2011年9月アーカイブ

2011.09.30

「二人の銀座」とみゆき通り

♪待ち合わせて 歩く銀座

  • 「みゆき族」が牽引したアイビーブーム
  • みゆき通りからすずらん通りを望む。昼間からは歩行者天国なので、ゆったりした時間が流れる

 先日、俳優の山内賢さんの訃報に触れて、女優の和泉雅子さんとのデュエットの名曲「二人の銀座」を、改めてユーチューブで聞いた。

 「待ち合わせて 歩く銀座」で始まるこの曲で、若い二人が肩を寄せ、指をからませてそぞろ歩くのは、ネオンの灯る東京・銀座のみゆき通りやすずらん通りである。

 曲がリリースされたのは、1966年(昭和41年)。翌1967年には、映画化もされている。

 ちょうどその前後、銀座の大通り、晴海通りから1本南側に入ったみゆき通りは、アイビールックのファッションに身を包んだ若者たちであふれ返っていた。ボタンダウンシャツにニットタイ、肩の線を落とした三つボタンのジャケット、細身のコットンパンツ……。通りの名前から、「みゆき族」と呼ばれた。

「VAN」創業者、石津謙介さん

 みゆき族の“必需品”になったのが、「VAN」の3文字ロゴがプリントされた紙袋だった。

 「VAN」を創業したのは、日本の男性ファッションをリードした粋人、石津謙介さんだ。アメリカの雑誌で知ったアイビールックを日本流にアレンジし、1960年代、若者たちの間に大ブームを起こした。

 7年ほど前、生前の石津さんにお話を聞く機会があり、当時の様子をこう語っていた。

  • 銀座みゆき通りの店先に立つアイビールックの若者たち

 「問屋に商品を持って行くと、『おっ、カネが来たぞ』と言われたほど、売れに売れました。大卒の初任給がまだ2万3千円程度の時に、VANのスーツは1万6千円。決して安くないはずなのに、店ではお客が待ち構えていて、VANという文字が記されたダンボールが届くと、ふたも開けずに『そのまま欲しい』と取り合ったらしいんです」

 1964年夏ごろ、マスメディアはこれを社会現象ととらえ、「みゆき族の登場」と騒ぎ出す。戦後生まれの団塊の世代がちょうど青春期を迎えていた時。その年の10月に迫った東京オリンピックに向けて、風紀取り締まりの一環として、築地警察署はみゆき族の一斉補導に踏み切ったほどだった。

 「族」といっても、今から見ればかわいいもので、VANの服をちょっと着崩し、ロゴ入り紙袋を小脇に抱えて、ショーウィンドーの前でぼんやり立っていただけだったらしいが……。

イベントを開き若者に語りかけ

  • 1960年代半ば、みゆき通りは、若者たちの聖地になった

 石津さんが仕掛けたわけでもないのに、銀座の商店街から、「買い物に来た大人の邪魔になる」と苦情が来た。そこで、石津さんが考えたのが、「アイビー大集合」という企画。警察にポスターを200枚作ってもらい、若者を銀座のヤマハホールに集めることにしたのだ。

 「参加者にはVANの袋をプレゼントする」と書いたのが評判を呼び、2000人が集まって、会場は超満員になった。そこで、石津さんは、「アイビーを一時の流行で終わらせずに、いつまでも大切に育てたい。だから、意味もなく銀座に集まるのはやめてほしい」と一席ぶった。

 まもなく、みゆき族は塊としては姿を消したが、アイビーブームは銀座から全国に広まり、定着していく。

通りの名前、由来さまざま

  • 夜の銀座すずらん通り。震災後、若干暗くなったが、愛らしい街灯は健在

 ちなみに、「みゆき通り」の名前は、明治天皇が海軍兵学校への行幸の際、この通りを通られたことに由来する。江戸時代には、築地周辺に屋敷があった諸大名が江戸城に向かう時に使われたとも伝えられ、歴史は古い。

 一方、もう一つの「すずらん通り」は、銀座中央通りと数寄屋橋寄りの西銀座通り(外堀通り)の間に平行して走る4本の中通りの一つで、中央通りに最も近い。一年中、昼過ぎからは終日歩行者天国を実施しており、そぞろ歩きにはほっとする通りでもある。街灯やマンホールの蓋にまで、アールヌーボー風のすずらんモチーフが使われていて、なかなか粋である。

 全国に「すずらん」が付く商店街の数は30か所以上あるそうだが、銀座のすずらん通りは後発組。大正期から繁栄していた東京・神田のすずらん通りにあやかって名付けられたのだとか。本の街、神田すずらん通り商店街では、毎年「すずらん通りサミット」というイベントも行われているようだ。

 ところで、「二人の銀座」を作曲したのは、ベンチャーズ。映画版では、山内賢さんは、エレキバンド「ヤング&フレッシュ」のミュージシャンという設定だ。この映画、ブルー・コメッツや初期のヴィレッジ・シンガーズなども登場、GS創成期の軽やかなエレキサウンドに酔うことができて、楽しい。

 (プランタン銀座常務・永峰好美)

この記事のURL | Trackback(0) | Comment(0)

2011.09.16

愛飲家におすすめ“薬剤師カフェ”

ワンドリンクにサプリメント2粒

  • (上)外からみると、薬局風な「カフェ・ヴィタ」(下)白が基調の店内で、薬剤師店長がサービスしてくれる
  • カウンセリングシートの問診に答え、トマトとマンゴーの酢ブレンドドリンクを注文
  • サプリメントは疲労回復のビタミンBに

 健康・美容は気になるけれど、やはりお酒はいつものペースで美味しく飲みたい――そんな愛飲家たちから、頼りにされているカフェがある。

 名門バーが軒を連ねる東京・銀座6丁目に、今年の初めにオープンしたカフェ「Vita(ヴィタ)」。ガラス張りのファサードには、薬のような白いパッケージがディスプレーしてあり、一見薬局風。

 それもそのはず、ここは、店長が薬剤師の資格をもつ「薬剤師カフェ」なのだ。

 白が基調の店内のカウンターに腰を落ち着けると、店長の平井陽子さんが接客してくれる。平井さんは、大学卒業後、国立病院や大手ドラッグストアなどで経験を積んできた。

 メニューには、ウコン茶や韃靼ソバ茶などのヘルシーティー、ザクロやブルーベリー、サボテンなどとからだにやさしい発酵酢をブレンドしたドリンクなどが並ぶ。ちょっと変わったところで、トマト&マンゴーの発酵酢ブレンドを炭酸で割ったものを頼んでみた。

 トマトジュースのような赤のドリンクをイメージしていたのだが、ほんのり淡いイエローの色合い。トマトはエキス分を利用しているので、ほぼ透明に近い色なのだそうだ。思ったよりも甘みがあって、酸味はマイルド。飲みやすい。1杯500円。

 「着色料も保存料も甘味料も使っていません。お酢の主成分の酢酸には、疲労回復やダイエット効果も期待できますよ」と、平井店長。

 「よかったら、カウンセリングシートに記入してみませんか?」と促されて、一般的な健康状態、アルコールの摂取頻度や日常の運動状況、ダイエットに関してなどの設問に答えた。

 同店では、ワンドリンクにサプリメントを2粒付けてくれるサービスがある。

 「このところ残暑続きで、疲労感がたまってきた感じです」と相談したところ、即効性のある「メガBコンプレックス」を勧められた。

 「ビタミンBの含有量は世界最高レベルの一粒。アルコールの分解を助ける役目もあって、二日酔いにも最適。銀座で人気ナンバーワンのサプリですね」と、教えられた。

相談に応じぴったりのサプリ

 サプリメントはすべて米国医療用のもので、「美肌」「ダイエット」「ストレス」など目的別に6種類、平井さんが独自にパッケージを作った。

 50代になると、からだのあちらこちらにガタが来る。テレビCMにつられて、いくつかサプリメントを購入したものの、これが自分にぴったり合ったものなのかどうか、疑問に思っていたところ。個人的な悩みも相談してみた。

 私の場合、特に悩みは、頑固な便秘である。購入したサプリはあまり効果がなく、最終手段は、腸を刺激して便通を促す市販の下剤に頼るしかない。それも段々と使い続けているうちに効き目が悪くなってきて、薬の量を増やさざるを得ない。

 「腸の動きがますます鈍くなって、悪循環に陥っています。腸内の善玉菌を増やして、腸の運動を活発化させるなど、腸内環境自体を根本的に改善する必要があります」

 選んでくれたのが、一つのカプセルに40億個もの善玉菌を封じ込めているというプロバイオティックスーパーと、硬くなった便に水分を含ませて柔らかくする役目のマグネシウムラックスの組み合わせ。「TAMENAI-DE(ためないで)」というネーミングも、わかりやすい。

 とりあえず試してみようと、30日分を購入。4000円。

 「予防医学の概念が根付いているアメリカでは、薬剤師などの専門家がサプリメントを提供する体制が整っていますが、それに比べて日本は10年以上遅れています。もっと気軽に利用してほしい」と、平井さんはいう。

ランチ一番人気の薬膳カレー

  • ハーブや野菜があふれる「銀座カフェ・ビストロ」のカウンター

 さて、薬剤師が活躍しているのは、同店だけではない。

 銀座2丁目にある「ウェルタス銀座クリニック」に併設された「銀座カフェ・ビストロ」は、クリニックの医師と薬剤師が、生薬やハーブを使用したアンチエイジングレシピを開発している。茨城県日立市に自社農園や水田を持ち、野菜をはじめ、黒米や玄米を直送している。

  • (上)ランチ一番人気のデトックス薬膳カレー(下)オリジナルのお茶は東西のハーブをブレンド

 ランチ一番人気のメニューは、野菜のデトックス薬膳カレー。余分な油分や糖分、塩分を極力控え、16種以上の生薬を1時間以上煮出してスープをつくり、野菜は7種のハーブやビオ(有機)の赤ワインで3日間も煮込み、スパイスなど加えて2日間寝かせるという手の込んだもの。カボチャやニンジン、レンコンなど、繊維質もたっぷり摂れるように考えられている。

 日替わりで、独自ブレンドのハーブティーがサービスされ、この日は、カモミールやラベンダー、アマチャヅルなど、東西のハーブ9種類がブレンドされたリラックス効果の高いお茶だった。

 ちなみに、先のカフェで購入したサプリはその夜から早速飲み始めた。「まずは2週間様子をみて」といわれていたのだが、翌朝、早くも効果あり。この数日は、気持ちよく過ごせております。気分的な作用もあるのだろうか。

 (プランタン銀座常務・永峰好美)

この記事のURL | Trackback(0) | Comment(0)

2011.09.09

三島由紀夫が描いた7つの橋

 お月見の季節。今年は9月12日がいわゆる「中秋の名月」に当たる。

 季節のご挨拶のお印にと、知人から「うさぎさん」と題した愛らしい焼き菓子が届いた。東京・銀座7丁目にある源吉兆庵銀座店のお月見限定商品。さわやかなユズあんを練乳風味の生地で包んで焼き上げた一品。何ともやさしい味わいだ。

 中秋の名月とは、月の満ち欠けを基準とした陰暦(旧暦)8月15日の夜の月のこと。中秋の名月の日が必ずしも満月になるわけではないが、今年はちょうど満月になるのだそうだ。

満月の夜、口を開かず橋を渡る

  • (上)中央区役所側からみた三叉の橋、三吉橋(下)昭和初期当時のスズラン燈がレトロな情緒を醸し出す

 銀座・築地の橋を舞台にした三島由紀夫の「橋づくし」は、陰暦8月15日の満月の夜のお話だった。その晩、7つの橋を一切口を開かずに渡り終えれば願いがかなうという、願掛けの物語。舞台をちょっと歩いてみたくなった。

 登場人物は4人の女性たち。「お金が欲しい」年増芸者の小弓、「いい旦那が欲しい」かな子、「俳優のRと一緒になりたい」料亭の娘満佐子、それに、満佐子の家で働く女中のみながお供として加わった。

 ≪四人は東銀座の一丁目と二丁目の堺のところで、昭和通りを右に曲った。ビル街に、街頭のあかりだけが、規則正しく水を撒いたように降っている。月光はその細い通りでは、ビルの影に覆われている。

 ほどなく4人の渡るべき最初の橋、三吉橋がゆくてに高まって見えた。それは三叉の川筋に架せられた珍しい三叉の橋で、向う岸の角には中央区役所の陰気なビルがうずくまり……≫

 小説はこんな風に進んでいく。

築地川にかかるY字型の三吉橋

  • 三吉橋のたもとに立てられた石碑には、「橋づくし」の一節も刻まれている

 「珍しい三叉の橋」といわれても、ぴんとこなかったのだが、実際に三吉橋を訪れると、なるほどと思った。

 三吉橋は、銀座1丁目と2丁目の境界を走る銀座柳通りが首都高速道路を渡るところにある。中央区役所側から写真を撮ると、橋が中央部分で屈曲しているのがよくわかる。これが三つ又、上空から見るとY字型になっている。

 橋が造られたのは、昭和4年(1929年)で、関東大震災後の復興計画の一環として架設された。当時はもちろん川があったわけで、人々の暮らしも川を中心に営まれ、川筋を酒荷の船や屋形船などが行き交っていた。築地川の屈曲した地点に、楓川と結ぶ連絡運河が開削され、川が三叉の形になったのだという。

7つの橋、今昔

  • (上)入船橋周辺の地図から(下)小説の中で、最初にかな子が脱落した築地橋

 小説が書かれた1950年代半ばは、まだ川が存在していたが、高度成長期とともに川の汚染が進み、1962年、首都高速道路の建設を機に埋め立てられた。

 その後、1993年に大規模な改修が行われ、現在の三吉橋の欄干は、水辺に映える木立をイメージしたデザイン。照明は、昭和初期当時のスズラン燈が採用され、レトロな情緒が若干戻っている。橋のたもとの柳の木の下には石碑が立ち、「橋づくし」の文章も紹介されている。

  • (上)転落防止柵を兼ねた築地橋の欄干はシックなブラウン(下)首都高速道路の出口になっている入船橋付近。昔は築地川が流れていた

 小説では、三叉の橋の二辺を渡ることで、橋を2つ渡ったものと勘定していた。

 三吉橋を過ぎると、すぐに築地橋、入船橋と続く。入船橋は、首都高速道路の出口になっており、川床であったあたりはコンクリートで固められ、バスケットボールのコートなど子どもたちの遊び場に姿を変えていた。

 入船橋を過ぎると、築地川はさらに右手に屈曲する。いまは埋め立てられ、築地川公園として開放されている。左手には聖路加病院の建物群が広がっている。公園の中に、暁橋と備前橋の名残を認めることができるのだが、小説では描写されていたこの2つの橋の間にあるはずの堺橋だけがなくなっていた。

願掛けの行方は…

  • (上)入船橋の川床はいま、子どもたちの遊び場に(下)築地川公園内にある暁橋の名残り

 さて、小説に戻ってみよう。4人の女性たちの願掛けは成就したのだろうか。

 最初に脱落したのは、かな子。3番目の築地橋を渡り終えたところで、自分の願いが「非現実な、夢のやうな、子供じみた願望」であると気づき、腹痛に負けて帰ってしまう。

 残り3人は入船橋を無事渡るが、5番目の暁橋で、小弓に不幸が起こる。昔の知り合いから声をかけられ、あえなく脱落である。

 満佐子とみなは願掛けを順調に続けていくが、最後の備前橋で、今度は満佐子に不幸が起こる。夜道を黙って静々と歩いている姿を見て、投身自殺でもするのではないかと不審に思った警官から尋問を受けるのだ。

 女中のみなに答えさせようとするのだが、みなは沈黙を守っている。そこで満佐子が思わず発した「ひどいわよ」の一言が命取りになった。結局、無事願掛けを成就させたのは、お供についてきたみなだけ。みなが何を願掛けしたかは、だれにもわからない……。

 秋風が感じられるようになった満月の夜、願掛けのお月見散歩としゃれてみるのもよさそうだ。

 (プランタン銀座常務・永峰好美)

この記事のURL | Trackback(0) | Comment(0)

永峰好美のワインのある生活

<Profile> 永峰 好美 日本ソムリエ協会認定シニアワインエキスパート。プランタン銀座常務取締役を経て、読売新聞編集委員。『ソムリエ』誌で、「ワインビジネスを支える淑女たち」好評連載中。近著に『スペインワイン』(早川書房)