1872年(明治5年)、明治政府の立案で煉瓦街の建設が進む中、銀座は日本の近代の表舞台に立ち、注目される街となった。そして、時代の先端を切って「変化することこそが伝統」との自負をもち、あらゆるものを受け入れながら発展してきたといえる。
発展を支えたのは、銀座で商いをする人たち、働く人たち、そこに住む人たち、そして街に集まるお客様たちであった。
銀座の人たちは、「銀座フィルター」という言葉をよく使う。銀座にふさわしくないものは、黙っていても自然と消えていく。銀座に内在する不思議な自律力のようなものが働いて、銀座らしからぬものは通過させない。それが「銀座フィルター」である。銀座の人たちとお客様の暗黙の了解で、銀座らしいものをより分ける、粋な不文律といってもいいかもしれない。
自分たちの街をこれからどうするべきか――銀座で活動する人々は、それを常に話し合って決めてきたという歴史がある。
2006年、銀座の人々による話し合いを基本とした街づくりの仕組みとして、「銀座デザイン協議会」が組織された。一定規模の開発計画や工作物について、開発事業関係者と街の人たちとが協議を行いながら、銀座の街にふさわしい計画へと誘導する。
同協議会は、設立以来600件以上の申請案件にあたりながら、銀座の街づくりを模索してきた。典型的な事例を中心に、このほど「銀座デザインルール」第2版が出版された。
前例にとらわれずに変革、進化
同冊子の制作に協力した、慶応大学准教授で小林・槇デザインワークショップの小林博人さんは、「銀座における街づくりのルールは、法的な強制力に裏打ちされた地区計画など行政のルールと、銀座の人々が昔から継続してきた、何事も話し合うという日本型の物決めの2本立てで成り立っている、極めてユニークなルール」と評する。
「設立時にまとめた第1弾の出版から、はや4年以上の歳月が過ぎた。一度出版すると、ルールは固定化するものだが、前例にとらわれずに、協議をしながら変革し、進化していくところが銀座のすごさ。冊子に掲載した写真を見ると、銀座の人たちがどんなところを気にかけ、こだわっているかが一目瞭然です」という。
こだわりの一つは、たとえば、近隣との調和・強調。
プランタン銀座の正面口が面している西銀座通りは、同じ大通りでも、4丁目交差点を中心とする銀座通りに比べてやや地味な存在かもしれない。だが、今秋、銀座の表玄関・数寄屋橋交差点にある銀座TSビル(モザイク銀座阪急)の解体・建て替え計画が決まっており、注目されている。ここで協議会は、「西銀座通り6-8丁目は、低層部に店舗が並んでいてもオフィスなどで途切れているところがある。にぎわいの連続性につながるような工夫が求められる」と指摘。また、この通り沿いに植えられた銀座のシンボル、柳のある街並みを維持するようにと注文をつける。
ゆっくり流れる“路地裏時間”
もう一つ、銀座のこだわりをご紹介すると、路地機能の維持・再生が挙げられるだろうか。
銀座の街は、起伏のない平坦な地形の上に形成されている。江戸時代に整然と敷かれた町割が近代に入って整理され、約120メートル×40メートルの縦長の短冊形グリッド形状の街区となって現在にいたっているという。それらをつなぐ通りは、大通りから路地まで、幅員の異なる大小様々な通りが街区を縦横に編むように構成されている。
大中小の通りの間に毛細血管のように張り巡らされている路地は、銀座の街の魅力でもある。色鮮やかな表通りのにぎわいから一転、路地裏にはゆっくり流れる時間を慈しむような静かさが漂っているのだ。
銀座通りの2丁目あたりを歩いていると、ワインの試飲の小さな看板があった。それに魅かれて、暗い路地を入ると、地下にワインバーがある。路地を通り抜けて反対側に出ると、実はこの路地を作っているのが、2棟の新しい店舗であることが発見できた。
東へ。かつて銀座の外縁、三十間堀川の埋め立てによってできた地区には、おしゃれではあるが、庶民的な店構えの店舗が並ぶ。道行く人を楽しませる工夫も楽しい。
下町的生活感の象徴「チョウシ屋」
さらに、昭和通りを渡って東へ進む。昭和通り以東3丁目以北のエリアには、下町的生活感があふれている。
歌舞伎座の裏手、1927年(昭和2年)創業の「チョウシ屋」は、その象徴と、私は思っている。名物はコロッケパン。コッペパンに辛子を塗って、揚げたてのコロッケをはさみ、オリジナルソースをかけるだけ。240円。私はメンチカツが好きなので、こちらは食パンにマカロニサラダを一緒に載せていただく。
向かいの路地裏にいい感じの竹の縁台があって、コロッケパンにかぶりつく。衣はさくさく、ジャガイモはほっくり、さわやかな甘みのソースがおいしい。この付近の路地を入ると、手入れの行き届いた鉢植えの緑が多く、銀座で最もほっとする場所の一つではないだろうか。
再開発中の歌舞伎座の仮囲いのデザインを楽しみながら、晴海通りを渡って、三原小路へ。銀座らしい小店の集まった路地だったが、新しい建物が建てられたのに伴い、路地に対するしつらえを配慮して、素敵なゲートができた。お稲荷さんを拝みつつ、反対側に出ると、東通り。「GINZA ALLEY」を通り抜ければ、銀座通りに出て、4丁目交差点のランドマーク、和光の時計台が見える。このあたりのことは、2010年4月9日付の小欄に詳しく書いたので、参照していただきたい。
春の嵐も通り過ぎ、足どり軽く、銀ブラが楽しい季節がまたやって来た。路地裏の銀ブラを楽しんでみませんか?
(プランタン銀座常務・永峰好美)