2011年11月アーカイブ

2011.11.22

阿部誠さんのヴィンテージ・シャンパーニュ

大・大・大お久しぶりのブログの更新です。

ほんと、更新のサボり癖って恐ろしいもので・・・。

 ところで、あまりに素晴らしく、記録に残しておかないと忘却の彼方に消えてしまうという焦りもあって、再びブログと向き合うことにしました。
 それは、11月19日、ホテル西洋銀座3階のフレンチ「レペトワ」で開かれた、阿部誠さんのヴィンテージシャンパーニュの会でした。


11111901.JPG 阿部さんは、銀座で「サロン・ド・シャンパーニュ ヴィオニス」を営むオーナー・ソムリエ。2002年度全日本最優秀ソムリエで、「阿部誠のシャンパーニュを極める」(ワイン王国)などの著書があります。
 この本に掲載されているシャンパーニュを中心に、今まで8回のシャンパーニュディナーが開催されてきたのですが、その最終章ということで、今回、ヴィンテージ・シャンパーニュを比較試飲する企画が実現しました。


 実は、この秋、8回目のシャンパーニュディナーに参加して、「ヴィンテージ・シャンパーニュもぜひお願いしますね」と阿部さんに言ったときには、「なかなか垂直で揃えるの、大変なんですよね」と、ちょっと弱気な反応だったのです。


 でも、サ・ス・ガです!!


 本と同じアイテムのMoet et Chandon社のグラン・ヴィンテージをしっかりそろえてくれました。
 ワインリストは以下の通りです。
 Moet et Chandon Brut Imperial NV(マグナム)
 Moet et Chandon Grand Vintage 2003
  Moet et Chandon Grand Vintage 2002
  Moet et Chandon Grand Vintage 2000(マチュザレム)
 Moet et Chandon Grand Vintage Collection 1995(蔵出し)
 Moet et Chandon Grand Vintage Collection 1992(蔵出し)
 Moet et Chandon Grand Vintage Rose 2002

 

11111900.JPG マグナムは1500mlで、通常ボトルの2本分。瓶が大きい分、熟成が倍の時間でゆっくり進み、通常のものよりも「美味しい」といわれています。
 マチュザレムは6000mlで、通常ボトルの8本分。いや、これは私は初体験。せいぜい店頭で空ボトルがディスプレイされているのを見たくらい。阿部さんでさえ、それほど開ける機会がないそうです。あまり大きなボトルになると、かえって熟成が進みづらいとも聞いていましたが、どうかなあ。
 蔵出しの1995年と1992年は、直前までシャンパーニュのモエ・エ・シャンドン社のセラーで熟成させていたものだそうで、市場にはほとんど流通することがありません。


 AOC規定では、ヴィンテージ・シャンパーニュは3年間の熟成が義務付けられていますが、実際は、規定よりも長く熟成させて出荷されるのが一般的。醸造責任者にとっても、「NVは毎年同じ味わいのものを造らなければならない苦労があるけれど、ヴィンテージ・シャンパーニュはその年の特徴を生かして造れるので造りやすい」ともいわれています。


 では、阿部さんのテイスティング・コメントを中心に・・・。

 

11111902.JPG まず、2003年。

 ピノ・ムニエ43%、ピノ・ノワール29%、シャルドネ28%。春に激しい霜と雹害に見舞われ、また、夏は記録的な猛暑で、酸は穏やか。難しい年でもあったので、生産しているメゾンは比較的少ない。

 出来の良かったピノ・ムニエの比率が高いのが特徴で、味わいやわらかい。濃いイエローで、泡はどこまでもきめ細かい。洋ナシ、カリンの果実の甘いニュアンスが支配的。ブリオッシュ、キャラメル、ナッツの上品な熟成香も。ドサージュは5gと少なめ。

 

 

 

 

料理は、柔らかなフォンダンフォアグラと冷製マツタケ入りコンソメゼリー。

 

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 2002年は、今年のリリースで、市場ではほとんど完売状態。阿部さんは、2007年に、2003年産がリリースされる時、現地カーヴでこの2002年産もテイスティングしたそうだが、その時に感じた角がとれてやわらかくなり、エレガントさを増している印象とか。シャルドネ51%、ピノ・ノワール26%、ピノ・ムニエ23%。ドサージュ5.5g。2003年よりも外観にグリーントーンが残る。白桃や洋ナシといった果実香に加えて、バタートースト、ミネラル感、鉄っぽい香りも。全体的に若さをが感じられ、ポテンシャルの高さがある。
 料理は、オリーブオイルでソテーした手長エビ、細切りサラダ添え。柑橘類のビネグレットソースで。


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 2000年のマチュザレムは、ヴィオニスのセラーで1年間ほど寝かせたものだそう。

 コルクを開ける阿部さんの手にも随分と力が入っていた。見ているこちらも、いきんでしまった感じ。でも、さすが、最後は、汗しながらも、ぽんっと、上品な音で締めくくられました。

 

11111905.JPG それにしても、おっきなコルクです。通常サイズのコルク(右)と比べると大きさの違いが歴然!

 

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ミレニアムということで、多くのメゾンがヴィンテージ・シャンパーニュを造ったけれど、雨が多く不安定な気候で、開花後は気温が高く、難しい年。シャルドネ50%、ピノ・ノワール34%、ピノ・ムニエ16%。ドサージュ9g。色調はきれいな黄金色で、熟成が進んでいる印象。黄色の果実、バタートースト、オレンジピール、加えてキノコやアーモンドの熟成香も。酸が柔らかく、泡立ちも滑らかに溶け込んでいる。


 料理は、真ダイの山ゴボウ、フランス産キノコ添え。栗のカプチーノ・ソース。

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11111909.JPG 蔵出しの1995年。ピノ・ノワール50%、シャルドネ40%、ピノ・ムニエ10%。熟成が早く進んだ年で、濃縮したドライフルーツやコンポートの果実香、シナモントースト、それにスパイスの香りも。香りのふくらみに厚みがある。

 


 続いて、蔵出しの1992年。ピノ・ノワール40%、シャルドネ40%、ピノ・ムニエ10%。酸とミネラルがエレガントに溶け合って、素晴らしいバランス。キャラメル、ヘーゼルナッツ、ピスタッチオ、クレームブリュレのニュアンス。

 

 

 

 

2本の蔵出しに合わせた料理は、青首鴨をシンプルなジュドブフと。 

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  11111911.JPG最後は、2002年のロゼ。

 ピノ・ノワール62%、シャルドネ30%、ピノ・ムニエ8%。赤ワインとアッサーブラージュ。ドサージュ5..5g。穏やかなスパイス香、酸もきれいにまとまっていて、全体的に若々しい印象。

 

 

 

 

 

 

 

 


 デザートは、赤い果実を添えたパンデピスとはちみつ香るヌガーグラッセ。

 

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 私の印象ですが、2000年はマチュザレムのボトルだったせいか、思った以上にミネラルが感じられ、意外に若々しさを感じました。
 蔵出しの2本は、実に感動的でした。厚みのある95年と酸のバランスのいい92年とでは、味わいは違うものの、ともに、デゴルジュマンまでの12-13年間、メゾンのカーヴで一定の温度・湿度管理の下保管されていたというから、ほぼパーフェクトな保存状態なのでしょう。泡立ちは弱くなっているけれども、余韻の長さはどこまでもどこまでも舌の上に広がっていきました。

そして、ロゼ好きの私は、グラスに注がれたこの色を見てフィニッシュするだけで、幸せな気分になるのでした。 
 

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2011.11.18

“フォーク界の長老”小室等さんの長屋ライブ

 日本中がフォークに夢中だった時代

  • 小室等さんをナビゲーターに企画された「銀座七丁目フォーク長屋」

 10月14日付の小欄で、人気のフォーク酒場のライブの話題をご紹介したが、以来、フォークのことが気になって仕方がない。

 小学生のころからグループサウンズに夢中になり、ローリング・ストーンズにはまった私だが、振り返れば、フォークもそれなりに聴いていた。

 フォーク・クルセダーズの「帰って来たヨッパライ」や「悲しくてやりきれない」がヒットしたのが、小学校高学年の時。ベトナム戦争反対や安保反対の学生運動をテレビ画面を通して目撃、1969年、新宿駅西口広場におけるフォーク・ゲリラ事件は、後に歴史として知った。

 社会に向けての痛烈なプロテストソングの時代は一区切り。中学生になって聴き始めたのは、吉田拓郎や井上陽水などの生活派フォークや叙情派フォークだ。テレビの歌番組では聴けないので、ラジオの深夜放送にかじりついたものである。

 高校生になって、ギターの上手な先輩にあこがれ、白いギターを買った。フォークではないけれど、チェリッシュの「白いギター」という曲に影響されたように思う。最初に挑戦したのは、フォーク調のトワ・エ・モアの「或る日突然」だった。

ヤマハ・銀座ビルを“長屋”に見立て

  • 名器が並ぶヤマハのギター売場

 先日、ヤマハ銀座ビル地下2階のヤマハ銀座スタジオで、「銀座七丁目フォーク長屋」という催しがあることを知り、出かけてみた。

 ナビゲーターは、音楽活動50周年を迎えた小室等さん。企画したヤマハ・銀座ビル推進室の大久保康子さんはいう。

 「小室等さんをナビゲーターにして何かやりたいと思って相談したら、日本のフォークミュージックを切り口にして、ゲストを呼ぼうじゃないかということになりました。『銀座にある長屋っていう設定、いいんじゃない?』『では、長屋の大家さんをお願いします』『ならば、ゲストは住人。店子だね。店子といえば、子も同然。大家に頼まれたら、出てこなくてはならない、よね』……。そんな風に話が広がっていったのです」

 「銀座七丁目」とは、もちろん、ヤマハ銀座ビルの所在地だ。1951年、浜松に本社のあるヤマハの東京支店として、チェコの著名な建築家のデザインで建てられた。半世紀以上が過ぎ、老朽化が進んだこともあって、建て替えられ、新ビルが昨年完成した。

 オープニングは、中村敦夫主演で人気だったテレビドラマ「木枯し紋次郎」の主題歌「誰かが風の中で」。小室さんの作曲だ。「あっしにはかかわりのねぇこって」という、あのニヒルな台詞を思い出す。

 この日、小室さんが抱えてきたギターは、1971年製作の「YAMAHA・FG-1500」という名器。「使いたくても怖くて使えなくて、いつもは使っていない」のだそうだ。

 「当時、石川鷹彦と一緒に、浜松の研究所でギターのコンサルティングをやっていて、試作品としてもらったもの。材料は最高級品で申し分ないのだけれど、どうも音が鳴らない。リペアマンに見せたら、『腐ってます』とまで言われた。でも、知人を介してある名人にお願いしたら、とんでもない名器になって戻ってきた」(小室さん)という、いわく付き。

娘を迎えた「六文銭’09」

  • 1回目のゲストは、六文銭’09

 それにしても、スタジオは、最新のヤマハ音響システムを導入しているというだけあって、迫力のボリュームで、音の広がりが素晴らしい。

 さあ、いよいよ一軒目の長屋の住人、「六文銭’09」の登場だ。小室さんのほか、1972年に解散した「六文銭」の最盛期を支えたメンバー、及川恒平さんと四角佳子さん、そして小室さんの娘、こむろゆいさんが加わった4人のユニットである。

  • 「フォーク長屋の縁側でおしゃべりしている感じ」(小室さん)でトークが進む

 「サーカスゲーム」「インドの街を象に乗って」「キングサーモンのいる島」「面影橋から」、別役実の芝居「スパイ物語」の劇中歌「ヒゲのはえたスパイ」などなど。旧六文銭時代の懐かしい楽曲が続く。

 興味深かったのは、世代の異なる4人のトーク。

 小室さんが「六文銭」を結成したのは、1968年。その1年前、フォークの本を出すことになって、情報を集めていた。

 「日本でまだフォークが知られていなかったころ、僕はここ七丁目の楽譜売場に入り浸っていました。そこで輸入リストを担当していた鈴木のり子という女性がいて、反対する上司を頑張って説得して、ジョーン・バエズのソングブックを初めて輸入した。それが、のちの僕の妻です」と、小室さん。

 それを受けて、メンバーそれぞれが自分の思い出を語り出した。

さて次の「店子」は?

  • ヤマハ銀座ビル3階の楽譜売場は図書館のよう。ギターの弾き語りの楽譜も充実している

 「1967年は、大学で芝居をやっていた。アングラ演劇が入ってきたころで、藤圭子は知っていても、フォークは知らなかった」(及川さん)

 「PPMやキングストン・トリオ、ジョーン・バエズを流行歌として聴いていた。友達とギターを持って公園に行って練習した」(四角さん)

 そして、1971年生まれのゆいさんは、「子どものころ、お父さんがフォークシンガーと呼ばれていて、フォークって何だろう、民謡じゃないし、なんかダサいと思っていた。たのきんトリオやシブがき隊といったアイドルが人気だった。私は佐野元春なんか聴いていた」という。

 ちなみに、私にとっての1967年は、ザ・タイガースのデビューの年。「僕のマリー」「シーサイド・バウンド」「モナリザの微笑み」が大ヒットした年である。

 ライブの最後は、「出発(たびだち)の歌」。上條恒彦さんとのコラボレーションで、1971年の第2回世界歌謡祭でグランプリを受賞した名曲だ。

 60~70年代のフォークに親しんだ世代もフォークを知らない世代も、それぞれの音楽遍歴を振り返りながらの楽しい催しになった。

 今後も、「年に2回くらいは開催していきたい」(大久保さん)という。さて、次に登場する長屋の住人は、だれかなあ。

 (プランタン銀座常務・永峰好美)

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2011.11.11

主役は商店主「GINZA しあわせ」写真展

 篠山紀信さんが撮る“銀座人”

  • 銀座人たちの笑顔が並ぶ写真展のタイトルは、ずばり「GINZA しあわせ」
  • 「登場する店舗は私の独断と偏見で」と、東京画廊代表の山本豊津さん

 写真家の篠山紀信さんが、東京・銀座で商いをする人たちを撮りおろした写真展「GINZA しあわせ」が、銀座8丁目の東京画廊で開かれている(11月26日まで)。

 同画廊は、日本で初めて現代美術を扱う画廊として1950年にオープン。2002年には、世界の美術の目利きが集まる場に打って出ようと、北京にも画廊を開いた。

 代表の山本豊津(ほづ)さんは二代目で、銀座の町会の集まりである全銀座会で長年、催事委員を務めるなど、“銀座文化人”として知られている。和光や資生堂などのショーウィンドーを美術系の学生たちに開放し、ディスプレーデザインを競わせるなど、銀座の新しい街づくりにも精力的に取り組んでいる。

 今回は、篠山さんと親交のある友人から「銀座で展覧会をやらない?」と勧められ、それならば、銀座の商店主を主役にしようと、企画を2年半ほど温めてきた。

銀ブラ気分で鑑賞

 登場しているのは、「私の独断と偏見で選んだ」(山本さん)、31店舗の店主や店員たち。

 「萬年堂」「ギンザのサヱグサ」「金田中」「銀座千疋屋」「二葉鮨」「銀座・伊東屋」…。名前を聞けば、多くの人が「ああ」とうなづくであろう銀座の名店が並ぶ。室町後期創業の和菓子「とらや」を筆頭に老舗が多いが、1970年代に開業した呉服店や10年前に銀座に進出した日本茶カフェなどの新顔も。

 会場の入り口を入ると、右手が銀座1丁目。白壁に、銀座中央通りを表す黄色のラインが1本ひかれていて、それをたどってぐるりと回遊すると、銀座8丁目へ。黄色のラインを境に、写真の位置が上下に微妙にずれているのは、中央通りの東西どちら側にあるのか、各店の大まかな位置を示すためだそうだ。

 木版画あり、宝石あり、文房具あり、果物あり。会場を一巡すると、銀ブラしながらウィンドーショッピングをしているようで、うきうきした気分になってくる。

  • 140年の歴史をもつ「二葉鮨」には、古きよき日本情緒が漂う ((c)Kishin Shinoyama)
  • 果物を贈答品とする文化を育てた「銀座千疋屋」。写真は齋藤充社長 ((c)Kishin Shinoyama)

多彩な役者が魅せる名場面

  • 「資生堂」の創業は明治5年。写真は吉田聖子店長とスタッフたち ((c)Kishin Shinoyama)

 老舗社長の風格のあるたたずまいも素敵だが、小さな未来の若旦那を抱っこした家族写真は、ほほ笑ましいし、現場の女性従業員がずらりと並んで出迎える場面も壮観である。

 作家の北方謙三氏がバー「ディー・ハートマン」のお客としてさりげなく登場していたりして、銀座という街を愛する人々の層の厚さを感じさせる。

 「ちょっと変わっているのは、これでしょう」と、山本さんが教えてくれたのは、電通4代目社長の吉田秀雄氏のデスマスクを主役にした写真だった。「篠山さんと電通銀座ビルを訪問して、見つけました。これが主役だって、2人ともほぼ同時にひらめいた」という。

 山本さんは、ほとんどの撮影に立ち会っている。篠山さんの撮影時間は1人につきわずか20分ほど。「早いですねって聞いたら、被写体が素人さんの時は緊張感が続かないからって言われて、ああ、そうだなあと納得しました」

「GINZA」の笑顔、世界へ発信

  • 写真展に合わせて出版された篠山さんの写真集

 それにしても、登場する人々皆、自然にこぼれる笑顔がすがすがしい。

 写真展に合わせて出版された写真集「GINZA しあわせ」(講談社)の中で、篠山さんはこう記している。

 「撮影は楽しかった。人も店も粋でおしゃれで品があって、でも威張ってなくてカッコいい。やはりこれは長い歴史が作り上げた“味”なんだなぁと思った」「出来上がった写真を見ると、僕が注文したわけでもないのにみんな笑っている。幸せいっぱい、ハッピーな写真ばかりだ。今年は3月11日に大変な震災が起こった。そんな年にもかかわらず、いや、そんな年だからこそ、みんな笑っているのだろう」――。

 山本さんは、「銀座を考えることは、日本人が日本をどう理解しているかと深いかかわりがあると思う」と語る。

 江戸から現代へと、脈々と続く歴史の中で、銀座には多様な商いが育ってきた。

 「たとえば、(グランメゾンといわれる)高級ブランド店は世界中どこへ行ってもあるけれど、『壹番館洋服店』は銀座にしかないでしょう。オリジナルの英国服地を、日本人のもつ繊細かつ正確な技術で仕立てていくのです。『とらや銀座店』のように、店頭に取締役の女性が常に立っておもてなしをするというのも、銀座ならではのサービスではありませんか。銀座人は、この独特の“質感”の素晴らしさをもっと自覚して、世界に発信していかないと、もったいないですよ」

 特に中国や韓国をはじめアジア諸国では、「GINZA」は憧れだ。

 来春は北京の画廊に場所を移し、写真展「GINZA しあわせ」を展開、「GINZAブランド」を大いにアピールする予定という。

 (プランタン銀座常務・永峰好美)

 ◆東京画廊

 http://www.tokyo-gallery.com/

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2011.11.04

新橋芸者衆「見番通り」お披露目会

 通りの愛称さまざまに

  • 「見番通り」にはバーやクラブが多く、花屋の軒先も華やか
  • 新橋見番がある、銀座8丁目の新橋会館ビル

 東京・銀座の多くの生活道路には、だれもがわかりやすく親しめるようにと、愛称が付けられている。

 銀座桜通り、銀座柳通り、みゆき通り、花椿通り、御門通り、銀座コリドー通り、数奇屋通り、並木通り、金春通り、あづま通り、銀座マロニエ通り、銀座三原通り、木挽町通り、銀座ガス灯通り、銀座レンガ通り……。銀座の番地が付く通りでいえば、その数は軽く20路線を超える。

 愛称を認可する中央区役所によれば、「銀座の柳で親しまれているから『柳通り』と名付けたいという申請を受けたとき、すでに中央区には八重洲の柳通りが存在していた。そこで、地名を冠にして『銀座柳通り』で了承してもらうなど、愛称一つ付けるにもそれなりに苦労がある」という。

 最近では、昨年3月、銀座8丁目の新橋会館ビル前の、花椿通りと交差する通りが、「見番通り」と命名され、新しく仲間入りした。今まで、便宜上、「西五番街通り」と呼んでいたところである。

新橋見番の座敷が一般に初公開

 見番というのは、花柳界で、芸者衆と料亭との取り次ぎをしたり玉代の計算をしたりする取りまとめの事務所のようなところ。今でも、新橋芸者衆の「新橋見番」が、新橋会館ビルの中にある。

  • 「見番通り」の名前をもっと多くの人に知ってもらおうと開かれたお披露目会
  • 見番の座敷は、いつもは、芸者衆の厳しい稽古の場に(「東をどり」のパンフレットから)

 ちなみに、銀座なのに、新橋芸者と呼ぶのは、銀座中央通りにある天ぷらの「天国」のあたりに、実際に新橋という橋が架かっていた名残である。

 花柳界の話となると、なかなか敷居が高い。で、一般の多くの人にも「見番通り」の名称にもっと親しんでもらおうとの趣旨で、10月30日、「見番通りお披露目の会」が開かれた。

 場所は、芸者衆が毎日踊りや長唄、三味線などの厳しい稽古をしている新橋見番の座敷。一般に開放されたのは初めてとのことで、老舗の大旦那衆も、「長い銀座暮らしの中でも、初めての経験だ」と、口々に言っていた。

 べっ甲のかんざしで有名な老舗、銀座かなめ屋も見番通りにある。

 三代目の若旦那、柴田光治さんによると、昭和の初め、同店の先代の時代には、「見番通り」と呼んでいたそうで、当時、芸者衆を乗せた人力車が連なって、たいそう華やいでいたらしい。

ハイカラモダンの発信地・新橋

  • 銀座の芸者衆について語る岡副真吾さん

 さて、お披露目の会では、料亭「金田中」3代目で、東京新橋組合頭取の岡副真吾さんが、「幕末から今につながる銀座の芸者」について語り、続いて、日本の芸能の幕開きに舞台お清めとして用いられてきた、長唄「雛鶴三番叟(ひなづるさんばんそう)」の素踊りが披露された。

 新橋芸者の歴史については、5月27日付の小欄「新橋芸者の晴れ舞台『東をどり』」で書いたので、関心のある方は参考にしていただきたい。

  • お披露目会では、二人立ちの素踊りが披露された

 いまや東京の見番は、浅草、赤坂、向島、神楽坂、芳町、それに新橋の6か所になった。とはいえ、幕末の時から、「進取の気風に富み、ハイカラモダンの発信地であった新橋」の精神は、しっかり受け継がれている。

 岡副さんは、「見番なんて、そんな古臭い名称を復活させるのかという意見もあったが、歴史は歴史として受け止めていきたい。そして、見番通りから、時代に即した、銀座の新しい和の文化の発信ができれば素晴らしいと思う」と語る。

学生による創作茶室も

  • 野点が楽しめる「銀茶会」は、銀座の秋の風物詩になりつつある

 同じ日、銀座の街では、十数か所で野点が楽しめる大規模な茶会「銀茶会」が開かれた。表千家、裏千家、武者小路千家、江戸千家の茶道四流派が一堂に会する珍しいイベントで、薄茶席なども用意された。ハートをモチーフにした和菓子をいただきながら、普段お茶席となじみがない人たちも、鮮やかな赤の野点傘の下、風情ある銀座の秋を満喫したようだった。

  • 銀座三越に展示された、学生創作茶席の一つ

 「銀茶会」の一環として、建築を学ぶ学生たちが、「いま、人を癒すための茶室」のテーマで学生創作茶席を設計・施工し、銀座三越にその中の優秀作品が展示された。モダンではあるが、和紙の温かみがどこか心を和ませてくれる不思議な空間だった。

 銀座の街の和の発信は、さまざまな形で進化し、広がっている。「見番通り」からは、どんな粋で新しい発信がなされるのだろうか。

 (プランタン銀座常務・永峰好美)

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永峰好美のワインのある生活

<Profile> 永峰 好美 日本ソムリエ協会認定シニアワインエキスパート。プランタン銀座常務取締役を経て、読売新聞編集委員。『ソムリエ』誌で、「ワインビジネスを支える淑女たち」好評連載中。近著に『スペインワイン』(早川書房)