2010.03.26

真っ暗闇のエンターテイメント

視覚障害者と健常者の交流プログラム

  • 常設されている「ダイアログ・イン・ザ・ダークTOKYO」の入り口

 幼いころ、電気を消してお風呂に入ることが好きだった。ちゃぽんちゃぽんとはねる水面の音、浴槽の木の香り、冷えていたからだが徐々に心から温まってゆく心地よさ……。

 「明るくして、ちゃんとせっけんで洗うのよ」とさとす母の声がするまで、私は、暗闇の中での豊かなぬくもりの時間を子どもながらに楽しんだ。

 そうした闇の中での感覚は、大人になるとともに忘れ去られ、いまはすっかり目や耳に頼る日々である。

 銀座のデパートで働き出して、閉店後明かりが消え、人の気配もない(それでいて、洋服を着た物言わぬマネキンだけがあちらこちらに立っている)真っ暗な空間に身を置くと、暗闇パニックとでもいうのだろうか、楽しみどころか恐怖心だけがわき上がってきた。

 赴任したばかりのころ、残業を終えて、職場から従業員用の夜間通用出口に至るまでの時間がなんと長く感じたことか。いや、あれから5年ほどたついまも、閉店後の暗闇が苦手なことに変わりはない。

 先日、知人の紹介で、「みえない。が、みえる!~まっくらやみのエンターテイメント」というのを体験した。

 東京・渋谷区神宮前に常設スペースを構えて1年になる「ダイアログ・イン・ザ・ダークTOKYO」。

  • 会場は地下にある

 日常生活の様々な環境を織り込んだ真っ暗な空間を、視覚以外の感覚を使って体験する話題のソーシャルエンターテイメントである。参加者は、8人程度のグループになって、暗闇のエキスパートでもある視覚障害者の「アテンド」のサポートのもと、完全に光を遮断した会場に入り、約1時間、暗闇の世界を探検する。

 1989年、ドイツの哲学者アンドレアス・ハイネッケ博士が考案した視覚障害者と健常者の交流プログラムで、20年間にヨーロッパを中心に25か国120都市で開催、600万人以上が体験しているという。

 商品開発のマーケティングやコンサルタントをしていた金井真介さんは、15年ほど前、新聞の囲み記事でこのイベントを知り、実際にイタリアで体験した。言葉がわからない金井さんは、途中で一人、グループからはぐれてしまったのだが、忍者のごとく人が現れ、グループに連れ戻してくれた。あまりの的確さと素早さに驚き、てっきり暗視ゴーグルをした健常者だと思っていたら、外に出てその人が全盲と知り、衝撃を覚えたという。

 日本でもこの試みをぜひ広めたいと熱い思いを手紙にしたため、博士に送ったところ、快諾を得た。

 日本には10年ほど前に上陸、金井さんが代表を務めるNPO法人(特定非営利活動法人)が運営にあたっている。不定期で短期開催していたが、好評なので、1年前から常設スペースでの展開が始まっている。

闇の中で新しい自分に出会う

  • 探検が終わったあと、皆で感想を話し合うのも楽しい

 さて、大きな荷物や落としたら困る携帯電話や時計を預けて、探検に出発だ まず、自分の目の代わりになる白杖の使い方を教わり、ランプ一つがともる薄暗い小さな部屋に参加者8人が集まって、アテンドの「ナポリさん」を囲み、自己紹介を行う。当日初対面の人がほとんどである。

 「これから少しずつ暗くしていって、最後は光が一筋も入らない真っ暗な中に入ります」。「ナポリさん」の説明に、胸がどきどきした。

 「まっすぐに進みましょう。何か触れてわかるもの、ありますか?」

 会場内には、公園や秘密基地、高台の展望台、カフェなどがあって、様々なシーンを体験できるように工夫されているらしい。「ナポリさん」の声に導かれながら、視覚以外の感覚に集中していく。

 これは、木の幹だろうか。

 鳥のさえずり、草や土の香り、枯れ葉や芝生を踏みしめる足元の柔らかな感触。からだの奥深くに眠っていた感覚が徐々に呼び覚まされていくような気がした。

 自分でいろいろ試してみることも重要だが、特にカギになるのは、一緒に探検する仲間たちである。

 「その声はシマさん? 背中触っちゃってもいい?」

 「いえ、ヤマですけど、どうぞ」

  • 参加者からは、いろいろなメッセージが届いている

 最初は心細さも手伝ってぎごちなく呼び合っていたが、しばらくすると、8人の声やたたずまいが何となく区別できるようになっていくのだから、不思議だ。

 「ゴメン、足踏んだ?」

 「大丈夫ですよ。ここにも段差あります。気をつけて」……。

 最近、こんな風に人と手を携え、声を掛け合ったことって、あっただろうか。

 実は、私は、真っ暗闇に慣れるためにと光を遮断した最初の部屋で5分ぐらい静止していたとき、少々パニックに陥った。

 闇の底に突き落とされたような不安感が広がり、ここから一刻も早く飛び出したいという衝動にかられたりもした。声を出していないと不安なので、「探検、楽しみです!」「体調万全です!」など、無意味なことを口走っていた。

 動き出して少しずつ冷静さを取り戻したが、恐怖心がほぼ完全に払拭(ふっしょく)されたのは、仲間たちの声とぬくもりだったように思う。こうしたチームのコミュニケーション能力の醸成効果に目をつけて、多くの企業が新入社員研修に活用し始めているとも聞いた。

 探検の最後、カフェに立ち寄るころには、すっかりリラックス。それにしても、暗闇の中でグラスに入れたワインやジュースを正確にサービスするスタッフには、ただただ脱帽だ。

 主催のNPO法人では、視覚障害者が持つ鋭敏で繊細な感性を生かした商品開発にも取り組んでおり、第一号として、より柔らかな風合いと肌触りを大切にした「ダイアログ・イン・ザ・ダーク・タオル」が誕生している。

 今後は、ピクニックや婚活パーティーなど、楽しい企画も目白押しだとか。

 暗闇の中の対話――今まで気づかずにいた新しい自分に出会う機会でもあった。

 (プランタン銀座取締役・永峰好美)

 ◆ダイアログ・イン・ザ・ダーク

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永峰好美のワインのある生活

<Profile> 永峰 好美 日本ソムリエ協会認定シニアワインエキスパート。プランタン銀座常務取締役を経て、読売新聞編集委員。『ソムリエ』誌で、「ワインビジネスを支える淑女たち」好評連載中。近著に『スペインワイン』(早川書房)