鬼平も思わず「うめえな」
「ま、飯を食べながらはなそう。さ、早く……早く
舌が焼けるような根深汁に、大根の漬物。小鉢の生卵へ醤油をたらしたのを熱い飯へかけて、「む。うめえな……」(池波正太郎「鬼平犯科帳」の「墨つぼの孫八」より)
主人公の火付盗賊改方、鬼の長谷川平蔵が思わず「うめえな」と漏らす江戸の味。食いしん坊の私は、捕物帳の筋立て以上に、酒の肴や飯の菜の登場する場面が気になって仕方がない。鬼平の料理は、今も変わらぬ庶民の味なのだ。
そんな江戸の季節感や食風情を伝えてくれる店が、東京・銀座8丁目、金春通りにある。ご飯をおいしく食するため、からだにやさしい伝統の味にこだわる「銀座・三河屋」。江戸スローフードのセレクトショップである。
創業は江戸・元禄時代にさかのぼる。徳川家康公に率いられ三河の国からやって来た一代目は、江戸の上がり汐留で酒商を営んだものの、大酒飲みの当主で傾き、油屋に転業。慶応年間には銀座に移って糸商に専念、成功を収めた。繭形の屋号にその名残をとどめる。
太平洋戦争後は和装小物を中心に婦人服地などを扱って商売を拡大したが、近年ジリ貧状態が続いていた。そうした中、2003年、事業の大転換を決断したのが、現社長の神谷修さんだ。
「江戸料理百選」を再現
東京の花街、柳橋育ち。幼いころから、夏祭りの時期になると、近くの相撲部屋の関取衆や芸者のお姉さん方と一緒に盆踊りを楽しむといった粋な生活を送っていた。
大学卒業後は資生堂に入社し、主に販売促進部門を歩んだ。商い優先で、学校の運動会にも父兄参観日にも一度も顔を出してくれなかった両親をみて、「絶対にサラリーマンになろう」と、あえて家業を継がなかった。
ところが、定年を1年後に控えた59歳のとき、「400年続いたのれんを自分の代で途絶えさせてはなるまい」との思いから家業を見直し、業態転換という大英断を下したのだ。まずは新規事業として何を始めればいいのか、半年ほど模索した。
団塊世代の大量定年、ファストフードの広がりへの危機意識、ご飯食の見直し、江戸開府400年……。キーワードが次々と浮かんだ。そんな時、「江戸料理百選」という本に出合い、ひらめいた。250年も食べ続けている江戸料理は、日本人の舌に一番無理なく合うのではないか、と。
食ビジネスの経験はなかったが、「サラリーマン時代にセミナーで聞いた鈴木敏文イトーヨーカドー会長の、『経験はある時には邪魔になる』という言葉に背中を押されました。よし、挑戦してみるかってね」。
もともと食いしん坊だったことも幸いした。「一日中働いていた親でしたが、毎月第3月曜日はお休み。浅草や築地に鴨鍋やら鰻やらおいしいものを食べに出かけた。そんな幼少時の経験が今どこかでプラスに働いている気がします。この点は親に感謝ですね」
こうと決めたら行動は早い。すぐに本の出版元に電話して、著者の福田浩さんを紹介してもらい、会いに行った。
福田さんは、東京・大塚の「なべ家」の主人。古い料理書の研究や江戸料理の再現者としても知られる。神谷さんは自分の思いの丈をぶつけ、新生三河屋の料理監修を依頼した。
粋な遊び心で食を愉しむ
第一弾が、文化文政期に姿を消した
刺身や蒸し魚、冷奴、サラダ、和えものなど、どんな素材とも相性がいい「台所のオールラウンドプレーヤー」だが、「卵かけご飯に刻みのりとわさびをのせて、煎酒をさっとかける。単純だけど、これが一番うまい」という。
江戸食は遊び心もいっぱいだ。「江戸料理百選」の一つに、「鯛の
うまい昆布がとれたと聞けば北へ走り、独特の風味の味噌があると聞けば西に飛ぶ行動派。フットワーク軽く、全国の生産者を訪ねて回るが、手間暇かけた産物の大量流通には限界がある。「だから、そこそこビジネスなんですよ」とも。
神谷さんの話を聞いて、大塚の「なべ屋」で江戸の味を試してみたくなった。秋サバや落ちアユなど初秋の味覚を堪能したあと、最後の甘味として出てきたのが、「江戸料理百選」にも載っている「
「鬼平犯科帳」の平蔵は、無類の酒好きでご飯好き、そして白玉に砂糖をかけて肴にするくらい大の甘党だったとか。平蔵もこの一品、気に入っていたのだろうか。
(プランタン銀座取締役・永峰好美)