江戸のメディアを席巻
その昔、江戸のメディアを席巻した
もともとは浮世絵師、最先端をゆく「
その京伝に恋してやまない女性がいる。
小欄の2009年4月3日付でご紹介した「銀桜まつり」の仕掛け人で、「銀座おさんぽマイスター」なる肩書をもつ岩田理栄子さんだ。
岩田さんは、政府系の財団で十数年、女性を対象にした相談事業や編集企画に携わり、その経験を生かして、コミュニケーションスキルを磨くビジネスコーチとして独立した。もともと大の銀座好き。交流ができた経営者たちを銀座の街に案内し、銀ブラしながらコーチングしたところ、とても喜ばれた。
「資生堂の福原会長がおっしゃっていることですが、銀座は、ご縁という『えん(円)』が流通して機能している、とてもユニークな商業の街。銀座を支えている人たちを掘り起こして、この街の魅力を多くの人たちに伝えたい、銀座の街を盛り上げるのに少しでもお役に立ちたいと思って、銀座のおさんぽイベントを定期的に開くようになりました」
銀座を歩いてご縁をつなぐ
街歩きをしながら、老舗をはじめとするさまざまな店舗の主人と、銀座を楽しみたいと思ってやって来る人々の橋渡しをする。苦労話を聞いたり、実際にものづくりを体験してみたり。「私自身ご縁に助けられながら、またひとつ新しいご縁をつないでいくといった仕事をしています」(岩田さん)。
銀座の歴史を調べる中で、京伝に出会った。そして、京伝に対するひたむきな思いは、周囲にいる銀座の経営者らをも巻き込んで、昨年、「京伝ラブ銀座研究会」という極めて私的な勉強会まで立ち上げてしまった。
京伝といえば、私はまだ学生時代だったと思うが、井上ひさしさんの「手鎖心中」でその名を知った。
京伝は、銀座中央通りに面した銀座1丁目のいまは外車の展示場になっているあたりで、「煙草入れ屋」を開業している。33歳のころだった。
井上さんの小説では、「今流行の
商品に遊び心を加えて大ヒット
作家として原稿料というものを受け取るようになったのは、世の中で京伝が最初らしい。とはいえ、収入は少なく、創作だけでは生活ができない。しかも、1791年(寛政3年)、洒落本3作が禁令を犯したという理由で筆禍を受け、見せしめに手鎖50日の処分を受ける。その謹慎生活のころから、商人京屋伝蔵の色彩が濃くなっていったようで、そのあたりのことは、京伝の研究家、小池藤五郎氏の「人物叢書 山東京伝」(吉川弘文館)に詳しい。
それまで描きためた浮世絵を売って資金を作り、開業した。愛煙家で洒落者、赤や黄色の派手な
注目すべきは、その売り方だ。
「新形煙草入新店」という
店頭では、煙草入れをこの摺紙に包んで売ったので、摺紙見たさに、煙草もよく売れた。また、よく当たると評判の愛宕神社のおみくじをおまけで付けたりもした。
現代に通じる偉大なマーケッター
「煙草入れ屋」跡地の隣には、銀座に珍しく煙草屋さんが……。なにかのご縁?
さらに、友人の浮世絵師・歌麿や戯作者の
このころ、恋女房のお菊を病で失う不幸に見舞われるが、商売は大成功。相当の資力ができたようで、近くの土蔵付きの医者の売家を買い取った。家の前には竹を植え、垣をめぐらし、門には「山東庵」の額をかけ、隠者めかした構えだったという。
「草双紙の作は、世を渡る家業ありて、かたはらに、なぐさみにすべきものなり」を地でいく一生だった。
「人が何かをほしいと思っているとき、無意識の欲求に訴えかける物語を作れる人でした。京伝は今でいえば、立派なマーケッター。その輝く生き方は、21世紀の私たちに楽しい啓示を与えてくれます」と、岩田さんは強調する。
将来、銀座を舞台にした映画を製作するのが、岩田さんにとって夢なのだとか。そこには、乙粋な羽織を肩に引っ掛けた色男の京伝が、ヒッチコック映画のように、ちらりと横顔をみせるのかもしれない。
(プランタン銀座取締役・永峰好美)