アーティストらによる「306号室プロジェクト」
昭和レトロな建築として知られる東京・銀座1丁目の奥野ビルディング(旧銀座アパートメント)のことは、小欄でも何度かご紹介してきた。
その一室、3階の306号室が、10月30日まで公開されている。「80年にわたり銀座の街を見続けた奥野ビル⇔銀座アパートの歴史探検」という企画展の一環。
主催しているのは、「銀座奥野ビル306号室プロジェクト」というアーティストたちの非営利団体だ。
プロジェクトの解説は、こんな文でつづられている。
「奥野ビル3階の薄暗い廊下には、『スダ美容室』という小さな看板が掲げられていました。しゃれたデザインで、往時の雰囲気をそれとなく伝えるものでした。しかし、少なくともここ十年ほどは、周囲を見渡しても美容室らしきものは見あたりません。たぶんこのフロアのどこかで開業していた美容室が店を閉め、看板だけが残されたのでしょう。しかしそうした経緯はさておき、実体としては存在しない美容室の、雰囲気だけをしっかりと伝えるこの看板それ自体は、なんともなぞめいていて大変印象に残るものでした……」
昭和初期の香り残る美容室跡
306号室の住人は、秋田県出身の美容師、須田芳子さんだった。1932年(昭和7年)に竣工したアパートにまもなく入居して、「スダ美容室」を開いたのである。
戦争をはさみ、昭和の終わりまで仕事を続け、銀座のバーに勤めるホステスさんたちから、相談相手としても随分と慕われていたらしい。いっとき、シャンプーなど美容関連商品の製造販売などにも手を広げ、事業家としても活躍したようだ。美容室を閉じてからもこの部屋に住み続け、2008年、100歳で亡くなられたという。
現在は、モダンな都市生活のシンボルだった奥野ビルの魅力にとりつかれているアーティスト10人が集まって、家賃を分担しつつ、部屋を維持している。幸いにして、須田さんが亡くなられて遺品整理が終わった直後、修繕などの手が加わらない前に借り受けることができたので、昭和初期の雰囲気がそのまま受け継がれている。
部屋の維持といっても、遺跡のように部屋を保存するというのではなく、映像やインスタレーションなど、さまざまな分野のアーティストがここで行動を起こすことで、先人が残したものとつながり、さらに未来に向けて発展していければ――そんなことを期待した実験的なプロジェクトである。
306号室の玄関口から入ってみよう。
銀座で生き抜いたキャリアウーマン
控えの間(恐らく美容室時代には待合室、折り畳み式ベッドの設置跡もうかがえる)、鏡の間、そして押入れ(着付けのスペースとして使っていたようだ)などが、コンパクトにまとまっている。
剥離しつつある壁、丸い鏡、水道台……美容師の国家資格を取って上京し、銀座の地で頑張ってきた一人のキャリアウーマンの軌跡が、その一つひとつに刻まれている。水道台の脇に、「なるべく水分を沢山摂ってください」との貼紙が残っている。須田さんは、ヘルパーさんの手を借りながら、凛として晩年を過ごされたのであろう。
待合室でおしゃべりに興じる戦前の女性たちの写真が残されていた。髪を整える美容室は、女性たちにとって社交の場でもあり、その中心に、須田さんはいたのである。
昭和の雰囲気を醸し出すためか、テレビはブラウン管仕様。そこには、奥野ビルで生まれ育った人やスダ美容室のかつての常連客などへのインタビュー映像が流れていた。
「着付けが上手で、親子三代で通いました。明るくて、話がとても上手」「昔は、卵の殻なんか使ってシャンプーしていたわよ」……。皆が楽しそうに思い出を語っていた。
現代と戦前――交錯する景色
「ここで、アンティーク本などを販売してみるのも面白そうだね、なんて、今回初めて306号室を訪問した人たちからも次回につながるさまざまなアイデアが出ました」と、同プロジェクト関係者は話す。
暮れ行く秋の夕方、ガラス窓を通して陽光が微妙に変化していく景色が美しい。
地上6階、地下1階の鉄筋コンクリート造りの銀座アパートメントでは、戦前まで、眼下に三十間堀川が見え、水上バスが行き交う光景が広がっていたはずである。川の先には、隅田川や東京湾が望めたことだろう。
モダニズムの香り漂う都市空間を作り出していた銀座にふさわしい、しゃれたライフスタイルが、このアパートメントでは繰り広げられていたのである。
ノスタルジックな気持ちになって、奥野ビルを出る。出口のすぐ横にあるアンティーク屋さんの丸窓をのぞきながら、須田さんの部屋の鏡のことをぼんやり思い出していた。
(プランタン銀座常務・永峰好美)