結び目に神の御心が宿る
前回の小欄でご紹介した、銀座8丁目、金春通りにある京焼の老舗「
年の瀬が近づくと、あちらの料亭、こちらのお座敷から声がかかり、「床の間飾り」をしつらえに銀座の街を飛び回る。
そんな達人の手ほどきを受けて、水引作りを体験する機会があった。
さかのぼれば、「結びの技」の歴史は古い。
くくる、束ねるといった行為だけでなく、伝達の手段やものの所有を表す目印として、日常生活でも多用され、その機能美は発展してきた。
結び目に「神の御心が宿る」と考えた古代人は、信仰の対象として尊んだと伝えられる。一本の紐を結んで、花や蝶、紋などを表現する花結びは、仏教伝来とともに伝えられ、人の手から手へと大切に受け継がれてきたのだ。
美しく華やかな装飾として花開いたのは、平安時代だ。装束や調度品など、身の回りを彩るものの多くに、結びが用いられた。
戦国時代には、権力者に仕える茶道役たちが、自分の用意したお茶に毒物が混入されることがないようにと、茶入れを袋に入れ、自分以外には再び結ぶことのできない「封印結び」を施し、カギ代わりにしたといわれる。
結びの道具の一つ、水引は、紙製のこよりに水のりを引いて固めたもの。製法が、そのまま「水引」という名称のルーツにもなっているようだ。
飛鳥時代、小野妹子が率いる遣唐使が帰朝する際、来朝した答礼使の献上品に麻紐が結ばれていたのが最初なのだとか。「麻紐は紅白に染められていたとの説もありますが、実は、献上品には本来、白黒の水引が使用されるといわれています」と、丁さん。
室町から江戸時代にかけて、日本独自の文化が発展、礼儀作法が確立されていったころ、祝いの品などに水引をかける習慣や結びの技が広まった。特に、江戸時代、華やかな装飾結びが考案されるが、赤白などのように色を配して結びを楽しむようになるのは、明治以降という。
引いて締めて、祈りを込める
こま結び、つゆ結び、あわじ玉、亀結び、総角結び、吉祥結び、しゃが玉結び……。
水引の結びはそれぞれに意味を持ち、感謝の気持ちや心づかい、祈りなどを伝える役割を果たしてきたのである。
体験講座では、おめでたい正月に向けて、金銀5本ずつの水引を使い、「あわじ結び」という基本的な結び方を学んだ。
まず、左手の親指と人差し指とで銀の水引をはさみ、右手の2本の指でつまんで、右手首をくるんと手前に回して親指を上に……。文字で説明すると、とてもややこしいことのように思われるかもしれないが、丁さんの手になると、一筆書きのようにすーいすい。所作が美しく、流れるように結びの技が完成されていく。
一方、不器用な私は大苦戦。1本1本の水引がねじれて重なり合わないようにするだけで精一杯で、最初はなんだか、しまりがなくだらしない結び方に。「もっと引いて、もっと締めて」という丁さんのアドバイスで、どうにか見られる形になった。
ちなみに、あわじ結びは、両端を引っ張るとさらに強く結ばれることから、幾度あってもいいこと、一度しかあってはならないことの慶弔どちらにも用いられるという。
最後に、紅白の紙をじゃばらに折って、金銀水引の亀結び(これはあらかじめ丁さんが造ってきてくれたもの)をあしらい、正月のちょっとおしゃれなお飾りも完成。
大掃除をする前なのに、正月気分が一気に盛り上がってしまいました。
(プランタン銀座取締役・永峰好美)