ソメイヨシノから八重桜へ。花あかりのそぞろ歩きが楽しい銀座は、足取り軽く、心弾む季節である。
「千年前にタイムスリップして、桜香で遊んでみませんか?」――銀座おさんぽマイスターの岩田理栄子さんから
指南役は、銀座4丁目、創業430年の老舗「香十」の稲坂良弘社長。映画「源氏物語」の時代考証など、和の香りの伝道師として国内外で活躍している。
香の歴史をさかのぼれば、4000年以上前のインドの神話に始まるのだとか。とはいえ、「貴族階級の公家が守ってきた伝統文化に精神的な道を求め、また、芸事を通して自分を高めるといった武家の価値観が加わって、独自の芸道の世界をつくり上げたのは日本人」と、稲坂さんは解説する。
香道では、香りは、「
香りの宝石、伽羅
稲坂さんの案内で、日本における香の歴史を簡単にまとめておこう。
「日本書記」には、推古3年(595年)の夏、淡路島に1本の香木が漂着したとの記録がある。その香木からは何ともいえない芳香が立ち上り、島人たちを驚かせたそうな。木は水に浮かぶが、この香木は水に沈むことから「
沈香は、真菌類というバクテリアが樹液に作用してできる、自然界の偶然の産物。科学が進んだ現代でも、最高級の香木、
まさに「天与の香り」といえる香木は、仏教とともに人々の間に広まった。仏教の教えでは、現世というのは
「源氏物語」の香に隠された意味
続く平安時代になると、貴族たちが独自の香文化を開花させる。自らの生活空間をより快適なものにするため、また、自己表現の手段としても活用するようになった。手紙を開けば、その紙に焚きしめた香が立ち上り、文面を読む前にメッセージが伝わるといった具合である。
平安の香は、自分で原料を選んで調合してつくるので、高度な知識や経験が不可欠で、各人のセンスも問われた。
たとえば、「源氏物語」の「
紫の上は伝統に今様の創造を加えた「梅花」、朝顔の君は祝儀のための最高峰「黒方」を、
そして、明石の姫の実母、明石の君だけは、着物に焚きしめる「
武士が遊びを生んだ
さて、武家という新しい支配階級が登場する鎌倉時代。武家流の価値観や美意識が、貴族の香文化に加わっていく。武士たちは、戦への出陣に際して、香を
こうして香木の目利きとなった武士たちは、香木を持ち寄り、その違いを聞きわける遊びを誕生させた。明日戦場で死ぬかもしれない武士にとって、平安貴族のように、1か月かけてつくった薫物を土に埋めて熟成させるといった悠長なことはしていられない。一定の時間の中で決着がつくような遊びが求められたわけである。
香りの違いを当てるというゲーム性を持ちながら、季節の移ろいや歳時記、文学を愛でるテーマを設定、そこに美しい作法のカタチを加えたのが「組香」で、今回は「桜香」がテーマである。
というわけで、いよいよ実践!
はじめての聞きわけに挑戦
公家の香道、御家流香道師範の登場である。本来ならば香間を使うということだが、「足のしびれに気を取られて香のメッセージに精神を集中できなくなってはいけないので、椅子テーブル式で気楽にやりましょう」と、これは稲坂社長の配慮である。
台本は、「桜花さきにけらしなあしひきの 山のかひより見ゆる白雲」(古今集 紀貫之)から。歌中にある3つの言葉、「桜花」「山」「白雲」にそれぞれ香木が当てられ、その香りの差を聞きわけ、「桜香」を探すゲームだ。
香元となる師範が、手のひらサイズの香炉(聞香炉)にたどんを沈め、上部に香木の切片をのせる。参加者は香炉を順に回しながら、鼻を近づけ3回深呼吸するようにして、わずかに漂う香気を嗅ぐ(聞く)。
最初に回ってきたのは、試み香の桜花。「特徴を自分の知っている香りに置き換えて、記憶してください」と言われ、私は、「桜餅を包む塩漬けの桜の葉のように、ちょっと甘く、さわやかな香り」とメモした。
そして、本番だ。5つの香炉が順に回り、その中から、2つの桜花を聞きわける。他の3つのうち、白雲はただ1つ、香りの宝石、伽羅とのヒント。残りの2つが山の香になる。
「本香を焚きますので、どうぞご安座に」と、香元が指示。試み香も終わり、ここからはリラックスしてゲームを楽しみましょうとの意味らしいが、初体験の私はとてもリラックスなどできない。「香水のように向こうから自己主張してこないので、意識を集中させないとわかりません。感性と知的な判断力が求められます」との稲坂社長の言葉に、さらに心が引き締まる。
聞きわけた結果は手元の
「香、満ちました」
結局、私は2つはずして、「花ふぶき」。桜花を当てることはできたが、伽羅をはずしたのは何とも残念。全問正解したのは、大手化粧品会社の女性だった。さすがである。
ゲームの終わりは、香元が一言、「香、満ちました」と締める。
一期一会のこの席に居合わせた人たちの心にも、素晴らしい香りが満ちましたという意味。味のある言葉だ。
その出所は、先に挙げた「源氏物語」の「梅枝」にあるという。4人の女性たちから届けられた香を、光源氏と異母弟が月を眺めながら焚き上げ、「どの香も素晴らしい」と、美酒とともに愛でる。この情景の結びの言葉が、「御殿の辺りいひ知らず匂ひ満ちて 人の
確かに、よき香りに包まれた空間ほど、心に艶やかなときめきと安らぎを与えてくれるものはない。
その後は、銀座2丁目の料亭「うち山」で、桜会席のランチをいただいた。
なんと、箸置きも桜。焼きゴマ豆腐、鯛の揚げものにタケノコのあんかけ、子持ちヤリイカを道明寺とともに蒸した料理……。
春爛漫の一品は、能登のもずく酢、浜名湖の淡水育ちの青のりをサンドイッチしただしまき卵、車エビ、ナス田楽、サクラマスの焼き物、香川のグリーンアスパラとホワイトアスパラ、ホタルイカ、雷コンニャクなどなど。旬の食材が次々と登場する春の勢いを感じる料理だった。名物の鯛茶漬けをいただき、最後はサクラと豆乳のアイスクリームで締め。桜の季節を十二分に満喫できた。
(プランタン銀座常務 永峰好美)