシクリ族という土着民の集落で、ギリシャ化されるのは前4世紀になってからという。

イタリア本土最初のギリシャ植民都市、クーマ

  • クーマ遺跡のシビラの洞窟

 ナクソスへの入植とほぼ同じころ、イタリア本土でも最初のギリシャ植民都市が誕生する。イスキア島に移民した人たちが、海を隔ててちょうど向かい側にある地にキュメ(クーマ)という都市を建設したのだ。キュメとは小アジアの都市の名前で、イスキア島入植者にはその出身者が多かったようだ。

  • クーマ遺跡からイスキア島が望める

 ナポリからこのクーマの遺跡に行く途中には、ソルファターラという、硫気孔が連なる火山地帯ならではの風景が興味深い。むせ返るような硫黄の臭いがあたりいっぱいに立ちこめ、白茶けた石灰岩が黄土色に染まっている。地下のマグマの活動が今も活発に続いていることを教えてくれる。

 クーマ遺跡では、台形状の長い長いシビラの洞窟を通り抜けると、アポロン神殿跡に出る。そこからは、イスキア島が間近に望める。ここまで足をのばす観光客はいないらしく、波の音しか聞こえない。

  • クーマのアポロン神殿跡

 こうして、シチリア島東部沿岸をはじめ、南イタリアのティレニア海およびイオニア海に面した地域(現在のほぼカラーブリア州にあたる)でギリシャ人の入植活動が盛んに行われ、やがて、マグナ・グラエキア(大ギリシャの意味)と呼ばれるようになる。

 大ギリシャの首都となったのは、クロトン(現クロトーネ)という都市。イタリア半島のつま先にあたるレッジョ・ディ・カラブリアの北東方向、イオ ニア海に面したところにある。前6世紀、ギリシャのサモス島からクロトンに渡り、医学学校を開設したのがピュタゴラス。いまや、当時の繁栄ぶりは、コロン ナ岬に残るヘラ神殿の一本柱からしか推測することができない。

 ギリシャ時代の遺跡を語るにあたって、イタリア半島南部で、もう2か所忘れられない場所がある。

  • コロンナ岬に残るヘラ神殿の一本柱
  • 神殿跡から青きイオニア海を望む
  • エメラルドグリーンの海は透明度が高い

前5世紀に生きたギリシャ人の躍動する姿が今も鮮やかに

  • ギリシャ時代の城壁跡が残るヴェリア(左)、哲学者パルメニデスの像が残る(右)

 ナポリの南、チレント半島沿岸には、前6世紀、小アジアからやって来たフォカイア人が建設したエレア(現ヴェリア)がある。ピュタゴラス派と親交があった哲学者、パルメニデスが活躍した場所で、エレア派と呼ばれた形而上学の発祥の地となった。ここでは、ギリシャ時代の城壁やアゴラ(市民広場)などが発掘されている。

 エレアから北へ走ると、パエストゥムに至る。ここに残るギリシャ神殿は圧巻だ。まず、保存状態が素晴らしい。横6本、縦13本の柱を巡らせたドーリス式神殿をはじめ、柱も神室もいけにえを捧げる祭壇も、見事に残っている。

 博物館にあった、前5世紀のギリシャ時代の石棺のふたの図は、「飛び込む人」との表題の通り、躍動感がみなぎっていた。

  • パエストゥムにある、正面6円柱のドーリス式神殿
  • パエストゥムでは、世界屈指の保存状態を誇る神殿に出会える
  • パエストゥムの博物館にあるギリシャ時代の棺のふた(上)同じくギリシャ時代のもので、のびのびした作風が特徴(下)

ギリシャ世界で最も美しい街、シラクーサ

  • シラクーサの港

 さて、シチリア島に戻ろう。

 ナクソスやクーマへの入植が始まってしばらくして、ギリシャ・ペロポネソス地方で勢力をもっていたコリントス人が、島南東部にシラクーサを建設する。それをきっかけに、植民市の数は急激に増えていく。

 シラクーサは、当時から美しい街であった。「あらゆるギリシャ世界の都市の中で最大にして最も美しい」とたたえたのは、キケロだった。シラクーサの豊かさにひかれてか、プラトンは3度もこの地を訪ねている。

 神殿の遺構は、海に突き出た半島のようなオルティージャ島に残る。前6世紀初めにさかのぼるアポロン神殿の遺構で、イタリア半島で最古の石造り神殿の一つともいわれている。

 考古学地区には、ギリシャ世界最大級の古代劇場があり、現在も毎年夏の2か月間、古典劇が連日上演されるという。シラクーサはアテネやアレキサンドリアと並ぶ演劇の中心地だったのだ。ちょうど訪問した日は、上演の準備中で、観客席などが覆われていて、趣のある写真が撮影できず、残念だった。

  • シラクーサの街中に残る、シチリア最古のドーリス式神殿の遺構
  • オルティージャ島では、ムール貝を採る人も
  • 天国の石切り場

 劇場の東に位置するのが、「天国の石切り場」。断層には、ギリシャ時代の地下水道の横穴がみえる。さらに進むと、「ディオニュシオスの耳」と呼ばれる、ロバの耳のような形をした石窟があった。前5世紀末にこの地で権力を手にしたディオニュシオスは、非常に猜疑心が強く、捕虜として捕えたアテナイ兵の内緒話をここに閉じこめて聞いたという。その伝説を知った画家のカラヴァッジョが名付け親なのだとか。

移住先に神殿や劇場を造り続けた意味とは

  • 「ディオニュシオスの耳」と呼ばれる石窟

 今回、シチリア島やイタリア半島南部を歩き回りながら、「古代ギリシャ人たちは、どうしてかくもたくさんの、しかも大規模な神殿や劇場を、移住した先の外国の地に造り続けたのだろうか」という疑問が、常に頭の片隅にあった。

 結局、彼らにとって誇れるもの、ギリシャ人であることを強く意識し、自らのアイデンティティを確認できるもの、それが、神殿であり、劇場であったのだろう。ふと、中国東北部で日本人が満州国建設を試みた時、城や神社のような建物を意識的に建設したのを思い出した。

 (読売新聞編集委員・永峰好美)

この記事のURL | Trackback(0) | Comment(0)

永峰好美のワインのある生活

<Profile> 永峰 好美 日本ソムリエ協会認定シニアワインエキスパート。プランタン銀座常務取締役を経て、読売新聞編集委員。『ソムリエ』誌で、「ワインビジネスを支える淑女たち」好評連載中。近著に『スペインワイン』(早川書房)