恵比寿講へのお供え
粋な江戸味の漬物で知られる、東京・銀座7丁目の「銀座若菜」本店の店先には、旬の野菜や果物を使った季節の一品がそれとなく紹介されている。
今の季節は、「なごり柿」。皮付きダイコンのうまみに柿の甘さがほんのり合わさり、さわやかな味わいだ。オレンジと白の鮮やかなコントラストも食欲をかき立てる。
「なごり柿」と一緒に案内されていたのが、東京名物「べったら漬」であった。そう、東京は「べったら市」の季節でもある。
開催日は、10月19日と20日の2日間限り。日本橋本町にある
「べったら市」の起源は、江戸中期にさかのぼる。10月20日の恵比寿講にお供えするため、前日19日に参道周辺に市が立ち、打ち出の小槌や懸け鯛などの縁起物に加えて、魚や野菜などが売られた。時代を下るにつれてにぎわいを増して規模が拡大、江戸を代表する年中行事の一つになった。
威勢よく「べったら、べったら」
恵比寿様は商売繁盛、家族繁栄のとても身近な神様である。
この市でいつのころからか売られるようになったのが、浅く塩漬けしたダイコンを米こうじの床に本漬けしたもの。
人々は縄で縛っただけのこのダイコンを手にぶら下げてそぞろ歩いたが、衣服にうっかり触れると、粕がべったりついてしまう。
祭りのために着物を新調した娘たちは、汚したくないので、べったら漬を持つ人に出会うと避けて通るのに一生懸命。その様子を見て、男たちは、「べったらだ~、べったらだ~」と叫びながら、着物の袖に付けようとからかうのであった。
店側もそれに便乗して、「べったら、べったら」と威勢よく客を呼び込んだので、「べったら市」と呼ばれるようになったという。ちなみに、十五代将軍徳川慶喜もべったら漬をたいそう好んだらしい。
そして現在も、寶田恵比寿神社の門前のにぎわいは変わることなく、数百もの露店が軒を連ねる。
やはり人気は、創業80年を超える老舗の東京新高屋。昭和天皇にも献上されたべったら漬の名店だ。
いくつかのべったら漬の店の試食をはしごしながら、食べ比べをするのは楽しい。皮付きか皮なしか、歯ごたえ、甘みの加減やら滑らかさの具合などが微妙に異なる。
「ダイコンの首の部分は少し硬めで、真ん中は甘め。しっぽの方はちょっと辛めなんだよ」と、部位ごとに特徴があることも教えられた。う~ん、意識して食べてみると、実に面白い。私の場合は、歯ごたえのある首の部分が好み、である。
売り手も買い手も比較的年齢層が高い。そんな雑踏の中で、「展示をご覧になってくださ~い」と、ひときわ甲高い声が聞こえてきた。
女子大生考案「セロったら」
跡見女子大学で食とマーケティングを学んでいる女子大生のブースがあった。べったら市の歴史や漬物の作り方などをパネル展示している。
促されて、くじを引いたら、なんと大当たり! 白地にうりざね顔のべったらちゃんがゆるいタッチで描かれたTシャツを持ち帰ることに。
「女子大生が考えたべったらレシピ」なるものもいただいた。イチオシを尋ねたら、「簡単で、お酒のおつまみに最高ですよ」と「セロったら」を勧められた。
細長く刻んだべったら漬けと、斜め薄切りにしたセロリをあえて、しょうゆを適宜たらし、味がなじんだらでき上がり。最後にかつお節をまぶします。
べったら漬の歯ごたえとセロリのしゃきっとしたみずみずしさ。なるほど、このコンビネーション、斬新だ。
名人芸、バナナの叩き売り
もう一つ、長い行列ができていたのが、「幸運の小槌」なるお店。
たこ焼きや焼きそば、射的やスマートボールなどの露店が並ぶ中で、かなり異彩を放っていた。占い師らしき女性が一人ひとりの運勢をみながら、金色に輝く幸運の小槌とやらに、プチサイズの恵比寿様や大黒様やカエルなどを入れていく。さて、いつか一振りすれば、小判がザックザク……かな。
ところで、この2日間、わが地元の東京・渋谷区の恵比寿でも、べったら市が開催されていた。
寶田恵比寿神社に比べると、何十分の一といった小さな規模だが、えびす太鼓の軽快な音が街に響き、いくつか大道芸が催されるなど、祭り好きの地元っこで盛り上がっていた。
久方ぶりに、バナナの叩き売りの晃玉さんの姿を見た。威勢のいい声に促され、「300円!」で「買った!」。
江戸の粋は健在である。
(プランタン銀座常務・永峰好美)