2011年4月アーカイブ

2011.04.30

アンジェリーナで久しぶりのワイン講座

3か月に1回開催している、プランタン銀座本館2階「サロン・ド・テ アンジェリーナ」でのワインと料理のマリアージュを楽しむワイン講座。

3月は計画停電の影響で、営業時間を短縮していたので、開催を見送りましたが、4月、希望者が10人集まり、営業時間も通常に戻ったので、再開することにしました。


テーマは、「春のうららかな空気を楽しみながら・・・」にしました。心落ち着かない日々が続いていますが、ちょっとリラックスして元気になりましょうよ、という企画です。今回は初参加の方が3人いらっしゃいました。

 

ワインリストは次の通りです。


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2002 カドリーユ・クレマン・ド・ロワール ブリュット(ラングロワ・シャトー)
IGP ペイドック・トゥールーズ・ロゼ(ドメーヌ・ピッチニーニ)
2008 ブルゴーニュ・アリゴテ(ドメーヌ・ピエール・モレ)
2008 メルキュレイ・ラ・フランボワジエール(ドメーヌ・フェヴレイ)
2008 DOCボルゲリ ポッジォ・アル・ジネプリ(テヌータ・アルジェンティエーラ)

 

すべてのワインは、プランタン銀座地下2階のワイン売場でそろえました。

 


2011042102.JPG最初の泡は、ロワールの名門、ラングロワ・シャトーのヴァン・ムスー。現在、シャンパーニュのグランメゾン、ボランジェの傘下にある名醸蔵で、評価も高い!

 
「カドリーユ」とは、ロワール地方のソミュール地区にある陸軍乗馬学校主催の競技会の名前だそう。

 

収獲はすべて手摘み。シャンパーニュと同じ製法で造られ、4年間じっくり寝かせています。深い黄金色で、きめの細かな泡が繊細。ハチミツ、バタートースト、クレームブリュレ・・・。厚みのある味わいが魅力的でした。シュナンブラン50%、シャルドネ30%、カベルネフラン15%、カベルネソーヴィニヨン5%のブレンド。

 

 


合わせた料理は、プロシュートのオマールエビとカニの詰め物、プチサラダ添え。


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2011042104.JPG2番目は、春の季節に味わいたい色も華やかなロゼワイン。地中海沿岸・ラングドック地方の西、60キロほど内陸に入ったミネルヴォワの造り手です。

 

設立は1990年と比較的新しいのですが、シラーを使ったスパイシーで引き締まった味わいで人気上昇中のドメーヌ。


エチケットがショッキングピンクで、かわいらしいのも特徴です。

このロゼも、グルナッシュとシラーが主体。果実味が豊かで、スパイシーなニュアンスが楽しめました。

 

 

 


料理は、赤ピーマンのムース・ペルノー酒のジュレとウニ添え、桜のクリームチーズのパン詰め、タイの赤飯詰め・笹葉蒸しの3点盛り。


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2011042107.JPG3番目のアリゴテは、造り手に注目です。

 

ムルソーの名門、コント・ラフォンは、長年、メタヤージュといって、別の栽培家に畑を貸し、収穫したブドウを分け合ってワインを造っていました。その畑の多くを1980年代後半まで栽培していたのが、このピエール・モレ氏でした。最高峰モンラッシェを含む4ヘクタールの畑です。造り出されるワインの評判も高く、その腕をかって醸造長として迎えたのがドメーヌ・ルフレーヴでした(2007年まで)。

 


モレ氏が自らの畑で造るビオデナミ100%。酸味が先行しがちなアリゴテも、彼の手にかかると、こんなにも洗練され、豊かなミネラルと樽の香りと溶け合ってクリーンでエレガントな味わいになるのかと、ちょっと驚きでした。

 

料理は、ツブ貝のブルゴーニュ風、子海老のパスタ巻きとともに。

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2011042109.JPG 4番目は、ジョセフ・フェヴレイのコート・シャロネーズ地区のモノポール(単独畑)です。

 

老舗ドメーヌのクラシックなスタイルは、ピノノワールの繊細さを生かしつつ、熟成のポテンシャルを感じさせる安定感があります。

 

 

 

 

 

 

 

料理は、ウナギとタケノコのデュエット、フォアグラ添え。ウナギには赤ワインが合いますね。

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2011042111.JPG 5番目は、イタリア・トスカーナの赤を選びました。

 

トスカーナのボルゲリといえば、サッシカイアやオルネッライア? それと並んで、最近大注目がこのテヌータ・アルジェンティエーラです。


アンティノリが資本参加し、また、ボルドー・サンテミリオンのシンデレラワイン、ラ・モンドットで知られるステファノ・ドゥルノンクール氏もアドバイザーとして参加しています。

 

穏やかな果実味とやわらかな酸、こなれたタンニン、そして樽のニュアンスもバランスよく感じられ、スパイシーな肉料理が恋しくなりました。

 

 


合わせた料理は、仔牛のタラの芽・アンチョビ詰め焼き、カレーの香りを添えた古根(ショウガ)ソースで。

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デザートには、ハーフグレープフルーツとハチミツのパフェ。

 

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今回、参加した皆さんの一番人気は、最初の泡、カドリーユ クレマン・ド・ロワール。それから、ドメーヌ・ピエール・モレのアリゴテ、最後のボルゲリも評価が高かったです。
 

 

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2011.04.23

ワインブログ再開~東京・広尾の「ア・ニュー」でパーカーが満点をつけたラトゥールを飲む!

 

大・大・大・・・お久しぶりでございます。

更新が滞ってしまったこのブログ、心を入れ替えて再開することにします!!
どうぞよろしくお願いします。

相次ぐ余震で、被災地におかれては気が休まらない日々が続いていると思います。心より皆様の平安をお祈りしております。
 

さて、再開第一弾は、予約が取りにくいフレンチレストラン、東京・広尾にある「ア・ニュー」(私も実際、3度チャレンジして振られました!)で先日催されたワイン会をレポートすることにします。
シェフの下野昌平さんは、「ル・ブルギニオン」のオープン時から携わり、フランスでは、トロワグロやタイユヴァンで活躍、代官山の「ル・ジュー・ドゥ・ラシェット」で3年ほどシェフを務めていました。代官山のお店は自宅近くでもあったので、何度か訪ねたことがあります。


今回のワイン・セレクションは、アカデミー・デュ・ヴァンの奥山久美子副校長。ご自宅のセラーで寝かせた、今では入手困難なボルドーのグラン・ヴァンが楽しみです。

 


 ワインリストは以下の通り。


 2000 Jacquesson Grand Cru Avize
  2007 Puligny-Monrachet 1er Cru Les Combettes  (Etiennne Sauzet)
  2001 Chateau Haut Brion (Pesaac)
  2001 Chateau Margaux (Margaux)
  2001 Chateau Mouton Rothschild (Pauillac)
  1995 Chateau Lafite Rothschild (Pauillac)
  1982 Chateau Latour (Pauillac)

 

2011042002.jpg 最初のシャンパーニュは、アヴィーズ村のビオの自社畑シャルドネ100%で造るブラン・ド・ブラン。  「白ブドウから造られる白ワイン」の意味をもつブラン・ド・ブランですが、シャンパーニュでは、コート・デ・ブラン地区のアヴーィズ、メニル・シュル・オジェ、クラマンなどで栽培されるシャルドネが有名です。ドサージュ(シャンパーニュの甘みを調整する砂糖の量)は3.5㌘(1㍑当たり)なので、かなり引き締まった辛口です。

マグナム瓶だったので、特に凝縮感とバランスが抜群でした。


つい最近、1997年ヴィンテージの通常サイズを飲みましたが、最初の印象は青リンゴやミネラル感が強く、香りはおとなしめだったように思います(時間とともにどっしりした広がりが出てきましたけれど)。やはり、マグナム瓶恐るべし、です。


ちなみに、金属の蓋ミュズレを開発したのもこの老舗メゾン(1798年創業)。ナポレオン皇帝の寵愛を受け、結婚式でも振る舞われた話は有名です。また、エジプト遠征、ロシア遠征にと、皇帝が戦いに勝っても負けても販路を拡大し、ナポレオン3世の時代になっても成長は続きました。1867年のパリ万博では100万本を売り上げたそうです。


合わせて、アミューズ3品。古代米のリゾット、タスマニア産オーシャントラウトのタルタル、ベーコンキッシュ。お皿にアミューズがちょうどよく収まるように穴が開いていて、そこにガラスの小器を差し込みます。

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続いて、桜海老のクルスティヤンとキャビアのサンド。駿河産の桜海老をピューレにしてからぱりぱりのえびせん状に仕立てます。サンドしたサワークリームがやさしい味。


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2011042004.jpg二番目の白は、ピュリニ・モンラッシェ村一級畑の中で芳醇さを誇り、最もモンラッシェに近い味わいともいわれるレ・コンベット。エティエンヌ・ソゼの娘婿ジェラール・ブドは1992年から買いブドウからもワイン造りをしているので、ドメーヌ名は冠していないそうです。2007年のブルゴーニュ白は、寝かせずいま飲んでも、おいしいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

料理は、今回私が一番気に入った、冷製白アスパラガスとアワビ・生ハムのコンソメジュレとともに。
ランド産の白アスパラガスは、砂地土壌での露地栽培。茎も太く、独特のえぐみが特徴で、これがとにかくおいしい!! 旬の味を堪能できる幸せを感じます。キャビアが添えられていましたが、こちらはカザフスタン産のベルーガ。最上のものです。お皿に飾られたハーブは、長野産のコウサイタイ。赤紫の茎の菜花です。


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さて、本日注目は、2001年ヴィンテージの3種類のボルドー・グランヴァン。2001年は、「エレガンスの年」ともいわれ、とても上品な味わいが期待できます。

 

コルクの状態も良好です。

 

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2011042008.jpgブラインドでいただきましたが、私が一番おいしいと感じたのは、オーブリオンでした。

メルロ52%(通常37%)、カベルネソーヴィニヨン36%(通常45%)、カベルネフラン12%。メルロの配合が多い分、早く色調が進んでいるようです。チョコレートの甘やかさとエレガントな印象、肉付きもいいです。

2000年が偉大過ぎてかすんでいるけれど、2001年はメルロの年として評価できるのです。

 

 

 

 

 

 

 

2011042009.jpgマルゴーとムートンを比べると、今まで飲んだ印象では、ムートンの方が若干苦手。ムートンというと、色が濃くて、エスプレッソの香りのイメージがあります。若いヴィンテージは固くて深みがイマイチ、10年くらい寝かせると、今度は「もうこんなに老いてしまったの?」というくらいへたり気味。

 

でも、今回のムートンは、ちょっと見直しました。収斂性も強く、時間の変化でこなれていく味わいが楽しめます。ブレンド比率は、カベルネソーヴィニヨン86%(通常77%)、メルロ12%(通常11%)、カベルネフラン2%。

 

 

 

 


2011042007.jpgただ、マルゴーと比べてしまうと、やはりマルゴーに軍配を上げたくなります。

 

オーブリオンよりもさらにチョコレートのイメージが強く、エレガントさに磨きがかかっていました。ブレンド比率は、カベルネソーヴィニヨン82%(通常75%)、メルロ7%(通常20%)、カベルネフラン4%。

 

 

ちなみに、パーカーポイントは、オーブリオン94点、マルゴー93点、ムートン89点。いつもはパーカーの評価とくい違うことが多い私ですが、今回の点数には異論がありません。

 


 

 

料理は、タケノコとフォアグラのソテー・中伊豆ベーコンの泡。こちらも旬の味わいですね。

 

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そして、お魚も赤ワインのシヴェソース。ネギ好きの私はうれしかったけれども、ネギの香りが少々きつく感じました。 


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さて、最後に、1995年のラフィット、1982年のラトゥールをいただきました。

 

 

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2つ比べると、やはり色の違いは明らか。写真ではわかりにくいかもしれませんが、左が熟成が進んでいます。右はまだルビー色で、十数年たった今もまだ若い。

 

 

2011042011.jpg1995年は骨格の年ともいわれます。ラフィットは、カシスの果実味、スギの土っぽさが特徴でしょうか。

 

奥山さんが購入したのは、まだ東京の帝国ホテルでクリスティーズのオークションを行っていたころで、1ケース買いした時の価格は、1本2万円ほど。いえ、私もワイン初心者のころ、1995年のボルドーのグランヴァンをプリムール買いしましたが、今から考えると、驚くほど安い価格だったこと、覚えています。

カベルネソーヴィニヨン75%、メルロ17%、カベルネフラン8%。


 

 

 

2011042012.JPG1982年はボルドーの偉大な年。ラトゥールはミネラルと塩味を強く感じて苦手でしたが、さすが1982年。文句なく、圧倒的なおいしさでした。カベルネソーヴィニヨン75%、メルロ20%、カベルネフラン4%、プティヴェルド1%。

 

1980年代のラトゥールは、生産量を増やして「薄っぺらい感じ」(奥山さん)が多いそうですが、1982年育ちのブドウの力でしょうか。

 

1982年は暑い年で、ボルドー好きの英国人からは酸が足りなくてダメといわれていたのを、パーカーが濃縮感と長熟の可能性を評価。それによって、パーカーは神の舌をもつワインジャーナリストとして、成功を収めます。1982年は、パーカー出世のきっかけになった年でもあるのですね。


ちなみに、パーカーは、1995年ラフィットに95点、1982年のラトゥールには100点をつけています。


 

料理は、肉が続きます。熟成和牛のロティ・トリュフソース。

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デザートは、さくらのパンナコッタ・春の泡とともに。

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アンリ・ジローのロゼと一緒にいただきました。

 

 

 

改めて、本日のワインのラインナップ。並べてみると、こんな感じです。

 

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2011.04.22

新緑の息吹、通りそれぞれに

 並木通りから並木が消えた

  • 銀座桜通りの桜はあでやかな八重桜

 前回、4月1日付けの小欄で、銀座で小料理店を開いていた歌人、鈴木真砂女の話を書いたところ、読者の方から、彼女の銀座についてのエッセイ集に関する問い合わせをいただいた。

 多くの著作をもつ真砂女だが、私の手元にあるものを何冊かご紹介すると、「銀座に生きる」(富士見書房)、「銀座・女将のグルメ歳時記」(文化出版局)、「銀座諸事折々」(角川書店)、「お稲荷さんの路地」(角川文庫)などが挙げられようか。

 改めてぱらぱらとページをめくってみると、真砂女が、店のあった銀座1丁目周辺の街路樹にひとかたならぬ思いを寄せているとわかる文章に幾度も出合った。

  • 花はおおぶりでピンクの色も濃い

 十数年前、角川書店の雑誌「俳句」に書かれた「並木通り」と題した一文には――

 「銀座並木通りの並木が、八丁目から一丁目までごっそり抜かれたのは最近のことである。銀座並木通りの名称は誰もが知るところで、並木の無い現在、何通りと呼ぶのだろうか」「銀座に店を持つということは一つの誇りでもあった。街路樹の無い並木通りを見渡すと何か物足りない。ただ一つの慰めは、一丁目と二丁目の両側の数寄屋橋通りから昭和通りまでの柳と、一丁目のどんづまりの高速道路に沿っての八重桜である。銀座(つう)の人も、並木の無い並木通りを歩いてさびしがるだろう」……。

真砂女が愛した八重桜

  • 銀座並木通りのシナノキ並木。緑がまぶしい

 並木通りの名誉のために申し上げておくと、真砂女が目撃した「並木が消えた並木通り」にはそれからまもなく新しいシナノキの苗木が植えられ、今は大木に成長し、勢いのある新緑が行きかう人々に元気を注入してくれている。並木通りの面目躍如である。6月になると、可憐な黄色い花を咲かせる。

 現在見ごろなのは、真砂女もいつも開花を楽しみにしていたという、銀座1丁目、首都高速道路に沿って走る銀座桜通りの八重桜。ソメイヨシノが散ったあと、大ぶりの濃いピンク色の花が目を楽しませてくれる。澄んだ青空の下で輝くあでやかな姿も美しいが、日暮れ時、街灯の薄明かりの中で浮かび上がる眺めに心がなごむ。

  • (左上)銀座柳通りではシダレヤナギが揺れる、(左下)外堀通りに復活した柳並木、(右)外堀通りの「銀座の恋の物語」碑の上でも柳がそよぐ

 真砂女がエッセイでも時々触れていたもう一つの街路樹は、柳である。

 柔らかい黄緑色の若葉が風に吹かれて、そよと揺れる。風まかせ、か。風になびくシダレヤナギはやはり銀座の春にふさわしく、肩の力がほっと緩まる。

 「昔恋しい銀座の柳」と、西条八十作詞の「東京行進曲」で歌われたのは、昭和の初め。幾度も絶えそうになりながら、柳は銀座に根付いてきた。銀座柳通り、銀座御門通り、そして5年ほど前、外堀通り(西銀座通り)にも、数十年ぶりに復活した。外堀通りの柳並木は、1丁目から8丁目までの約1キロに200本。8年がかりの事業が完成した。

新緑の息吹、通りそれぞれに

 受難続き

  • (左)メインストリートの銀座中央通りにはモミの木が整えられて、(中)昭和通りはイチョウ並木で、色づく秋は美しい、(右)松屋通りを特徴づけるのはハナミズキ

 時の移り変わりの中で、銀座の街路樹は受難続きだった。明治の初め、煉瓦街になった銀座では、西洋の街並みにならって、メインストリートの銀座中央通りに並木をつくる計画が進んだ。松や桜、カエデなどが選ばれたが、銀座はもともと埋め立て地で水分の多い土壌。植えられた木々は根腐れして枯れた。

  • (上)プランタン銀座の花売場に面したマロニエ通り、(下)マロニエのつぼみもふくらみつつあるとき

 代わって植えられたのが、水に強い柳である。ところが、大正時代には車道の拡張で、昭和に入ると東京大空襲での焼失などで、だんだんと姿を消していく。商店主らが補植を試みてきたが、1968年の銀座通り大改修事業で、ほとんどの柳が撤去されてしまった。いま、銀座通りにはモミの木とそれを囲むようにパンジーが植えられており、柳の姿はない。

 プランタン銀座のあるマロニエ通りには、通りの名前からもわかるように、マロニエの並木がある。日本名はトチノキというが、やはりマロニエの方がぴんとくる。新緑のいま、ピンクの花のつぼみが房状に並び、ふくらみ始めている。マロニエ通りも、交差する昭和通りを超えると、幹の色が緑色のアオギリ並木に変わる。ちなみに、昭和通りはイチョウの並木である。

 松屋通りはハナミズキで、清楚な白い花が満開だ。真ん中の大通り、晴海通りには、周囲のビル群にも負けないくらい、背が高く、堂々と立派なケヤキが育っている。

街路樹は通りの個性

  • 立派なケヤキ並木が続く晴海通り

 晴海通りを渡って新橋方面に向かうと、みゆき通りに。そこには、「モクセイ科のヒトツバタゴ」の標識を掲げた木々が植えられていた。別名ナンジャモンジャ。明治のころ、東京・青山の練兵場の道路沿いにあった木で、人々が「(この木は)何の木じゃ?」と言っていたのがいつの間にか「ナンジャモンジャ」と呼ばれるようになったとの逸話をもつ。5月には、プロペラ型の白い花が咲くという。

  • (左)みゆき通りにはナンジャモンジャが植えられている、(右)花椿通りのトウカエデの葉は先が3つに割れている

 さらに新橋寄りの交詢社通りには、中国原産のトウカエデ、また、資生堂の社屋がある花椿通りにはハナミズキの並木が続く。ただし、通りの先頭に数本のツバキの木が植えられていて、これは出雲から贈られたヤブツバキだそうだ。

 東京・中央区役所の水とみどりの課の担当者によると、道路や水道管のメンテナンス時とか古い建物の取り壊し・建て替えの際に、木々の移植が難しく、臨機応変に植え替えることがあるのだとか。ただし、「街路樹はそれぞれの通りの個性を印象付ける重要な要素なので、何を植えるかは、町内会と入念に相談して決める」という。

 通りから通りへ、新緑の息吹の訪れを感じながら、どんな街路樹があるかを見て歩くのが楽しい季節である。

(プランタン銀座取締役・永峰好美)

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2011.04.08

春のトレンドまとう、70年代風スカーフ

 パリから広がった民主化運動

  • (左)今春のファッションは、スカーフがポイントに。ベルトとトートバッグがおそろいで、おしゃれ、(右)スカーフを組み合わせたチェーンネックレスはどこか70年代風(いずれも「組曲」)

 往年の1970年代ファッションが今シーズンの注目トレンドとして急浮上しているそうだ。

 中でもスカーフは、春の軽快なおとなスタイルを装うのに欠かせないアイテムと聞いて、クロゼットの奥にしまい込んでいたスカーフをチェックしてみた。

 いや、出てくるわ、出てくるわ……。一枚一枚広げてみるたびに、買った時や場所の懐かしい思い出も一緒に蘇ってきた。

 1960年代後半、パリで起こった民主化運動は、日本をはじめとする世界各国に広まり、ファッションにも大きな影響を与えたといわれる。流行の主導権がオート・クチュール(高級仕立て服)から徐々にプレタポルテ(既製服)へと移っていったのである。

 1970年代に入って、ソニア・リキエルやカール・ラガーフェルト、ドロテビスのジャコブソン夫妻、ケンゾーやイッセイなどの日本人も含め、プレタポルテ・デザイナーたちの仕事が注目される。イヴ・サンローランやカルダン、クレージュ、ウンガロなどのオート・クチュールのデザイナーたちもプレタのコレクションに力を入れ始め、自由なムードが洋服全体にあふれてくるようになった。

ファッション誌の鮮烈な記憶

  • 80年代後半から買い集めた私のエルメススカーフコレクション

 同時に、グッチやエルメス、ルイ・ヴィトンなど、高級皮革製品を扱う老舗ブランドのファッション雑貨人気が高まっていった。

 1970年に平凡出版(当時)から出版されたファッション雑誌「アンアン」は、美しいヴィジュアルが衝撃的だった。当時中学生だった私は、友人のおしゃれなお姉さんから「アンアン」を見せられながらファッション講義を受けたことを覚えている。

 リセエンヌルックとか、フレンチシックとか、BCBG(ベーセーベーゼー=上品なトラッドスタイル)とか、ブリティッシュトラッドとか、その時はよくわからなかったけれど、おとなになると素敵なファッションが楽しめるのだと、期待に胸をふくらませた。確か、ルイ・ヴィトンのバッグやエルメスのスカーフ「カレ」を知ったのも、「アンアン」だった。

  • 今も大切にしているグッチの「フローラ」

 とはいえ、1970年代後半、大学生になった私は、大学がアメリカンな雰囲気であったせいか、普段のキャンパスでは、これも平凡出版から創刊されたばかりの「ポパイ」や「オリーブ」をお手本に、アメリカンカジュアルに流れていった。ベルボトムのジーンズ、UCLA、スニーカー、ヘビーデューティーウエア……。当時の西海岸風アメカジのキーワードだったと思う。

 そんな折、商社マンだった父が母へのプレゼントに、グッチのスカーフを買って来た。色とりどりの花があしらわれた美しいデザインで、モナコのグレース王妃のために特別にデザインされた「フローラ」プリント。そのエレガントさに、目がくぎ付けになった。とてもうらやましくて、私は母に、大事に使うから共有させてと、提案した。このイエローの「フローラ」は今も大切にしている。

今年風、スカーフの着こなし

  • (左上)肩にかけてふわっとたらした自然なアレンジがおすすめ、(左下)胸元で結ぶ定番の結び方も根強い人気、(右上)背中の面積はおおきめにとると美しい、(右下)スカーフリングを胸元で止めて(いずれもプランタン銀座本館1階)

 社会人になって、記者として海外取材の機会が増え、少しずつ買いためたのが、憧れだったエルメスのスカーフ。アフリカ、仮面舞踏会、サーカスなど、シーズンによって変わるテーマも楽しみで、店頭で選んでいると、時が経つのを忘れた。80年代後半から90年代の初めにかけてのことだ。

 クロゼットの奥から蘇ったスカーフたちは、当時と変わらず、発色が鮮やか。20年以上経っているのに、質感も変わらず、老舗メゾンの底力を感じさせてくれる。

  • バッグに結んでヴァリエーションを楽しむ

 90年代には、エルメススカーフのアレンジの仕方マニュアル本が出るなどして、凝った結び方に四苦八苦してチャレンジしたものだ。では、今シーズンのスカーフはどんな風に使うのがいいのだろう。

 プランタン銀座のファッション雑貨売場担当がおすすめするのは、肩にかけてふわっとたらした自然なアレンジ。ほかに、三角に折って、胸元でくるくると巻き込んだ結び方(確か、ガールスカウト結びといっていました)も定番。背中の面積を大きめにとるのが、華やかさを演出するポイントとか。ポリエステルが3千円台から、シルクが4千円台から。

 スカーフリングを使う時は、胸のあたりでゆるく止めると今年風に。バッグに結んでみるのも、変化があってよさそうだ。

ワンピースやブラウスにも

  • (上)ヘアバンドでさわやかな印象に、(下)右上から時計回りに、シュシュ、ヘアバンド、ブローチ、カチューシャ(すべて「組曲」)

 さらに、スカーフを使った雑貨類が充実しているのも、今シーズンの特徴。プランタン銀座本館3階の「組曲」で見つけたのは、カチューシャやシュシュ、ヘアバンドなどの髪飾りや、ブローチ、ネックレス、それにキャンバストートバッグにベルトなど。

  • (左)ヴィンテージスカーフを使ったワンピースが人気の「ソロ プリュス」、(右)私の春のワードローブに加わったちょっとレトロなブラウス

 私のイチオシは、本館4階の「ソロ プリュス」のヴィンテージスカーフを使ったワンピースやブラウス。フランスのデザイナー、サミー・シャロンが一点もので作っているもので、私は、春のワードローブに、鮮やかなピンク系のブラウスを加えた。

 昔からのお気に入りを使うのもよし、エキゾチック柄の新作を取り入れてみるのもよし。

 おとな世代だからこそ余裕でできる、スカーフのアレンジ、あなたも挑戦してみませんか?

 (プランタン銀座取締役・永峰好美)

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2011.04.01

波乱の俳人・鈴木真砂女

 命をつないだ「幸稲荷神社」

  • 命をつないだ伝説のお稲荷さん、銀座1丁目の「幸稲荷神社」

 東京・銀座1丁目の並木通りに、赤い鳥居がひときわ目立つ「幸稲荷神社」がある。江戸時代から続く歴史ある神社で、京都伏見稲荷大社から勧請(かんじょう)したもの。銀座の商売の守り神として、街の人々から親しまれている。

 3年ほど前、周辺の再開発の話が持ち上がり、住民の反対にもかかわらず、移転余儀なしの声が上がっていた。ところが、リーマンショックの影響で開発業者が撤退。鳥居の後ろにそそり立ついちょうの「御神木」ともども命をつないだ伝説のお稲荷さんなのである。

 神社の裏手の路地に、歌人、鈴木真砂女の小料理店「卯波」があった。店は、取り壊しの難を免れることができなかったのだが、ちょうど1年ほど前、神社の隣りに建ったビルの地下で再オープン、真砂女の孫に当たる今田宗男さんが継いでいる。

 真砂女は、著書「銀座に生きる」の中で、幸稲荷についてこう記している。

 「角の幸稲荷は江戸時代からあり、昔太刀の市がたったとかで太刀売り稲荷と呼ばれていたそうだ。銀座にはたくさんのお稲荷さんがあるが、ここは札所一番で、銀座まつりのときは、ひっきりなしにお詣り人達がスタンプを押して貰っている。お客さんに場所を教えるにも、並木通りのお稲荷さんの路地、魚屋のとなり、というとすぐわかるようだ。(中略)私は至って無信心だが、このお稲荷さんには毎晩10円あげて拝んでいる。もう30年続いている……」

 お稲荷さんの蘇り伝説は、店の再興をも可能にした格好だ。

姉の遺稿に誘われ

  • 再オープンした「卯波」の目印は、しゃれたのれんと小さな灯篭

 俳句に不案内な私が真砂女について詳しく知ったのは、彼女をモデルにした瀬戸内寂聴さんの小説「いよよ華やぐ」だった。

 明治39年、千葉県鴨川市の老舗旅館に生まれた真砂女は、22歳の時、東京・日本橋の問屋の息子と恋愛結婚、女児をもうけた。だが、夫は博打に入れ込んだあげくに失踪。波乱の人生が始まる。

 実家に戻って家業の旅館を手伝っていたところ、ほどなく女将を継いでいた姉が急死する。家業の存続を望む両親のたっての願いで、義兄と再婚、30歳を前に旅館の女将になった。しかし、夫とはどうしても心が重ならない。著作の中で、真砂女は、「夫は良い人だ。だがどうしても好きにはなれない」と告白している。

 俳句をたしなんでいた姉は、たくさんの遺稿を残していて、その整理をしていくうちに、俳句の世界にひかれていった。のちに久保田万太郎に師事、俳句結社「春燈」に所属。句集「都鳥」で読売文学賞、「紫木蓮」で蛇笏賞などを受賞した。

一人になり、開いた「卯波」

  • 句集の表紙に使われた真砂女の写真から

 旅館に泊まった7歳下の家庭のある海軍士官と恋に陥ったのは、30歳の時。日中戦争まっただ中のころである。やがて出征のため長崎に配転された彼を追って家出する。その後、再び家に戻るが、昭和32年(1957年)、50歳でついに離婚を決意した。

 そして始めたのが、お稲荷さんそばの小料理店であった。店を借りる際は、親交があった作家の丹羽文雄が保証人になってくれたそうだ。俳句仲間や文壇の作家たちに支えられながら、店は小さいながらも銀座の名店の一つに数えられるまでに成長していった。

 店名の「卯波」は、真砂女の代表句「あるときは舟より高き卯波かな」に由来する。

 2003年、96歳で亡くなるが、90歳を過ぎてもずっと店に出ていたという。

 今も店に集まるのは、真砂女の時代から通う常連客が少なくない。お品書きにも、昔からの名物を残している。甘辛たれの効いた新ジャガ揚げ煮、カキ醤油の旨みを生かした自家製揚げ豆腐、豚バラ肉の串焼き、具だくさんのポテトサラダ、シジミのニンニク醤油漬け……。

 今田さんは、句集の表紙に使われた写真を見せながら、「このまんまの人でした」と、振り返る。上品な笑顔、凛とした容姿が本当に美しく、こんな風に年を重ねられたら素敵だなと思わせる。

カウンターに「波郷の席」

  • 左上)「卯波」の名物料理から、一番人気の新ジャガ揚げ煮、(左中)自家製揚げ豆腐、(左下)豚バラ肉の串焼き、(右上)具だくさんのポテトサラダ、(右中)タラの芽のてんぷら、(右下)シジミのニンニク醤油漬け、シジミの粒がぷりぷりで大きいです

 ほろ苦い春の味覚のタラの芽のてんぷらをつまみながら、「真砂女の入門歳時記」で、桜の季節の俳句をいくつか拾ってみた。

 夕桜あの家この家に琴鳴りて (中村草田男)

 ゆで玉子むけばかがやく花曇 (中村汀女)

 花衣ぬぐやまつはる紐いろいろ (杉田久女)

 釣り上げし魚が光り風光り (鈴木真砂女)

 壷焼やいの一番の隅の客 (石田波郷)

 「壷焼や」で始まる句について若干補足しておこう。当時、数寄屋橋にあった朝日新聞社で俳壇の選句をすませた波郷は、十分とかからない「卯波」に立ち寄るのが習わしで、サザエの壷焼きを好んで注文していたそうだ。入ってすぐカウンターの左の隅が定席で、いまもこの席は、俳人たちの間で「波郷の席」と呼ばれている。

 ちなみに、店名の由来になった句「あるときは舟より高き卯波かな」について、ご本人は著書の中でこう解説している。

 「人生も浪の頂上に()つときもあれば奈落に落ちることもある。そして又浮かび上がる……」

 真砂女の、そして人間の強さを感じさせる一句を、いま一度かみしめたい。

 (プランタン銀座取締役・永峰好美)

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永峰好美のワインのある生活

<Profile> 永峰 好美 日本ソムリエ協会認定シニアワインエキスパート。プランタン銀座常務取締役を経て、読売新聞編集委員。『ソムリエ』誌で、「ワインビジネスを支える淑女たち」好評連載中。近著に『スペインワイン』(早川書房)