グラフィック・デザイナーで、ワイン愛好家としても著名な麹谷宏さんの主催で、「眠れる巨人」を飲み干す会というドキドキわくわくするワイン会に参加しました。
場所は、恵比寿のシャトー・レストラン「ジョエル・ロブション」。ボルドー5大シャトーとクリスタルの素晴らしいヴィンテージを、すべてマグナムでいただく、とってもゴージャスな企画です。
いずれも、麹谷さんが自宅のセラーで長年ゆっくり熟成させたボトル。
私は新聞記者時代、企画でセラーをのぞかせていただいたことがあるのですが、それはそれは素敵な地下室で、「私もワインになってここで眠りたい!」と思ったほどでした。
ワインリストは以下の通りです。
ルイ・ロデレール クリスタル 1994
シャトー・オーブリオン 1983
シャトー・ラトゥール 1978
シャトー・ムートンロートシルト 1976
シャトー・ラフィットロートシルト 1970
シャトー・マルゴー 1967
(すべてマグナム)
ワインの状態はパーフェクトでした。恐るべし、麹谷セラー!です。
「クリスタル」は、白トリュフのような芳醇な香りを十分楽しめました。
泡も繊細で口当たりがやさしく、熟成したシャンパーニュの素晴らしさを経験しました。
スモーキーな葉巻の印象、スパイシーな力強さを感じる「オーブリオン」、
筋肉質で骨太で偉大なる存在感で迫る「ラトゥール」、
コーヒーのような香りのニュアンス、90年代の華やかさはないけれど控えめでやさしい味わいがかえって愛おしくなる「ムートン」、
シルキーでエレガントで、ブルゴーニュワインにも似たクリアな表情をもち、「これぞ熟成の極致」の声も上がった「ラフィット」。
私は、若いヴィンテージではどちらかといえばアミノ酸の印象が強くて苦手だった「ラトゥール」が、熟成を経ると、こんなにしなやかに素晴らしく仕上がることに大いに感激しました。まだしばらく置けるくらい若々しさも感じました。
16人の参加者の人気投票で、一番だったのは、「マルゴー」でした。
いきいきした酸、凝縮感のある豊かなボディ、繊細さ、甘やかで官能的な誘惑・・・。
「いまだ紫色の力強さを感じる。マグナムの力ですね」と、麹谷さんも「マルゴー」に一票でした。
では、料理もご紹介しましょう。
アミューズブーシュは、レモンゼリーにウイキョウの香りのムース、タプナードをのせて。爽やかな味です。
上品なブーダンノワールはフォアグラと共に。
テクスチャーがとっても繊細なガトー仕立てです。ピスタッチオのメレンゲは焼き菓子風。相性のいいリンゴがアレンジされて、シードルとハチミツのソースとともに供されました、
このブーダンノワールのスタイルはパリのレストランでも流行でした。
パンもいろいろ。昔よりもバリエーションが増えて、楽しい!
アンチョビ入りミニクロワッサンやバジルのフォカッチャ・・・。
帆立貝のポワレは、シチリア産アンチョビのちょっぴり塩味でアクセント。ユリ根のカプチーノは甘さが際立ち、帆立貝との微妙な味のバランスが絶品でした。サルディニア産のフレゴアというパスタはリゾット仕立てに。
タスマニアのサーモンは低温でゆっくり火入れ。タマネギ、ピーマン、トマト、生ハムなどを炒め煮したバスクの伝統料理ピペラードを添えて。
大山地鶏は筒状にして、72度の低温で1時間20分蒸し上げたという料理。とろけるようで、鶏肉の繊維が全然感じられませんでした。エシャロット、無臭ニンニク、ベーコン、小さなチイタケ(かわいい!)などをアレンジした赤ワインソースで。
デザートは、リンゴと干しブドウとクルミのクランブル。
美味しいミニャルディーズ
さて、ボルドー5大シャトーについては、様々な挿話を伝え聞きます。せっかくの機会、麹谷レクチャーを中心に、頭を整理する意味でまとめてみました。
長くなりますが、歴史的エピソードは面白いので、ご興味のある方はぜひお付き合いください。「ワインの女王」(山本博著)も参考にしました。
まず、シャトー・オーブリオン。
1855年、パリの万国大博覧会の目玉商品として、フランスで最高のワインを出品することになりました。そこで、ボルドー・メドックで赤ワインの格付けが行われたのですが、ラフィット、ラトゥール、マルゴーと肩を並べて、メドック以外から選ばれた唯一のワインが、オーブリオンです。
80年代では、82年、83年、85年、86年、88年、89年、90年が素晴らしいといわれています。
16世紀のころは、「ポンタック」の愛称で呼ばれていたそうで、今でもボルドーの古いネゴシアンの間では使われているといいます。
当時のメドック周辺は治安が悪く、最初にボルドーワインとして発達したのは、オーブリオンのあるグラーヴ地区でした。ボルドー市議会に勤めていたジャン・ド・ポンタックが妻の持参金として土地を受け取り、以来200年同家の所有になったところに由来しています。
1785年に駐仏全権大使として渡仏した後の米国第3代大統領のトーマス・ジェファーソンは大変なワイン好きで、フランス中のワイン産地を旅しています。ジャフェーソンは、ボルドー赤の中でもオーブリオンが一番米国人の舌に合うと絶賛、ホワイトハウスにも大量に送っています。したがって、ホワイトハウスの晩餐会で最初に供されたフランスの極上ワインは、オーブリオンということになるようです。
その後、1801年に売りに出された時、手に入れたのが、ナポレオンの外相で美食外交の元祖として有名なシャルル・モーリス・ド・タレーラン・ペリゴール。
映画「会議は踊る」では、メッテルニヒをはじめヨーロッパの各国元首を手玉に取った傑物として描かれている人です。お雇いシェフ、アントナン・カレームが作り出した数々の美食には、常にオーブリオンが花を添えたといいます。
このように評判の高いオーブリオンゆえ、1855年の格付けの際に選ばざるを得なかったということでしょうか。
しばらくぱっとしなかった時期もありましたが、1935年に米国カ銀行家、クラレンス・ディロン(息子のダグラスは、ケネディ大統領の財務長官)が買い取り、孫娘でムーシィ公爵夫人であるジョアンが継承。1960年、グランクリュの中で初めてステンレスの発酵タンクを設置するなどして品質が一気に向上しました。
ちなみに、1875年、フランス全土を襲ったブドウの疫病、フィロキセラ対策のために、米国の苗木に接木して凌いだのも、オーブリオンが最初だったとか。米国とはどこか因縁深いワインです。
お次はシャトー・ラトゥール。
78年は良い年ですが、麹谷さんの娘さんの生まれた年でもあるそうです。
ラトゥールは、ポイヤックの3つの1級シャトー(ラフィット、ムートン、ラトゥール)の中で一番南にあり、また、一番ジロンド川に近い場所にあります。
一般に不作とされる年でも、このシャトーが非常に良いワインを生み出すことは定評があり、「これだけ条件が整っていればだれでも良いものができる」と嫉妬心いっぱいにささやかれるほど。「ジロンドの恵み」を独り占めしているのです。
その昔、英国との百年戦争の舞台になったともいわれ、ラトゥールのエチケットには、往時の要塞を物語る塔がシンボルとしてデザインされています。現在でもシャトー・ラトゥールのブドウ畑の中に丸屋根の塔がぽつんと残されていますが、これはずっと後の17世紀に建てられたものだそうです。
17世紀後半、セギュール家が持ち主になり、以後300年近く所有、そのころからメドックのシャトーもグラーヴに追い付くほどめきめき腕を挙げてきて、主に英国の上流階級の間で大ブレイクしました。
セギュールといえば、バレンタインデーによく登場するハートのデザインのワイン、カロン・セギュールを思い出します。セギュール家のニコラは、どうやらラトゥールよりも、サン・テステフにあるカロン・セギュールの方にゾッコンだったらしいのです。
1960年代になって、このお金のかかる偉大なシャトーを維持できなくなって、英国のピアソン家に売ってしまいます。最近では、1993年にフランス国内で小売業で財を成したフランソワ・ピノーの所有に。グッチやイヴ・サンローランなどを傘下に置くピノーグループは、つい最近までフランスのプランタンも所有していた財閥です。
フランソワ氏はモダンアートの収集家としても知られていて、セーヌ川に浮かぶルノーの工場跡地に美術館を建設する計画を発表していましたが、実務の遅れから断念したとも伝えられています。
次に、シャトー・ムートンロートシルト。
歴史をひもとけば、18世紀後半、フランクフルトのユダヤ人街の一両替商だったマイヤー・A・ロスチャイルドの5人の息子の成功話から始まります。5人は、フランクフルト、ロンドン、パリ、ウィーン、ナポリで互いに助け合いながら政商として巨額の富を築いで、ロスチャイルド財閥の基盤を作りました。
ロスチャイルド財閥といえば、新橋と横浜間の最初の鉄道敷設や日露戦争、関東大震災後の復興などの融資元として日本との関係も深いですね。
この5人兄弟のうち、有名なのは、3男のロンドンのネイサンと5男のパリのジェームズ。
ネイサンの息子、ナサニエルは、1853年、ボルドーのトップクラスといわれたシャトー・ムートンを買いました。しかし、1855年のメドック格付けでは、第2級に。畑と建物の荒廃が理由でしたが、実際はロスチャイルドの国籍や新参者への反目があったのではないかといわれています。
そして、100年を越す努力の結果、ついに1973年、ムートンは一級に格付けされる時を迎えます。これは、ボルドーのワインの歴史の中でも例外中の例外。
「われ一位なり。かつて二位なりき。されどムートンは変わらず」と、同シャトーは記しています。ちなみに、この時の農業大臣はジャック・シラクでした。
ムートンの大成功の裏には、1923年、20歳でシャトーを任されて1988年に亡くなるまで様々な改革をしたバロン・フィリップ(かなりのプレイボーイだったらしい。でも、ワインはまさに天職だったようで)の存在があります。
特に、他のシャトーにも呼びかけて、いわゆるシャトー元詰めを始めた功績は大きいといわれています。それまでメドックでは、樽のままボルドーのワイン商人に販売され、彼らの手で熟成、瓶詰め、販売されていたのです。
ミロ、ピカソ、シャガールなど、著名な画家にモダンなデザインのエチケットを発注したことでも知られています。デザイナーだった夫人の影響もあり、ワインにまつわる美術品の蒐集を始め、シャトーの一角に美術館も建てています。
続いて、シャトー・ラフィットロートシルトです。
前項でお話したロスチャイルド家5人兄弟のうちフランスを受け持ったパリのジェームズが、1866年、自分の邸宅のあったラフィット通りと同じ名前だから買ったと伝えられています。
もともとラフィットは、先に登場したセギュール家所有の時代に名前を知られるようになり、ルイ15世の愛妾マダム・ポンパドゥールのお気に入りのシャトーでした。
当時、マダム・ポンパドゥールとコンティ王子がフランス最高の畑を手に入れようと競ったことがありました。狙いの的は、ブルゴーニュ。そして、王子の勝ちとなり、自分の名前を付けた「ロマネ・コンティ」を手に入れることに。
争いに敗れたマダム・ポンパドゥールは悔しくて仕方がありません。そこで、「これこそ本当のフランスワインの最高峰」としてラフィットを勧めたのが、ボルドーに島流しにあっていたリシュリュー男爵(「三銃士」に登場するリシュリュー宰相の親戚筋らしい)です。
男爵は、60歳のときに25歳の姫君と再婚するなど、かなりのドン・ファンでした。久しぶりにヴェルサイユに戻って、ルイ15世から若さの秘訣を尋ねられたところ、「強壮剤として医者からラフィットを勧められた」と答えたそうな。
かくして、マダム・ポンパドゥールはその豪奢な晩餐会の食卓にラフィットを欠かさないようになったといいます。
ちなみに、1970年、72年は、素晴らしい年でした。
最後は、シャトーマルゴーです。
フランス文化の華、ワインの女王・・・。マルゴーを形容する言葉はいろいろあります。
大戦後、米国の企業がシャトーを買いに乗り出した時、フランス政府は、「シャトー・マルゴーを売るのを認めることは、エッフェル塔やモナリザを手放せというのと同じこと」と、反論したといいます。
ラトゥールには古塔と瀟洒な邸宅があり、ムートンには輝かしい美術館があり、ラフィットにはフェリエール宮から運び込んだ由緒ある家具があります。
でも、佇まいの気品さ、優雅さからいえば、美しく整えられた並木道の奥から姿を現すシャトー・マルゴーの神々しさは群を抜いているのではないでしょうか。
ギリシャ風の円柱を並べたファサードをもつ建物は、典雅で端正。フランスのエスプリとシックさが結晶しているといえましょう。
シャトー・マルゴーの栄光の歴史には、常に女性たちの影があることも特徴です。
1960年代後半から評価が落ち出したシャトーを蘇らせたのは、1977年、ギリシャ出身でフランス全土に展開するスーパーチェーンで成功したアンドレ・メンツェロプーロス。当代きっての醸造学者、ボルドー大学のエミール・ペイノー教授に教えを乞いました。
アンドレ亡き後も、妻のローラ、そして娘のコリーヌが引き継ぎ、シャトーは不死鳥のように昔の輝きを取り戻しているのです。
今回の饗宴のテーブルセッティングもおしゃれでした。
テーブルの中央に並べられたのは、麹谷さんがヴェネツィアで製作しているワインクーラー。
手作りなので、色も形も、同じものはありません。
グリーン、レッド、ブルー、薄墨色・・・。
クーラーの背後に写しこんでしまいましたが、アカデミー・デュ・ヴァン副校長の奥山久美子先生です。奥山先生は、このクーラー、3つも持っていらっしゃるそうです。
こうやって、並べてみると、なかなか壮観でした。