2011年12月アーカイブ

2011.12.09

イタリア・リヴィエラの宝石たち

 旅の続きは「ヴィーナスの港」から

  • サンタ・マルゲリータ・リグレの朝焼け

 前回に続いて、イタリアの旅の話を続けたい。

 サルデーニャ島をあとに、イタリア半島のつけ根にあたるリグーリア州のリヴィエラ海岸を、サンタ・マルゲリータ・リグレを基点に車で走った。

 左手は目もくらむ断崖絶壁、右手はごつごつした山肌で、その間をくねくねと走る。深いブルーの海の波間に、冬のやわらかな太陽の光が躍っている。

 冬のリヴィエラは、歌謡曲くらいでしか知らなかったけれど、男を港を出てゆく船にたとえて、「哀しければ哀しいほど、黙りこむもんだね」という歌詞は、なんだかこの風景にしっくりくるように思った。

 記録的な大雨で、土石流などの壊滅的な被害を受けたとされるチンクエ・テッレの街中には、残念ながら入れず、東端のポルトヴェーネレへ。到着したころには太陽も高く昇り、半袖シャツで歩きたくなるほど、暖かだった。

  • リヴィエラ海岸の東端、ポルトヴェーネレ

 「ヴィーナスの港」と呼ばれるこの街は、12世紀に繁栄した海洋都市ジェノヴァの出城として築かれた。狭い海岸線に隙間なく並んだ背の高い家々は、砦の役目をしていた。

素朴な町に魅せられて

  • バイロンも愛した美しい海岸が広がる

 このあたりの漁村は、後に記すポルトフィーノやカモーリでも同じなのだが、各家が色とりどりのペンキで塗り分けられ、絵画のように美しい。家族が待つ家に戻る船乗りたちにとって、海上での目印になったようだ。

 初期ローマンスタイルとジェノヴァ風ゴシック様式を併せ持つサン・ピエトロ教会は、海に面した回廊が洞窟のある入り江まで続いている。ローマ時代には、ヴィーナスを祀る神殿があったそうだ。見上げる空はとても高く、乾いた風が心地よく肌をなでる。英国の詩人、バイロンが、愛してやまなかった風景と聞いた。

  • (左上)パルマーリア島の白ワインを味わいながら、外洋に向かうヨットを送る(右上)自家製ジェノヴェーゼ・ソースが人気の「Bajeico」(下)ポルトヴェーネレに近いセストリレバンテで夕日を拝む

 半島に面して、すぐ近くにパルマーリア島という小島が浮かんでいる。この島で造られる爽やかな白ワインは、白い花を連想させるヴェルメンティーノ種。蜂蜜のようにふくよかな余韻があとをひいた。

 教会広場に連なる小路には、花やアロマ、菓子などを売る小さな土産物店が軒を連ねる。

 緑の看板がひときわ目立つ店に入ると、焼き立てのフォカッチャやパンと並んで、瓶詰めのジェノヴェーゼ・ソース(現地では、ペスト・ジェノヴェーゼという)があった。

 店名の「Bajeico」は、土地の方言で、バジルのこと。自家製ジェノヴェーゼ・ソースが売り物の人気店だった。

 同ソースには、いくつかの決まり事があるという。

 大理石のすり鉢を使うこと、材料には、ミント風味に近いソフトな味わいのジェノヴァ産バジル、インペリア産のニンニク、シチリア産の良質な松の実と粗塩、リグーリア産のエキストラ・ヴァージン・オリーブオイルを用いること、そして、仕上げのチーズは、パルミジャーノかグラナ・パダーノ、それにペコリーノ・サルドを混ぜる……。

 「19世紀の半ばに出版された料理本にはこのレシピがすでに掲載されていて、伝統的な作り方をずっと守っているの」と、女主人のラウラ・マッサさんが教えてくれた。

心躍るヴァカンス、ポルトフィーノ

  • 映画の舞台にもなったポルトフィーノ

 翌日は、ポルトフィーノ山の南側斜面の末端にあるポルトフィーノへ。映画の舞台になり、カンツォーネに歌われ、世界中のセレブリティが別荘を持って優雅な長期バカンスを楽しむリゾートだ。

 私は、米国人映画監督フランク・シェイファーの体験をもとに書いた小説「チャオ、ポルトフィーノ」(早川書房)を読んで、そのキラキラした世界に憧れたものだ。

 同氏は、うらやましいことに、幼少のころから幾度となくこの地を訪れた。時は1960年代。レックス・ハリソンがピーター・セラーズとエスプレッソを飲んでいる、ジャッキー・ケネディがサントロペの文字入りTシャツを着て波止場をぶらついていた、グレース王妃がとある画廊に入ってサルバドール・ダリのデッサンを買った……。そんなシーンが、さりげなく書かれているのだ。

  • 港町情緒が残るカモーリ

 特に印象に残っている一節は、地元の友人で画家のジーノの言葉である。

 「イギリスに本当に偉大な画家が生まれなかったのは、いい光がないからだ。車とビールならドイツ、かわいい娘とビジネスはアメリカ、だけど絵を描くならイタリアさ」

 そう、イタリアの光はあらゆるものをまばゆく輝かせる。

 岸辺には、高級ブランドのブティックや画廊が並ぶが、クリスマス前のオフシーズンだったこともあり、今回は1960年代の華やかなリゾートの雰囲気はあまり味わえず、ちょっと残念。

これぞマンマの味!

 ポルトフィーノから1時間ほど西に戻って、カモーリという街を歩いた。昔ながらの港町の情緒が残る趣のある漁村で、とても気に入った。カモーリという地名は、「カーサ・ディ・モッリエ」、つまり「妻の家」に由来するともいう。

  • (上)マンマが手際よくパスタを打つ(下)本場ジェノヴェーゼ・ソースは素朴な味わい

 そんな街で、店頭に「イタリアのマンマ(おふくろ)の味をどうぞ」と書かれた小さなトラットリアに入った。マンマが孤軍奮闘して料理を作る小さな店である。注文したのは、もちろん、ジェノヴェーゼ・ソースのパスタ。

 パスタマシーンで、手際よくパスタを打つマンマの姿を、サービスに回っているご亭主が、「どうだ!うまいもんだろう」と得意満面の笑顔で見つめているのがほほえましかった。

 親しみのわく温かな空気が漂い、マンマお手製ジェノヴェーゼ・ソースの素朴な味わいが忘れられない。

 (プランタン銀座常務・永峰好美)

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2011.12.05

神秘の島・サルデーニャ

 本土から孤立し、独自の文化

  • サルデーニャの州都カリアリは、石畳の狭い路地裏が続く

 イタリア本土から187キロ西、アフリカ大陸から184キロ北――ローマから飛行機で約1時間飛んで、地中海に浮かぶサルデーニャに行ってきた。

 イタリアではシチリア島に次いで2番目に大きな島。本土から孤立しているためか、地中海世界の中でも独自の文化が育まれた土地として知られている。

 イタリア人作家ジュゼッペ・デッシは、「サルデーニャは月の一部である」と評したそうな。

 月のように、乾いて冷たく、人類がかつて見たことのない顔を持つ土地だ……と。

 海辺にある州都カリアリから内陸に入っていくと、確かに、巨大な岩石があちらこちらにごろごろと転がっていて、私の知るイタリアの土地にはない荒々しくも異様な光景が広がる。

古代の記憶残る塔「ヌラーゲ」

 最も複雑かつ謎に満ちた建造物の一群がヌラーゲであろう。

 一辺が1メートルほどの大きな石を積み上げた円錐形の塔。単体で、あるいは砦のように複数かたまってそびえ立っている。接合材は使わず、不規則ながら隙間なく見事に積まれているのは圧巻だ。

  • サルデーニャ最大のヌラーゲ、バルーミニの遺跡

 紀元前1500年ごろからローマに征服される紀元前3世紀ごろまで、サルデーニャに牧畜経済を中心とする高度な文明を築いたヌラーゲ人の遺物。現在も大小合わせて約7000のヌラーゲが、ほぼ島の全域に渡って存在しているという。宗教施設、要塞、部族長の家、天文研究所……。建造物の用途は謎に包まれたままだ。

  • 隙間なく見事に積まれたヌラーゲの内部

 最大級のヌラーゲは、南部のバルーミニにあって、世界遺産にも指定されている。平坦な地に突如として姿を見せる要塞のような空間は迫力満点。ガイドの話では、ヌラーゲ内部のドーム状の天井の工法などに古代オリエントの影響が強くみられるが、この技術がどういう経緯で東方からこの地に伝わったかはわかっていないという。

 イタリア建築が専門の陣内秀信・法政大学教授は、地霊(ゲニウス・ロキ)が宿る特別な意味を持った場所とする。「イタリアの中でも特にこの島には、近代文明に侵されない場所の力が感じられる。ちょうど日本の土地に精霊が宿るごとく、サルデーニャでも場所に聖なる意味が込められていることが多い」(山川出版社「地中海の聖なる島サルデーニャ」)と記している。

 なるほど、重厚な塔の一か所だけある小さな出入り口をくぐると、薄暗くひんやりした空気に包まれ、そう、神社の鳥居をくぐった時と同じような感覚に陥る。古代からの記憶が受け継がれる場、まさにパワースポットである。

 そんな神秘の島の食は、新鮮な素材を生かし、オリーブオイルとヴィネガー、塩などで味を調えた実にシンプルな料理で、おいしい。

地中海の恵みをシンプルな味付けで

  • (左上)ペコリーノチーズをかけたウナギ(左下)特産のカラスミのパスタ(右上)見た目はリゾット風のパスタ、フレグラ(右下)新鮮なイワシのマリネ

 サルデーニャのオリーブオイルは香りが豊かで、ほんの少し苦味の残る後味がたまらない。

 特産のペコリーノチーズをたっぷりかけたウナギ、グリルしたイカや白身魚、イワシのマリネ、タコとジャガイモとトマトのサラダ……。

 フェニキア人がサルデーニャに持ち込んだというボラの卵のカラスミも、特産品。すりおろしたカラスミのパウダーは、イタリア版ふりかけといったところで、食卓の常備菜。パスタやサラダに一振りすれば、複雑な旨みをさらに引き出せる。

  • 熱々のところを食べるデザート、セアダス

 フレグラというコショウ粒ほどの粒状パスタも珍しかった。クスクスと同様、起源は北アフリカと聞いた。だが、蒸して肉や魚のスープをかけて食べるクスクスとは違い、パスタにたっぷりのスープを吸わせてリゾットのようにして食べる。カリアリでは、アサリやムール貝のスープで作り、トマトの甘みとサフランの香りで仕上げるのが伝統的なようだ。

  • 爽やかなリキュール、ミルト酒(右)

 デザートは、これも名物のセアダス。ラードを練り込んだ円盤形のパイ生地に、挟んであるのは、砂糖とレモンで風味付けした熱々のペコリーノチーズ。ハチミツをとろりとかけてナイフで切ると、中のチーズが溶け出して、何ともいえない美味である。

 仕上げには、ミルト酒を。アフロディーテの神木ともいわれるミルト(銀梅花)の実をアルコールに漬け込んだ、ミントのような爽やかなリキュールだった。

銀座で州旗を発見!

 ところで、サルデーニャの州旗は「クワットロモーリ」と呼ばれ、鉢巻を巻いた4人のムーア人の横顔がデザインされている。

 10世紀、シチリアがアラブ人に征服されているころ、サルデーニャはビザンツ帝国から隔離され、4つの王国がつくられた。4人の横顔はこれらの国を表しているという。

 帰国して、銀座のお隣、新富町の裏通りを歩いていたら、イタリア国旗とともに、「クワットロモーリ」を発見!

  • 銀座にもサルデーニャの風が吹いていた

 「サポセトゥ・ディ・アキ」というイタリアンレストラン。オーナーシェフの木村彰博さんは築地生まれの築地育ちで、板前の父をもつ料理人。イタリアで料理修行をした後、昨年地元に戻って店をオープンした。「サポセトゥ(S’apposentu)」とは、サルデーニャ語で「客室」の意味で、修行中、サルデーニャで巡りあった恩師から名前をもらったそうだ。

 ディナータイムには、アサリやカラスミのタリオリーニ、フレゴラのスープ仕立て、パーネ・グッティアウ(ローズマリー風味のパン)など、サルデーニャ名物も並ぶ。

 銀座でも、神秘の島の味が楽しめるなんて、ちょっとうれしい。

 (プランタン銀座常務・永峰好美)

 ◆築地イタリアン「サポセトゥ・ディ・アキ」

 http://www.sapposentu.jp/

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永峰好美のワインのある生活

<Profile> 永峰 好美 日本ソムリエ協会認定シニアワインエキスパート。プランタン銀座常務取締役を経て、読売新聞編集委員。『ソムリエ』誌で、「ワインビジネスを支える淑女たち」好評連載中。近著に『スペインワイン』(早川書房)