2012.04.20

春らんまん、香遊びで桜を愛でる

  • 銀座4丁目にある香十の本社ビル

 ソメイヨシノから八重桜へ。花あかりのそぞろ歩きが楽しい銀座は、足取り軽く、心弾む季節である。

 「千年前にタイムスリップして、桜香で遊んでみませんか?」――銀座おさんぽマイスターの岩田理栄子さんから素敵(すてき)な企画のご案内をいただいた。

 指南役は、銀座4丁目、創業430年の老舗「香十」の稲坂良弘社長。映画「源氏物語」の時代考証など、和の香りの伝道師として国内外で活躍している。

 香の歴史をさかのぼれば、4000年以上前のインドの神話に始まるのだとか。とはいえ、「貴族階級の公家が守ってきた伝統文化に精神的な道を求め、また、芸事を通して自分を高めるといった武家の価値観が加わって、独自の芸道の世界をつくり上げたのは日本人」と、稲坂さんは解説する。

 香道では、香りは、「()ぐ」のではなく、「聞く」という。気持ちを静かに落ち着かせ、五感をとぎ澄ませ、香が語りかけてくるメッセージを心の耳でしっかりと受け止める。これが日本の香りの文化の本質なのだという。

  • 和の香りの伝道師として活躍する稲坂良弘・香十社長
  • 桜がテーマゆえ、手記録紙にも桜の花びらが散る

香りの宝石、伽羅

  • 案内にも、桜のすかし模様が……

 稲坂さんの案内で、日本における香の歴史を簡単にまとめておこう。

 「日本書記」には、推古3年(595年)の夏、淡路島に1本の香木が漂着したとの記録がある。その香木からは何ともいえない芳香が立ち上り、島人たちを驚かせたそうな。木は水に浮かぶが、この香木は水に沈むことから「沈水香(ちんすいこう)」、略して「沈香(じんこう)」と呼ばれ、日本の香の主軸になってきた。香りの文化の物語といわれる「源氏物語」を彩る薫物(たきもの)の原料も、沈香が中心だ。

 沈香は、真菌類というバクテリアが樹液に作用してできる、自然界の偶然の産物。科学が進んだ現代でも、最高級の香木、伽羅(きゃら)の香りを完全に人工的につくることはできないのだそうだ。

 まさに「天与の香り」といえる香木は、仏教とともに人々の間に広まった。仏教の教えでは、現世というのは(けが)れた世界。仏に祈る前には、その空間とともに人間も心身を清める必要があり、香を()いた

「源氏物語」の香に隠された意味

  • 銀座コアビルにある香十本店(左)、明治の日本人が作った西洋香水のフローラルな香りを生かした香。「銀座花粒」はロングセラー

 続く平安時代になると、貴族たちが独自の香文化を開花させる。自らの生活空間をより快適なものにするため、また、自己表現の手段としても活用するようになった。手紙を開けば、その紙に焚きしめた香が立ち上り、文面を読む前にメッセージが伝わるといった具合である。

 平安の香は、自分で原料を選んで調合してつくるので、高度な知識や経験が不可欠で、各人のセンスも問われた。

 たとえば、「源氏物語」の「梅枝(うめがえ)の帖六條院の薫物合わせ」では、光源氏が、ただ一人の娘、明石の姫の御裳着(十歳の成人式)に続く東宮入内にあたり、愛する4人の女性たちにそれぞれ香をつくるように命じた場面がある。

 紫の上は伝統に今様の創造を加えた「梅花」、朝顔の君は祝儀のための最高峰「黒方」を、花散里(はなちるさと)は清楚な夏の香りの「荷葉」をつくり上げる。

 そして、明石の姫の実母、明石の君だけは、着物に焚きしめる「薫衣香(くのえこう)」を贈る。幼子の時から別居を強いられ、直接抱きしめることがかなわない娘に、せめて手作りの香りを焚きしめた祝い着でその身を包んでほしいという、せつない母の思いが読み取れるのだという。このあたりの話は、稲坂さんの「(かおり)と日本人」(角川文庫)に詳しい。

武士が遊びを生んだ

 さて、武家という新しい支配階級が登場する鎌倉時代。武家流の価値観や美意識が、貴族の香文化に加わっていく。武士たちは、戦への出陣に際して、香を(かぶと)に焚きしめることを好んだ。万が一、敵に首を取られても兜の香で「さすが」と武将の格や覚悟がたたえられるかもしれない。また、香の鎮静効果が期待され、冷静さを失わず、怖気づくこともない勇敢な武士のありようを全うできると考えられたのであった。

 こうして香木の目利きとなった武士たちは、香木を持ち寄り、その違いを聞きわける遊びを誕生させた。明日戦場で死ぬかもしれない武士にとって、平安貴族のように、1か月かけてつくった薫物を土に埋めて熟成させるといった悠長なことはしていられない。一定の時間の中で決着がつくような遊びが求められたわけである。

 香りの違いを当てるというゲーム性を持ちながら、季節の移ろいや歳時記、文学を愛でるテーマを設定、そこに美しい作法のカタチを加えたのが「組香」で、今回は「桜香」がテーマである。

 というわけで、いよいよ実践!

はじめての聞きわけに挑戦

  • 御家流香道師範の登場で、桜香の遊びがスタート

 公家の香道、御家流香道師範の登場である。本来ならば香間を使うということだが、「足のしびれに気を取られて香のメッセージに精神を集中できなくなってはいけないので、椅子テーブル式で気楽にやりましょう」と、これは稲坂社長の配慮である。

 台本は、「桜花さきにけらしなあしひきの 山のかひより見ゆる白雲」(古今集 紀貫之)から。歌中にある3つの言葉、「桜花」「山」「白雲」にそれぞれ香木が当てられ、その香りの差を聞きわけ、「桜香」を探すゲームだ。

 香元となる師範が、手のひらサイズの香炉(聞香炉)にたどんを沈め、上部に香木の切片をのせる。参加者は香炉を順に回しながら、鼻を近づけ3回深呼吸するようにして、わずかに漂う香気を嗅ぐ(聞く)。

 最初に回ってきたのは、試み香の桜花。「特徴を自分の知っている香りに置き換えて、記憶してください」と言われ、私は、「桜餅を包む塩漬けの桜の葉のように、ちょっと甘く、さわやかな香り」とメモした。

 そして、本番だ。5つの香炉が順に回り、その中から、2つの桜花を聞きわける。他の3つのうち、白雲はただ1つ、香りの宝石、伽羅とのヒント。残りの2つが山の香になる。

 「本香を焚きますので、どうぞご安座に」と、香元が指示。試み香も終わり、ここからはリラックスしてゲームを楽しみましょうとの意味らしいが、初体験の私はとてもリラックスなどできない。「香水のように向こうから自己主張してこないので、意識を集中させないとわかりません。感性と知的な判断力が求められます」との稲坂社長の言葉に、さらに心が引き締まる。

 聞きわけた結果は手元の手記録紙(てぎろくし)にしたため、香元に提出。香元は、各自の回答を一枚の奉書に書き込み、正解とともに朱で採点する。採点といっても、点数を書くのではなく、すべて当てれば「花盛り」、全部はずすと「葉ざくら」、いくつか間違った場合は「花ふぶき」で、これも遊びの粋なところである。

  • 聞香炉を準備する作法も美しい
  • 「どうぞご安座に」といわれても、やはり緊張してしまいます
  • 奉書をしたためる師範は、書家でもある

「香、満ちました」

 結局、私は2つはずして、「花ふぶき」。桜花を当てることはできたが、伽羅をはずしたのは何とも残念。全問正解したのは、大手化粧品会社の女性だった。さすがである。

 ゲームの終わりは、香元が一言、「香、満ちました」と締める。

 一期一会のこの席に居合わせた人たちの心にも、素晴らしい香りが満ちましたという意味。味のある言葉だ。

 その出所は、先に挙げた「源氏物語」の「梅枝」にあるという。4人の女性たちから届けられた香を、光源氏と異母弟が月を眺めながら焚き上げ、「どの香も素晴らしい」と、美酒とともに愛でる。この情景の結びの言葉が、「御殿の辺りいひ知らず匂ひ満ちて 人の御心地(みここち)いと(えん)なり」。

 確かに、よき香りに包まれた空間ほど、心に艶やかなときめきと安らぎを与えてくれるものはない。

  • これが奉書。ゲームの得点優秀者に贈られる
  • 香十の本社ビルにある香間。銀閣寺の弄清亭(ろうぜいてい)がモ

 その後は、銀座2丁目の料亭「うち山」で、桜会席のランチをいただいた。

 なんと、箸置きも桜。焼きゴマ豆腐、鯛の揚げものにタケノコのあんかけ、子持ちヤリイカを道明寺とともに蒸した料理……。

 春爛漫の一品は、能登のもずく酢、浜名湖の淡水育ちの青のりをサンドイッチしただしまき卵、車エビ、ナス田楽、サクラマスの焼き物、香川のグリーンアスパラとホワイトアスパラ、ホタルイカ、雷コンニャクなどなど。旬の食材が次々と登場する春の勢いを感じる料理だった。名物の鯛茶漬けをいただき、最後はサクラと豆乳のアイスクリームで締め。桜の季節を十二分に満喫できた。

  • 「うち山」の桜会席の箸置き。京焼の老舗・東哉の器でいただく
  • 焼きゴマ豆腐は白子のような食感(上左)、(上右)鯛とタケノコのあんかけ、旬を詰め込んだ春爛漫の一品(中左)雅なお椀で、鯛をいただく(中右)子持ちヤリイカは今が旬(下左)「うち山」の名物、鯛茶漬け。濃厚なゴマみそ味がくせになる(下右)

 (プランタン銀座常務 永峰好美)

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永峰好美のワインのある生活

<Profile> 永峰 好美 日本ソムリエ協会認定シニアワインエキスパート。プランタン銀座常務取締役を経て、読売新聞編集委員。『ソムリエ』誌で、「ワインビジネスを支える淑女たち」好評連載中。近著に『スペインワイン』(早川書房)