2010年4月アーカイブ

2010.04.27

モニカやら、ファランギーナやら

プランタン銀座でも好評だった「イタリアワイン周遊フェア」。

その中から6本を選んで、私のワイン講座でも生徒さんにご紹介してみました。

 


ワインリストは次の通りです。

品種とアルコール度数、生産者についても記してみました。


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左から、

2006 マクリーナ ヴェルディッキオ・デイ・カステッリ・ディ・イエージ
DOC クラシコ・スペリオーレ
品種 ヴェルディッキオ100% 13.0% 
ガロフォリ社(マルケ州)
2006 ルナータ ファランギーナ IGT
品種 ファランギーナ85% グレコ15% 12.0%
ムスティッリ社(カンパーニャ州)
2005 ヴァンナ ドルチェット・ダルバ  DOC 
品種 ドルチェット100% 12.5%
ヴァンナ・アンセルマ(ピエモンテ州)
2007 カザマッタ・ロッソ 
品種 サンジョヴェーゼ100% 12.5%
カンティーナ・マッタ(トスカーナ州)
2006 モンテプルチアーノ・ダブルッツォ DOC
品種 モンテプルチアーノ100% 13.0%
マッシャレリ(アブルッツォ州)
2006 デュカ・ディ・マンダス モニカ・ディ・サルディーニヤ DOC
品種 モニカ90%、パスカーレ、カリニャーノ 13.0%
カンティーナ・トレセンタ(サルディーニヤ州)

 

白2種類と赤が4種類です。

生徒さんには、「どれが好みですか?」とお聞きするのですが、
白2種類は、ちょうど半々くらい。好みが分かれました。

 

 

10042702.JPGガロフォリ社は、1871年創業。トスカーナ州の東側、アドリア海に面したマルケ州の真ん中あたり、モンテカロット地区に畑があります。

この地方生まれの土着品種を使って素晴らしいDOCワインを造ることに尽力しているファミリー。白はヴェルディッキオ種、赤はモンテプルチアーノ種が中心。


名前のイェージは、古代ローマ時代から続く古い街です。


フレッシュな柑橘系の香りが広がります。まったく嫌味がなく、さわやか。「夏はぎんぎんに冷やして、ぐびぐび飲めそう!」と、頼もしいコメントをいただきました。

 

 

 

 

10042703.JPGファランギーナ種は、私のかなり好きな品種です。


ムスティッリ社というのは、マストロベラルディーノ、フェウディ・ディ・サングリゴリオと並ぶ、ナポリのあるカンパーニャ州の3大ファミリーメーカーの一つ。創業は16世紀初頭にさかのぼる老舗です。

特に、この土着品種を掘り起こし、単一品種で醸造したのはムスティッリが初めてとか。


醸造コンサルタントを務めるのは、キャンティの名門ルッフィーノのマオロ・オルソーニ氏。これも土着品種のグレコ種がブレンドされているタイプです。


酸のきれもよく、あと味にちょっとグレープフルーツの皮をかんだ時のような柔らかな苦味が残り、余韻を楽しめます。魚介類のカルパッチョやパスタなんかと合いそうです。

 

 

さて、赤4種類もそれぞれに美味しかったのですが・・・

票が集まったのは、モニカとカザマッタでした。

 

10042704.JPGサルディーニヤ州は、住民の独立心が強いことでも知られていますが、興味深い品種がたくさんあります。

 

白のヴェルメンティーノ、マンゾーニ・ビアンコ、ヴェルナッチャ・ディ・オリスターノ、赤のカンノナウ、カリニャーン、パスカーレ、そして、今回のモニカなどがあります。


プラム、ドライフルーツの果実味が豊かですが、酸は穏やかでどこまでも優しい印象。「ところを選ばず、飲みやすい!」との声が上がりました。 

 

 

 

 

10042705.JPGカザマッタは、人気コミック「神の雫」ですっかり有名になったワインです。

 

上級クラスのテスタマッタ(世界最大のワイン見本市2003年に、赤ワイン部門トップ受賞)にはちょっと手が出ないという人に、「僕のワインを少しでも知ってもらいたい」と、生産者のビービー・グラーツ氏がコストパフォーマンスを考えて造ったワイン。


新樽にブドウがを直接入れて発酵させる彼の手法は、いま、ボルドーでも話題になっているようです。


いきいきとした果実味、凝縮感もあり、酸とタンニンのバランスもいい。


2000円でお釣りがくるのだから、日常飲み用として重宝しそうです。

 

 

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2010.04.24

イタリアは奥深い!

  ワイン通の友人と一緒に、西麻布にあるイタリアワインと料理のマリアージュが楽しめる「ヴィノ・デッラ・パーチェ」に行きました。「アカデミー・デュ・ヴァン」のイタリアワイン講座はあっという間に満席になってしまうという、人気講師の内藤和雄さんがソムリエを務めるお店です。


 もちろん、料理もワインも、内藤さんにすべてお任せです。

 

 

10042301.jpg まずは、泡!

NVフランチャコルタ「カヴァッレーリ」ブラン・ド・ブラン ブリュット


自社畑のシャルドネ100%、シャンパーニュ方式で造られたスプマンテ。酸がしっかりしていて、ふくよかさもあり、お気に入りの一つでもあります。


 

 

 

10042302.jpg甘みのあるハムのペースト入りシューをいただきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

続いて、手の部分がお皿をはみ出すくらい立派なエビのお料理。


 

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ジェノヴァがあるリグーリア州、ポッジョ・バラコーネのロゼワインを合わせました。

かなり濃いオレンジ色がかったルビー色。カンパリ・オレンジに近い色は強烈。単体で飲むのというよりも、やはり料理の引き立て役といった印象のロゼです。フレッシュな味わいは、魚介類との相性バッチリですね。


 

パスタ料理です。ソラ豆と白魚が旬!ですね。


 

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白ワインはといえば、

2006 ローラ(プラヴィス)


イタリア最北部、トレンティーノの白です。

「ローラ」は「l'Ora」と書きます。ガルーダという名の湖から吹く黄金のそよ風をAura Aureaと呼び、名前の由来だそうです。

品種はノジオーラ。麦わら色を帯びた黄色で、上品で、ヘーゼルナッツのような独特な香りがあり、あと味にほろ苦さが残り、気に入りました。

 

 

 

 

詰め物入りの名物パスタをいただき、


 

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お口直しのグラニテのあとは、赤ワインに。

 


10042309.jpg1999 アリアニコ・デル・ヴルトゥーレ リゼルヴァ (テヌータ・デル・ポルターレ) 

南部のバジリカータ州産、古代にギリシアから伝えられたアリアニコを使ったワイン。

10年経っているのに、まだまだ若々しい!

プラムやラズベリー、スパイシーな香りがとっても豊か。

 

 

 

 

 

 

 

お料理は、ウズラです。

 

 

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そして、もう1杯、赤をいただきました。気分を変えて、サンジョヴェーゼ!


 

10042311.jpg2006 モンテクッコ・サンジョヴェーゼ リゼルヴァ (ポッジョ・レオーネ)

トスカーナ州のモンタルチーノのお隣の小さなワイナリーから。

スミレの花、というよりも、土っぽさ、森の下草・・・。タンニンも心地よく、骨格のしっかりした辛口。サンジョヴェーゼ100%。

 

 

 

 

 

 

 

 

デザートは、ピスタッチオのクレームブリュレ。

 

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最後は、デザートワインではなく、やはり泡で締めたい!

と、フランチャコルタをもう1杯いただいた私たちでした。  

 

イタリアワインは、本当に奥深い!

古来からある地元品種の見直しが進むイタリアワインから目が離せません。  

 

なお、プランタン銀座のワイン売場でも、4月26日(月)まで、

大好評のイタリアワイン周遊フェアを開催しています!

フランチャコルタをはじめ、多様なワインがそろっていますから、要チェックですよ。

 

 

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2010.04.23

今だから新鮮な銀座レトロ・スポット

三原橋地下街を探訪

  • 長屋風に軒を連ねる昭和レトロな商店群
  • 晴海通りをはさんで対を成す建物は、その昔三原橋の欄干だった

 前々回、4月9日付の小欄で、銀座4丁目の交差点と歌舞伎座の中間あたりにある三原橋のそば、昭和レトロな雰囲気が残る銀座の路地裏をご紹介したが、近くに、もう一つ、レトロなスポットがある。建物の老朽化を理由に再開発が進む銀座の中で、貴重な空間ではないかと私は思っている。

 それは、三原橋地下街である。造られたのは昭和27年(1952年)という。

 地上部分の建物は2階建てで、晴海通りに面した銀座4丁目側に、薬局、カメラ屋、レコード屋、衣料品店などが、長屋風に軒を連ねる。2階はいまは飲食店だが、戦後しばらくは、闇市の露店を整理した三原橋観光館があった。

 晴海通りをはさんだ反対側には、この建物と対を成すように、同じ形状の2階建ての建物がある。カジュアルな寿司屋の店舗で、大型バスで乗り付ける観光客でいっぱいだ。それぞれの建物の裏側の階段から地下をくぐり抜けて、晴海通りを行き来することができるようになっているところが面白い。そう、こここそが三原橋地下街である。

 銀座はもともと水の都。かつては、ここに江戸時代に開削された三十間堀川が流れていて、商船や屋形船でにぎわっていた。しかし戦災で銀座の街が壊滅すると、その瓦礫を処分するために堀を埋め立てた。埋立地の一部を利用したのがこの地下商店街なのである。

名画専門館でジュリーの笑顔にうっとり

  • (左)急勾配の階段を降りると、三原橋地下街、(右)地下街の天井に、アーチ形の橋の面影が残る

 さて、地下街に降りてみよう。かなり急勾配な階段を降りると、両側に小さな映画館がある。気を付けて地下街の天井を見ると、緩やかな勾配を描いている鉄骨があったりして、アーチ形の橋の面影を残している。地上部分の対を成す建物は欄干部分で、地下街通路は川筋というわけだ。

 映画館「日比谷シネパトス」は、いまや少なくなった邦画の名画専門館。昭和27年の開業時にはニュース映画を流していたらしいが、私が学生時代の70年代は、成人映画館だったように記憶している。今のような名画専門館になったのは80年代後半で、いや、なかなか泣かせる特集が組まれることが少なくなく、目が離せない。

 今回注目したのは、21時からの特集レイトショー「奇想天外シネマテーク8 SF・ファンタジー編」。

 ジュリー(沢田研二)ファンの私は、「タイガースの世界はボクらを待っている」(1968年、東宝)が映画館で見られる、しかもSF作品の一つとして紹介されることに、とっても興奮した。この映画、アンドロメダ星のシルビー王女が乗った宇宙船が、タイガース(グループサウンズです。念のため)の演奏でコンピューター制御ができなくなり、地球に不時着したとの設定。描かれているのは王女との純愛ロマンス・ストーリーだが、私は、アイドル時代のジュリーの美しい笑顔にひたすら見とれてしまった。

30年前の和製スペースオペラを堪能

  • 映画の情報が所狭しと張り出された「シネパトス」の掲示板

 深作欣二監督の「宇宙からのメッセージ」も、何とも懐かしい作品だった。1978年、「スター・ウォーズ」のブームに乗って、東映が10億円を投じて製作した和製スペースオペラ。ロードショー以来約30年ぶりに観たら、なかなか新鮮だった。ポンコツ寸前の旧式ロボット、ベバ君は、ご主人にどこまでも忠実で愛らしい。宇宙の侵略者ガバナンス皇帝を演じる顔面銀塗りの成田三樹夫も、その生母で電動椅子にうずくまったまま睨みをきかせる太公母役の天本英世も、迫力があって、やっぱり怖かった。

 地下街の直下には地下鉄日比谷線が通っているので、電車が通るたびにがたんごとんと電車の音が響き、シートが若干揺れる。しかし、こういうSFものを観ていると、雑音も効果音のような気がしてくるから不思議なものだ。

  • 30年前の東映作品「宇宙からのメッセージ」のパンフレットをゲット!

 たまたま同映画のプロデューサー、平山亨氏のトークショーがあって、「ロケットを器用にピアノ線で吊るなんてこと、今できる人がいなくなっちゃった。ロケットが炎と煙をたなびかせ、地面をかすめて砂ぼこりを舞い上げるといった特撮の手法に、ハリウッドから随分と視察に来た」などと、当時を振り返った。

 それにしても、81歳を迎えた平山氏はますます意気軒昂。「いつまで生きるの?と女房に言われるが、次は何をやりたいかを書いたアイデアのメモ帳がどんどん埋まっていく。魔女の話もやりたいね。いまの映画を観ていると、俺だったらこう作るのにって思うことがいっぱいある」と語った。

  • 季節料理の「三原」は、地下街の中での一番の老舗

 この特集は4月23日で終わるが、24日からは「DVDでは観られない! 秋吉久美子映画祭」が始まる。昼の部で注目しているのは、生誕100年を記念した「シナリオ作家・水木洋子と巨匠たち」(5月3日から)。ミヤコ蝶々が主演した「喜劇 にっぽんのお婆ぁちゃん」をぜひ観たいと思っている。

 地下街には、映画館のほかに理容室や飲食店が並ぶ。60年代に創業した「季節料理・食事処 三原」がいまも健在だ。

 引き戸を開けて暖簾をくぐる。カウンターとちゃぶ台2つの小ぢんまりとした店だ。ランチに、アジのたたき定食をいただいた。注文してから、女将さんが丁寧に魚をさばき、たっぷりのショウガとネギを添えてくれた。ご飯もおいしい。

 店内には、マリリン・モンローや昭和の映画スターのミニポスターが貼られ、ブラウン管テレビやピンクの公衆電話が置かれている。そこには、静かな昭和の時間が流れていた。

 (プランタン銀座取締役・永峰好美)

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2010.04.16

破顔一笑、庶民に愛される「ゑびす大黒」

様々な願いを託された福の神

  • (左)あふれんばかりのほほ笑みがキュートなゑびす様、(右)とってもふくよかな大黒天(以下、このページの写真撮影はすべて小山主芳氏)

 銀座周辺で贔屓(ひいき)にしているギャラリーの一つに、京橋3丁目にある「INAXギャラリー」がある。身近にあるのだけれど、普段は見過ごしてしまっている素材や話題に光を当てて、「へえ、そうなんだ!」と新鮮な驚きを教えてくれるので、企画展をいつも楽しみにしている。

 今回のテーマは、「笑顔の神さま、ゑびす大黒」である(展示は5月22日まで)。

  • (左)大きな鯛を釣り上げて得意顔のゑびす様、(右)「走り大黒」の霊符は霊験あらたか?

 烏帽子(えぼし)をかぶり、釣りざおと鯛を手にほほ笑み顔のゑびす様、米俵に乗って、打ち出の小(づち)に大きな万宝袋を背負い、ふくよかな印象の大黒天。古来、農村や漁村、商家などを中心に、生業を守り福徳をもたらすものとして、広く庶民に信仰されてきた、日本の代表的な福の神である。

 会場には、聖徳太子が市を開いたことで知られる滋賀県八日市市の市神神社所有の約270体が並ぶ。江戸から明治期にかけて造られた木彫のご神像で、かつて家々の神棚に(まつ)られていたが、住まいの改築などで居場所がなくなり、神社に奉納されたという。小さなものは高さ2センチほどのミニチュアサイズで、お守りとして身に付けていたようだ。

 家内安全、金穀増収、寿福円満……。庶民から様々な願いを託された「ゑびす・大黒」は対をなして(あが)められ、七福神にも数えられている。

  • カラフルな「引札」でも、ソロバンをはじいて大活躍

 その七福神信仰が庶民の間で広まったのは、江戸時代。江戸後期文政年間の「享和雑記」には、「近頃正月初出に七福神参りといふ事始まりて遊人多く参詣する事となれり」とある。

 ユーモアあふれる仕草、愛嬌(あいきょう)いっぱいの表情は、ご神像それぞれに個性的で、作り手の思いが伝わってきて楽しい。

 たとえば、ぴちぴちはねる生きのいい鯛にまたがったゑびす様は、大物を仕留めて自慢げなポーズで決めている。また、鵜飼い装束の折り烏帽子と決まっているはずのかぶりものも、公家風の冠のものなどがあったりして、ディテールを観察すると興味が尽きない。

 片足を一歩踏み出した「走り大黒」もいた。そうそう、「走り大黒」の霊符を逆さまに張って足に針を刺すと、逃げたものが戻ってくる、なんていう俗説、聞いたことがありませんか?

 豊漁祈願の大漁旗、七福神が乗り合いの宝船の刷りもの、商店や商品の広告として配られた石版刷りの色鮮やかな「引札」など、両神は、あらゆるところで活躍してきたことがわかる。店の番頭役として、そろばんをはじき、帳簿を点検している姿は、とっても気さく。肩までたれた大きな福耳が強調され、商売繁盛間違いなし、であろう。

江戸の流行神は海外から

  • JR有楽町駅構内に鎮座する「有楽大黒」

 先日、同ギャラリーのセミナーで、民俗学者の神崎宣武さんの話を聞く機会があり、庶民の生活にこれだけ密着している両神が外来の神様であることを知った。

 大黒天はインドのヒンズー教の神、マハーカーラが原型。仏教と習合して天部に取り入れられ。食糧を守る神、台所の神となり、さらに日本では、大国主命(おおくにぬしのみこと)の因幡の白うさぎ伝説などと結びついて、福徳の神となったという。

 一方のゑびす様は、「夷」「戎」の表記もあるように、海の彼方から漂着したとされ、漁民の間で大漁祈願や海上安全を願う信仰として広まった。保存のきかない漁獲物を携え、各地に商いに出掛けた漁民たちの守り神は、都市部ではやがて商売繁盛や市の神として定着することになる。

 「当時、世界で最大規模を誇る新興都市だった江戸の町は、同じ日本人でも言葉やしきたりが違う人々が混在する場所でした。新しい規範のもとで争いごとを避けるためにと、江戸の町に合った形での神様のあり方が模索され、農山漁村の素朴な守り神は屋敷神、さらに商業神へと転じて融通無碍(むげ)に転じていきます。流行神の出現も習合も自在で、私はこれを信仰の遊戯化現象と呼んでいます。外来文化を土着文化と都合よくなじませるというのは、日本人の得意技でもあったわけですね」。神崎さんの解説である。

銀座におわす笑顔の神さま

  • 銀座コリドー街の「ヱビスバー」の柱にも

 さて、銀座周辺で大黒天といえば、JR有楽町駅銀座口の改札を入った駅構内に鎮座する「有楽大黒」。昭和初め、駅前の亀八寿司主人が秘蔵していたが、戦争末期に空襲を避けるため駅長に寄贈された。乗降客の安全をひっそりと見守ってくれている。

 お隣の日本橋地域には、七福神めぐりのコースもあるので、またの機会にご紹介したいと思う。

 では、ゑびす様は?

 「銀座でも見つけた!」という声を聞いて、早速出掛けた。

 銀座コリドー街に昨年末オープンした「YEBISU BAR(ヱビスバー)」。サッポロビールの看板商品「ヱビス」誕生120周年記念で作られた一号店である。

 店内に入ると、カウンターの向こう、中央の柱に、確かにゑびす様が刻まれていた。「夜になると、入り口にはスポットライトで、ゑびす様が浮かび上がる趣向も。踏まないで入ると運が開けるって、皆さん、験をかついでいらっしゃいますよ」と、同店のスタッフさん。ちなみに、八幡鯛のカルパッチョやフィッシュ&チップスなど、「ゑびす様メニュー」もあった。

 どんな困難なことに遭遇しても、破顔一笑――笑う門には福来たる!である。笑顔の神さまは、そんな心のゆとりを教えてくれる存在だった。

 (プランタン銀座取締役・永峰好美)

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2010.04.09

ちょっと通な路地裏の銀ブラ

微文化で構成された街

  • どら焼きが有名な和菓子屋「木挽町よしや」がある、静かな路地裏

 春うらら。足どりも軽く、銀ブラが楽しい季節になった。

 「銀座街づくり会議」のアドバイザーで、慶応義塾大学准教授の小林博人さんは、「銀座らしさ」「銀座独特の文化のあり方」を、「銀座の微文化」と呼んでいる。

 気象学に「マイクロクライメイト(微細気候)」という概念がある。モンスーン地帯、高山地帯、地中海性、それに、ヒートアイランド現象など特有の現象を示す大都市気候もその一つだろう。分別された小さな自然がモザイクのようにつながり、相互に関連し合って、地球全体の気象を構成しているという考え方である。

 銀座は通りごと地区ごとに少しずつ異なる文化性・歴史的背景をもっており、その一つ一つがつながりあって銀座という街全体の雰囲気を作り出している――これを、小林さんは「微文化」という言葉に託しているのだ。

路地裏散歩でリラックス

  • 銀座5丁目の東側には、レトロな袋小路がある

 十字に交差する銀座通りと晴海通りの2つの大通りを中心に、碁盤の目のように整然とした街並みが銀座の特徴だが、その間には、路地がいくつもまぎれ込んでいる。表通りのにぎわいから一転、路地裏には、ゆっくり流れる時間を慈しむような静けさが漂っていて心地よい。

 私は、この路地裏の銀ブラが好みである。

 お気に入りはいくつかあるのだが、例えば、歌舞伎座に近い銀座東3丁目交差点あたりの木挽町の路地。2009年6月19日付の小欄でもご紹介したことがあるが、どら焼きが有名な小さな和菓子屋さんや手ごろな食事処が固まっていて、とてもリラックスできる空間である。

 建築家で銀座の街歩きに詳しい岡本哲志さんのおすすめは、銀座5丁目の東側付近だそうだ。「裏通りと路地とが呼応しあっていて、独特の空間ができているのが面白い」。先日、ある会合でそんなお話を伺ったので、さっそく歩いてみることにした。

サラリーマンでにぎわう袋小路

  • 2階建ての長屋街はいまも健在

 銀座4丁目の交差点と歌舞伎座の中間あたりにある三原橋のそばに、銀座通りと並行して通る三原通りがある。

  • (上)三原小路の入り口には守護神のあづま稲荷が(下)最近おしゃれなレストランが増えている

 まず目に付くのが、昭和の歓楽街でよく見かけた、とてもレトロなゲート看板。ゲートをくぐると、かなり老朽化した2階建ての長屋形式の店舗が並んでいて、中華料理店、焼肉店、バー、居酒屋、雀荘などが入っている。夜になると、どの店もサラリーマン族で結構にぎわっているようだ。

 ここは行き止まりの路地空間。もとは質商「江島屋」の田村藤兵衛の土地だったそうだ。戦後土地を細分化された時、この不思議な袋小路が誕生したらしい。

 引き返して、再び三原通りに出る。もう一つ路地があって、三原小路という。この路地もまた戦前にはなかったそうで、戦後、小規模な土地を得た人たちが寄り集まって作り出した空間とか。

 一角にあるあづま稲荷は、いつも清潔に掃除されていて、小路をつくった人たちの愛情が伝わってくる。近年改修されて、大分モダンな雰囲気に変わり、おしゃれなレストランなどが増えている。店の前にアレンジされた桜の花に、春の空気を感じた。

人情が生きる呉服通り

  • 呉服関係の店が多いのがあづま通りの特徴

 三原小路を抜けると、あづま通りに出る。この通りには、呉服を扱う店がとても多い。歌舞伎座が近いという地の利を生かして「呉服の殿堂」にしようと、先代の店主たちの思いが込められており、今に引き継がれている。

  • (左)ビルの中の路地「ギンザ・アレイ」(右)「ギンザ・アレイ」を抜けると、にぎやかな銀座通りに出る

 あづま通りには、「GINZA ALLEY(ギンザ・アレイ)」というビルの中の路地があり、間口の狭い店舗が集まっている。和装・洋装雑貨を扱う店のほか、あんみつで有名な「銀座若松」もある。新しくビルを建てる計画が持ち上がった時も、路地の両脇で商いをしていた人たちが協力して生き残らせたのだと聞いた。

 明治27年創業の「銀座若松」は、タカラジェンヌの卵たちの要望で、2代目主人が元祖あんみつを考案したことで知られる。小ぶりでちょっとしょっぱめの豆が私は好きだ。

 ビルの中の路地を抜けると、視界が開けて、そこはにぎやかな銀座通り。銀座のシンボル、和光の時計台が見える。

 ちょっと通な路地裏の銀ブラ、あなたも楽しんでみませんか?

 (プランタン銀座取締役・永峰好美)

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2010.04.06

メリー・エドワーズさんのピノノワール

米カリフォルニアを代表する女性ワインメーカー、メリー・エドワーズさんが3月末、夫とともに初来日。

東京・神田の学士会館のフランス料理店「ラタン」で、メーカーズディナーが開かれました。


メリーさんは、30年前に買ったクールな黒羽織をコートのようにふわっと羽織って現われました。

 

彼女がワインと出会ったのは、幼い頃の思い出にさかのぼるそう。母親のお手伝いをしている時に、料理に一味添えるエッセンスとしその存在を知ったというわけです。


カリフォルニア大学バークレー校で生理学を修め、その後、デーヴィス校で醸造学を専攻、醸造家としての道を歩み始めました。

カリフォルニアワインにクローンを導入する先駆的な役割を果たし、コンサルタントとしての地位を確立、現在は自社畑を所有し、何種類かのピノとソーヴィニヨンブランを造っています。1997年から造っているピノには、格別の思いと自信があるようでした。

ワインスペクター誌では、いつも上位にランクされる彼女のワインですが、なかなかお目にかかる機会がありませんでした(デプトプランニングさんが輸入されています)。
 

今回、いただいたのは、


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2000メリー・エドワーズ メレディス・キュヴェ レイト・ディスゴージド スパークリングワイン
2008メリー・エドワーズ ソーヴィニヨンブラン ロシアン・リヴァー・ヴァレー
2007メリー・エドワーズ ピノノワール ソノマ・コースト
2005メリー・エドワーズ ピノノワール ロシアン・リヴァー・ヴァレー
2007メリー・エドワーズ ピノノワール メレディス・エステート
2004メリー・エドワーズ ピノノワール クーパースミス ロシアン・リヴァー・ヴァレー

 

スパークリングワインは、少量生産で日本未入荷。きめ細かな泡とすっきりした酸がマイルドにまとまっていて、これは、とっても美味しかった!


ソーヴィニヨンブランは、メロンやライム、トロピカルフルーツの甘い香り、ほどよい樽の香りが相まって、芳醇です。米国では2007年が大人気で完売だそうです。

ピノは、それぞれの畑の特徴が表れて、面白いですねえ。
しなやかな重量感があるロシアン・リヴァー・ヴァレーのピノは長い余韻が楽しめましたけれど、私は、自社畑のメレディス・ヴィンヤードで造ったピノが一番気に入りました。エレガントで、バラやリコリス、ジャスミンティなど、複雑性のある香り、凝縮した味わいが広がって。魅力的です。

「この畑は、私が醸造家から栽培・醸造家への道を歩み始めるきっかけになった記念すべき場所」と、メリーさんの説明でした。

 

最後のクーパースミスは、まだ若すぎる印象でした。
 
合わせた料理をご紹介すると、


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10040603.JPG生ハム、そして一口のお楽しみ

 

 

 

10040604.JPG長崎産新鮮白身魚と生ウニの春仕立て

 

 


10040605.JPG北海道産ホタテ貝のココット焼き

 

長崎産アマダイの伊勢海老とサフランのソース

(写真を撮り忘れました!)

 

 

 

 

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骨付き仔羊のロティ 森のキノコ添えトリュフの香り

 

 

 

 

10040607.JPGデザートは、新潟産洋ナシの赤ワイン・コンポート


 
久しぶりに、しっかりしたクラシックなフレンチをいただきました。

良質なピノだと、楽しめますね。

 

女性ワインメーカーらしい(?)エチケットも目を引きました。

 

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とっても気さくなメリーさんと一緒に。


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「女性先駆者として、苦労したことは?」と伺ったら、「今が素晴らしいので、ネガティブなことは言わない。私には、ゲイ・サポーターチームがいて、親切に丁寧に、時に厳しく指導してもらいました」とか。


「女性の方がテイスティング能力が高いともいわれていますよね」と水を向けると、「そうそう、それは、研究者によっても裏づけられているデータがありますもの。女性そしてアジア系の中に、スーパーテイスターが生まれるようです」ですって。
 

女性のテイスティング能力の高さは、ワイン評論家のジャンシス・ロビンソンさんも指摘するところ。2月にジャンシスさんをインタビューしたのですが、その内容は、5月発売の日本ソムリエ協会誌「ソムリエ」に掲載の予定です。

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2010.04.02

銀座四百年を語る、92歳の生き字引

シンボルロードに柳並木が復活

  • 著者の柳澤氏は、ショッピングセンターの先駆け、西銀座デパートの会長

 今年92歳になる西銀座デパート会長の柳澤政一さんが、「私の銀座物語」(中央公論事業出版)という本を上梓した。

 証券マンを振り出しに、銀座にかかわって半世紀以上。副題に「柳澤政一が語る 銀座四〇〇年」とある。江戸時代から文明開化、大正モダン、関東大震災からの復興と戦争の時代、さらに高度成長期から海外ブランドが進出する新しい銀座へと、「銀座の生き字引」とも呼ばれる著者が、文献にあたり、かつ自らの体験を思い起こしながらつづった「銀座の文化・風俗通史」に仕上がっている。

 柳澤さんに初めてお目にかかったのは、4年前の春だった。久々に復活した「銀座柳まつり」の立役者として話を聞かせていただいた。

 「昔恋しい銀座の柳」と、西条八十作詞の「東京行進曲」で歌われたのは、昭和の初め。2006年の春、西銀座通りに数十年ぶりに柳並木が復活した。1丁目から8丁目までの約1キロに約200本の柳を植える8年がかりの事業が完成、「銀座柳まつり」もよみがえったのであった。

 時の移り変わりの中で、銀座の柳は受難続きだった。

  • 今年92歳になる柳澤氏は、現役の銀座人

 明治初期、煉瓦街になった銀座では、水分の多い土壌ゆえ、松や桜、カエデの街路樹が根腐れで枯れた。代わって植えられたのが、水に強い柳。ところが、車道の拡張や東京大空襲での焼失などで、だんだんと姿を消す。

 商店主らが補植を試みてきたが、1968年の銀座通り大改修事業で、ほとんどの柳が撤去されてしまった。

 「子ども心に歌で聞いて育った銀座の柳がどこにもなかったのは寂しい。大学が神田で、柳の下の銀ブラ・デートとしゃれこんだ楽しい思い出もあるしね」。西銀座通会会長として、通り沿いの商店経営者らを束ねた柳澤さんは、柳並木の復活を心から喜んでいた。そして、「柳は、狭い場所にあるとうっとうしいけれど、広々として昔の風情が残る銀座だから、いいんだねえ。銀座ほど柳が似合うところって、ないんじゃないかい」とも。

 お話をうかがいながら、この人は心底銀座を愛しているのだなあ、と感じたものだ。

 さて、「私の銀座物語」には、柳澤さんが「銀座のために」と尽力したいくつかのエピソードがつづられている。

タウン誌「銀座百点」の始まり

  • 柳澤氏の銀座人脈を形成した銀座並木通りの三笠会館

 証券会社の銀座支店長を命じられた1954年夏のこと。「銀座で商売をしている人に実際に仕事を依頼することから始めよう」と、店のオープニングレセプションでは、決まっていた大手ホテルをわざわざキャンセルして、当時「街のレストラン」に過ぎなかった三笠会館に仕切りをお願いした。

 以来、同社の谷善之丞社長は「銀座における戦友のような存在」だそうで、その縁から、コックドールの伊藤佐太郎氏、天一の矢吹勇雄氏ら、銀座に対する一方ならぬ情熱をもった人々との交流を深めていった。

  • 「銀座百点」はいまも豪華な執筆陣が筆をとる

 「地域社会への貢献を」と、当時4丁目にあった支店の会議室を銀座の商店主の情報交換の場として開放したところ、12人のメンバーを核に親睦団体ができた。会員を募集すると、予想以上の反応があって、すぐに70店舗が応募。「それなら百店にしようか」となったら、これもすぐに集まった。名称を「銀座百店会」とし、思い切って銀座のためのPR誌を作ることへと発展していく。

  • 日々変化する銀座。ビルの建て替え工事があちらこちらで

 知り合いを頼って銀座5丁目にあった文藝春秋を訪ねると、専務だった車谷弘氏が編集を担当してくれることに。1955年1月の創刊号から、久保田万太郎、源氏鶏太、吉屋信子らの一流の執筆陣が集まり、「さすがは銀座」とだれもがうなるようなタウン誌「銀座百点」が完成したのだった。

 その後も谷崎潤一郎や三島由紀夫ら日本を代表する作家や文化人が執筆、その伝統は受け継がれ、この4月号でも、赤川次郎、池部良、村松友視らが健筆を振るう。

 ちなみに、表紙の写真を担当したことのある秋山庄太郎氏は、柳澤さんの写真の師でもあり、「先生の指導で、3冊の花の写真集を出版することができました」。

 「百店会創設メンバーの12人のうち、私を除くほかの11人の方々はすでに鬼籍に入っておられる。高度成長期を突っ走った創業者の心意気を若い方々に伝えるのも私の役目。変化する銀座の中にあって、できるだけ頑張っていきたいものです」。思い出の三笠会館で開かれた出版記念会で、柳澤さんは力強く語った。

 (プランタン銀座取締役・永峰好美)

 ◇銀座百点

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永峰好美のワインのある生活

<Profile> 永峰 好美 日本ソムリエ協会認定シニアワインエキスパート。プランタン銀座常務取締役を経て、読売新聞編集委員。『ソムリエ』誌で、「ワインビジネスを支える淑女たち」好評連載中。近著に『スペインワイン』(早川書房)