「サンダンデロ」は庄内弁!?
東京・銀座で予約の取れないレストランの一つとして知られる「YAMAGATA San-Dan-Delo(ヤマガタ サンダンデロ)」は、銀座1丁目、銀座柳通りに面した山形県アンテナショップの2階にある。
作家の藤沢周平が愛してやまなかった山形県の鶴岡。庄内藩14万石のこの城下町に、1969年、オーナーシェフの奥田政行さんは生まれた。
「サンダンデロ」って、イタリア語? いえいえ、奥田さんの故郷、庄内の言葉で、「~なんでしょ」という時に「~だんでろ」というところから名付けたそうで、「山形産なんでしょ」の意味だ。言葉の響きが、聖天使を意味するSaint Angeloに似ているところも気に入っているらしい。
最上川と赤川が緩やかに日本海に注ぎ込む庄内の地は、豊かな土壌、漁場に恵まれている。夏と冬の温度差は40度近くにもなり、四季の移ろいが際立っていることもあって、多彩かつ味わい深い食材の宝庫と聞く。
2年前に銀座に出店
東京や地元鶴岡のレストランで修業したのち、奥田さんが鶴岡にイタリア料理店「アル・ケッチァーノ」をオープンしたのは10年ほど前。
旬の素材の味や香りを生かし、ソースはなるべく使わない。食材は一皿に3種類まで。食材をまとめる塩は世界中から集めた十数種類をできるだけ抑えて使う。水も料理によって、鳥海山の超軟水、月山系の軟水、飯豊山の中硬水などを使い分ける。
イタリア料理の手法で、庄内の旬の食材に新しい光を当てた奥田さんの料理は県外のグルメが注目するところとなり、スローフード協会イタリア本部主催の「テッラ・マードレ2006」では世界の料理人1000人に選ばれ、欧米でも高い評価を得ている。銀座への出店は2年前のことである。
極上の味10皿
炭塩と山椒をきかせた月山筍、日本海の塩とセロリがアクセントのスズキのセビーチェ、燻製したイワナとヒラメのミルフィーユ、フルーツトマトのカッペリーニには山羊のリコッタチーズが添えられ、雪塩を少しずつ混ぜながら食べる。
ミネラルたっぷりの鳥海山の伏流水で育った岩ガキは、ぷりぷり身が肥えた極上品。和辛子の風味に新鮮なモロヘイヤがよく合う。ほかにも、だだちゃ豆や民田ナス、外内島キュウリなど、収穫を迎えた在来の夏野菜が皿を飾る。
魚介類が多いので、独特の香りがあるファランギーナ種の白ワインを選んだ。
ワインリストを載せたメニューのカバーは、素朴な風合いの自然素材。鶴岡特産のシルク「きびそ」で、蚕がまゆを作る時、最初に吐き出す糸なのだそうだ。水溶性タンパク質が豊富で、保湿力にすぐれ、最近ではスキンケア商品でも注目されているらしい。
料理で庄内・鶴岡を元気に
店長の中村政樹さんも、鶴岡出身者。上京して15年になるが、やはり銀座にある大分県のアンテナショップのレストランで働いていた時、同店のオープンの話を耳にして、手を挙げた。
「自分の故郷・山形もアンテナショップに併設したレストランを開けばいいのに、とずっと思っていました。実際、奥田シェフの指導を受けつつ旬の食材を意識して味わうようになると、今まで気付かなかった美味しさにはっとさせられたことは幾度もあります。たとえば、だだちゃ豆の深い味わいは何ものにも代えられませんね」と中村さん。
奥田さんは、自分が作る料理で、庄内・鶴岡を元気にしたいと考えて、24歳の時、帰郷した。だが、ことはすんなり進まなかった。
東京で一緒に働いた料理人仲間には「都落ち」といわれ、孤独だった。下手に仕事をすると先輩ににらまれるといった息苦しい集団の中で、休憩時間は、毎日数多く出る牛乳パックをリサイクルするためにハサミで切り開き、向かいのスーパーに運ぶという作業をずっと続けた。
やがて仲間の輪は広がり、調理場のスタッフにもやる気がわいて、新しい企画に参加、さらには調理場を任されるまでになった。
食べ物と農業に鍵はある
著書「人と人をつなぐ料理 食で地方はよみがえる」(新潮社)で、変わらずにずっと抱き続けた志について、奥田さんはこう語っている。
「食べ物は生きていく上での源だし、老若男女の心を動かす力がある。さらには、外国人にもとっつきやすい。食べ物と農業にこそ日本を楽しく元気にする鍵はある、と思ったのです。
何よりも、美味しいものを食べると、心に灯火がともる。たとえば、本当にひとりぼっちになった状況でも、たったひとつのおにぎりが心を温めてくれたりする。みずみずしい野菜を
「食で日本はよみがえる」――大震災の年、その視線は、故郷のある東日本へと改めて向けられている。
(プランタン銀座常務・永峰好美)
◆ヤマガタ サンダンデロ